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55話 温泉とは心の洗濯のこと 前編

温泉とは心の洗濯のこと 前編




「おじちゃん、魚さんいっぱい!」


「せんせー!あっちにも!」


 葵ちゃんとカイト、それに子供たちが水路に齧りついている。

視線の先には、大木くんが作った即席いけすがある。


「はねた!」


「ソラくんがずっとみてる~」


「たべちゃうの、もったいないねえ」


 そして、子供の列の横にはソラ。

沢山のご馳走(予定)を前に、目を爛々とさせている。

落ちたら大変だからな、そこだけ気を付けろよ。


 この子たちを釣りにつれていく計画もあったが……今は保留中だ。

『レッドキャップ』のこともあるし、今は大木式水族館で我慢してもらうしかない。

マジであの連中、生きてるだけで面倒臭いなぁ……


「といっても、どこにいつ来るかわからんのじゃなあ……」


「なにがー?」


 おっと、葵ちゃんに聞かれてしまったか。


「んー……ここはいいけど、熊さんとかいる所は怖いなあって思ってな」


「くまさん!?」


「そうだ、ガオーって急に出てきたら怖いだろ?」


「こわいねえ……」


 よし、なんとか誤魔化せた。

俺は死ぬほど嘘がヘタクソだから、こういう所は気を付けておかんとな。


「田中田中」


「あっはい」


 後藤倫先輩がやってきた。

どうしたんだろう。


「ちょっとゾンビ殴りに行くから運転手して」


「えぇ……まあ、いいっすけど……どこへ?」


 修行のつもりかな?

先輩は稽古大好きだからなあ……体が鈍るのが嫌なのかもしれん。


「詩谷市、龍尾谷、大下255番地」


「いや、住所だけ言われても……ん?なんか聞き覚えあるな?」


 それは、詩谷から秋月町に行く途中から山に入った所……だったかな?

親父の運転手で渓流釣りに行ったことがある。


 先輩は、ドヤ顔で続けた。


「温泉入りたい」


 ……あー。

温泉か、それで完全に思い出した。


阿闍梨(あじゃり)温泉っすか?」


「ん、そう。あそこは人里離れてるしそんなにゾンビもいないと思う」


 阿闍梨温泉。

その名の通り、昔々に旅の偉いお坊さんが見つけたとかいう伝説がある……歴史だけは古い温泉だ。

あそこはたしか、源泉かけ流しだったハズ。

なるほど、この状況でも問題なく使えるだろう。


「ポリタンク持って行って汲んで帰ろう。それをプールに入れれば立派な温泉になる」


「風呂の湯船じゃないんだ……スケールがデカい」


「風情がない、馬の横で浸かる温泉は唯一無二」


 そりゃあ、そうだろうよ。

そんな温泉聞いたことねえ。


「おんせん~?」


「そう、葵は行ったことある?」


「せんとう?ならある!」


 葵ちゃんが興味を示したようだ。

後藤倫先輩、子供たちの中でも特に葵ちゃんと仲がいい。

よく一緒に昼寝してるし。


「温泉はすごい。銭湯の100倍はすごい」


「ひゃくばい!」


 ……あ、そうか。

持って帰って来るってことは……子供たちも入れてやりたいってことか。

ふふん、先輩も優しいじゃないか。


「視線が不愉快」


「おぐっ」


 腰を蹴るのはやめていただきたい!!

その優しさを俺にもちょっと分けてくれよ!!


 まあ、とにかく温泉……温泉ね!

いいじゃないか、一肌脱ぎましょう。

外に出れなくてフラストレーションが溜まっている子供たちのためにも!


「わふ?」


「お前も温泉に一緒に入ろうなあ!」


 社屋から出てきたサクラを抱き上げる。

彼女は、とりあえず嬉しそうにわんと鳴いた。



「温泉ですか、了解でーす。プールを風呂仕様に変更してお待ちしてますね……こんなこともあろうかと役場からそのパーツは回収してあるんで」


「さすが大木くん、隙がない」


 倉庫からポリタンクを出していると、馬の世話をしに大木くんがやってきた。

彼に事情を説明したところ、すぐさまそう言われた。


「阿闍梨温泉かあ……まだ動画にしてないんですよね。綺麗になったら撮りに行くんで爆破とかしないでくださいよ?」


「南雲流に爆破系のトンデモ技はないから大丈夫」


 何かの役に立つかも……と、探索に行くたびに綺麗なポリタンクを回収しまくっていて助かった。

愛車ではなく、ここに元々あった中型トラックに乗って行こう。

アレならもっと積めるし。

前に行った時はそんなにひどい道じゃなかったし、まあ大丈夫だろうさ。


「あ、お手伝いするでありまひゃわわ!?」


 やってきた式部さんが案の定ゾンちゃんにベロベロされている。

もはや見慣れた光景だ。


「じぶ、自分の手はそんなに美味しいでありますか?もう……やんちゃでありますなあ~」


「ひひん」


 ゾンちゃんは首を撫でられてご満悦だ。

ほんと、人懐っこい馬だよ……牧場の人たちに大層可愛がられてたんだろうなあ。

……返す返すも、ヤクザが憎い。


「式部さんが手伝ってくれるんですか?」


 そう聞くと、凄いドヤ顔が返ってきた。


「ふふぅふ。真剣じゃんけん7番勝負の結果でありますよ!」


 ……またじゃんけんで決めたのか。

神崎さんといい、式部さんといい……そんなに探索が好きなんだろうか。


「今回は駐留軍組が不参加でありましたから、二等陸曹との真っ向勝負であります!」


「あ、そうなんですか……もしかして昨日の?」


「二日酔い、であります!」


「あー……」


 駐留軍3人(うち1人は元だが)は、昨日連れ立って探索に行き……近隣の農家に備蓄されていたどぶろくを発見したのだ。

前に璃子ちゃん達との探索で得た駄菓子を肴に、昨晩はそれを飲みまくったらしい。

……かなり遅くまで英語の歓声が聞こえてたからなあ。

ちなみに俺は巻き込まれると恐ろしいことになりそうだったので、寝袋片手に馬房で寝た。

朝起きたらゾンちゃんに顔面をデロデロにされたが。


「なるほど、それじゃあ神崎さんは留守番になりますね……」


「ふふぅふ。残念無念でありますなあ」


 ……神崎さん、(あれば)お土産持って帰りますからね。

心の中でそう補足しつつ、新しいポリタンクを手に取った。



・・☆・・



「いってらっしゃーい!温泉よろしく~!」


「あーしのツルスベ肌の為に頑張って!にいちゃあん!」


 璃子ちゃんと朝霞の声援に送られ、門を出た。

ツルスベねえ……別に肌は汚くねえんじゃねえのか?

若いんだし、美人だし。

……まあ、こういうのは口に出すべきじゃねえな。

さすがの俺にもわかる。


「温泉、楽しみであります!」


「時間があれば入るのもいいですねえ」


 中型トラックには、俺と式部さん。

後藤倫先輩は、自前の大型バイクで先を行っている。


「ッヒィエ!?あ、あの、が、頑張ってお背中流しますので!!」


「なんでですか。あそこに混浴はないですよ」


 いきなりハードルが高すぎる。

何故初手で混浴という発想に至るのだろうか。

疲れてるのかな、式部さん。


「……まあいいか、行きましょう」


「あのぉ!今っ今のはアレであります!式部ジョーク!式部ジョークでありますよっ!?」


「わかってますって、安心してください」


 いきなりすぎて反応できなかったが、次はツッコもう。

ボケが流されること程辛いことはないからな。


「……で、あります、か(ニブニブ一朗太さんもまた良し、でありますよ……)」


 なんか元気のなくなった式部さんを気にしつつ、アクセルを踏み込んだ。

さーて、倒木とか地割れとかがないといいけどなあ。



 それから順調に走り続けること20分少々。

俺達は詩谷市に入り、そのまま秋月方面への分岐を走っている。

いつもの土手の道だ。


「なんかテントが増えてますねえ」


 河原のテント村?も豪華というか大掛かりなものが増えてきた。

周囲の柵も、以前は吹けば飛ぶような感じだったのに今ではちゃんとしたものに変わったように思える。


「川沿いには簡易的な浴室や釣り場も増設されているようであります。どうやらあそこに腰を据えて生活することにしたんでありましょうなあ」


 式部さんが言うように、釣り用の足場的なモノまで作られている。

単管パイプを組み合わせた、工事現場でよく見かけたような形だ。

ビニールシートの囲いがあるところが浴槽かな?

すっかり生活の場だな。


「こっちには……注意を払ってる感じはないですね。平和なこった」


「他を気にする余裕がないのかもしれないのかもしれませんね。ですが、警備っぽい人はしっかりこちらを視認しているでありますね……用心するであります」


 助手席で拳銃を構え、初弾を装填する式部さん。

今更だが私服姿である。

自衛隊の迷彩服は目立つからね。

今回は調査とか避難所訪問の予定はないし。


「俺は遠距離に対しては完全に役立たずなんで、頼りにしてますよ」


「はぁいっ!何から何までお任せして欲しいでありますっ!!」


 いや、さすがに何から何までは頼みませんよ……

介護老人じゃないんだから……


『イチャ付いてない?』


 後藤倫先輩から無線が来た。


「何をいきなり。そんな余裕はありませんよ」


『余裕があればするのか……紫、田中は性欲モンスターだから気を付けた方がいい』


 ノーモーションで風評被害をばら撒くんじゃないよ。


「バッチコイでありますよっ!」


『訂正、紫の方が変態だった』


「ちがっ!違うでありますよ!?じぶ、自分はそんな……!!」


 この状況下でなんという無線の無駄遣い。

俺達限定で平和であるなあ。


『お、ゾンビ見っけ。どーん』


 無線越しにどか、だかぐしゃ、という嫌な音。


「うおおお!?」


 一拍遅れて、前方のバイクに撥ね飛ばされたゾンビがこちらへ飛んでくる。

あっぶね!?

なんとかハンドルを切って回避。

足がグズグズになった男のゾンビが、トラックを掠めて後方へ流れていった。


「スナック感覚でゾンビを撥ねないでくださいよ!」


『街が少しだけ綺麗になった。放っておいて〇ケモンみたいに進化されたら困る』


 そりゃそうなんだけどさ……


「そういえば、以前来た時よりもゾンビの数が減ったような気がするであります。河川敷の方々が間引いているのでしょうか?」


「あー、それはありそうですね。あんだけ堂々と暮らしてたら、ゾンビにも気付かれやすいしバンバン来るんでしょうなあ」


 ま、ノーマルゾンビなら一般人にも対処しやすいだろうし大丈夫だろ。

しっかりとした壁さえあれば、それこそ津波みたいに押し寄せられない限りは。


「あのあの、一朗太さんならともかく……一般の方々にとってゾンビは脅威でありますよ?」


 ……心を読まれた!!

式部さんは俺の内面を読むのが特に上手いから困る!!

神崎さんに勝るとも劣らない!!


「……さぁ!温泉目指して突き進みますよ~!」


『誤魔化し方が芸術的に下手くそ。0点』


 何その変な添削!


「(拙い誤魔化しで顔を真っ赤にする一朗太さん……ご飯3杯はいけるでありますね……)」


 式部さんからの何やら生暖かい目線を無視しつつ、進行方向へ目を配ることだけを考えた。



「着きましたねえ」


「山奥なのに立派な建物であります!」


 秋月への道の途中から、脇道へ入る。

そして、明らかに狭くて蛇行する道を走ること30分少々。

1回だけ倒木があった以外は特に何事もなく……俺達は『阿闍梨温泉』へたどり着いた。


 式部さんが言う通り、大きな駐車場の奥に歴史を感じる温泉が建っている。

うーん、懐かしいな。

前に来た時と全然変わってない。

『ようこそー!』と気の抜けたフキダシでこちらに挨拶する『あじゃりくん』の看板も変わらない。

……阿闍梨って結構位の高いお坊さんのことなんだよな?今更だけどこれどうなの?


「かっわいいであります!……お土産グッズとかがあれば持って帰りたいでありますな~」


 ……式部さん的にはアリらしい。


「ん、このゆる具合が癖になる」


 マジかよ後藤倫先輩。

俺の方が少数派か、この場では。

ならば何も言うまいよ。


 駐車場には地図があったので、それで館内図を確認。


「記憶の通りだ、先輩……この露天風呂から直に汲んで帰りましょう。外からアクセスできる箇所もあるでしょうし」


「ん、そうしよう……でもその前に物色」


 物色?何を?

俺のキョトン顔に気付いたのか、先輩は馬鹿を見る目でこちらへ向く。


「『あじゃりくん煎餅』に『あじゃりくん最中』、『あじゃりくんキャンディー』……お宝がザクザクだよ、田中」


「ああ、そう……」


 温泉もだが、そちらも本命かなこれは……


「キャラグッズとかも、あるでありましょうか!?」


「ぬいぐるみ、キーホルダー、ストラップはあったハズ」


 式部さんも凄くやる気になっていらっしゃる……

ま、まあここは宿泊施設は無くても食事処はあったはずだ。

役に立つものもあるだろう、そう思うことにする。


 兜割を持ち、腰には『魂喰』そして各種手裏剣。

俺の装備はこんな感じだ。

脇差は置いてきた。


「行くぞ田中。あじゃりくんが私を待ってる」


 意気揚々と歩き出す先輩は、いつものように手甲だけを身に付けている。

あの、長巻は……?


「今日は手甲の気分」


 あ、そうですか。


「サポートはお任せを、であります!」


 式部さんは拳銃と……いつもの三鈷剣。

遠距離は任せましたよ、申し訳ないが。


 

 というわけで、まずは施設内部の探索に移ることにした。

この施設は1階建ての広い建物だ。

入るとロビーに受付、土産物屋がある。

その奥に食堂があって、その脇に男湯と女湯がある。

俺の目当ての露天風呂は、さらにその奥だ。

……まあ、まずは先輩たちのお目当てを当たる方が先なんだがね。


「気配がちょいちょいあるね、意外と従業員多かったのかな。それとも近所の人が朝から来てたのかな」


 相変わらず先輩の気配察知能力がエグい。

全然わからんぞ、俺。


「じゃ、背後は任せた」


「は?えっちょっ!?」


 そう言うや否や、先輩はダッシュ。

そのまま、施設入口のドアにムカつくくらい綺麗な跳び蹴りを叩き込んだ。

頑丈そうな自動ドアが、一撃で割れる。


「式部さんホントすいません!ウチのパイセンがすみません!」


「いいえ!自分、こういうのも大好きでありますのでっ!!」


 先輩の後に続き、兜割を持って走る。

式部さんはさらに後ろ、どうやらカバー位置についてくれているようだ。


「ガッギャアアアアアアアアアアア!!」「グウウアアアアアアアアアアッ!!」「オオオオオオオオオオッ!!」


 割れたガラスが立てる音に混じって、施設のあちこちからゾンビの声が上がる。

方向が均等でわかり辛いが……とりあえず背後にはいないな!


「正面!」


「じゃあ俺は左!」


「右でありますっ!」


 内部へ侵入し一瞬でそれぞれの持ち場を確定、迫るゾンビに備える。

少し待つと、そこかしこから聞こえてくる足音。

おいでなすった!


「グルウアアアアアッ!!」


 まずは正面、電気の消えた食堂から割烹着を着たおばさんゾンビが飛び出してくる。

たぶん従業員だな、アレ!


「っふ!!」


 間合いに入った瞬間に、先輩の右正拳がゾンビの喉を打ち抜く。

俺の方まで、ごぎんという鈍い音が聞こえた。

一撃で喉を砕いたらしい。


「ギキャアアアアアアアアアアアッ!!」


 おおっと、こちらにも……ゾンビが3体!地味に多い!!

なんでだよ!空気読んで1体ずつ来いよ!!


「ぬんっ!」


 一番近い従業員ゾンビに、兜割を振り下ろす。

柔らかいノーマルゾンビだから、兜割の威力は抜群だ!


「おおっりゃ!」


 頭を砕いたゾンビの腹に蹴りを叩き込み、後方へ吹き飛ばす。

よし!1体に上手いこと当たって転んだ!


「ギャガアアアアアアアアアアアッ!!」


「る、おぉっ!!」


 残る五体満足な1体に、引き戻した兜割を突き入れる。


「ゲグッ!!」


 喉を砕くつもりの一撃が、思いのほかアッサリと貫通した。

うげ、柔らかすぎる……!!

兜割持ってかれちまった!……仕方ねえ!

倒れたゾンビに走り寄り、俺に向かって吠える顔に下蹴り。

額を蹴られて仰け反った喉を、再度の蹴りで踏み折った。


「こっちはクリア!」


 振り向くと、先輩が今まさにゾンビの側頭部に蹴りを叩き込むところだった。

お客さんっぽい老人ゾンビは、その衝撃で首がへし折れた。


「こちらも、であります!」


 銃を使うまでもないと考えたのか、式部さんは三鈷剣で戦っていた。

こちらを嬉しそうに振り向く彼女の前で、若い男ゾンビの首がごとりと落ちる。

……あの短い剣でよくもまあ両断できるもんだよ。


「田中、油断しない!新手が来る!」


「してないけど了解っ!」


 慌てて兜割が突き刺さったゾンビからそれを回収。

奥から響く声に、正眼の構えで備える。



「結構いましたねえ」


「ん、地域に愛されたいい温泉だったんだと思う」


 俺達の目の前には、折り重なって倒れたゾンビの山。

結局10体は殴り殺す羽目になっちまった。

しかも、ほとんど老人ゾンビ。

動きが遅くて防御力もないが、メンタルには結構なダメージ。

この老人虐待してる感じのトラウマ……何度やっても慣れないな。


「お疲れ様でありますっ!一朗太さん、お水をどうぞ!」


 背中の背嚢からペットボトルを取り出す式部さん。

用意がいいなあ……


「紫、甘やかしたら癖になるから駄目」


「俺は駄犬ですか先輩」


「うぬぼれない方がいい、そんなに可愛くないから」


 ノーモーションで酷くないこの人?


 まあとにかく、これでゾンビは全部成仏させたはず。

心置きなく物色できるというもんだ。


「乾燥あんこはSSR……なんなら小豆だけでもいい」


 わかりにくいが、甘味への期待で先輩のテンションがちょっと高い。

お目当ての菓子を想像しているんだろう。


「田中、紫、なにしてるのお菓子が逃げる」


「逃げたら霊現象なんだよなあ……」


 ウキウキで土産物コーナーへ向かう先輩を見ながら、俺は煙草を咥えた。

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