お友達パンチ
もし、帰還せずぐだぐだ過ごしていたらという軽い話です。
週末になると神殿は貴族様や町に住む一般の人に開かれる。司祭であるシズマくんが祭壇の中央に立って、ミスティアーシャへ祈りを捧げ、集まった人たちは頭を垂れて指を組み、それぞれがまた祈るのである。私とユメちゃんはメシア様としてシズマくんの次に高い場所で膝をついて、目を閉じて、これまたうっかり寝てしまっている精霊様にお祈りするわけだ。
ユメちゃんは真面目にブレラの講義を受け、見聞と知識を深めて一部の修道女や修道士たちには才女と囁かれている。また彼女は祈って澱みを払うたびに、身体から発せられる光が強くなっていく。さすがメシア様だと賞賛を浴びており、私はその横でビスケットをかじる日々である。わがままを一ついえば、ミルクが欲しいです。
そして今日も今日とて、ユメちゃんやシズマくんは熱心にお祈りするのだ。でもさ、最近ちょっとだけ疑問に思うことがある。眠りについているというミスティアーシャにお祈りしても……聞こえないんじゃないの? それをエミリアにうっかり零せば、彼女は盛大なため息をついて信者にいったら顔をぶん殴られますよと注意を受けた。エミリアは信者ではないらしい。それで修道女をやっていいのか。
「ユメ様、ハルカ様、今日のお勤めお疲れ様です」
声をかけられてハッとすれば、シズマくんは苦笑を浮かべてまだ膝をついている私に手を差し出してくれる。ありがとうと手を握って立ち上がると、祈りの時間が終わっておしゃべりに興じる婦人の間をぬって、ブレラがこちらへ来るのが見えた。その顔はいつもどおり不機嫌そうで、長い前髪が紫紺の瞳に影を落とす。ちょっとからかって和ませてやろう。
「ハルカ! お前、ちょっとこっちに来い!」
「えー、やだぁ、ハルカを呼びつけるなんて何様ですぅ? ありえなぁい、ぷんぷん!」
「……気色悪いしゃべり方をやめろ! ああ、そうだ、ユメ、午後は旧神殿に行くのだろう?」
「はい。すみません、ちょっと気になったんです。すぐに調べて終わりますから」
「構わない。僕も旧神殿には興味があったし、お前のおかげで出入りの許可が降りたからな。むしろ、僕のほうが時間を取るかもしれない」
「大丈夫です。それにしても、森の奥に佇む古い神殿ってロマンチックですよね」
どうやらユメちゃんはヨーロッパの森に佇む古城を思い描いているようである。私はどちらかっていうとホラーっぽいかなぁと思ったんだけどな。それにしてもイベントじみた会話にテンションがあがった。久しぶりじゃないの、これ。まだまだ死亡フラグが乱立する可能性は残っていたのだろうか。最近はまったく立たない死亡フラグとやらを諦めかけ、ユメちゃんが世界の澱みを払うのを待機していた。
危険な場所にユメちゃんを放り込むのは良心と常識が傷んだけど、ユメちゃんは着実にパワーアップしているのである。それに比べて私は軽い澱みを払うだけの祈りしかできないため、ユメちゃんにくっついてイベントをこなすことも、そばで見ることも叶わないのだ。もうちょっと真剣に光る練習をしとけばよかった。そしたらミレイさんやレイナードとの恋愛に割り込んだというのに。
でも、ブレラもユメちゃんのことを恋愛的に好きじゃないとしても、そこはぽろりと愛情が転がり込んでくるかもしれない。ひっついておいて損はないだろう。
「ハルカさんは午後はどうしますか?」
「一緒にいくよ。そんなに危なくもないんでしょ?」
「だと思うのですが……正直、手入れはしていませんので、獣が住み着いているかもしれません。念の為にイシュメルをつけますから」
シズマくんの心配そうな視線を受けて、ユメちゃんはイシュメルさんがいるなら大丈夫だよと微笑んだ。
「じゃあ、午後にね!」
ユメちゃんとブレラに手を振ってこの場を去ろうとしたら、ブレラに腕を捕まえられてしまう。逃げられなかったか……! ぐいっと身体を引き寄せられたかと思えば、眉間にシワを刻んで低い声を出された。
「祈りの途中で眠っていただろう。船をこぐたびに、お前の光が明滅していたぞ」
「まるで信号機みたいだね!」
「シンゴウキが何か知らんが、恥を知れ恥を! お前に期待はしていないが、大衆の前で取り繕うくらいしろ!」
いや、まさかねぇ、明滅するとは思わなかった。まじめに参加していたつもりだけど、もうちょっと努力する必要があるみたいだ。ちょっと信号機のように点いたり消えたりするのはよろしくない。お怒りのブレラを適当にあしらっていると、メシア様と声をかけられた。
「あの、ユメ様、ハルカ様。私たち夫婦に子どもを授かりました。できましたら、この子に祝福をしてくれないでしょうか?」
視線を移すと人の良さそうな若い夫婦が立っており、母親の腕の中には小さな赤ん坊がすやすやと眠っている。
「もちろんいいですよ。可愛らしいですね、お名前は?」
「アイーシャです。ミスティアーシャより言葉を頂きました」
「素敵なお名前ですね。では、アイーシャちゃんに祝福をします。健やかに育ち、精霊の祝福がアイーシャちゃんに注ぎますように」
すっかりメシア様が板についたユメちゃんは、気安く請け負って赤ん坊に声をかけた。これは私もすべきなんだろうなぁ。ちらりとブレラを見るとそわそわと視線を赤ん坊と私に向けているし、シズマくんは困った顔で見守っている。
「……じゃあ、私からも。美人さんになりますように」
夫婦は満足そうに帰っていったんだけど、きっと大丈夫だ。私の祝福は一応の効き目はあるし、あんな赤ん坊に悪く作用するはずがない、だろうことを眠りこける精霊に祈っておこう。頼む。
最近は顔が売れたせいか、澱みを払って貢献してきたおかげか、祝福をお願いする人々も増えてきた。断る理由はないので、ほいほいと言葉をかけている。その様子を見るたびにイースを始めとする修道士や神殿関係者は、祝福された人たちを心配そうに見ていた。
「あの子、美人さんになりますかねぇ」
「子どもの可能性はすごいから、大丈夫じゃないかなー」
あはははと笑えばユメちゃんは困ったように、でもおかしそうに笑みを浮かべて頷く。ああ、召喚されたメシア様がユメちゃんで良かったなぁ。真面目でいい子だし。
そういうわけで、お昼を食べたあとは動きやすい服に着替えて旧神殿にやってきた。場所は場所は以前に小さな澱みを払った石碑の近くだった。神殿を出るときに訓練に向かうレイナードとイースに会ったけど、ユメちゃんは私の伸びた髪を編むのに必死でレイナードには気づかなかった。ざまーみろ。しかし、レイナードの爽やかな笑顔が怖い……!
天気はあいにくの曇りで、午後だっていうのに森の奥にはうっすらと霧がかかっている。雨が降るかもしれない。神殿に帰ったあとに降り出せばいいんだけど。
「向こうに見えるのが旧神殿です」
「わああ……ヨーロッパの古城みたいですね!」
歓声をあげたユメちゃんの視線の先には、石造りで塔のように建つ神殿があった。白かっただろう外壁は薄汚れ、蔦が張っている箇所もある。けれど、ひと目みただけで神殿とわかるその建物は、美しいレリーフが施されていて、どうして場所を移したのかわからない。旧神殿に続く道は崩れていたけど、手を加えて整備したら使えるに違いない。
まぁ、ユメちゃんがヨーロッパの古城とはしゃぐのも無理はないかな。私だって旧神殿の中を見るの、ちょっとだけ楽しみにしている。だけどね、問題があった。
ブレラが超不機嫌。頬に赤い手形をつけている。綺麗についたその赤に、うっかり「どうしたの?」と尋ねちゃったんだよね。詮索しなきゃいいのに。
「僕が聞きたい。不愉快なことをわざわざ言いたくもないしな。さっさと行くぞ」
どうやらちょっと離れている間に、頬を引っぱたかれたらしい。何をしたんだろうか。ブレラのことなので、これみよがしに知識をひけらかした貴族の坊っちゃんをこてんぱんに言い負かしたのか、ご婦人に愛想を振りまかない上に無礼なことをしたのか、まず何かやったに間違いない。
「では解錠します」
「すごい、たくさん鍵がついてるんですねぇ」
「そりゃそうだろう。旧神殿といっても重要な建物であることには違いない」
扉の取っ手に巻きつけられた鎖を外し、扉の鍵を開けるたびに、イシュメルさんの持つ鍵束がじゃらじゃらと揺れた。私とユメちゃんは大人しく後方で待機している。
「そういえば、ユメちゃんは調べ物があるって言ってたけど、何を調べるの?」
「え? ああ、なんとなくですけど、旧神殿に行けば澱みについて何かわかるかもしれないって思ったんです。もし、澱みを根本的に解決したら……そしたら……早く帰れるかもしれませんし」
「なるほど。よく考えたね」
死亡フラグを立てて帰ろうとした私よりも賢いんじゃないのか。でも、ゲームの結末を思い出すとユメちゃんは帰ることはなかった。もしかして、友達がユメちゃん帰還エンドを話さなかっただけだろうか。
「ハルカさん、一緒に帰れますから、安心してください!」
ぎゅっと拳を作ったユメちゃんは鼻息あらくイシュメルさんが開けてくれた扉の中へと、迷わず入っていってしまう。いいんだけど、そこは先陣を切っていくべきではないと思う。イシュメルさんを放り込んで安全確認をすべきじゃないだろうか。けれど、いつもなら危険な橋はわたらないブレラもユメちゃんの後へと続いたので、どうやらこの二人は目的のものが目の前にあると突っ込んでいくタイプらしい。うーん、メシア様が怪我しちゃ大変だと思うんだけどなー。
「悲鳴も聞こえないし、大丈夫みたいだね。行こうか?」
「はい」
イシュメルさんと共に旧神殿に入れば、中はホールになっていて天井が高い。今の神殿より小さいけれど、天井の高さだけはこちらがあるようだ。ホコリだらけだけど、ホールは綺麗に保っているし、頑丈に作られた建物は倒壊する様子もない。またホールの床には複雑な幾何学模様が刻まれていて、円陣のようだった。魔法でも使えそうな模様を見てブレラは喜んでいる。
「やはり予想通りだった! それにしても精巧だな……狂いがない。重要な意味を含んでいるに違いない。これで各地の神殿との位置関係を修正すれば……いや、まずは模様を書き写さねば」
学者の血が騒いだらしいブレラと、ホールの祭壇を何やら捜索しているユメちゃん。することがない私は旧神殿の中を探索してみることにした。恐らくこの二人を放っておいても好感度が上がることはないだろう。何故ならお互いの存在を忘れるほど、調べ物に没頭しているのだ。
ということで、イシュメルさんと一緒に内部を見て回っている。だけど机や椅子などが放置されてはいるけど、あとは何もない石造りの部屋が並ぶだけで、探検するようなわくわくは削がれてしまった。しかも、イシュメルさんは喋らないのである。
「そうだ、イシュメルさん。ブレラの頬のこと知っている?」
「はい。知りたいのですか?」
「面白そうな気がする」
「ハルカ様方が退室されたあと、女性がブレラ様の前にたち、頬を叩きました」
「……え! なんで?」
「わかりかねます。ただ、彼女は……怒ってしまったブレラ様を見て狼狽しておりました」
その場の適当な話題として、ブレラの頬にある手形の話を振ったんだけど、ちょっと予想していなかった。いきなり頬を叩かれたら不機嫌にもなるよなぁ。
もしかして、彼女は頬を叩く相手を間違えたのだろうか。それならうろたえるのも頷ける。どうやらブレラが喧嘩をふっかけたのではなく、女性の勘違いだったのだろう。そして、ブレラの様子を見るに、女性は彼に謝罪する機会もなかっただろうことは容易に想像できた。かわいそうに。でも、あのブレラが男女のもつれに巻き込まれるなんて、面白いことも起きるもんだ。その場面は見てみたかった。
想像するだけで笑える、と口元を緩ませたけど、イシュメルさんの次の言葉で引きつってしまった。
「女性は伝授されたお友達パンチをしただけだと言っておりましたが、お友達パンチとは何でしょうか?」
「おともだち、ぱんち?」
お友達パンチ。
聞いたことのあるフレーズに、数日前に話しかけられた少女の顔が鮮やかに浮かんだ。彼女は私を呼び止めて一つ尋ねたのだ。「ハルカ様はブレラ様と親しいのですか?」と。恥じらいながらも、目をしっかり見つめてくる彼女に、ブレラが好きなのだろうかと予測をつけるのはたやすい。正直いってブレラはとっつきにくい。愛想がないし、眉間にしわは寄っているし、基本的に人のことはお前呼びである。ふんわりしたお嬢さんを怖がらせることは上手でも、好感を持ってもらうことは難しそうなタイプだ。
「あの、さ、その女性ってちょっとピンクがかったブラウンの髪で、こうくるくるとしていて、鼻の頭にかわいいそばかすがあった子かな!」
「……はい、そうだったと記憶しています」
ああーと空気が抜けたような声が尾を引いた。やっぱりねーそうだよねー。お嬢さんにはブレラとどうやって仲良くなったのか教えて欲しいと言われて、素直に頬を叩いたと教えたのである。もしかして、彼女はそれを聞いて実行したのだろうか。だめじゃん! 常識的に考えて見よう、見知らぬ他人から顔を殴られて好感を抱くのはとんだマゾ野郎だけである。ブレラと短いけれど友人として仲良くやっている私からみても、ブレラはマゾではない。確かにお友達になりたいと言われたときは、マゾなのでは? と疑って引いてしまった。けども、どちらかというと頭でっかちな常識人に分類されるのではなかろうか。
「ハルカ様、珍しく真剣な表情になっています」
「そりゃ真剣にもなるわ! あー、私のせいだよねぇ」
その頬への一発はお友達になりたいという申し込みだといえば、ブレラは受け入れてくれるだろうか。きっと、事情を知ればブレラは険しい顔で常識をお嬢さんに説いたあと、あっさり許しそうな気もする。そのかわり、原因となった私にねちっこいお説教を垂れるに違いない。聞き流せばいいんだけど、最近の彼は聞いているフリを見破るのが得意なので、ちょっと面倒くさいなぁ。
どうしたら円満に解決できるだろうか。できれば、私に被害が出ない方向でお願いしたい。
「イシュメルさん、友達になりたい人の頬を殴ったら、お友達申し込みが成立するって言ったらさ、どうする?」
「そうなんですか?」
「いや、そうだとしたら」
ちらりと背の高い彼を見上げると、感情が浮かぶことのないまっさらな瞳で見下ろされる。ぱちりと白いまつげを瞬かせて、イシュメルさんは黙りこんでいる。なんか言って欲しい。こういうときのイシュメルさんは思考を整理しているので、辛抱強く待つほかないんだけどね。それにしても相変わらず背が高い人だ。何をしたらこんなに伸びるんだろう。
「では、ハルカ様」
「はいはい」
考えがまとまったらしいイシュメルさんに注意を向ける。
「参ります」
何をどこに参るって? よくわからずに聞き返そうとすれば、ぱちんと左頬がなった。
「……はい?」
「友人の申し込みをしました」
どうやら左頬を叩かれたようである!
「そうだけど、違う! あってるんだけどね! そうじゃないんだわ!」
「加減したのがまずかったですか?」
それは全然まずくねぇよ! むしろ思い切り殴ってみろ、イシュメルさんを全力で呪ってやるからな! ミレイさんと張り合うくらい武術に秀でた彼に加減なしで殴られたら、歯の一本や二本は覚悟しないといけないだろうし、すさまじく腫れるだろう。女としていただけない。それは駄目だ。許せない。
「もしかして、左頬ではなく右頬ですか?」
「そういう問題でもないのよ!」
「両頬……?」
「待て待て、その左手を降ろして貰おうか。とりあえずね、もしもの話なのよ、だから右頬を狙うな!」
「はい。心得ました」
おとなしく手を降ろしたイシュメルさんから距離を取り、会話を試みるけどなぜかうまくいかない。シズマくんの補佐もしているというけど、どうやってコミュニケーションしてるのかな。不思議だ。
「……ハルカ様の友人になりたいと思いましたので、頬を叩きました」
「あ、はい」
「私の頬も叩いてくだされば、申し込みは成立ですか?」
「そこまでは考えてなかったなー」
でも、やっぱり頬を叩いてお友達宣言するのはどうかな。とりあえず、微妙に会話が咬み合わないイシュメルさんと、スムーズに話せるようにはなりたいとは思うよ。まずはそれからだ。
ちなみに事の真相を知ったブレラには講義室に呼び出され、予想以上に長い説教を頂きました。




