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騒動までの序奏曲

 蓮司から逃げたくても、逃げられなかった。そんな時間も隙もないのだ。

 学校への送り向かえは山川チームに囲まれ、伊勢崎さんが運転してくれる車に乗り込む。時間もかなり忙しい。時々やはり仕事として、蓮司に呼ばれることもあった。正直、最近の蓮司の忘れ物は、まともになってきていた。メールなどで送るのを躊躇う重要種類の運搬を任されるようになってきたので、仕事の重要性が増してきた気がする。だって、ティッシュとかよりは100倍マシじゃないだろうか?

 ただ問題がある。

 重要書類の運搬という名目上、超ガタイがいいスーツ姿(たぶん、中には防弾チョッキとかしてそうだ)が、五、六人常時付いて来る。

 恥ずかしいのだが、山みたいな人に囲まれ、オレンジのつなぎがなんだか異空間を作り上げている気がするが、まあ気にしないことにした。

 ただこの方たち、見た目は怖いから、ほとんど一緒に歩いていても、周りの人がサーッと引いていくんです。仕事の効率は上がりそうだった。邪魔されるお姉様が、もうこの肩の山で見えないし…。

 でも、彼らは本当は大変優しいというか真面目です。雨が降ったら傘をさしてくれるし、水溜りなどは抱っこで回避など、やり過ぎ感は満載だけど、いい人達みたいです。ただ、時々の変な行動は無視している。それがお互いのため?みたいだから……。

 この前も重要書類を蓮司に届けた後、何故か蓮司がウィンクしてきたけど、無視をした。ごめんなさい。会議室で皆様の前でウィンクって、無理。対応できない。恥ずかしさで顔が熱い。帰りはお茶を一杯、自動販売機で買ってのもうとした。会社の中にあるから、そこの前のベンチに座って飲もうとしたら、なぜかその方達が壁を作って私の景色を遮断する。ここは社内休憩所だ。みんなが使うところだ。

 「あのー、なんでここで人間壁なんでしょうか? もう書類持ってませんよ。解散じゃないですか?」

 と言ってみたら、みんな絶望したような顔をしてこちらを見る。

 「え、なに? 悪いこと言った?」

 みんなが無言で頷いた。

 わ、わかった。作りたいだけ壁作りしてくださいって思う。仕方がなく、急いでお茶を飲む。この方達は、どうやら守秘義務のレベルがかなり厳しいようで、最初の一回目で、私とかなり喋ってしまった方達が変更されていた。一応、この警備隊?の主任は、長谷川さんって人だが、「美代様。あまり私達の行動に質問しないでください。答えるだけで規約に反してクビになる奴もいるんで」と、お叱りをうける!

 すごい、大原財閥。厳しいんだねー、と感心する。


 そして、帰宅する。巨大な家だが、電気が付いている家に帰るのは正直嬉しい。真田さんや伊勢崎さん、松田さんに、メイドさん達が『お帰りなさいませ』と言ってくれると、恥ずかしさとともに、なぜか胸がきゅんとする。いつも蓮司の姿はないが、必ず夜には、いや朝方には帰ってくるという確信が自分に安堵を与え始めていることに本人が驚愕する。


 蓮司の存在が自分の中で膨らんでいく。

 蓮司との生活に美代が慣れてしまうのが、実は美代にとって恐怖だったのだ。

 心に人を受け入れることが、その人が当たり前にいることに慣れてしまうことが美代の鬼門だった。


 彼の帰りを待ってしまう自分がいる。

 ムカつく。最高にムカつく。

 自分に対してだけど......。


 そんな美代の不安を知っているのかどうかは定かではないが、どんなに遅くなってもあの約束守るように蓮司は、必ずベットで美代を抱きしめながら眠る。

 最初は美代も抵抗し、ソファで寝たり、大きな邸宅のゲストルームやら、隠れ込み、蓮司とは違うベットで寝ようとした。けれど、いつも朝になると、いつもの蓮司のキングベットに裸のまま寝かされていた。もちろん、蓮司に抱きしめられながら。

 朝、起きると美代が必ず、「な? 何故!」っと、奇声をあげるのだが、それが日がどんどん経つにつれ、ただ、ため息に変わっていく。

 ベッドの中で後ろを振り向くと、いつもの寝ている蓮司が半裸で美代を抱き締めていた。

 なんでこの人は、私なんかに執着するんだろう。

 なんで私みたいな、普通っていうか、たぶんそれ以下な女がいいっていうんだろう。

 全く分からない。

 ある件が頭によぎるが、蓮司の俺を信じろという言葉が多少なりとも美代に効いていることに美代自身も驚く。

 深く考えたくない。

 どうせ今、ここから抜け出せない。

 いや、抜け出したいのだろうか?

 私は?


 毎晩、その美代の隠れんぼのような行為が続いた。

 蓮司のベットで寝てない迷い子を探すのが蓮司の一日の最後の仕事になりつつあった。

 蓮司は深夜過ぎてからの帰宅が多くなった。でも、帰宅すると必ず、美代が敷地内から出ていないことを山川に尋ね、それさえ確認できれば自分で探した。

 お助けしましょうかという山川、真田などのスタッフの言葉にただ首を振り、『いや、これは俺の仕事だ』とだけ言い、自分の足で大きなお屋敷を歩いて探す。


 そして、迷える自分の愛しい人を見つけだす。

 「……バカだな、美代。可愛い抵抗しやがって」

 自分の手に抱き上げると、最上の笑みを浮かべてそのひたいに優しくキスをする。

 「いいよ。迷ってもいい。俺が必ず探してやる。安心して迷え」

 自分のベットまで連れていき、その大事な迷い子を優しく降ろした。


 そんな晩が何度も続いた。


 しかし、驚きべきことは、二人は、というより、蓮司は最後の一線はまだ超えていなかった。

 何度もその線を超えそうな行為はあったのだが、いつも蓮司は、最後にシャワー室に消えていく。


 ただそんな平和な日が一気に崩れ落ちた。


 ある晩、美代はもう自分の限界が来ていることを感じた。いくらこの大屋敷で隠れても、必ず心も体も丸裸にされたような姿で、蓮司に、あのベット戻されてしまうのだ。彼から感じる体温が、自分をどうしようもない気持ちへと駆り立てる。彼の微笑みが自分を壊していく。根元から……。


 灯台元暗し。

 美代は名案が浮かんだ。

 いや、本当なら、表す漢字が違うべきだ。明暗を左右するくらいの迷案だろう。だが、それに切迫していた美代は気がつかなかった。まさかそれがあんな大事態を起こそうとわかっていたなら、彼女は自分で自分を縛り付けてでも、止めていたに違いない。


 真田が隙を見せている間に、真田の私室の彼のベットに潜り込んだ。さすがにここなら、蓮司も見つけには来ないと思ったらしい。どう考えても、真田は蓮司が就寝したあと寝るような家臣だ。


 まあ、それは大原家始まって以来の大騒動に発展した。


 おまけ


 長谷川さんの事情


 もちろん、長谷川は総裁からの勅命を受けている。

 「美代をなるべく他の男の視界に入れるな」

 という嫉妬男の塊のような命令だ。だが、彼女をわざわざ、所謂、出来る男がウヨウヨいる会社に呼び出す。見せびらかしたいのかと思ったら、どうやらそうではないようだ。まあその理由まで追求するのは、管轄外と自分に言い聞かせる。そんな不条理な命令にも遂行するしかないのだ。初日にあまり親しくなりすぎた隊員は、違うセクションと交代させた。

これは、蓮司より心配した山川が指示する。

 「長谷川、お前の首が無事にくっつけておきたかったらお嬢と馴れ親しむな。あいつらは変更したほうがいい」

 先輩の意見を聞いた。

 しかも、それが正しかったとあとで分かる。なぜなら、配置交代のことを報告する前に、蓮司の方から「警備に不安があるから」とその交代させた2名の名前が挙がったのだ。

 怖い。流石だ。どこで聞いているんだろうか?

 一応、俺の采配は総裁には褒められた。山川先輩のおかげだ。一瞬、あの水溜り回避配置はまずいかと思って、それを恐る恐る総裁に聞いてみた。今後の方針のためだ。

 「そうだな、仕方がないな。あのちっちゃな足をドロだらけにしたら、かわいそうだな」

 正直、これからいろいろ大変そうだなと覚悟した。


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