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亀女と白石先生とカーテンの関係

 「あのこれって偽装結婚ですか?」


 キョロっした美代の目が白石を覗く。一目惚れとか言わない白石先生の率直な意見は、正直納得できる。いきなり、愛してるなどとほざいてくる野郎より信頼性があるような気がした。


 「うーむ。そう言われちゃっても仕方ないけど、偽装じゃないな。僕は待つけど、きちんと美代と夫婦になりたいよ」


 夫婦になりたいといった白石の顔を真顔で美代は見つめる。彼の優しげな瞳は真剣だった。思わず、飲みかけていたお茶をこぼしそうになった。


 「てめぇー、何を!」

 話を黙って聞いていた七瀬が立ち上がった。

 「七瀬くん、ちょっと待って。みんな知らないから説明するけど、私、白石先生には命を助けてもらったと思っているの。先生が私を必要なら、それを前向きに考えてみる……」

 「そう言ってくれると嬉しいよ。でも、無理はさせたくないし……」

 「美代!ちょっと何を言っているの?真面目に考えてよ!」


 歩美までこの突然の成り行きに混乱していた。そんな歩美の肩に軽く手を置き、宥めるような仕草を美代はした。


 「白石先生。私、結婚しても大学は続けます。いいでしょうか?」


 白石の目尻が優しくもっと下がった。


 「そうだね。あれだけ頑張ったんだ。わかるよ。それは夫としてサポートする。でも、別居は嫌だな。一緒に暮らして欲しいと思っている」

 「え、あ、同居ですか……まあ夫婦が別居とは、まあ変かもしれませんね」

 「美代、何を真剣に話し合っているの! まだ考えるって言ったじゃん!」

 「じゃー、その一緒のところから通うことになりますね」

 「でも、ただ一点、お願いがある」

 「なんですか?」

 「仕事は辞めて欲しい……」

 「え?」

 「君は、あの会長の補佐的なことをやっていると聞いたよ。君は会長のお気に入りだからね。しかもあちらには君を取り込もうとする魂胆がある。夫としては、それはちょっと嬉しくない。学費や生活費は僕が面倒みるから、それは辞めて学業に専念できるよ」


 隣でギャーギャーっと騒ぐ友人をほって置いて、美代は自分の世界に入っていく。



****



 白石先生は自分が全てを無くしたとき、真っ暗な部屋のカーテンを開けてくれた人だった。

 路上生活。公園のトイレで着替えをし、先生にも友達にも嘘をついていた。しばらく学校も行けなくなる。

 あのチンピラに襲われ、白石先生と出会う。

 救援ボランティアの人の家に一時的に引き取られた。白石先生は自分が預かりたいとも言ってくれたけど、先生の生活まで狂わせたくなかった。そこまでお世話になるのは流石に悪いとおもった。

 与えられた部屋は、何もない自分にとっては全く贅沢な代物だった。六畳一間で窓があり、遮光性あるカーテンが掛かっていた。

 最初は食べ物にガブつき、お風呂に入って身支度を整える。見た目も気持ちもさっぱりとし、次の日の事を考えられるようになっていた。だが、それも一週間ぐらいしか保たなかった。


 なぜなら、急に人に会うのが苦痛になったからだ。


 カーテンを締め切り、その微睡みの中で意識が浮遊する。もちろんそうなれば、学校にも行けなくなる。だれも頼れる身内がいなかったため、後見人になった白石先生に学校から連絡がいく。ボランティアの人も心配していたと思う。

 布団の中に包まっていた。誰かがドアをたたく。返事はしない。だって今、自分は暗闇にいるから、だれも私の声は聞こえない。誰かが、もう一度なんか言っている。なんだろう。いないのに……私はいないんだから……。


 鍵を掛けてあったはずなのに、ドアが開く音がした。怖くなって頭からすっぽりと布団の中に隠れた。


 なにも聞こえない。


 誰?


 私に何か言っているの?


 いないので、私は。


 いないの……存在しない。


 その価値さえない


 夢の中は安心。お父さんもお母さんもいるし……。


 「……み、……みよ、……美代ちゃん」


 急に布団が重くなる。息苦しくなる。誰かがわたしを呼び続ける。まるで海の底にいるのに、うえから誰かが呼んでいるような気がした。布団の中の息苦しさから、体の条件反射的にガバッと布団から顔だけ出した。後ろから誰か自分を包み込んだ。


 「大丈夫。美代ちゃん、君はいるよ。存在する」

 「……せんせい?」


 酸素が体の中に回りだす。


 「ああ、僕だよ。白石だ。みんな心配しているよ。学校の友達も、先生も、僕も、ボランティアのひとも……みんなだよ」

 「わたし……」

 「ここまで頑張った自分を褒めなさい。学校が終わったら、いくらでも布団に包まっていい。でも、それが難しいなら、朝必ず、カーテンを開けるんだ。約束してくれないか?」


 先生の言葉をただリピートした。


 「開けるだけ?」


 彼がそういいながら立ち上がり、そっとカーテンを少しだけ開けた。日光が眩しくて唸ってしまう。


 「そうだ、開けるんだ。開けて、その可愛らしい瞳に朝を知らせるんだ」


 あまりに臭いというか、わざとらしい文言なので、ブッと吹き出してしまう。


 「あ、笑ったな。まだそういう元気があるなら大丈夫だ。最悪ならここから強制的にでも連れていこうかと思ったけどね……」


 強制的という言葉が恐ろしく響き、身構える。それに気がついた白石が慌てて謝った。


 「美代ちゃん。ごめん。脅かすつもりなんてなかった。心配なんだよ。食べないし、学校にもいかない。すっかり痩せ細ってしまった」


 先ほどの臭い先生の言葉で笑ったことから、なにか自分の胸に久しぶりに熱いものが流れた。


 「白石先生。朝、カーテンから始めて……みます」


 それから、カーテンを開ける時間帯に、と言っても必ず早朝で学校の始業に間に合うギリギリの時間帯に先生は必ずやって来た。絶対鍵を掛けているはずなのに、彼は何食わぬ顔で入って来て同じことを繰り返した。


 「先生、あのここ一応、女子の部屋なんですけど……」


 シラーっと朝現れる白石先生に文句を言う。もちろん、顔だけ出した布団の中からだ。


 「ああ! 良いね。その若さを感じる睨み!それだよ、それ!!」

 「先生、臭すぎる。そんな言葉言う人、今の時代いません!」

 「あははは、良いね」


 そんな馬鹿げた言葉をいつも良いながら、カーテンを開けに来る。


 「先生、弁護士なのにカーテン開ける係っておかしいですね」


と言ったら、先生がなぜかちょっと困った顔をした。


 「美代ちゃん、大人にそんなこと言っちゃいけないよ。僕はね、ほんとうはカーテンを閉める方をしたいんだよね」

 「閉める係なんて、夜ってことですか? そんなに弁護士って暇なんですね」


 布団によって亀のような格好になっている美代は決して色気がある様子ではなかった。だが、なにかの色香を漂わせた白石が美代に近づいた。


 「目をつぶったら、閉める係の意味、教えてあげる……」

 「え、 何だろうな。きっとくだらないんでしょうね、先生のことだから」


 そんなことをも良いながら、美代は目をつぶった。


 ピンっとおでこに何かを食らう。


 「痛ーーーーーっ」

 「美代ちゃんは、やっぱりもう少し大人になりなさい!」


 人差し指でおでこを叩かれたことだけはわかった。でも、意味がわからない。


 「な、何ですか!いきなり!」

 「君はね、僕にバッジを剥奪されるように仕向ける天才だよ」


 亀姿の私が弁護士先生と戦っているのか?   

 あ、一個だけ思いつく。


 「先生が勝手に鍵のあるドアに侵入して来るんじゃないですか? 不法侵入ですよ」

 「ははは、これだよ」


 ポケットから鍵を出した。あれ? この部屋の鍵じゃん!


 返せーーだの、ダメだーーーとか二人で布団の上で鍵の争奪の取っ組み合いを始めた。

 いい年の男女が絡まり合う。

 ギュッと男の力で後ろから抱き締められた。

 が、鍵が美代に手の中にあったため、美代はウシシッと笑みが漏れた。


 「やばいな……これ」


 白石が声を漏らす。


 「ははは!ヤバイですよーーー!これで先生負けですね! あーようやくもっと寝てられるぞ!」


 ゴンっと頭のてっぺんを軽く叩いた白石が急に立ち上がる。


 「君はね~、まだ未成年だからね。危ないよ。はぁーーー。また明日も来るから!学校行けよ!」


 そういいながら、帰り際に違うポケットから似たような鍵を出した。


 「スペアキーだよ」


 「ムキャーーーーー!!」


 そんなこんなで、美代は白石先生の馬鹿な行動? から現実に向き合う元気を取り戻していったのだ。

 再び、朝日を定期的に肌で感じ始めたら、辛いのに外へ出てみようという気が出てきた。行くといったら学校しかない。最初は一緒に校門まで先生が来てくれた。それが一週間続くと、先生は、

 「もう一応、大丈夫そうだね。何かあったらいつでも連絡しなさい。美代は僕の大事な家族だよ」

と優しく言って頭をガシガシと撫でた。

 登校前の女子高生の頭ガシガシ撫でる奴なんて、普通いないんだけどなー、髪型めちゃくちゃになるじゃん! と思いながらも、先生には深くお辞儀をした。

 そうしたら、先生は朝は来なくなった。

 一度また生活リズムが普通になり出したら、バイトや補助金などいろいろなことがよく考えられるようになった。



****



 いま自分があるのは、やはり白石先生のおかげなんだ。あのヘンテコな仕事、忘れ物お届け係なんて仕事、私、辞められるのだろうか? すぐには無理なような気がした。あの上司が頷くだろうか?


 一瞬、あの甘い言葉や口付けを思い出し、体の中が熱くなる。

 彼の吐息を耳元や首筋に感じた。

 ここにその本人がいないのに……。




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