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二 灰色の魚人

「街の人魚たちは今、避難してるから大丈夫っ。でも女王様がっ……。ごめんねっ、姫様っ。城の警備が薄かったしっ、アタシも何もできなくてっ」


 申しわけなさそうに謝るブルノを、ヴァレリアは「よく頑張ったわ」と励ましてやりながら、思考をフル回転させていた。


 この状況は、あのときと似通っている。

 しかし帝国軍はもういないはずで、それを企んでいた皇帝は打ち滅ぼした。なのにどうして、女王が捕まるようなことがあるのだろうか?


「お姉様、なんか怖い……。お母様大丈夫なの?」


「無事だったらいいのだけど」


 ブルノに導かれるままに門の中へ突入し、走り、走り、走る。

 しかしやはり人魚の足ではとろくさいにもほどがある。これでは全然間に合わなかった。


「そうです、皆さん、チェルナに乗ってください」


 水中でも走れるのだろうかという不安はあったが、一行はとりあえず黒豹の上へ。するとチェルナは、恐ろしい勢いで駆け出したのである。


「きゃっ」


「いくら人魚の肉を食べたからって万能過ぎでしょ!」


「だってチェルナはすごいですもの。当然ですよ?」


 贅を尽くされた立派な廊下を風のように進み抜け、向かうのは王の間。

 そこに、侵入者と女王がいるらしいのだ。


 城はしんと静まり返っていて、ヴァレリアたち以外に誰もいない。――なんだかとても不気味だった。


「ヴァレリア、女王様っていうのは?」


 トビーが訊ねてくるので、ヴァレリアはでき得る限り簡潔に答える。


「私とプリアンナのお母様で、橙色をした人魚なの。この国を治めているのよ」


「……つまり皇帝みたいなものか」


「あんなクズ野郎じゃないわ。厳しくて優しい、立派な人よ」


 母親のことを思うと、胸が焦燥感に焼き焦がされる。

 一体今、何が起こっているのだろうか。急いで、一刻も早く、母の元へ――。


「扉が見えてきたの!」


「あの向こうが王の間だよっ。気をつけてっ。中で何が起こってるかわからないからっ」


 急激にスピードを落とし、そろりそろりと黒豹は歩み、扉の前へ。

 そして地面へ降り立ったヴァレリアが、ギィっと扉を押し開け、中へ飛びこんだ。


 ――広々とした王の間の中、そこに二つの人影がある。

 一つは、ロープで雁字搦めにされた女王、アントニオ・イルマーレ。

 そしてもう一人が、なんとも異様だった。

 頭からすっぽりとフードを被った、不気味な女だ。彼女がブルノの言っていた侵入者で間違い無いだろう。


 アントニオ女王に何やらボソボソと話しかけていた女が、こちらに気づくいてゆっくり振り返った。

 顔までフードで隠されていて見えない。


「あなたは誰!? 今すぐお母様を、アントニオ女王を放しなさい!」


 ヴァレリアは唾を飛ばし、できるだけの大声で威嚇する。

 すると女はくすくすと笑い、言った。


「あらららら? ようやくきたのね。遅かったじゃないの、でも嬉しいわ……。赤い人魚に桃色の人魚、それに人間や豹まで。ずいぶんと愉快な仲間たちが揃っているようね」


「こ、答えて! あなたは、誰なの?」


 背後のプリアンナが、勇気を振り絞ってふたたび問いを投げた。

 ――直後、女が灰色のフードとコートを剥ぎ取ったので、全員は目を丸くすることになる。


「ならご要望通りに答えてあげる。ワタシはキャメロン。いえ、こう言った方がいいかしら? ……ワタシはイルマーレ王国真の第一王女、キャメロン・イルマーレだと」


 女は、ただの女ではなかった。

 下半身と二本の腕は人間でありながら、その上半身が普通ではなかったのだ。

 女の頭部は、灰色の鱗の魚であった。

 ――つまり彼女は、魚人だったのである。


 魚人なんて生き物、ヴァレリアは今まで見たこともない。それはこの場の皆が同じだったことだろう。

 しかしそれ以上の驚愕が王の間中を満たしていた。

 だって彼女は、『イルマーレ王国真の第一王女』とほざいたのだから。


「驚いてくれているようでワタシとしてはすごく嬉しいわ。これでこそ、アナタたちを殺す甲斐があるというものよ。……さあはじめましょう、血と肉の復讐劇を。最後に笑うのは一体、誰なのかしらね?」


 灰色の魚人は、菫色の瞳を怪しげに輝かせて、そう笑ったのだった。





「ヴァレリア! それにプリアンナも!」


 橙色の人魚――女王、アントニオが娘たちを見て声を上げる。


「お母様、今助けるわ!」


 赤い宝剣を握り、魚人の女を睨みつける。


「何のつもりか知らないけど、今すぐお母様の縄を解きなさい。さもないとどうなっても知らないわよ」


「あらら? 強気なものね。さすが、ディム皇帝を殺すだけあるわ。……女王は放さない。放してやるものか。ワタシを少しでも傷つけてみなさい、彼女の命はないわよ?」


「おりゃあああああああ」


 こちらを嘲笑うような女に、ヴァレリアは飛びかかっていく。

 しかしもう少しのところで女は軽やかに攻撃をかわし、縛り上げられた女王の喉に、何かを向けた。

 ――きらりと光る怪しげな光。よく見るとそれは、小型のナイフだった。


「人魚は不老長寿。美貌は永遠だとよく聞くわ。でもその命は儚い。ナイフで一突きすればすぐなのよね?」


 その脅し文句を聞いて脳裏をよぎるのは、あの馬鹿皇帝のこと。

 彼もプリアンナを人質にヴァレリアを脅し、攻撃を封じようとした。それが失策に終わったのは、オーロラのおかげだ。

 急いで一度引き下がると、金髪の少女に耳打ちした。


「オーロラ、あのときみたいにできない?」


 鉄球を構えるオーロラ。彼女は頷き、恐るべく勢いで鉄球を叩きつけた。

 だが、


「甘い甘い甘い甘い甘いわ!」


 高らかに叫びながら、女はなんとモーニングスターの鎖を引っ掴んで勢いを止めた。

 そして直後、するりとオーロラの手から武器が離れ、魚人キャメロンの手に渡ってしまっていた。


「あっ……」


 一瞬唖然となり、緑瞳を見開く金髪の少女。

 彼女へと、鋭い鉄球が襲いくる。


「邪魔者は消えておしまいなさい!」


「させるかぁぁぁぁぁ――!」


 しかし衝突の寸前、攻撃は空振ることになる。

 オーロラの体をトビーが突き飛ばし、寸手のところで助けたのだ。もしもそうしていなかったら、少女の頭は粉々に砕かれていたことだろう。


「ありがとうございます、トビー。情けない限りです」


「いつも僕を助けてくれてるほんのお礼だよ。……でも困ったな」


 確かに頼みの綱であったモーニングスターが奪われてしまったのでは、手の打ちようがない。

 ヴァレリアは宝剣だし、トビーは小斧、ベルは小金槌でプリアンナなどは何も武器を持っていない。そんなのではどうにもこうにもキャメロンへ攻撃を仕かけることなんてできなかった。


 唇を噛み締め、ヴァレリアは考える。

 これは究極的に困った事態になった。

 そもそも女王を殺したいのであれば早々と殺しているに違いないのに、今も生かしている。それが不思議でならなかった。


「あなたは何が目的なの? どうしてこんなことをしているの!?」


「そ、そうよ。それに第一王女ってどういうこと? 第一王女はお姉様でしょう?」


 姉妹の言葉を受け、魚人の女はさもおかしそうに笑う。


「アナタたち、何も知らないのね。愚かで可哀想だわ。……言ったでしょう? ワタシはアナタたちに復讐をするためにきたのよ。存分に苦しめて、痛めつけた上で殺すの。そしてワタシは、晴れてこの国の女王になるのよ!」


 ――つまり、彼女はイルマーレ王国を乗っ取ろうというのか。

 そんなの許さない。


 そう思い、ヴァレリアが口を開こうとした瞬間。

 アントニオがそれを制した。


「私のことはいいから、キャメロンを殺してください。……私が、いけなかったんですから」


「……? どういうことなの、お母様?」


 意味深な彼女の言葉に、皆は一様に疑問の表情を浮かべる。

 まったく状況について行けていないベルは大きく首を傾げる。もちろん双子姉弟も同じ気持ちだろう。

 そんな中、一人だけわけ知り顔のキャメロンが、歪んだ笑顔を見せて言った。


「ふふっ。じゃあ無知なアナタたちに教えてあげるわ。……ワタシの蔑まれた過去を。ワタシがどんな思いをして生きてきたのかを、ね」


 そうして、灰色の魚人はモーニングスターを挑発的に揺らめかしながらに語り出したのだった。





 ――キャメロンは気づいたら、海の中で一人ぼっちでいた。

 誰もいない深海で、空腹に喘いでいた彼女を救ったのは一匹の巨大魚だった。


 彼はキャメロンに食事を与え、なんと養ってくれることとなったのである。


 巨大魚を父親代わりとして、一緒に暮らすこと十七年以上。

 苦しいときもあったが、そこそこいい日々ではあったと思う。


 ――しかしある日、父は大怪我をして帰ってきた。

 何があったのかと訊いてみれば、どうやら人間の罠に引っかかって負傷したという。

 傷を治そうとキャメロンは懸命になったが、ほんの少しの延命にしかならなかった。


 胸から血を流しながら呻く巨大魚。彼は娘に微笑みかけて、こう言った。


「お前は魚人という種族だ。……正しくは種族ではない。お前は突然変異で生まれた、特別な生き物なのだ。ずっとずっと隠していたのは悪いと思う。しかし、最期に言わせてもらおう。お前は、実は……」


 父の言葉に、キャメロンは目を丸くするしかなかった。

 だって彼は、キャメロンが本当は『イルマーレ王国の第一王女』であると明かしたのだから。

 イルマーレは、海の中では有名な人魚の王国のこと。キャメロンは、その女王アントニオから生まれたのだという。

 人魚と違って上半身が魚、下半身に人間の足が生えている醜い姿である魚人として生まれたキャメロン。彼女の出生は隠蔽され、静かに国外追放された。

 ――そのことは女王や関係者と、こっそりその様子を見ていた、巨大魚しか知らないことであった。


「私がお前にこんなことを言い残して、何がしたかったのか……。それはな、キャメロン。お前に幸せになって欲しいからだ。イルマーレの女王になれ、キャメロン。そして海を治めることを、私は望む」


 ――死んだ。巨大魚は、眠るように息を引き取った。

 一体彼の話が本当なのか、キャメロンにはわからなかった。でもそれが真実なのであれば、キャメロンは。


「王になるしかないわ」


 復讐、してやる。

 自分を見放した人魚どもを見返してやる。女王になって、父の願いを叶えるのだ。


 それから数日後、キャメロンは陸上に出た。

 一人だけでは王国を破れない。だから、協力者を募ろうと思ったのである。

 しかし現実は、そう簡単にはいかなかった。


 醜いと笑われた。怯えられ、殺されそうになった。誰一人としてキャメロンを信じてくれなかった。


 だから彼女は、フードを被り、コートを着て隠れ生きるようになった。……復讐の機会を窺って、ただただじっとときを待つ日々を長く過ごした。


 ――そして三年後。

 新皇帝ディム・ボリスが桃色の人魚を求めているという有力な情報を聞きつけたのだ。

 これは滅多とない機会だとキャメロンは目を光らせた。


 城まで向かい、皇帝と対面する。怪しがられはしたものの――。


「海中で人間が自由に動き回れるようになる薬をワタシは持っているわ。それを渡す代わりとして、海の王国をめちゃくちゃに荒らすようにお願いしたいのだけど」


 キャメロンがそう言うと、皇帝はあっさり提案を受け入れてくれた。

 帝国軍はイルマーレ王国へ攻め入り国を荒らし、うまい具合に荒らしまくった。たった一つ心残りがあったとすれば、女王と赤い人魚姫を殺し損ねたこと。


 赤い人魚は陸上へ上がり、もう一人の王女である桃色の人魚を助けるためと銘打って地上を進んだ。それは帝国軍や皇帝から聞き及んでいる。

 それを皇帝がうまく殺してくれれば、問題はなかった。だがあいつはしくじったのだ。


 無惨な皇帝の訃報を聞いて、キャメロンは大きくため息を漏らしたくなった。

 ――自ら手を下さなければならないらしい。

 海へ一人で戻り、防御がガバガバな王城に足を踏み入れる。そして女王を捕らえることに成功した。


 そこへちょうど赤い人魚がやってきたのである。……それに桃色の人魚まで。


 これで役者は揃った。

 後はここから復讐劇を展開するだけ。彼女らがどんな顔をして泣き喚くのかが楽しみだ。


「これこそが自業自得という奴ね。笑っちゃうわ。……死になさい人魚たち。死んでワタシへ詫び続けなさいよ。いくら足掻いたって無駄よ。すべてはワタシの掌の上なのだからね!」


 おかしい。おかしくて笑い、笑い、笑い転げる。……灰色の魚人は、何がおかしいのかも、何もわからなくなるくらいに嘲笑い続けるのだった。





 魚人の女の話を聞いて、ヴァレリアは俯くしかなかった。

 何も言葉をかけられない。だって、魚人は悲しそうに笑っていたから。

 すごく辛そうに、苦しそうに、笑い転げているのだから。


 それは他の皆も同じだった。


 一方、縛られたままのアントニオ女王は深く頷く。……そして、言った。


「ですから私は憎まれても当然です。ただただ自分勝手な事情で、キャメロンを捨てたのですから。……やってくださいヴァレリア。あなたを犠牲にしてしまっては、この国はキャメロンに乗っ取られてしまいます。罪深い私のことは構わないで――さあ!」


 その言葉が、彼女の覚悟であったことはわかる。でも、ヴァレリアは紅色の長髪を揺すって被りを振り、微笑んだ。


「わかったわお母様。……でも決めたの、私、何も諦めないって」


 何も妥協なんてしてやらない。

 せっかくここまでこられたのだから、ヴァレリアは皆が笑い合える未来を見たくて仕方ないのだ。

 それにはこの場の全員が必要だから。


「だからもう、何があっても挫けたりしないわ。……私に作戦があるの。ねえ皆、聞いてくれるかしら?」


 そうウインクし、赤い人魚姫は仲間たちにそれを話し出すのだった。


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