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六 プリアンナ奪還戦

「だ、誰だキミはぁ!」


 プリアンナの傍に立つ栗毛の青年が、驚愕にそう叫ぶ。

 きっと彼が皇帝ディムなのだろう。ヴァレリアも視線を鋭くし、言ってやった。


「私はヴァレリア・イルマーレ。イルマーレ王国の第一王女にして、プリアンナのお姉様なの。……よくも王国を汚し、愛妹をさらってくれやがったわね。覚悟しなさい」


 一瞬たじろいだ後、皇帝は周りの兵士たちに指令を出した。「かかれ、かかれぇ!」


 広間に待機していた帝国兵は約五十名。それが一斉にこちらへ押し寄せてくる。

 しかし――。


「ちなみにわたくしは、オーロラ・アンネと申します。……わたくし、争いごとは嫌いなのですけれど、仕方ありませんね」


 直後、微笑む金髪の少女が、振り回す鉄球で一気に十人ほどの頭を砕いてしまった。

 血飛沫が上がり、首のない死体が崩れ落ちる。


「な、何っ」


 驚愕を隠せない残りの全員は、ヴァレリアたちが請け負う。

「おりゃっ」走り、宝剣で胸をつん裂くヴァレリア。トビーは小斧を振り翳し、相手の首をもぎ取る。ベルは軽やかに広間を駆け、手当たり次第に小金槌を叩きつけた。


 場は騒然となり、気づくと帝国兵は一人もいなくなっていた。

 一方のメイドたちや結婚式の司会をやっていた老執事はすっかり怯えきって身を固くし、動けないようだ。


「お姉様、すごい……!」


 感嘆の声を上げるプリアンナの隣、激昂する皇帝ディムが怒鳴り散らす。


「キミ、いやキサマぁ! よくもボクとプリアンナの聖地を土足で踏み躙ってくれたなぁ! 愛し合う二人を引き裂こうだなんてぇ、狂ってるぅ、狂ってるさぁ! 今すぐ出てけぇ、クソ人魚めがぁ!」


 悪意に漲った視線を受け、ヴァレリアはため息を漏らす。

 狂っているのはどちらなのか、教えてやらなければならない。


「あらまあ。それはご愁傷様。でも、プリアンナはあなたとの結婚なんて望んでいたのかしら? 私には全然そう見えなかったのだけれど」


「そんなわけなぁい! だろぉ、プリアンナぁ」


 皇帝のねっとりした視線が、桃色の人魚へ向けられる。

 プリアンナは小さく肩を振わせると、言った。


「わたし、お兄さんのことが嫌い。嫌いよ。わたしを勝手に連れてきて、ど、どういうつもり? それに、あなたが恋してるのは、わたしじゃないし」


「ど、どぅいうことだよぉ?」


 プリアンナの発言に、皇帝はおろか、ヴァレリアですらも首を傾げるしかない。

 皇帝ディムは彼女を花嫁にしたかったから連れ去ったはずである。そうでなければ、この一連のことに筋が通らないではないか。


「あなたが海で見たのは、わたしじゃない。だってわたし、夜に一人で歌ったりしないもん。だからわたしは人違いで、あなたが本当に恋してるのは、お姉様なの」


 ――やっとのことで彼女の言っている意味を理解し、ヴァレリアは呆然となるしかなかった。

 皇帝は、ヴァレリアとプリアンナを間違えていたのだ。

 ヴァレリアはたまに気晴らしにと、夜の海で歌うことがあった。

 きっとその姿を偶然見かけた皇帝が一目惚れをし、恋したために王国まで帝国兵を派遣したのだ。

 ということは――。


「私のせいってこと!?」


 測らずとも、プリアンナが連れ去られたのはヴァレリアのせいらしかった。


「嘘だぁ! ボクが、このボクが間違うはずがなぁい! ボクは一途で純粋な男なんだからさぁ! ボクはプリアンナを妻にするぅ! なんとしてもだぁ! それを、キサマらに邪魔される謂れはないぃぃぃぃぃ!」


 どこからともなく取り出した槍を天に突きつけ、鬼の形相でそれを振り回す皇帝。

 ――なんとしてもプリアンナを自分の手に収める気だ。でもそんなのは、ヴァレリアが許さない。


「あなたがその気なら、こっちも本気で行くわ。……自分を盲信するイカれた野郎にプリアンナを一秒だって預けてはおけないわ」


「それに、父様と母様の仇も討たせて頂きます」


 オーロラが笑い、トビーも頷く。


「よくもルドとリップさんを殺してくれやがったの! 今ここでおしっこ漏らしながら泣き喚いて死ぬの!」


 ベルの叫び声とともに、戦いがはじまる。

 ――皇帝ディムに裁きを下し、プリアンナを取り戻すために。





 長槍と紅の宝剣が火花を散らす。

 交差する視線。それと同時に尻尾で攻撃を繰り出すがヴァレリアだが、寸手で避けられてしまう。


「ボクに挑みかかろうなんてぇ、とんだ馬鹿な娘だねぇ。ボクに勝てるだなんて自惚れるなよぉ!」


 皇帝の手にする槍がこちらに向けられるが、盾でしっかりと受け止めてカバー。

 両者は踊るようにして絡み合い続ける二人。そこへ、突然に割りこんできたのは黒豹と、それにまたがる少年少女。

 ――トビーとベルだ。


「砕け散るがいいの!」


 チェルナの牙、トビーの小斧、ベルの小金槌が一緒に皇帝を襲う。

 しかし、皇帝ディムは奇行に出た。


 背後に庇うようにしていたプリアンナの体を引っ掴み己の胸の前にやって、盾代わりにしたのである。

 ギリギリのところでトビーたちは攻撃を逸らしたが、一歩間違えば危ういところだった。


「何をしているの! プリアンナを離しなさいよ!」


「離すもんか! ボクに手を出してみろぉ。プリアンナがどうなるかぁ、わかるよなぁ?」


 桃色の人魚の細い喉に、槍が突きつけられた。

 それを見て、ヴァレリアは動けなくなってしまう。

 ――少しの挙動すら、彼女の命を落としかねない。

 プリアンナはすくみ上がり、「お姉様……」と呼んでいる。なんとか助けてやりたいのに、どうしたらいいのか。


「勝ちだぁ! ボクにひれ伏せよぉ、愚民どもぉ! さぁ大人しく取っ捕まるんだなぁ!」


 高笑うディムに、何も言い返せない。

 この状況をどうやって打破すればいいのか。ヴァレリアは必死に頭を悩ませるが、答えは出ない。

 だが直後、彼女の思考はすべて吹っ飛んだ。だって目の前で、信じられない光景が展開されていたのだから。


 鉄球が振りかざされ、男の左腕を砕く。そしてぐるりと小柄な少女の体を絡め取り、手元に引き寄せたのだ。

 瞬きの後にはプリアンナは、オーロラの胸に抱かれていた。


「え……?」


 目をぱちくりさせる彼女に、金髪の少女は優しく微笑みかける。


「はじめまして。オーロラ・アンネです。驚かせてしまってごめんなさい。もう大丈夫ですよ」


 一方で呆然と立ち尽くすディム・ラッシュは、己の右腕を見て――絶叫した。


「あ、あ、あ、あ、あああああぁぁぁぁぁっ。う、腕が、腕がぁ――! なっ何をするんだぁ! ぐみ、愚民の分際でぇぇぇっ」


 そして無茶苦茶に走り、飛びかかってくる。明らかにこちらを殺す気だ。

 でも、この場には誰一人としてそれを許す者はいない。


「さっきから愚民愚民うるさいよ。君だって元々皇族なんかじゃない。僕と同じでちょっといい家柄に生まれただけの、愚民の一人だろ?」


「ぐおおっ、がああああああっ! な、何をぉ、何をぉっ」


 トビーの斧に片足をぶった斬られ、皇帝が血を撒き散らしながら無様に転倒する。

 チェルナにも太ももを噛みつかれ、ベルに足蹴にされる彼の姿は、なんとも実物だった。


「ボクをぉ、ボクをこんな目に遭わせてくれやがってぇ……。殺して、やるぅ。殺してやるぅぅぅっ」


 憎悪の言葉が重ねられる。

 しかしそれすらも、オーロラは許容しない。

 彼女は残虐的な笑顔で、言葉の刃を投げつけたのだった。


「殺されるのはあなたですよ。……ああそうでした、一つ言い忘れていたことがありましたね。エセル・ラッシュさんは亡くなりましたよ」


 その瞬間、ディムの表情がぐにゃりと歪んだのを、ヴァレリアは見た。

 そして、今までとは比べ物にならない、恐ろしいくらいの地獄の雄叫びが、広間を引き裂いたのである。





「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!」


 声が枯れるほどの叫びを上げ、上げ、上げ続ける。

 ただただ現状を否定するためには、こうするしかないから。

 ――こうするしか、逃れ方を知らないのだから。


 ディム・ボリスは、幸運な男だった。

 上将の長男という生まれからして、すでに勝ち組であったのだ。

 生まれ持っての才能と父親からの厳しい訓練がなされたおかげで、十歳の頃には周囲が驚くほどの槍の名手になっていた。


 彼は友だちがいなかった。でも不幸とは思わない。

 だってディムには、可愛い従妹がいたからだ。


 エセル・ラッシュ。

 彼女はディムより三歳下。美しく華麗で、ディムを頼りにしてくれた。


「ディムきゅん、どうやったら強くなるんでちゅか?」

「ディムきゅんすごーい! あたち、ディムきゅんのこと大好き」


 甘える姿が可愛くて、とても大好きだった。

 彼女と武力を磨き合い、互いに強者への道を歩んだ。


 そして二十歳になる頃には、父の跡を継いで上将になっていた。

 上将の頃は大変だった。皇帝は人遣いが荒かったから、しょっちゅう小競り合いが起きている戦場に赴かねばならなかった。

 しかしエセルがこんな提案をしてくれたことで、ディムの人生は大きく変わったのである。


「――ねぇねぇディムきゅん、コーテイヘーカになってほしいでーちゅ。ディムきゅんならきっとやれまちゅよ。やってみたいとは思いまちぇんか?」


 冗談めかした彼女の言葉。しかしディムは、それもありだと思った。

 ちょうどその頃皇帝が他界し、舞踏大会が開かれようとしていた。今なら防御は脆弱だ。そう思い、皇帝の跡取りたちをエセルと一緒に皆殺しにした。


 何もかもうまくいった。

 守備よく皇帝の座に着き、エセルを上将にした。二人で国を治め、永遠の平和が訪れるはずだった。

 しかし、ディムにはたった一つ、気になることがあった。――それは、上将のときにとある海で見た、桃色の人魚のこと。

 赤く美しい長髪をたなびかせ歌う少女に、ディムは禁忌の恋をしていたのだ。


 また、あの人魚に会いたい。

 その一心に、ディムは囚われ続けた。そんなある日、あの女が現れたのだ。

 帝城に突然訪れた女。彼女は、灰色のフードを被ってコートを着こんだ怪しい格好をしていた。


「誰だぁい?」


 そう訊くと、女はこう答えたのだ。


「皇帝さん、あなた、桃色の人魚に会いたいのでしょう? ワタシは彼女の居場所と、捉える方法を知っているわ。……話があるの。どう? 乗るかしら?」


 彼女の話によれば、桃色の人魚はあの海の奥深くに暮らしているのだという。

 人間には決して踏み入ることのできない領域。しかし女は、不思議な瓶を突きつけて言った。


「この便の中の粉末は特別な薬が入っているの。これを飲めば海の中に平気で入ることができるわ。ただし――、その王国をめちゃくちゃになさい。それがこれを譲る条件よ」


 こんな話、嘘でも呑まないわけにはいかなかった。

 ディムは瓶を手にし、帝国兵たちに飲ませた。すると――。


 女の言葉は嘘ではなかった。本当に、水中で楽にいられるようになったのである。

 ディムは早速これを使い、計画を実行した。


 金で従えた下将率いる帝国兵どもを海へ送りこみ、散々荒らさせた。そして桃色の人魚を連れ帰せたのだった。


 髪は短くなっていたが、やはり彼女――プリアンナは桃色の人魚で間違いなかった。

 ディムは彼女を愛した。愛し合う二人は、平穏無事に結ばれるはずだったのだ。何もかもよくなるはずだったのに。


 ――赤い人魚が現れて、すべてが台なしになった。

 結婚式は滅茶苦茶になり、帝国兵どもが一人残らず殺された。そして挙げ句の果てにプリアンナを奪われ、右腕をもぎ取られてしまった。

 その凶行を行ったのが中将の娘だったのだから笑えない話だ。中将邸襲撃のときにこの娘を殺し漏らした下将を呪ってやりたい。


 そして中将子息には足をやられ、黒い豹に噛みつかれた上に見知らぬ田舎娘には足蹴にされる始末。


 愚民どもが何をやってくれているのか。

 憎しみが、どうしようもない怒りが湧いてくる。

 ディムは選ばれた人間なのだ。選ばれた人間が、ただの凡俗な者に殺されてたまるか。

 殺してやる。殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる――。


 だがそのとき、中将の娘が、笑ってこんなことを言ったのである。


「殺されるのはあなたですよ。……ああそうでした、一つ言い忘れていたことがありましたね。エセル・ラッシュさんは亡くなりましたよ」


 信じられない。信じられないけれど、娘の瞳には嘘偽りが感じられなくて。

 ディムは悟ってしまった。エセル・ラッシュは殺されたのだと。

 そう理解した途端、ディムの心は粉々に砕け散った。


「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!」


 その瞬間、こんな声がした。


「……自分の行いを悔やみながら地獄へ落ちるがいいわ」


 今までの自分の行いの、何が悪かったのだろう。

 自分は選ばれていたはずで、幸運なはずで――。


 その問いに、答えは出ない。

 答えは出ないままに、ディム・ボリスの意識は虚無に沈んだ。





「……自分の行いを悔やみながら地獄へ落ちるがいいわ」


 地面に横たわる男の前に歩み出て、ヴァレリアは静かに剣を突き立てる。

 胸に宝剣が刺さり、真っ赤な血を流しながら――皇帝ディムは、死んだ。


「終わったの」


 黒髪の少女の言葉通り、長い長い戦いは今ここに終焉を迎えたのである。


 思い返せば、苦難続きだった。

 すべてのはじまりは、イルマーレ王国の惨劇からだ。

 プリアンナを取り戻すと決意し陸に出て、ヴァレリアは早速強盗どもに殺されそうになった。

 そこを助けられたのが、双子姉弟との出会い。

 中将や夫人に優しくされたが、またもや悲劇は起こった。

 そして双子と仲間になって、旅をはじめて。

 様々な苦境があった。しかしそれを乗り越え、ヴァレリアたちは絆を深めたのである。

 ベルを仲間に加えて帝城へ向かい、下将の前で屈しそうになって、ヴァレリアはトビーに叱咤激励された。

 そして今、下将を倒し、皇帝を下してここに立っている。

 ――愛しい妹のすぐそばに。


「プリアンナ!」

「お姉様!」


 互いを呼び、抱き合う。

 一体どれほどぶりだろうか、彼女の体に触れることなんて。温かく、柔らかい。とてもいい匂いがした。


「可愛いわ。あなたは本当に可愛いわね。……辛かったでしょう。ごめんね。でも無事でよかった」


「いいえ。わたし、お姉様が助けにきてくれて嬉しかった。ありがとう、ありがとう」


 そんな二人の人魚を、他の三人と黒豹が微笑ましげに眺める。


 ――こうして、感動の再会は果たされたのだった。

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