30話
(辺境伯エリック視点)
驚く程あっけなく彼女は立ち去ってしまった。
あの彼女が私の妻だったとは、こんなにも驚いた事は生まれて初めてだ。
だからといって私の優柔不断な態度が許されるわけではない、わけではないが、嬉しく思ってしまう自分がいるのも事実だった。
嬉しさと、モヤモヤした気持ちが混ざり合い、なんとも不思議な感覚だ。
再び、あの日馬車の窓から見た二人の光景を思い出す。
彼女には、もう生活の心配をせず働く必要は無いと言いたいが、きっとあの店の店主と一緒にいたいのだろうと思うと言ってはいけないような気がした。
こんな状況になってしまったのは全てが私のせいなのに悔やんでも悔やみきれない。
この様な事になってしまい私は今初めて母の気持ちが分かるような気がした。
亡くなった父には、最初から色々な女性の影がちらついていたと、私に物心が付いた頃、周りの人間が教えてくれた。
母はずっとこんな気持ちのまま過ごしていたのか? その当時の自分は母の事を少しも理解していなかった。
だが、今なら分かる。
私は初めて母に手紙を認めた。
陛下に急かされて結婚した事から現在に至るまでの経緯を全て包み隠さずに。
そして今なら、あの時の母上の気持が理解できるとも書き加えた。
それから今度出席する王宮での生誕祭の支度の為、彼女に侍女を付けたいが誰か紹介して欲しいと。
その後、暫くして一人の年若い女性が母の使いの侍女だと言って、母の実家の侯爵邸の馬車に大きな荷物を積んで駆けつけてくれた。
「これから此方でお世話になりますナタリーと申します。こちらは奥様からお預かりしたお手紙です」
そう言って一通の手紙を手渡された。
そこには今迄の母の思いが延々と綴られていた。
そして、最後の方は『今迄母親らしい事が出来なくてごめんなさい』と私への謝罪、それから『わたくしの息子もやっと大人になれたのね。貴方ならきっと上手くいくわよ、せいぜい頑張りなさい』と、付け加えられていた。
『ナタリーに持たせた沢山の荷物はわたくしの新しく出来た義娘へのプレゼントよ』とも書かれていた。
『今度の王宮での生誕祭の時にちゃんと紹介して頂戴ね。楽しみにしているわ』と締め括られていた。
何だか今迄の長かった母との確執がこんなにもあっさりと和解に至るとは、言葉とはなんと大切な物かと改めて思った。そして初めて母の愛情を感じたのだった。




