第九話
「これをプラム少年が渡されたのは、俺が講師として就任する前のことだ」
「そうですな」
「そしてナインヘッド、奴はアヤメ嬢を目の敵にしていた。状況証拠としてはそれだけで充分っちゃ充分なんだが、これをプラム少年に持たせたのが決め手になった」
「? どゆこと?」
「呪法陣ってのは色々制約がめんどくさいんだよ。召喚陣を作る数倍の制約をクリアしないといけない。――で、その一つが〝呪う対象となる人物にある程度以上の感情を向けているものを触媒とする〟だ」
「……どういうことだよ?」
「惚れてんだろ? アヤメ嬢に」
俺がそう言うと、ぽかんとしていたプラム少年の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
「は、はぁ!? ば、バカじゃねえの!? そ、そんなことあるわけねえし!!」
「いや、バレバレだし。アヤメちゃん以外には」
「えっ」
デイジーが容赦のない追い打ちをかける。ちょっとだけ同情するぞ、プラム少年。
「ま、それはいい。お前らの青春だ、手ひどく振られるのもいい思い出だろ」
「え、や、でも」
「アヤメ……!」
言い淀むアヤメ嬢に一縷の希望を賭けるプラム少年だが、その期待は……。
「そんな手ひどくなんて」
「あ、振るのは確定なんだ」
「ゴフッ」
ご愁傷様だなあ、プラム少年。デイジーも少し手心ってやつを……。
「……てめえがいるからっ」
「え、俺?」
「てめえが来てからおかしくなったんだ!!」
「いやー、ヨシュア先生は関係ないんじゃないかなー」
「あ!?」
「だってそもそもあんた、アヤメちゃんとまともに話したこともないじゃん。いっつも遠くから睨んできてさ。むしろ怖がられてたんだよ?」
「お、俺は睨んでなんか……」
「まーね。あんたにそんなつもりがないのは知ってたけど。だからあたしも言ったのよ。アイツはただのヘタレで、ただ遠くから眺めてるだけだって」
デイジーそいつぁちと火力が高え……。
「わ、私、むしろプラム君に憎まれてるのかと」
「!!」
あ、落ち込んでる。ものすごいわかりやすくへこんでる。
まあね。元々目つきが悪、いや、眼光の鋭いタイプだし、そこに熱い想いを乗せてみつめたら、睨んでると思われるのも仕方ない。う、なぜか俺の過去が泣いている気がする。
「ま、そういうわけでな。その気持ちにつけこまれたんだよ君は」
「くっ……」
「てことで話を戻すぞ。……ナインヘッドは、プラム少年の純情を利用してアヤメ嬢に呪いをかけていた」
「じゅんっ……!」
「どんな呪いを……」
「そこですよレストン先生。……やつは、アヤメ嬢の魔力の質を下げる呪いをかけたんです」
「魔力の……」
「質? 魔力を下げるじゃなくて?」
「ああ」
ナインヘッドはクズだが、無能ではない。加えて、執念深く陰湿だ。
「魔力そのものを下げると、魔力の量も落ちる。そうなるとどうなる?」
「魔力が落ちたら……お医者さんに行く?」
「そうだな。魔力内科に行き、原因を探すことになる」
「そうすると……呪いがバレる……?」
「正解だ、アヤメ嬢。結果、呪いの元は早くに絶たれ、これだけ手の込んだ呪法陣を作ったにも関わらず〝ちょっと調子を崩してしまった〟程度で終わってしまう。……だから、魔力量は変わらず、その質だけを落とす呪いをかけたってところだろう」
献上、魔力の計測には質は問われない。というか、それを計る物差しがない。本人も自覚しづらいため、発覚するまでには相当な時間がかかるだろうと想定したに違いない。魔力を画像に見立てれば、解像度が下がる、という感じだ。おそらく、そう意識しないと一般的には気づかれづらい。
だが、残念なことに、俺がその呪法陣そのものを解析してしまった。
「幸い、呪いはまだ完成していない。とはいえ、あとは時間をかけるだけという状態にはなってる」
「完成すると、どうなるんですか?」
「そもそもアヤメ嬢の魔力は、量こそ少ないが質は相当高かった。召喚陣の時は魔法陣そのものに細工をして失敗させたが、そのあとはそうもいかない。だからナインヘッドは、時間はかかるがアヤメ嬢の魔質そのものを壊そうとしたんだ」
「うーわ……」
「あの野郎……」
「それで、先生。アヤメちゃんの呪いは解けないの?」
「呪いの供給源は絶ったから、あとは時間だな。呪いってのは千差万別ってことはさっき言ったけど、だからこそ特効薬はないんだ。徐々に薄れていくのを待つしかない」
「……歯痒いものですね」
「おっしゃる通りです。……そしてもう一つ、あの呪法陣には仕掛けがあった」
「仕掛け?」
「ええ。それのためにレストン先生、あなたをお呼びしたんです」
それは、呪法陣が壊れた際に発動する保険のようなものだった。
「そのために? どういう意味でしょう」
「クロノス正教」
その名を出した途端、室内の空気が張り詰めた。
クロノス正教。それは、時間神クロノスを信奉する宗教だ。その規模は大きくはないものの、歴史そのものは長い。
なかなかアグレッシブな教団のようで、過去にはテロ行為なども行なっていたようだ。
「……まさか」
「この呪法陣が破壊された場合、それがクロノス正教に伝わる仕掛けがありました。――ここ見てください」
俺は呪法陣の一部を指差す。そこには、円の中を十三分割するメモリが振られ、外周から中心に向かって口を開けた二匹の蛇が牙を向く、クロノス正教のロゴマークが刻まれていた。
「十三分割の蛇が二匹……」
「え、え、なに? 先生どゆこと?」
「クロノス正教が、私を……?」
「アヤメ嬢、身に覚えはないか?」
俺の問いに、彼女はぶんぶんと首を横に振る。
「知りません。歴史の授業で習ったことくらいしか……」
「だよなぁ。いや、俺もそこは全然分からなかったんだ。時間神クロノスを崇める教団が、なぜ一介の学生への呪いに噛んでるのか」
「ナインヘッド氏がクロノス正教に入信していた、ということでは」
「そこは間違いないとは思います。だが、アヤメ嬢への呪いは、完全に私的な恨みからだ。それにイッチョカミしてる理由が分からない。……しかもこの呪法陣、ナインヘッドが作ったものじゃなさそうなんですよね」
「どゆこと?」
「あいつの召喚陣との比較なんだけどな。線の引き方からインクから、全部が別物なんだよ。言ってみれば、精密すぎるんだ。――これはまるで、デザイナーが描いた魔法陣のようだ」
「デザイナー!?」
「クロノス正教にもそういった職業の人間がいる、と?」
「それはわかりませんけどね。ただ、これを作ったのは相当な手練れです。なんなら、俺でもこれを作るのには相当時間がかかる」
「ふむ……」
「そこでレストン先生にお願いしたい」
「そういうことですか。私なら軍にも伝手がある」
「はい」
レストン先生に首肯し、俺はこの場の全員に向かって言った。
「動機は不明、だが狙われているのはほぼ確実。とはいえ、あの呪法陣では居場所までは特定出来ない。当面の危険は少ないが、いつ何があるかは正直なんとも言えない。だが、アヤメ嬢、安心してくれ」
「えっ……」
「クロノス正教が動くとなれば、軍も黙っているわけにはいかない。レストン先生を介して、対応してもらえるようにする」
「それだけじゃ甘えだろ。そんなでかい組織が小回り効かせられるはずがねえ」
「鋭いなプラム少年。……もちろん、そこも考えてある。アヤメ嬢、ご家族はどこに?」
「え、あ、アショカです。私は学生寮に」
「なら話は早い。君は今日から学生寮を出たまえ。引っ越し先はもう話をつけてある」
「あ、先生、もしかして」
「その通り」
デイジーは気づいたか。
この辺り、いやこの世界でもトップクラスに安全な場所、それは――。
「アヤメ嬢、この件が解決するまで、君にはデイジーのご両親、バーニャとカウダーのアパートに住んでもらう」




