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七瀬くんの気持ち

4月からちょっと気になる女の子がいた。


彼女はいつも顔色が悪く、いつ倒れてもおかしくない感じで大学の講義を受けていた。

一年生には必須の哲学のクラス。大学合格の喜びから、遊びが激しい大学一年生には、月曜日の朝の9時からの授業はかなりきつい。そういう俺も昨日はかなり夜遅くまで渋谷の辺りで飲んでいた。最初はコンパだったけど、めぼしい女の子がいなかったから、男友達とカラオケで徹夜してしまった。ちょっと眠気と吐き気が入り混じるなか、斜め前に座っている古風な姿の彼女が目に入る。いつものように青い顔をしていて、朝一の講義を一生懸命受けていた。



地味な姿の彼女はいつもその月曜日の哲学のクラスで一緒だった。真面目に一生懸命、つまらない哲学の授業を真剣に聞いているのだ。時には質問もし、その意味について先生に食いついる。最初はその見た目の地味さから、全く眼中にも入ってこなかった。


ある飲み歩いた後の早朝、俺はこのまま自分のアパートに戻って寝たら、絶対に一限に遅刻すると考えた。そして、かなり早い時間に学校へ向かった。うちらの大学は大学院などに研究生がいるおかげで、朝の6時でも学校に入れた。7時から学食も空いている。寮生のためだ。


早朝の静かな人カフェテリアでちょっと寝るかと考えた。行ってみたら、まだ学食も空いていないからほとんど職員以外いなかった。が、カフェテリアのプラスチック製の白いテーブルと椅子に一人の女の子が寝ていた。


黒めがねとおかっぱ。

まったく女子大生のイメージとは程遠い格好。


哲学の教科書を開けながら、ぐうぐうと寝ていたのだ。頬を机につけながら・・



??こんな真面目そうな女の子でも夜遊びしているのか?

ノートの名前を覗き込む。

土屋美代。

名前もなんだか古風だな・・


それからこの女の子が気になるようになった。



人伝てに聞いた。あの子の名前はやっぱり土屋美代。あんまり友達がいないらしい。つるんでいる子も当時でも少なかった。なぜなら、学校が終わり次第、彼女は急いで帰っていた。その理由も当時の僕はまったくわかっていなかった。


ある日、哲学を受けていた彼女が突然、椅子から倒れこんだ。


ガタッと大きな音がして、あの小さな体が床に倒れこんだ。

騒然とする教室。


「だ、誰か彼女を医務室へ・・・」

担当の教授が焦って叫んだ。


知らないうちに、俺は立ち上がり彼女を抱きかかえていた。思ったよりもその軽い体重に驚いた。急いで彼女を医務室に連れていく。


青ざめた彼女の顔が忘れられなかった。本当はその医務室で付き添いたかった。でも医務室の先生が、『あなたは帰って授業を受けなさい』と言ってきたので、仕方がなくそこを立ち去った。


次の日、彼女をキャンパス内で見つけた。よかった。大丈夫だったんだと思う。声をかけたかったけど、まるで初恋のように胸がドキドキしてしまって、声がかけられない。そして、タイミングを無様に失って、時間だけが過ぎてしまった。


そして、月曜日のあの哲学の時間がまたやってきた。彼女にまた会えると思うだけで心拍数が上がってしまい、変な汗が滴り出てくる。本当に自分が情けない。これでも、おれは高校生になってから、急に身長が伸び続け、それとともに女の子からのアプローチもかなり頻繁になってくるようになっていた。何度か告白された子と付き合ったけれど、正直、いつも3ヶ月で別れてしまうような感じだった。今ならよくわかる。そんなにその女の子たちを好きではなかったのだ。申し訳ないと思う。


見つめているだけで、あの彼女と同じ空間にいられるというだけで、心の中になにか熱いものがうごめき始める。これが最初なんであるかなんて、よくわからなかった。


でも、ある時から気がついた。これが恋なんだって。


自分自身で愕然とする。恋ってこんなに辛いのかとも思ってしまった。いままでの恋愛が、いかに心の伴わないものであるかよくわかる。


苦しいんだ。見ているだけで・・・でも、それが止められないのだ・・


その後、ちょっと親しくなった歩美という、見た目が美少女、中身が完全に親父っという変わった女の子と友達になった。その子が幸いにも、あの美代って子と友達だった。すげー偶然だ。

でも、すぐこの歩美って子に、おれが美代の事を好きな事がバレる。親父のくせにそういう事はなぜか鋭いんだ、この親父趣味の美少女は・・・


「はっきり言っておく。生半可な気持ちで美代に近づくなよ。美代はいまを生きているだけで精一杯なんだ。余計な心配かけるな!」と忠告される。


そして、あの美代が自分で全部学費を払っている事。両親がすでに他界していること、だから、全部美代が自立してやっていることを歩美から聞かされる。


「すげーーー、おれなんか実家から通っているし、学費も親払いだよ。なんだか自分が恥ずかしくなるな・・」

「・・・わかったか。少年よ。まだ、お前は青いから、美代に近づくなよ!!」

美少女が睨んでくる。

「でもさ、このままじゃー、不味くないか? すでに授業で倒れてるんだぞ。そのうち、取り返しつかなくなるんじゃないか?」

おれの言葉が真をついているせいか、美少女が黙りこくる。

「うん。解っている。でも、美代・・人の施しなんて一番嫌うと思う・・」

「歩美・・・」

「だから、時間が少なくても、こうやって時間が少しだけあったら、普通の友達として過ごすの。美代にとっては、あんまり意味のない時間かもしれないけど、本当に本当に、大変な時に頼ってもらいたいから・・・だって、まだ私たち出会って間もないでしょ? たぶん、美代、私たちのこと、そんなに信用していないと思う」


歩美の言葉が胸に突き刺さる。そして、それが事実であることをその数週間後、思い知らされるのだ。


おれは考えに考えていた。歩美の考えには100パーセントは賛成できなかったけど、その友達愛には感動した。


もう一度、その美代のバイトの体制とか、学費の払い方とかもうちょっと考え直すことがあるんじゃないかと思っていた。それを美代自身に提案しようとしていた矢先、美代が学校を3日間休んでいることを知る。そして、歩美も俺も愕然とした。俺たち、美代の連絡先も住所も知らないんだ。


そして、やっと彼女が学校に戻ってきた。歩美が最高に喜んでいるが、実は彼女も最高に凹んでいた。そうだよな、頼られなかったんだ、俺たちには・・・

おれは、それを友人の情けとして、美代にはバラさなかった。


そして、その後、歩美から聞いた。新しいバイトが決まって、それがかなり時給がいいらしい。詳しいことは守秘義務があるからといって、詳しくはなしてはもらえなかったらしい。危ない仕事ではないだろうなっと聞いたら、『大丈夫。一応、一流企業のバイトだから・・』と答えていた。まあ、それなら大丈夫なことには間違いないなと、歩美も俺も思った。


新しい仕事を始めたから、彼女の生活は一変したようだ。頬がバラ色になり、健康体であることが一目でわかる。


自分が彼女を直接助られなかったもどかしさは感じるが、こんな生き生きした彼女を見ているだけで、心に何かが溢れてくる。


でも、なんだよ。その王手って。

歩美の将棋に例える語録は慣れているが、その同じ盤にさえ立っていないってなんなんだよとか思う。


購買部からおめあてのノートを買ってきた彼女がこちらに走ってくる。


かわいいよな。なんか小動物っぽいんだよ、こいつ。

思わず、走ってこちらに向かってくる美代を見て、自分がにやけているのを自覚する。


そして、この後に起きるトンデモナイ事件について、俺はまったく想像がついていなかった。



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