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デートの巻 拾 キスが止まらない

 蓮司が美代を甲板で離さない。

 その救命胴衣でなんとか体同士の間に距離があるものの、

 「美代、大好きだよ」

と、言いながら、また口元にキスをしてくる。

 人に文句を言わせないため、口元を狙い続けているのだ。


 「か、会長!!」


 今、正直、ここで蓮司って呼んだら、何かが全て壊れ去り、今、心の防波堤が、このボートのエンジンの騒音と水飛沫の音と共に、もう真っ暗になりつつある海や空と混じって消えてなくなりそうだった。


 「美代は意外としぶといな」


 何回もその柔らかな感触が自分の唇に落とし続けられて、ああ、いつが、何が、ファーストキスだったんだけ、と思うぐらいの数を重ねられる。


 「ああ、美代……美代……美、代……」


 何故か自分の名前を呪文のように唱えながら、キスの雨を降り注ぐのだ。

 もうすでに半分放心状態の美代は、降参しかけてた。早く「蓮司!」と呼び捨てにして、このキス魔をどうにかして止めたくなってきた。


 だが、さっきから「れ」と発音しただけで、唇を塞がれキスをされてしまう。


 まるでゲームのようだ。


 しかも時々不意打ちのように、耳やら目元、首筋までキスをする始末。


 驚いて途中で、言葉をつむぐことを自分の口が諦めている。


 「もっと本気のキス、体験するか?」

 

 一瞬、自分の目が見開いた。


 少し頬を赤く染めた蓮司の目の奥に、何か野性的な光が放っている。


ーー経験なくても、わかるっでしょ。やばいって。これ!!


 ああ、もう、蓮司に喰われる……


 目をつぶったほうがいいかも思った瞬間、蓮司の肩越しの奥の光景が目に入った!!



「きゃーーーーーーっ!!」



 美代が驚きに叫んでしまう。何事かと思い、蓮司が振り返る。

 蓮司の後方には、操縦室がある。船の前も後ろも良く見えるように特殊素材で出来ている。まあ一見、ガラス張りなのだ。   そこには何人もの船員達が美代たちを凝視していたのだ。

 そのガラス張りから、船長の松永さんは顔に手を当てて「あちゃーっ」という感じの格好をしている。他の船員達も今までの凝視していたのを隠すように、何かの計測器をいじり始めたり、蜘蛛の子を散らすように消えていく。


 事態を知った蓮司が、はーーーっと長い溜息をつく。


 「ここまできて、とんだ邪魔が入ったもんだな。海まで出れば、何も邪魔されないと思ったのに」

 「か、会長……」


 気恥ずかしくて、何も言えない。

 そんな時、下の階段からタイミングを見計らって隠れていた吉澤が出てきた。彼女クラスの給仕係は、あのようなミスはしない。

 それは、蓮司にもわかっていたので、現れた吉澤には何もお咎めの言葉はなかった。


 「美代様、蓮司様、お食事の用意が出来ました。宜しければ、中の方にどうぞ」


 ちょっと助け船がきたので、美代は安心する。


 船内は外の暗さとは全く反対でとても明るい。

 まず、シャンパンを吉澤があけ、いかがでしょう? と美代に聞く。


 「おい、いささか美代は酒乱と気がついたほうがいいぞ。酒はこいつには飲ませないでくれ」

 「な!!失礼ですね」

 「美代、忘れたのか?誰が最後にパジャマをきがえさせたのは?」

 「!!!!」


 酒も飲んでいないのに真っ赤になる美代。


 「そうですか。でしたら、ノンアルコールのカクテルかなにかいかがでしょうか? シャーリー・テンプルなどいかがでしょうか? 甘めがお嫌いでなければ? それか モスコミュールもいいですし、どんなお味がお好きですか?」

 「名前が可愛いので、そのシャーリー・テンプルっていうのにします」

 「かしこまりました。お持ちしますのでどうぞこちらで……」


 ここが船内とは全く思えない広々としたリビングルームの一角のソファに座り込む。蓮司も隣に座った。横を見ると、白いテーブルクロスがかかったダイニングテーブルに、可愛い小さな花がかざられ、食器が丁寧に並べられている。

 スモークサーモンや小さく切られたトマト、モッツアレラチーズが載ったカナッペが、銀盤のトレイから配られる。

 吉澤が膝を床につきながら、丁寧にシャーリーテンプルを美代の前に置き、


 「お味がお嫌でしたら、別のものもすぐにお作り出来ますから。」

と言い、静かに去っていく。きっと何処からか見ているのだろうが、まるでわからない。


 「美代、乾杯しよう」

 「え、そ、そうですね」

 「何に乾杯しましょうか?」

 「リュビーマヤ!Любимая!」

 「りーび、まや?」


 お互いにグラスを重ね、乾杯をする。


 「な、なんですか?それ?英語なんですか?」

 「ロシア語だ。愛している人っと言う意味だ」

 「え、会長、ロシア語も堪能なんですか?」

 「まあ、祖母がロシア人だったんだ」

 「え!?そうなんですか?」

 「ああ、元ロシアのバレリーナでな、祖父と大恋愛でな、この船の名前の女性だ」

 「あ、エレーナさん? ああ、そうなんですか?素敵な話ですね」


 蓮司は何もその後に言葉を繋げることはしなかった。素敵な話と感動している美代の気持ちを汚したくなかった。


 「どうだ?そのシャーリーテンプルは?」

 「あ、美味しいですよ。さっぱりとした甘みで」

 「ふふふっ。やっぱり美代は子供だな」

 「なんですか? 貴方が私に酒を飲むなって言ったんですよ」

 「ああ、そうだったな。でもな、勧めた吉澤も悪いが、アメリカじゃー、小学生が大人ぶって飲むようなもんだな、それは」

 「小学生万歳!! いいですよ。私は生粋のコテコテの日本人ですから! 子供扱い上等ですよ」


 蓮司がまた男性フェロモンを出させて美代に微笑む。


「……美代……焦るな。大丈夫だ。俺がお前を大人にしてやる……じっくりとな……」

「え!」



ーーちょっとなんかいま、フラグ立ったの? なんなの?



 美代の心拍数がかなり上昇している時、わざと音をたてて、吉澤が部屋に入ってきた。このあたりが吉澤のすごいところだ。蓮司は吉澤に感心する。



 「前菜、もうそろそろお運びしてよろしいでしょうか? あとシャーリーテンプルはだいじょうぶでしたか?」

 「もちろんです!!日本人の私にはよく合います!」


 ちょっとドア越しに隠れて待機していた吉澤は、先ほどの会話は多少耳に入っていた。健気というか、可愛らしい美代の言動に笑いそうになるが、プロとしてのスマイルで乗り切った。


 「もし違うものでもすぐに出来ますし、度数も調整出来ますので、お料理と一緒になにか他のものをお飲みになりますか?」

 「うーーーん、どうしようかな。でも、いまはこれで本当にだいじょうぶです」


 にっこりと微笑む美代を見て、吉澤は安心する。

 本当に自然体の方なのね。


 蓮司と美代は小さなダイニングテーブルに向かい合って座った。

 今日はシーフードがメインのイタリアン料理だった。

 前菜のアンティパストのあと、プリモ・ピアットは、軽めのシーフードパスタが出てきた。アサリとムール貝が細めのエンジェルヘアパスタだ。軽めのソースが細い麺に絡まって美味しい。


 「大丈夫か?こういうのは嫌いか?」


 メニューを見ながら、出てくる料理を楽しんでいる美代に、蓮司がいちいち心配して聞いてくる。


ーーだ、だいじょうぶじゃないですか。だって、料理の前にシェフが来て、自分に嫌いなものや好きなものをきいていたじゃないかっと思ってしまう。


 「大丈夫ですよ。本当に美味しいです」


 とりあえず返事をしながら、美代は考えた。蓮司会長は、本当に優しい。今日は本当に楽しかった。人生の初めてのデートが、まさかこんなすごいことになるとは全く想像ができていなかった。朝のパンケーキから始まって、中華街、ショッピングモール、ドライブして、このクルーズだ。もちろん、超ゴージャスなデートになるかもと、かなり内心ビビっていたが、思っていたほど、お金を見せびらかすような無粋なことは、蓮司会長はしなかった。まあ、この船は別格だけども。


 あと、正直、彼はちょっとエロ過ぎて、なかなか美代自身も追いつかないほどの大人の男だと言うことがよくわかってきた。

 だって、初デートで、こんな完璧に色々こなせる人なんて、果たしているのだろうか?



ーーこんなこと、正直、二度と、自分の人生にないかもしれないから、もう楽しむべきかも。


 美代は段々、開き直ってきた。自分の気持ちを考えて仮説をどんどんとたてていく。

 もしこのまま蓮司会長の言う通りに、

 もし自分がこのまま流れに身を任せ、

 もしこのまま惹かれてしまい、

 もしこのまま、このまま、このまま、


……最後の思い出にいいかもしれない。


 「わかった。蓮司。今日は無礼講、最後まで楽しむよ。私」


 いきなり、蓮司と呼び捨てにした美代がまっすぐに蓮司を見つめた。

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