蓮司 飼い猫に舐められ放心する
美代の言っている意味がわからない。
蓮司の欲しいものが手に入ったら、美代を手放すだと?
どういうことだろうか?
飴が欲しい子供が飴を貰った瞬間、それを投げ出すだろうか?
「美代様、どういう意味でしょうか? 蓮司様が本当に欲しいものとは?」
目の前の蓮司の飴そのものである美代に聞いてみた。
ちょっともじもじしている美代は小さな言葉で答えた。
「こんなことは、本当は敵か味方かわからない真田さんに言っていいかわからないんですけど……」
「美代様……」
「真田さん、身を張って守ってくれたし、この状況を改善することになるかもしれないから……」
「私の持っています権限を全て行使しても、私は美代様をお助けしますよ」
「真田さん……」
「あの白石先生が言っていたんです。蓮司会長は私が持っている実用新案権が欲しいんだって……」
「あ……」
真田が事態を理解した。まだ後処理はあるものの、蓮司達の周りでは解決している問題が、本人を護りたいがために、情報を当人から隔離した結果、美代だけが取り残されていたのだ。美代はまだ勘違いをしたままだった。
「そうでしたか。わかりました。主人は寝込んでいるらしいので、ある意味、好都合かもしれません。美代様、どうぞこちらへ……」
真田は蓮司の書斎に美代を案内した。
重厚な造りの書斎の部屋にある本棚を開けると中から隠し扉が出て来た。あっと驚くとそこには金庫があり、パスワードを入力し中から一通の手紙を美代に差し出した。消印が最近だが昨日、一昨日のものはではなかった。ちょうど白石が美代の周りからいなくなってしまったときと時間が重なる。そう、これは白石先生からの手紙だった。心配していたせいか受け取る美代も驚きながらも嬉しそうだった。真田さんも頷いて開けるように指示してくる。
美代へ
この前は本当に突然ごめんな。
プロポーズも突然だったし、カッコ悪かった。
正直、本当はもっときちんとしたかったけど、あのお前の上司の蓮司会長にやられたよ。
あいつはスゴイやつだな。今だと俺は惨敗なんだ。
敵に花向けじゃないけど、蓮司会長が実用新案権を狙っているというのは俺のデマカセだ。一応、もう君のお父さんが持っていた資料は全部真田さんに渡してあるよ。だから、君を狙ってどうこうは多分ない。でも、あの可愛かった美代をあの蓮司会長のような男に取られるのは複雑な気分になるよ。だって、君はとっても素敵になったからね……。
そのあと、先生の手紙は、プロポーズのことは今は忘れてくれとあった。自分が心配していたことは全て解決しそうなこと。あと、蓮司会長は決して美代を騙していないから、安心して彼の横にいるといいと書いてあった。でも、最後になぜか、彼に飽きたら、僕に連絡くれとも書いてあった。しかもしまいには、僕の隣はいつも美代ちゃん為にとってあるからっと白石先生的なお茶目な終わり方だった。
「真田さん、これって?」
「いずれ会長からお話があると思いますが、その今、私が美代様に提示できるのはそれだけです…」
「あの実用新案権が必要ないなら、じゃーー、なんで会長は私と婚約なんて……しないといけないの? いらないじゃない……白石先生は、どうしてこんな手紙?」
「何故でしょうね……。それは美代様への宿題かもしれないですよ……」
そこにいきなりドンっとものすごい音が鳴り響く。
開いていた重厚なドアを大きな男がドンっと叩いたのだ。
この部屋の主人が手紙の一部を聞いていたことにその怒涛の声で気がついた。
「あいつめ、父親のおかげで命拾いしたくせに、まだほざいているとは、いい度胸だ!」
と唸り出した。
先ほどまで昨日のお預け宣言からかなりショックを受けて寝込んでいたのだが、なにか胸騒ぎがしたのか、美代を探して書斎にまでやってきたのだ。
「え、白石先生はきっと冗談を……」
と言った瞬間、真田さんが青ざめた。恐ろしさに真田がドアの方へにじり寄る。
「真田……。いい度胸だな。主人がいない時に、その手紙、美代にわたすとは……。昨日の騒ぎだけでは足りないらしいな」
寝不足かストレスのせいか蓮司の目が充血している。これが婚約したばかりの男の顔か? と真田も疑いたくなった。
「申し訳ありません。でも、誤解を解いて安否を知らせることも重要だと思いまして」
「しかも、あの美代にあの名前を呼ばせるとは……胸糞悪い」
美代は焦った。もしかしてまた、あのたこ焼きが発動してしまうのだろうか? どうしてこんなに怒りっぽいの? こんなにいつも激情するっけ、蓮司会長ってと、心の中で問う。
真田さんは、なぜか部屋から出るように美代に顎で言ってくる。
蓮司は怒りで再び自分を見失っているようだった。そんな彼を見ていたら、美代は自然に手が動いた。自分の手がその憤って我を忘れている大男の手首を掴んだ。
ぐいっと引っ張り、その体勢が傾いたと同時に、蓮司の頬にキスをした。
美代自身も考えよりも行動が先に出た。
チュっと柔らかい音がする。
「ダメ、蓮司、怒りっぽすぎるよ……」
蓮司が驚きのあまり固まっている。
美代は、自分でも自分の行動が考えられなかった。
真田でさえも、驚きのあまり二人を凝視していた。
そして、美代自身も今、自分のしでかした事に気がついて飛び上がる。
「あ、もう朝食いらない! 学校行きます。では、行ってきます! さよなら!」
美代は呆然としている大人の男二人を置いて部屋から走り去る。
美代は恥ずかしさのあまり顔から火が出そうだった。
──な、なにしちゃったんだろー! 私!
その後の蓮司の書斎。
「あのー、蓮司様。大丈夫ですか?」
まだ書斎で仁王立ちしている蓮司に真田が声をかける。
二人とも今の奇跡を噛みしめている。
「………み、見たよな、お前………」
たどたどしく蓮司が真田に問いかける。
「……はい、み、見ました!」
「そうか。現実だよな! そうだよな……」
「はい、現実でございます。蓮司様」
「うっ!! なんという至福!」
「……またお赤飯にいたしましょうか?」
何故か聞いて頷いている真田も涙目だ。
「……そうだ!! 婚約もしたんだ!!」
「はい!!蓮司様 おめでとうございます!!」
「うぅおおおおおお~~!」
物凄い雄叫びが書斎から漏れた。
まるでいつもつれない飼い猫にペロンと舐められたような嬉しさを味わっていた蓮司だった。




