子リスは逃げた・・
自分の心臓が五月蝿い。
バクバクと音をたてている自分の心臓に手を当てて、この誰もいない夕暮れの教室を見渡す。
美代はあの哲学の教室に隠れていた。
美代ちゃんと七瀬くんがあの上司と話しているのが教室の窓からよく見えた。
うーーーっ。自分でもわかんないけど、逃げるべきだと本能が伝えている。
でも、なんかここにいても、いつか見つかってしまうような感じかした。
絶対に私を探しているよね。どう見ても。
いままで学校なんかに現れたことないから、超焦った。
あ、やっぱり、これって野生のリスを捕まえてペットにしたいという願望の表れなの??
金持ちってこんなことで遊ぶの??
わかんない。
いやーー、怖い。
もう頭のなかに自分の疑問と焦りがぐるぐると巡り、訳わからない状態だ。
しかも、なぜ自分が隠れているのかもわからないし、それを止めて外にでる勇気もないのだ。
どうしよーーーーー。
仕方がない。
考えられる手段・・・今できること・・
手にある物を握る。
悔しいが、いまそれが最善の策と考えた。
電話をとって、ある人物に電話した。
トルルルルっ
「はい、真田です。美代様、如何されましたか?」
いつものようにワンコールで出てくれた。なぜかいつもイラッとさせられる行為が、今は安心感を呼ぶ。
「あ!真田さん!!ちょっと人生相談です! しかもかなり急ぎです」
少しの沈黙の後、いつもの冷静な真田さんが答える。
「・・・わかりました。何でしょうか?」
「いま悪寒が走るような方に、ペットと間違えられて追われているんですが、それが自分の仕事に直結するような人なんですけど、どうしたらいいでしょうか?」
「・・・・そうですか・・・悪寒が走りますか・・・」
「どうしたら、いいかわかんないんです。ごめんなさい。忙しいなか・・」
「・・・私はいつもあなたの味方ですよ。どうしたいですか?」
「た、助けてください。ちょっと考えたいんです!!」
「考える時間だけを稼げば、いいのでしょうか?」
「え、いまは、ちょっと、そうです」
「・・・美代様。一つだけ質問させてください。その悪寒とは、どんな悪寒ですか?」
「・・・肌がぞわざわして、心臓もばくばくして、なんだかよくわからないくらい頭も心臓も混乱する系の悪寒です・・・」
「・・・・・そうですか。微妙なラインな悪寒ですね。まあ、わかりました。今回はお助けしますね。少々お待ち下さい」
「あ、ありがとうございます!!」
「でも、美代様・・・その悪寒の元となる人から・・・・気がむいたら、言葉を聞いてあげてください・・・真実は、思っているよりもっとシンプルなんですよ」
「・・・え?」
と思っていたら、教室のドアがバンっと開けられた。
そこにはあまりにもカッコよすぎる蓮司会長が立っていた。
??へ、変態のくせに、しかも超忘れん坊だし!!
と美代は心で悪態をつく。でも、それが彼に対しての悪態なのか、自分に対してなのかよくわからなかった。
「美代。どうしたんだ・・・なぜ逃げた?」
「・・・・逃げたってわかるんだったら、なぜ追うんですか?」
「・・・なぜだろうな・・・俺もわからない・・」
どんどんとその歩幅を広げて、蓮司が美代に近づいてきた。
だれもいない夕暮れの光が入り込む教室で、窓側にどんどんと美代は追い込まれていく。
自分の汗が落ちる音でさえ、聞こえそうだ。蓮司はいままで抱えていたバラの花束を美代の腕の中にバサッと入れ込んだ。
バラのいい匂いが鼻腔を刺戟する。
「美代。俺は・・・・」
「うわぁ・・・この花束、いったい!!??」
「これはお前にだ・・・」
「え??」
「誕生日だろう・・今日は・・」
「え、あっ!!!!!知っていたんですか?」
「お前、おれをなんだと思っている!」
「ちょ、直属の変態、いや、とっても思慮深い上司です!」
「ふふふふっ。いいな。その言い方が笑える・・」
そのフェロモンパワーをちょっとやめてほしいが、まあここはそれを我慢した。がんばれ、わたし。耐え抜くんだ。この美形が自分の前で微笑む姿を!!!
「あ、ありがとうございます!!プレゼントもらったのなんて、超久しぶりすぎて、自分の誕生日のことも忘れていました・・」
「美代・・・お前・・」
「会長!!私、いいたいことがあります!」
「・・・なんだ・・いつでも聞いてやる。しかも、誕生日だ。願いはなんだ?」
「ね、願いではないですけど・・・あの・・・」
「・・・早く言え・・」
この時点で、蓮司会長と私の距離は0に近かった。彼の体温をセーター越しに感じる。彼が私の腰に手をかけていた。彼のムスクの匂いが鼻腔を刺激する。
顎をクイッと持ち上げられる。
「美代。なんだ。お前が言いたいこととは・・」
「・・・か、会長・・・やっぱり野生のリスは諦めてください!!無理みたいです!!」
唖然とする蓮司がじっと美代を見た。
「!!!!何を馬鹿な・・諦められるはずがないだろう!!」
ーーええええ!!そんな野生のリスにまじなの!!あのウェブサイトのコピー取ってくればよかったと美代は後悔し始めた。抱きしめられているので、かなり苦しい・・・
「だって、かなり飼育方法が難しいです」
「そんなのいくらでも方法があるだろう・・」
「特別なケージも必要みたいです」
「何の問題もない。それの為の施設だろうが、建物だろうが造ってやる」
ーーえ、動物園でも、作る気なのか? それってペットとは、言わなくないか?
美代の疑問は膨らんでいく。
「あの・・・人に残念ながら、懐かないらしいです。犬や猫とは完全に違うみたいですよ」
「だいじょうぶだ。それを覆すくらい愛す自信がある・・」
「ええ? でも、その愛・・・リスに届かないかもしれないですよ・・なんたって人懐かない動物みたいですから」
「・・そうなのか? 届いていないのか・・」
ーーえええ、近い近い!!何これ!!!!
ニヤッと蓮司が微笑んだ。
「だいじょうぶだ。いつか絶対に届けてみせる。それまで離さなければいい・・・」
ふっと体から力が抜けた。蓮司が体を急に美代から離したのだ。
急に蓮司の携帯が鳴る。
でも、彼は一向に電話を取る気はないらしい。
「か、会長・・・鳴っていますよ・・携帯が・・」
「・・ちっ。だから携帯電話は嫌なんだ。消しておけばよかったな・・」
「出た方がいいと思います・・・」
「逃げるなよ・・」
ーーひぃいい。なんですぅかぁ??その怖い目は!!!
「・・・俺だ。何だ・・」
・・・・・・蓮司が電話の相手と何かを話している。
「お前、それを言うためにわざわざ俺に電話をしてきたのか?」
蓮司がじっと美代を見つめる・・・
「お前は煽っているのか、試しているのかわからないな・・・」
その言葉が、美代は蓮司が自分に言っているのか、電話の相手に言っているのか、わからなくなった。
「そうだな。たしかに・・・俺は負けているな・・・電話さえもしてもらえない・・悪いが、もう行く」
そう言って蓮司は電話を切った。
「・・・真田だ。お前から人生相談をされたと言われた・・・」
「え、やば・・・・」
やっぱりあの電話相談、固有名詞を使用しなかったが、バレバレだったなと思う。
「まだまだだな。俺は・・・取るにたりない存在だな・・・」
ジリジリと何かに迫られる感じがした。
「まずは一歩から進めたい。これを・・・」
ゆっくりとその自分のポケットからなにか小さな四角い箱を取り出した。
「これは、お前のものだ・・・それを返す・・・」
「ええ?」
「開けてみてくれ。たぶん、同じものだと思う・・・」
美代が怪訝そうにその箱を開けてみた。
自分が見ているものが信じられない。
大ぶりのハート形のアレキサンドライト。
記憶の中にあるものと全く同じだった。
変わり者の父がわざわざ母のために産地まで出向き、鉱山で自ら採ってきたものを現地の研磨師がそのカットの方法に大反対するの押し切って、わざわざハートの形にしたって、父が話していたやつと、大変良く似ていた。
それが、18金の金具にうまくはめらている。その金具の裏側にとても小さく、ほとんど気にしなければ見えないように、なにか刻印されていた。
『126i410r』
ロマンチックなお父さんが無理やり考えた当て文字。
1い、2(two)、6も、iあい,、4し、10て(ten)、rる。
いつもあいしてる・・・
「!!!会長!!これ・・・もしかして、あのクラブの!!」
「ああ、おれはこのネックレスの行方を捜していた・・・そしてたら、あの女が浮上してきてだな・・・・」
「え? もしかして、そのためにまさか、あのクラブに行ったんですか?」
美男がじっと美代を見つめ返す。
「・・・どうする。そうだと言ったなら?」
「え・・・・・・」
「でも、なんで???」
「・・・・何でだと思う・・・美代・・・」
頭の中が混乱する・・・お母さんの思い出のネックレス・・蓮司会長の熱い視線・・・全てが自分を混乱の渦に押しやっていく。
「え!!でも、どうやってこれ、返してもらったんですか?まさか 大原の力で無理やりとかですか?」
「ふふふっ。まあ、それはだな、あの真田のお手柄だ。見つけたのはおれの力だが、返してもらったのは真田のおかげだ。あいつには本人も理由がわからないが、変わった能力があるんだ・・・」
「真田さんが?? あの女豹のようなホステスさんから返してもらったんですか? ・・・・大丈夫ですか?なんかお金とかいろいろ要求されたんじゃないですか?」
「心配するな・・すでに、真田はあのクラブ、入店禁止となった・・」
「ええええ!!どんだけ粗相したんですか? 真田さん!!」
??いや、粗相とは真逆なんだと蓮司は説明したかったが、それについては説明をさけた。
美代は、その手の中に綺麗に光り輝く宝石を見つめる。
母がいつも自慢しながら身につけていたハート型の宝石。
楽しかった日々が思い出された。
『なんか年とっちゃうと、ハートってつけるの恥ずかしんだけどね、お父さんがしないと怒るのよ・・・』なんて、ちょっと娘の私にノロケる母が可愛らしかった。
雫が頬に滴り落ちる・・
「美代・・・・」
蓮司が美代に静かに近寄り、グイッと美代を抱きしめた。
「!!!!!」
なにかを言おうとした美代を蓮司が言葉で止める。
「なにも言わなくていい。泣いていいんだ。おれの胸だけは、まあでっかいだけは自信がある。明日にはこのことは忘れてやるから、好きなだけ泣け・・・お前はいつも頑張っているんだ・・」
なぜか頑張っているという言葉が胸をつく。
そう、自分は頑張ってきた。
がむしゃらに生きてきた。
自分を一人にしてしまった運命を呪うことなく、亡くなった両親にも恨みつらみなどは一切ない。
ただ、もうちょっと一緒に居たかった。
そして、もし両親が見ていてくれてたら、一番言って欲しかった言葉だ。
『美代は頑張っているね・・』
そう言われたかった。
両親が自慢できる子でいたかった。
「・・・・・うっ・・ううううっ」
言葉が出なくて、その大きな胸にしがみついた。後から後から、取り留めのない涙が溢れてくる。今まで両親が残してもらったのは、この自分の命と写真だけだった。そして、会長がくれたお父さんの腕時計・・・そして、いまこの思い出の宝石がある・・・
顔を完全にスーツにくっつけ、美代は号泣し始めた。
「美代・・」
厚い胸板と引き締まった腕が、美代を優しく抱きしめた。美代は、その温もりをただ、感じた。
そのとき、教室のドアで誰かがもめている音がした。




