>攻撃されると判っているなら、先に攻撃するしかない。先手を取れば敵の意図もつかめるからな
>攻撃されると判っているなら、先に攻撃するしかない。先手を取れば敵の意図もつかめるからな
いわゆる威力偵察と攻勢防御というやつですね
現代的にいうなら「必要悪」と「必要悪」の激突で
どちらにも「善=ヒューマニズム」はない普通の戦争の物語ですが
現実世界では
日本も含む軍産複合体利権と金融利権で構築された大多数の勢力が
国連という利益誘導組織で調整された「正義=必要悪」のレッテルを自らに貼り
「IS」のような組織には「テロリスト=邪悪」のレッテルが国際社会では貼られがちです。
もちろん
「IS」や「北朝鮮」といった組織も決して自らに「邪悪」のレッテルは貼らず
自らには「正義」のレッテルを貼って敵対組織には「邪悪」のレッテルを貼りますが
その「レッテル貼り」自体が間違っているからといって
「善=ヒューマニズム」という努力目標がなくなるわけでも
間違っているのでもない
ヒューマニストならそう語るでしょう。
けれど
「自称現実主義者」の権威主義者や退廃主義者は
「善=ヒューマニズム」など目指す必要はなく
「必要悪」が争い合う社会こそが唯一の社会の在り方で
「共に援けあい文明を構築する共存原理」を基にしたヒューマニズムに意味はなく
動物としての自滅本能に従って
階層社会で群れを構築して自滅本能のままに争い合う
暴力原理こそが「たった一つの冴えたやり方」だと騙るでしょう。
物語を創る場合
「神」という理不尽の象徴であるオカルトを使って
「邪悪」や「正義」というレッテルを語ろうとすると
「暴力原理=理不尽な強制」ですから
共存原理の合意を否定する考え方ですので
「人類の生存戦略」である共存原理を「善」とするなら
「神」はどちらも実は「悪」という事になり
「善」は人のためにしかないものなので
人間のためにある「善悪」を語る物語でなく
オカルト的な絶対視点で考えて
「善」など何処にも存在しないという
聖書宗教を逆転させただけの「悪魔崇拝」に似た
善悪は「権威」が決める幻想で
「権威=悪」だから「善」など存在できないという
権威に叛逆しながら
「権威が善悪を決める」という暴力原理を疑わず
結果として権威に依存した物語になりがちですが
この物語が「単純な物語」として、そうなるのか?
あるいは
天動説のように絶対的な上下を定め「上=神の正義」で「下=邪悪」というのではなく
人間の生活できない上も下もない無重力こそが真理だから
全て滅びてもいいのだと自滅本能の声に従うのでもなく
「正義と悪は相対的」で
「煉獄」のような世界を地球の中心という「唯一の下」として
宇宙へと向う「無限の上=善」があるとして
地球の反対側では
自分から見て「絶対視点で下」に向う在り方であっても
地球の中心という「唯一の下」に落ちない方向であるなら「善」という
「人」のための相対視点で善悪を語る複雑な物語になるのか?
相対的に善悪を語るなら
「闘争」は飛び続けるコウモリが
地の底と地上に繋がる洞窟に迷い込むようなもので
上を目指しても地の底へと向かう道もあれば
一旦は下へ向っても上へと向かう道もあるというように
それを表現しようとすれば複雑な話になっていきます。
ですので
海外のゲームではない「悪魔」と「転生」を絡めて創られた日本の某ゲームでは
「秩序」と「混沌」 「光」と「闇」の属性で
「神=悪魔」を分類して
人のための「善悪」とは切り離してオカルト要素を表現しています。
単純な活劇や闘争の物語なら「正義と悪」を語って終わり
複雑な政治や人間性の物語なら「善」と「正義」は別物であるという観点で語られ
そこに「神」やオカルトという「非人間性」は入れるのは難しくなります。
この物語の「邪悪」は曖昧で
そういう意味では「絶対視点」のオカルト要素によって単純な物語のための構成で設定されていて
テーマが複雑なものを語ろうとしているのなら不都合が生じ、誤解を招きやすいようにも思えますが
あえて
それを承知で創られた
誰かや何かにより「5分前に創られた世界」での
単純な絶対視点での「正義と悪」の物語を語り
それを物語世界ごとひっくり返す「某SF小説」やそれを基ネタにしたマンガや映画やアニメのパターンかもしれませんし
どうなるのか色々と先を想像してしまいますね




