>「○○○よ。真の強さとはどのようなモノだと思う?」
>「○○○よ。真の強さとはどのようなモノだと思う?」
強いと弱さというのは相対的な判断基準で
重いと軽いや右と左と変らない概念の筈なんですが
真の重さとは? とか真の右とは? とか考える人間は
ほとんど存在しないのに「強さと弱さ」だと結構いる
そしてそれを不思議とも思わず「常識」として受け入れている。
その原因は
武力という「暴力信仰」や権威という「暴力原理への信教」なのでしょう。
武家文化によって社会の在り方として示された
「身分差別」や「階級構造」で構築された封建社会は失われても
制度ではなく権威主義という「社会心理構造」として
武家文化の「暴力原理への信教」や「暴力信仰」はフィクションや「オトナの御約束」として残り続けている。
だからなのか
暴力で理不尽を押し付けられるのは嫌でも
暴力という罪自体を憎むのではなくそれを為す者を憎んでしまう人間は多く
「罪を憎んで人を憎まず」どころか
「仕返しと復讐」の違いも判らない「分別のない者」が増えるのでしょう。
「真の強さ」なんてものが
現実であるとすれば
暴力原理信教のマインドコントロールから覚めて
「強さへの信仰という甘え」こそが
「人の業を自制して自らを律する事ができない弱さ」と
悟る事で
覚悟を持って
自らを律して
自らを由とする人々の生き方を護るために生きる事なのでしょうが
「神という究極の理不尽」=強さと考える
フィクションのファンタジー世界だと
「死も生も力によって定められる傲慢」
を認めるのがチートであるというように描かれる事も多いようです
○○○は、どんな答えを出すのでしょうね。
「強さに意味がないと覚れる強さ」に至って悟れるのか
覚悟を決められぬまま力を求め続けるのか?
どっちなのでしょうねぇ?




