91話 新たな住人のこと
新たな住人のこと
「みぃ!みやぉう!」
「はいはい、ちょっと待ってな」
俺の手の中でジタバタする子猫に声をかける。
「お前のかあちゃんと・・・兄弟たちも一緒に行こうな」
「わふ」
サクラが不思議そうに子猫を見つめている。
じっくり見るのは初めてだろうからな。
「お姉ちゃん、ちょいと弟か妹を見ててあげてくれ」
そう言いつつ、緊急用に持ってきたサクラ用のポシェットに子猫をIN。
賢くお座りをしているサクラの首にかける。
「わふ・・・くん」
「みぃ!みぃい!」
恐らく空腹を訴えているであろう子猫を、サクラが舐める。
・・・よし、とりあえず噛みついたりはしなさそうだな。
まあサクラだし・・・理解していると信じよう。
「どれどれ・・・みんなよく頑張ったなあ」
子猫の兄弟たちに声をかけつつ、彼らの寝ていた毛布に包んでいく。
連れて帰って、敷地に埋めてあげよう。
ここで腐らせるのはあまりに不憫だ。
「ほれ、おかあちゃんも一緒だからな」
片目の傷が痛々しい母猫も、同じように。
さっきの光景・・・忘れられそうもないな。
俺のことを真っ直ぐに射貫いたあの目は、もう二度と開くことはない。
「・・・いいかあちゃんだな、本当に」
改めて見ると傷だらけである。
必死に戦ったんだろうなあ・・・
よくよく見れば周囲に鳥の羽がやたら多い。
あ、木陰にはカラスの死体がある。
「うお、敵兼食料だったってわけか・・・」
その死骸には、ほとんど肉がない。
襲ってきたのを食べて命を繋いでいたんだろうか。
傷の様子から、かなり前のモノのような気がする。
こういうのは自然の摂理だが・・・死にかけの子猫を助けるくらいは許してほしい。
カラスが嫌いってことじゃないぞ。
「・・・みーんな、連れて帰ってやるからな」
全員を毛布に包み、持つ。
何匹もの猫が入っているとは思えないほど軽い。
・・・不憫である。
そこらへんのカス人間が死ぬのの100倍は辛いなあ。
「サクラ、おチビちゃん、さー帰るぞ~」
サクラポシェットを取り、首から下げる。
その中では、相変わらず子猫がみいみいぎゃあぎゃあ大騒ぎだ。
よほど腹が空いているらしい。
声にはまだ張りがあるから大丈夫だとは思うが・・・一刻も早く連れて帰ってやらねば。
「はいはい、帰ったらたらふく食わせてやるから我慢しな」
「みぃ!」
ポシェットに手を入れると、子猫が体当たりするように体を預けてきた。
うあ!おいおい俺の指はおっぱいじゃないから。
吸っても何も出んぞ。
何事もなく、水路まで帰ってきた。
道中子猫がみいみい鳴くから肝を冷やしたが、七塚原先輩が掃除してくれたおかげで何もいなかった。
ま、出てきたら出てきたらでサクラに任せて戦ったが。
・・・まだ肩は痛いが、その程度ならできる。
「おいー帰ったぞー、誰か梯子下ろしてぇ」
水路を歩き、正門の下に移動。
上に向かって声をかける。
「おじさん!!」
「おじちゃん!」
おや、璃子ちゃんと葵ちゃんの声だ。
「おじさん大丈夫!?サクラちゃんは!?」
梯子がスルスル降りてくる。
「おーう、大丈夫大丈夫・・・ほれサクラ、璃子お姉ちゃんだぞ~」
サクラを持ち上げ、梯子に足をかける。
猫たちの遺体を小脇に抱えているので、先にサクラを上に上げないとな。
「わふ・・・ふぅう」
「サクラちゃあん!!もう!心配したんだからねっ!!」
鼻声の璃子ちゃんがサクラを受け取って頬ずりする。
抱えられたサクラが、少し居心地が悪そうだ。
『スンマセンっしたぁ・・・』みたいな鳴き声だな。
「よっ・・・と」
片手が開いたので、慎重に上がる。
子猫もそうだが、母猫たちも水に落とすわけにはいかんからな。
「おじちゃん、おかえりー・・・なにそれ?」
葵ちゃんが、俺が抱えた毛布を見ている。
「はいただいま・・・うん、ちょっとね」
刺激が強いから見せないようにしないとな。
「ホラ葵ちゃん、サクラはこの子を見つけに行ってたんだよ」
話を逸らしつつポシェットを外し、手渡す。
「みぃぁ!みぃ!」
「ふわっ」
ポシェットを覗き込んだ葵ちゃんに、子猫が鳴く。
「ねこさん!」
「みぃ!みぃ!」
さて、なんとか注意は逸らせたな。
「この子にご飯をあげないといけないからな・・・葵ちゃん、手伝ってくれる?」
「・・・うん!」
見入られたように子猫を凝視しつつ、葵ちゃんが元気に答えた。
周囲にはこの子たちしかいない。
先輩夫婦は畑で・・・その他の子供も畑だな。
・・・当然のように倉庫の屋根で昼寝している後藤倫先輩は見なかったことにしておく。
「まいったなあ、神崎さんの姿も見えない」
色々詳しそうなのになあ。
ま、とりあえず倉庫に行くか。
「はい、なんでしょう田中野さん」
・・・いたぁ。
今までどこにいたんですか・・・まあいいや。
「りんおねーちゃん、このこー」
葵ちゃんが、みいみい鳴くポシェットを見せた。
「あら・・・サクラちゃんが出て行った理由はこの子ですか」
「ええ、とりあえず倉庫に行きましょう」
一瞬で事態を把握した神崎さんと一緒に歩き出す。
サクラも来たそうにしているが・・・璃子ちゃんががっしり抱いているので動けないようだ。
子猫のことにも気付いていないくらい、サクラが心配だったんだなあ。
しばらくそのままでいてもらおうか。
「みぃあ!みぃ!」
「ちょっとまって、ねー?」
倉庫に着いた。
葵ちゃんが子猫に付き合ってくれている間に、猫たちを包んだ毛布を暗所に隠す。
隙を見て、埋めてあげよう。
子供たちにはお墓を作った後に教えてやろうか。
「ですが田中野さん、ここにはサクラちゃん・・・犬用の食料しか・・・」
「ふふふ、そこはこの田中野にお任せあれ」
自衛隊からもらったり、ペットショップから回収したサクラの食料ゾーンに足を向ける。
えーっと、確かここら辺にまとめておいたはず・・・あったあった。
「猫用粉ミルクぅ~~~~(業務用青狸)」
ペットショップから手当たり次第に回収した時に、混入した子猫用ミルクだ。
以前、試しにサクラに飲ませようとしたら目を逸らされた。
やはり犬と猫の間には結構な違いがあるらしい。
数はそんなにないが、今週くらいは何とかなるだろう。
早いうちに確保しとかんとな。
「・・・ではぬるま湯がいりますね、お任せを」
俺の渾身のモノマネに反応することなく、神崎さんが小走りで去って行った。
とてもかなしい。
「猫の気配がする」
・・・そして後藤倫先輩の気配はしなかったはずなのに!
さっきまで屋根の上にいたでしょあなた。
「・・・先輩、猫好きですか?」
「ん。犬も好きだけど猫は大好き」
そいつはよかった。
・・・なんとなくそんな気はしていたが。
本人が猫っぽいし、先輩。
「あの、葵ちゃんと一緒にいてくれます?俺は・・・この子たちの埋葬を」
暗所の毛布を指すと、先輩は中身を一瞬で把握したようだ。
少しだけ・・・ほんの少しだけ悲しそうに眉をゆがめた。
「・・・ん。わかった」
先輩はそう言って葵ちゃんの方へ歩いて行った。
「あやおねーちゃん、ねこー」
「ん、かわいいすごくかわいい」
「ねー?」
「みぃ!みゃおぅ!!」
「かわいいとてもかわいい」
いつもよりかなりはしゃぐ先輩の声を聞きながら、俺はスコップを担いでその場を後にした。
先に埋葬しておこうか。
「あらー?田中野さぁん!どうしたんですかそんな恰好して」
おっと、畑仕事中の巴さんに見つかってしまった。
周囲には、楽しそうに畑仕事をお手伝いしている子供たちがいる。
働き者だなあ、みんな。
「おっちゃんだー!」「スコップもってどうしたのー?」「それなーに?」
・・・ううむ。
巴さんになら話してもいいが・・・子供たちに聞かせるのはちょっとな。
保育園の子たちもいるし。
「あーうん、ちょっとな。それよりな、今さっきサクラが猫拾ってきたんだよ」
強引に話を逸らす。
「ねこー?」「にゃんこ!」「かわいい?かわいい?」
「可愛いのなんのって・・・俺の手よりちっちゃい子猫だぞ?」
「猫ちゃんですかっ!!」
・・・子供たちより食いついてきたな、巴さん。
「え、ええ。今、神崎さんたちがミルクの用意をしている所なんですよ・・・お腹空いてるみたいでみぃみぃ鳴いてます」
「はうぅ・・・!!」
胸を押さえて巴さんがよろける。
ほんと、かわいいものに目がないよなあ。
「み、見に行きたい・・・でもでも、まだむーさんの畑が・・・」
「いきたいねー」「ねー」
子供たちと一緒に何やらお悩みのご様子だ。
「巴、子供らぁ連れて行ってこいや・・・後はわしでやっとくけぇ」
ヒヨコ小屋の中から先輩が顔を出す。
掃除中だったんだろうか。
「いいんですかむーさん!」
「おう、猫を気にしながらじゃあ、子供らぁも身が入らんけぇな・・・それに、手伝ってもろうてばかりじゃ悪いしのう」
「わーい!」「むーおじちゃん!ありがと!」
子供たちがぴょんぴょん飛び跳ねている。
「いこー!」「ともねーちゃん!」「ねーねー!」
巴さんの手を取り、しきりにねだる子供たち。
「わーいっ!皆行きましょ行きましょ~!!」
軽くスキップしながら。子供たちと手をつないだまま巴さんが走り出した。
・・・ふぅ、なんとかなったか。
「ありがとうございます、先輩」
「気にしとったけぇのう・・・それで、何かあったんじゃろうが・・・大方その包みと関係しとるんじゃろ」
この気配り、恐れ入るぜ・・・
俺もこれだけ気の利く男になりたいもんだ。
「ええ、実は・・・」
先程の顛末を手短に話す。
「ほうかほうか、猫か・・・ここも賑やかになってくるのう。埋葬はあっこらへんがええじゃろ」
畑を越えた壁の近くを指差す先輩。
「あっこなら日当たりもええ。いずれは近くに花でも植えちゃろうか」
「いいですね、それ」
日当たりのいい場所で、眠らせてやれるなあ。
「・・・ふぃ~、我ながらつくづく慣れたもんだな」
スコップを振り回し、ちょっとした穴を掘った。
あんまり浅いと動物に食われちまいそうだしな。
穴の底に毛布を置き、めくる。
子猫たちと母猫の姿を、もう一度目に焼き付けた。
「お前らの兄弟と子供は、しっかり俺たちが面倒見るからな。安心して成仏してくれよ」
俺を引っ掻いた時と違い、眠るように動かない母猫。
子猫たちにも合わせて拝み、軽く念仏を唱える。
「・・・さて」
毛布をかけ直し、穴から出る。
そして、ゆっくりと土を戻し始めた。
「・・・よし」
こんもりと盛り上がった土饅頭の出来上がりだ。
後で墓石的なものも用意してやろう。
最後にもう一度手を合わせると、俺はその場を後にした。
「のんでるのんでる・・・」「かわいいねー・・・」「あかちゃんだねえ・・・」
倉庫まで戻ると、子供たちが円を描いて集まっていた。
声を潜め、ひそひそと話している。
「こーお?」
「そうよ、ゆっくり押して・・・うん、上手上手」
その中心では、葵ちゃんが子猫を抱えて座っていた。
横には、神崎さんと後藤倫先輩がいる。
葵ちゃんの手には、子猫と・・・注射器の針を外したもんか?アレ。
・・・なるほど、そうやってミルクを飲ませているのか。
盲点だったな、流石は神崎さんである。
子猫は必死でミルクを飲んでいる。
よほど空腹だったんだろう。
「あああ~・・・かわいい・・・かわいいですっ」
巴さんが小さい子を抱っこしながらクネクネしている。
中腰の状態であれほどのクネクネを・・・!
なんというバランスの取れたインナーマッスルだ!
「よし、指で優しく背中をトントンしてあげて」
「うん!」
神崎さんの指示で葵ちゃんが背中を叩くと、しばらくしてから子猫はけぷりと小さくげっぷをした。
ほう、人間の赤ちゃんみたいだ。
「上手よ、後はミルクがなくなるまで同じことを繰り返して」
「はーい」
俺の姿に気付いたのか、神崎さんが子供たちをかき分けてこっちへ来た。
「神崎さん、ありがとうございます」
「いいえ、あのくらい・・・昔祖母が飼っていた子を思い出します」
あー、何か言ってたなそういえば。
ロシアンブルーだっけ?
「ところで・・・あの子っていくつくらいですかね?」
俺の掌くらいの大きさだし、産まれてすぐかな?
「そうですね・・・目もあまり開いていませんし、あの大きさ・・・栄養状態を抜きにしても、恐らく生後1か月も経っていないのではないでしょうか」
「産まれたてかあ、どうりで小さいわけだ」
見つけられてよかったな。
サクラ、お手柄だぞ。
「わふ」
噂をすればなんとやら。
サクラが歩いてきた。
その後ろからは、目を真っ赤にした璃子ちゃんが近付いてくる。
「おー、璃子ちゃん見て見てホラ」
恥ずかしがって目を隠す璃子ちゃんに、子猫の方を指し示す。
「サクラが見つけたんだよあの子、なあサクラ?」
「わふ!」
どこに出しても恥ずかしくないドヤ顔をする我が愛犬である。
「ふわぁ・・・かっわいい・・・お手柄だったんだね、サクラちゃん」
「わふ・・・わふ・・・」
頭を撫でられてご満悦のサクラである。
「でも心配したんだからねっ!!」
「きゅぅうん・・・わぉん」
一瞬で落ち込むサクラである。
「ま、何にせよ新しい住人が増えたな・・・名前どうしよっか」
いつまでもチビ助とかおチビちゃんってのは可哀そうだしな。
いい機会だから子供たちに付けてもらおうか。
「あ、その前にオスメスを確認しとかないと。繰り返してはならんのだ・・・ノブツナの悲劇を」
「も、もうっ!田中野さんは意地悪です!!」
「アアアアァアイッ!?!?!?」
背中の肉が千切れるゥ!!
捻るのは!捻るのはやめてくださァい!!!
食事が済んだ子猫は腹をぽんぽこに膨らませ、即席段ボールハウスの中でスヤスヤ夢の中。
中には毛布を敷き詰めておいたので、さぞ寝心地はいいだろう。
うーん、かわいい。
犬とは違った可愛さだ。
「飽きないなあ、サクラよ」
「くぁん・・・はふ」
お座りの姿勢で、サクラはじっと子猫を見ている。
よほど気になるんだろう。
そして子供たちといえば・・・
「クロはー?」「にゃんまるもいいよ」「おめめきれいだから、アオ」
子猫を起こさないように、倉庫の隅で丸まって名付け会議の真っ最中である。
「ミルクちゃんとかもかわいいよねっ」
「・・・キンツバ」
若干2名ほど大人が混じっているようだが。
後藤倫先輩、それは可愛い名前じゃなくて美味そうな名前だ。
「さてさて、この子が大きくなるまでに決まればいいなあ」
とんでもない名前になりませんように・・・
「・・・みぃ」
おや、噂の主役が起きた。
ご飯かな?
さっき神崎さんに聞いたが、子猫ってのは生後5ヵ月くらいまでは一日に4、5回の食事が必要らしい。
せわしない事だが・・・人間の赤ん坊も同じようなもんか。
「みぃ!みぃぁっ!」
「はいはい・・・ミルクはこれだな」
斑鳩さんがイイ感じの温度にして魔法瓶に入れてくれているから楽ちんだ。
えーと、まずはこの皿に出して・・・注射器で吸って・・・
「スンスンスンスン・・・」
おいおいサクラ、これはお前のじゃないぞ。
前は興味も示さなかった癖に・・・
「ホラホラどいたどいた」
「きゅん・・・」
お前には後でオヤツあげるから。
騒ぎ始めた子猫を持ち上げて抱く。
本当に軽いな・・・
「よっと・・・ほれほれ」
左手で体を固定し、右手の注射器の先端を口に持っていく。
「ぐるるる・・・うるるるる・・・」
何やら唸りながら、子猫は両手で注射器を挟みつつ吸いついた。
あ~・・・かわいい。
なんだこのかわいい生き物。
「きゅん・・・わふ」
「心配しなくてもお前は田中野ランキング殿堂入りだから心配すんな」
「わふ!わふ!!」
あーでもないこうでもないと議論する声を聞きつつ、子猫のこれからを思った。
「・・・兄弟の分まで、ばっちり幸せにしてやるからな。なあチビすけ」
「んみぃ!んみゃぁあ・・・」
もっともっと!とでも言うように声を上げる子猫を見ながら、俺は新しいミルクを注射器に充填した。




