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四 告白

「君! しっかりしてよ!」


 痛みに朦朧とする意識の中、金髪の少年の呼び声が聞こえる。


「と、びー……」


 徐々にクリアになる視界の先、そこに彼の背中があった。

 どうやら今、ヴァレリアは地面にうずくまっているようだ。そしてトビーは彼女を庇って立っているらしい。

 状況を理解したヴァレリアは、ぐるりと周囲を見回す。


 ホール中に散らばる国兵どもの死骸。きっとトビーが手を下したのだろう。

 そしてたった一人だけ生きて笑う男――下将の姿が見えた。

 それを捉えた瞬間、ヴァレリアの中になんとも言えない感情――否、これは恐怖だ。強い恐怖が広がる。


「君、傷が大丈夫そうなら立って。兵士たちは片づけたけど、この野郎は僕だけでは勝てない。君の力が必要なんだ」


 そう言いながらも小斧を振り回し、下将ときり合うトビー。

 助けなくてはと思うのに、ヴァレリアは足に力が入らず、ガクガクと震えるだけだった。


 ――だって、この男には、どうやっても勝てないに違いないのだから。

 ヴァレリアはあの海の惨劇以降、ずっと自らを鍛え上げてきた。強くなったと、そう思っていた。

 けれどそれは間違いだった。

 どうやっても勝てなかった。何度挑んでも突き飛ばされた。そして挙句の果てには腹をきられ、ドレスまでもが破られた。

 オーロラにもらった大切なドレスだったのに。


 もう立てる気がしない。

 下将にはどう足掻いたって意味がない。あいつは悪魔なのだ。いくら頑張ったところで、人魚が悪魔なんぞに勝てるわけがないのである。

 オーロラがいればよかった。彼女であれば一撃で下将を殺してくれたかも知れないのに。

 今頃、もう結婚式ははじまってしまっているだろうか。そうすればプリアンナは……。


「おしまいだわ。結局私は、何もできない弱虫のままだったのよ」


 トビー一人で、どこまで持ち堪えられるだろうか。

 かといってヴァレリアが加わったところで何の足しになるというのか。二人は悪魔に命を刈り取られ死ぬ他にないのだ。


「へえ。ようやっと堪忍したかよ。やっぱり人魚は美人なことしか能のない下等生物なんだなあ。ふへへっ」


 下将が笑う。下卑に笑い転げる。

 しかしヴァレリアはもはや何も言い返すことができない。


 ……と、そのとき、突然トビーが肩を震わせて、


「ふざけるな!」


 そう一喝した。





 膝を抱えて座りこむ彼女を見て、トビーは憤りを感じた。

 ――一体何をしているのだろうか、こんなときに。


「おしまいだわ。結局私は、何もできない弱虫のままだったのよ」


 艶やかな赤髪に顔を埋める彼女は、そう呟く。

 でも違う。違うんだ。


 それと同時に目の前の男が、ニタニタと笑って、


「へえ。ようやっと堪忍したかよ。やっぱり人魚は美人なことしか能のない下等生物なんだなあ。ふへへっ」


 と、ほざきやがった。

 その瞬間、トビーは今まで押さえていた劇場を――爆発させていた。


「ふざけるな!」


 自分でも信じられないほどの声を張り上げて、感情をぶちまける。


 トビーも最初は、彼女のことが怖くて怖くてたまらなかった。

 だって人魚は、禁忌の存在だから。そんなのに憧れる姉も、優しくしようとする両親もおかしいと思っていた。

 けれどトビーは、彼女に救われたのだ。

 燃える屋敷の中、ベッドで火に囲まれていたときだって。

 あの真っ暗な『惑い森』で、豹たちに狙われたときだって。

 暴海季の海渡りで、危うく溺れ死にそうになったときだって。

 ずっとずっと、彼女に助けられてきた。

 人魚だって人間と同じ――いや、もっとすごいのだと、恐れていた自分が馬鹿だったのだと、気づいたのだ。


 綺麗な菫色の瞳を見開く彼女自身にも、叱咤を向ける。

 散々打ちのめされて、罵られて。凹むのは当然、泣きたいのはトビーだって同じだ。でもそんな姿は彼女には相応しくない。


 彼女――ヴァレリアには、トビーが憧れと恋情を抱いた、かっこいい少女であって欲しいから。


 トビーは覚悟を決めて、思いきり、胸の内に秘めていた気持ちを叫んだのだ。





「ふざけるな!」


 彼の怒号にヴァレリアは目を見開くしかない。

 それに構わず、少年は下将へ唾を飛ばす。


「人魚が下等生物!? そんなわけないだろ! 強いんだよ、すごいんだ。誰にも虐げられる理由なんかない!」


 そして今度は、ヴァレリアの方を向いた。


「君だってそうだよ! おしまい? おしまいなわけない! おしまいでいいはずがないだろ! じゃあ僕たちは何のためにここまできたんだよ? 君は妹を助けたいんだろ? それはどうするのさ? これしきのことで挫けてちゃだめだよ!」


「トビー、でも」


「でもも何もあるか! 君はあの真っ暗な森で僕に言ってくれたじゃないか。『諦めるな』って。暴れ海のときもそうだった。僕たち全員溺れかけて死にかけて、なのに君は下を向かなかった。その姿を僕は、かっこいいと思ったんだ」


 トビーの緑瞳は今までにない強い意志を宿している。その輝きに魅入られ、ヴァレリアは口を開けなくなった。

 下将と武器をぶつけ合いながら、彼はなおも続ける。


「だから諦めないで。だって、諦めないのが君の取り柄だろ? ――ヴァレリア、愛してるよ」


 その瞬間、ヴァレリアの胸に得体の知れない温かいものが湧き上がってきた。

 言われて、彼女は思い返す。荒れ果てた王国で心に誓ったことを。


「私、なんて馬鹿だったのかしら」


 何があっても下将をやっつける。そう決めたのだ。

 なのに、こんなことで屈するなんて情けない。ヴァレリアは自分を笑ってやりたくなった。


「そうよ、諦めちゃだめなんだわ。私は一人じゃないもの」


 ふらつく足で立ち上がり、ふたたび紅色の宝剣を握りしめる。

 目の前でトビーが、階下ではオーロラとベルが頑張ってくれているのだから。それに、トビーが好きだと言ってくれたから。


「ありがとう。……はじめて名前を呼んでくれたわね。トビー、私もあなたのことが大好きよ!」


 叫びながら、破れた赤いドレスを翻して、下将へ飛びかかっていく。

 

「本当に君は単純だね」


 苦笑しつつ、トビーも一緒になって小斧を振りかざした。


 ひょいひょいと二人の攻撃をかわす下将。彼は醜く笑い、こちらをからかう。


「さっきのはおれもちと泣きそうになったぜ! 戦場で愛の告白とか、頭狂ってんのかよてめえら。おれを舐められちゃ困るぜ?」


「ごちゃごちゃとうるさいわ! あなたがどれだけ強くても私は全力でねじ伏せるのみよ。それで皆と笑い合うんだから!」


 ヴァレリアの宝剣と下将の長剣がまたも衝突する。

 しかしもう押し負けることはない。助っ人がいるからだ。


「僕のことも忘れないでよね?」


「忘れてねえよ、中将の息子」


 小斧が下将に迫り、彼の背中を狙う。

 だがさすがは下将、咄嗟に身をかかがめて避けようとするが――。


「おあっ!?」


 もう一人の助っ人である黒豹チェルナが、彼を突き飛ばした。

 そこへすかさず飛びこんだヴァレリア。宙を舞って地面へ激落する下将の腹を、宝剣で差し貫いていた。


「う、があ。て、てめえ、何を」


「私の腹に傷をつけたこととイルマーレ王国のことを併せてのお返し。因果応報よ。……苦しみ悶えながら死になさい」


 血の笑みを浮かべるヴァレリアを見上げながら、下将は「ごぼっ」と血を吐いて――まもなく息絶えたのだった。


「やったんだわ……」


 あれほど憎んだ因縁の男の死は意外にあっさりしていた。――これで、王国で無惨に殺された人魚たちの無念を晴らせただろうか。


 そんなことを考えるヴァレリアへ、トビーは嬉々とした声で言った。


「やればできるじゃないか、ヴァレリア」


「あなたのおかげよ。あなたがいなかったら私はきっと勝てなかった。……チェルナもありがとう」


 ゴロゴロと喉を鳴らす雌豹の頭を撫でてやりながら、赤い少女と金髪の少年は勝利を祝い合う。

 そこへ突然、別の少女たち声が割りこんできた。


「レリア、ビー、お待たせなの! ちゃんとあの豚女を倒してきたの!」


「お二人ともお待たせいたしました。どうやらこちらも終わったようですね」


 現れた二人の少女を見て、ヴァレリアは心底安心した。


「あなたたち! よかった、本当によかったわ」


「オーロラにベル、大丈夫そうで何よりだよ。そうか、あの女をやっつけてきてくれたんだね。ありがとう」


「ガルルッ」


 一同は抱き合って、互いの無事を喜ぶ。

 この激戦の中で全員で生き残れたことが、今は嬉しくて仕方ないのだ。


 しかしいつまでもはしゃいではいられない。気を引き締めてヴァレリアたち四人は、美しき黒豹にまたがった。

 目指すは五階。そこに目的の広間があるはずである。


「さあ、五階へ急いでください!」


 オーロラの声とともに、チェルナは階段へ向かって駆け出す。

 風のように大階段を走り上がったその先、そこに大扉があった。

 それを破るようにして押し開け、中へ飛びこむ。


 眩いシャンデリアの光で照らされた広間では、すでに式がはじまろうとしていた。


 司会者が、花嫁に問いかける。


「……夫を愛し、敬い、慰め合い、ともに助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」


 何を言えばいいかはすぐにわかった。

 黒豹を降り、赤いドレスを脱ぎ捨てて立つ。

 そして、


「その誓い、待ったをかけるわ。……お待たせ、プリアンナ」


 赤い人魚姫ヴァレリアはそう、啖呵をきったのだった。


「お姉様!」


 愛しい少女が驚きに目を丸くしたのは、言うまでもないことである。

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