第八話
アパートに帰り程なくして、デイジーから夕飯の誘いが来た。
正直何もする気になれなかったので、ありがたく伺うことにする。
「呪法陣、か。懐かしいなおい」
「覚えてたか、カウダー」
炙った程度のほぼ生肉をもっしゃもっしゃ食いながら、デイジーの父にして一流の冒険者、カウダーが感慨深い声を出した。
「忘れもしねえよ。呪いってのはぶん殴って倒せねえのがいけねえ」
「そんな発想するの、あんただけよ」
脳筋丸出しのカウダーの発言に、奥方のバーニャが呆れながら応える。彼女もまた一流の冒険者だ。
さっきレストン先生たちに話した呪殺の件は、俺が彼らの冒険に駆り出された時に起きた話だった。
「ねえ先生」
「ん、どしたデイジー」
「先生たちは大丈夫なの? そのじゅほうぢん? っていうの、触っちゃったんでしょ?」
「ああ、問題ないよ。呪法陣ってのは、対象になる人以外には、基本的には効力がないんだ。今回のプラム少年みたいに、常に身に付けてれば影響は出るんだけどな。それに、あれは決まった法則に従って畳むことで発動する、特殊な作り方になってるからさ」
プラム少年は、あの呪法陣を外した途端大人しくなった。つまり、お守りに入れて身につけ続けたことで、おこぼれの呪いで感情が増幅されてしまったわけだ。
「問題は、あれがどういう類の呪法陣なのかってことなんだよなぁ」
「たぐい?」
「呪法陣ってのはさ、要するに誰かが誰かに向けて呪いを放つための魔法陣なんだけど、その呪いがどういうものかが分からないと解除のしようがないんだ。今回は、対象ではないはずのプラム少年に持たせたってことで、間接的に少年が相手に何かするように仕向けてる、んだと思うんだけど……」
「相手も、その方法も分からないことにはどうしようもないってことか」
「そうなんだよなあ。ま、解析してけば分かるでしょ、多分」
「うわ出た、てきとー」
デイジーがケタケタ笑うのを聞きながら、俺はしっかり焼いてもらった肉を頬張った。
――――
さて。やるか。
自宅に戻った俺は、持ち帰った呪法陣をデスクに広げる。
――それにしても。
「いい仕事してやがんなぁ……」
この呪法陣、むちゃくちゃ仕事が細かい。
ナインヘッドが渡したってことだったが、これは間違いなくあいつの仕事じゃない。
いっちゃなんだが、俺と同等、もしかしたらそれ以上の腕がないとキツい。それほどの精度だった。
畳んで初めてつながる回路になっているので、広げている今は断片しか見えないが、その時点で既に芸術といっていいくらいの出来なのは見て取れる。
このままずっと見惚れていたい気もしてきたが、そういうわけにもいかない。
何しろこれは芸術的ではあっても、俺の生徒を狂わせた呪いの魔法陣である。
徹底的に解析して、その目的をはっきりさせないといけない。
「……〝計量〟発動」
目を閉じて開く。視界のそこかしこに数値が刻まれている。
そのまま呪法陣を眺めると、バラバラになっている陣の接続が瞬時に理解できた。
RPGみたいに、スキルもレベルアップするらしい。プラム少年との対戦でゼファー女史と会話してことで、能力の拡張が行われたようだ。これはいい。
下手に組み上げるとまた呪いが発動しかねない。出来ればバラした状態のまま作業を進めたいと思っていたところだった。
「いいね、調子いいわ」
まずは、この呪いがどういう種類のものかを調べないといけない。
基本的に呪法陣ってのは対象となる人物ではなく、その近くにいる触媒が持つことで効力を発する。これがこの魔法陣の一番面倒臭いところだ。逆に言えば、持たされたプラム少年の近くにいる者が対象になってるってことでもあるが……。
「ナインヘッド、プラム少年……」
ぶつぶつと言いながら呪法陣を調べていく。
呪いってのは、実はものすごく複雑な行程を経て、初めて効力を発揮するものだ。魔法陣の規模、精度はもちろんだが、そもそもどんな呪いをかけるのかを明記しないといけないのだ。
だがしかし。
この呪法陣には、文字と言えるものが見当たらない。〝スケール〟を使ってみても見つからなかった。
「どーなってんだぁ……?」
他にも気になる所はあった。
呪法陣を形作っている外周部分と、中の魔力回路の線だ。
それぞれだけを見れば綺麗に引かれていて、非の打ち所がないのだが、問題はその太さだった。
外周と中で、線の太さが違いすぎるのだ。
中の回路部分は針を使ったのかと思うくらい細く、シャープな線。
それに対して外周は、太さが小指の先ほどもある。タッチも柔らかく、同じ魔法陣に使われている線には見えない程だった。
結果的にそれが、デザインとしての美しさを引き立たせている、というのも皮肉な話ではある。
「極太明朝体じゃあるまいし、こんなに差をつける必要あるのか?」
明朝体の太い縦線、細い横線のような作りは、デザインとして秀逸なものであることは当然理解している。
しているが、デザイン発展途上なこの世界に。そこまでのデザイン能力を持つ人間がいるのか。
いるなら是非一度、話をしてみたいとさえ思った。
そんな感心半分、嫉妬半分な気持ちになりながら、いくつ目かの断片を調べていた時だった。
「……これは」
その断片は外周部分のラインがど真ん中を通っていたが、その緩くカーブした線に違和感がある。
綺麗に引かれた線の端で、ほんの少しだけ、線に対して垂直にインクがはみ出していた。
俺は〝スケール〟の精度を上げ、その部分のみに意識を傾ける。
――すると。
「……なるほど、そういうことか」
果たしてはみ出していたインクは、凡ミスなどではなかった。不自然なまでに太い線の下に、しっかり文字が書き込まれていたのだ。
「……なんて手の込んだ真似しやがるんだ」
俺はもうすっかり、感心を通り越して呆れ果てていた。
これを作った奴は、相当用心深い人間らしい。
対象者や触媒に見られても分からないように、文字の上に太い線を引いて、その呪詛がどういう性質なものかを分からないようにしていたのだ。
これはもう、プロの仕事に違いない。
「会ってみてえな、こいつ……」
そんな言葉がつい口をついてしまう。
それほどに、俺はこの呪法陣にやられていた。
「……いかんいかん、それどころじゃねえや」
自分の両頬を軽くビンタして、俺は呪法陣に向き直った。
「カラクリがわかりゃこっちのもんだ。――全部見させてもらうぜ」
――――
翌朝。
俺は魔導学校の自室に数人の講師、生徒を呼んだ。
メンツは校長、レストン先生、プラム少年、それにデイジーとアヤメ嬢。
「ヨシュア先生、御用ですか?」
「あぁ」
アヤメ嬢の質問に答え、俺は一同をぐるりと見回した。
「先日のプラム少年のご乱心、その原因がこれだ」
「おまもり……?」
「正確にはこれの中身な。レストン先生とプラム少年、あとデイジーには話したが……この中には、呪法陣が入っていた」
「呪法陣……なぜそんなものが」
「プレゼントだそうだ。……ナインヘッドからのな」
「え……!」
「プラム君、大丈夫なのかね!?」
「校長、慌てちゃいけない。少年は触媒にされただけですよ」
慌てる校長を落ち着かせたところで、そろそろ本題に入ろうか。
「この呪法陣、相当巧妙に作られてた。スキルを使ってようやく解析出来たんだが、この呪法陣。効力としては、対象の魔力の出力を弱めるというものだった。種類としてはそれほど強力なものじゃないが、それだけに気づきにくいのも事実だな。そしてその対象になったのは……」
そう言いながら俺は、一人の生徒の目を見つめる。
「え……?」
「アヤメ嬢、君だったよ」




