番外編〜とある日の日常〜
アルクトスとエンリルの最初の生。
三人目の子を身籠ったときの、優しい一時。
寝室の部屋で二人きり。
ソファでくつろぐ中、私は大きく出てきたお腹をさすった。
「うう」
「どうしたんだ……そんなに唸って……どこか苦しいか…?大丈夫か…?」
金色の満月のような目が、心配したようにこちらを見てきた。苦しいのかと聞かれれば、お腹が重いのには変わりない。
なぜなら、彼と三人目の子供がお腹にできている状態だから。
「アルクトス、吐き気が酷くて。もう情けなくなってきたわ」
身重の体では、何をしようにも疲れてしまうのがすぐだ。何しろ、つわりが酷くて。
彼のシャツの袖を指先で摘み、引き寄せた。アルクトスはクマの獣人だから、人間の体温より少し高い。
「あったかい」
「リル……そんなことされたら………俺の我慢が」
「母上…」
呼び声に振り返ると、小さな影が入ってきた。大人しく部屋に入ってきたのはリーントスだ。長男の彼は今年で六歳。クマの耳が可愛らしく、焦げ茶色の髪をふわふわとさせてこちらに来る様子はアルの幼い頃を想像させる。
「まあ!母さんに会いに来てくれたのかしら」
つわりどうこうが吹き飛んで、息子の来場に胸を踊らせる。両手を広げると、リーントスが私に抱きついてきた。私とアルの間に座って、大きくなったお腹を小さな手で触ってくれる。
「弟?妹?」
「ふふふ、まだ分からないわ」
「僕……母上のこと……大事」
「ええ、私もあなたが大事な息子よ」
「とられたくない……」
去年、私が次男を出産したとき、リーントスは喜んでいたのに。今回は少し寂しそうな顔をして、金の目を私に向けてきた。
「家族が増えるの……嬉しいけど………僕……母上をとられたくない……」
私には兄弟がいない。
それはアルも同じなので、そういう気持ちはリーントス本人が一番わかっているだろう。
だから、どうアドバイスすべきか悩んでいた。リーントスのふわふわとした髪を撫でながら考え尽くす。
しかし、先に口を開いたのはアルだった。
「リーントス……リルを取られたくないのは…よく分かるぞ」
「父上…わかってくれる?」
アルは鷹揚に頷いて、リーントスの頭を同じく撫でた。
「でもな……リルはみんなを愛している。ちゃんと…愛してくれているよ……もちろん…俺もリーントスが好きだ………だから素直に甘えなさい…」
「弟が増えても…僕……兄らしくなくても…いいのかなぁ」
「お兄ちゃんとして振る舞ってくれていようとしてるのは、とっても良いことよ。でも、私達に甘えたらいけないなんてことはないのよ。あなたも私達にとって特別な子なんだから」
誰かにとって、特別である存在。きっと、みんなそうなんだ。
私にとってアルや、子供たちが特別であるように。
アルにとって私や、子供たちが特別であるように。
皆が皆、誰かの心に残るような特別な人たち。
「母上…抱きしめていい?」
「いいわよ」
ギュッと小さな背中を抱いて、リーントスもまた小さな腕で私を抱いた。
柔らかいモチモチの肌が、あどけなくて可愛い。
頭に生える、クマの耳がピコピコと反応するのも、胸が悶えるほどに、全てが可愛いと思えてならない。
きっとアルが小さければ、こんな感じでいっぱい甘えて来るのだろうか。
と、隣の部屋から泣いている声が聞こえた。
「ルクンが泣いてる……僕が…見てくるね」
弟の泣いた声にいち早く気づいて、リーントスは足早に部屋を出ていった。その背中はまだまだ小さいのに、すっかりお兄さんのような逞しさを身に着けようとする姿だった。
「早いわね、子供が成長するのも。私もどんどん、これからこの髪も白くなって、シワがたくさん増えるのね」
「リル……きっと年老いても………君は可愛いままだよ」
「え、ひゃっ!」
アルが意地悪く首筋を舐めてきた。ビックリしちゃって、思わず彼の腕を必死に掴んでしまう。
「身重なのよ!ちょっと、手加減してちょうだい」
「そうだなぁ……手加減はしてるんだが…」
「もう、これで勘弁して」
彼の手を取り、指を絡め合うように繋いだ。ゴツゴツとした大きな手は、鍛錬を積み重ねる彼の手だ。
何度も私を守ってくれた盾のような手。
甘えさせてくれる彼は、私にとって特別な存在だ。
「リーントスもルクンも、このお腹にいる子もみんな特別よ。でも、あなたは一番、私にとって特別で本当に大切な人なの。だから、そう不安にならないでほしいわ」
「っ!……リル………それを言われたら…我慢できない…」
アルが頬を擦り寄せて、心地よさそうに目を閉じた。彼の頭を撫でやると、クマの耳がピコピコ可愛らしく跳ねる。
「あなたのそういうところ、リーントスに遺伝したわね。ふふふ、本当に似てるわ」
「優しさは…リルに似た………リーントスは…いい兄になる…」
呟きながら、彼は私のお腹を優しく撫でた。これから生まれてくる命へ、挨拶と感謝を呼びかけているようで。落ち着いた手付きは愛情に満ち溢れていた。
「あなたと私は、きっとあの子達よりも早く死ぬわ。それでも、死んで星になってしまっても、ずっと見守りたいわね。親として、あの子達の未来をずっとずっと見守っていたい」
生まれてくる命は、また誰かと愛し合って命を繋いでいく。
それこそ、一人一人が奇跡を起こして生まれてくるのだ。
「私もあなたも、誰かが命を繋いでくれたからこそ生まれてこれた。その人たちにとっても、私達は特別であり続けるし、きっと空から見守ってるのね」
「そうだな…俺の父上も母上も……それから…リルの両親も………俺たちを生んで…引き合わせてくれた。これから生まれる子も……きっと誰かと結ばれて………その人と子を成して…命を繋いでいくだろうなぁ…」
二人で、命が宿るお腹を撫でた。
あなたも特別な子。
私達の愛が詰まった子供なのだから。どうか、この世界で生まれたことを、少しでも喜ばしいことだと思ってほしい。
「アルみたいに、素敵な人と出会えるわよ。あなたも早く、外に出てきて沢山の人から愛されなさいな」
自然と口元が緩んでいると、彼が再び熱のこもった金色の目で私を見た。
「愛してる……君のこと…心の底から何よりも。でも少し…最近は寂しいなぁ………子どもたちに愛情がいくようで……俺への愛が減ってるような…」
クマの耳の先が下がり、眉根を下げる彼。
私から彼への愛情など全く減った覚えはないが、彼が不安ならこたえてあげよう。
彼の頬に手を寄せて、それから顔を寄せた。
軽く唇を重ねて、微笑む。
「尽きることなんてないのよ?あなたへの愛は、それはもう大きいんだからね」
「っリル……やっぱり…何度も好きになる…」
アルが私を丈夫な腕で抱き寄せた。彼の胸板は硬くも、優しくて落ち着いた。
彼と共にこれからも子供を育てたい。
老いてしまっても、彼と手をとって子どもたちの未来を見届けていきたい。
彼とずっとずっと、心の底から愛し合っていきたい。
何十年、何百年と。
この肉体が滅びようとも、愛という形で人々の中に語り継がれるだろうから。
子どもたちが残していく、私達の血が、奇跡のように受け継がれていくから。
「ずっと、あなたのことを好きでいるわ。だから覚悟しなさい、私と共に老いることを」
「もちろん……君とこの先も一緒なら…俺はすごく幸せだ」
健やかなるときも
病めるときも
喜びのときも
悲しみのときも
富めるときも
貧しいときも
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くす
素敵な結婚式のときの誓いの言葉を思い出して、彼の満月のような目を見つめ直した。
どうしようもないほどに胸が熱くて、溢れ出るものは愛だ。
「出会ってくれてありがとう、アルクトス」
切れ長なタレ目が、フッと細められて、互いの唇が重なった。
優しい優しい時間は当たり前のようでいて、あまりに多くの奇跡が重なって作られている。
苦難があろうとも、これから先、彼とともに手を取り合って生きていく。それが一番、後悔のない道だと心の底から思う。
「リル……ずっと一緒さ……」
耳元で響く低い声が、また胸を熱くする。
ありがとう。
私と出会ってくれたこと。
それから、母になって分かったことがあった。私がちゃんと、母様に愛されていたことだ。
「心配しなくていいのよ。あなたは、お母さんの私とお父さんのアルクトスが、心の底から愛するからね」
アルと私で、大きくなったお腹をもう一度、愛情深く優しく撫でやった。
伝わったのか、お腹からは足を蹴る振動が奏でられる。
それこそ、まるで奇跡のように。
pixivにて、挿絵を投稿しています。
↓pixivのイラストです
https://www.pixiv.net/artworks/106620785




