終天
私は世界を旅した。時には海を渡ることも。東の国のヤーパン、北はノルスール。様々な国を見てまわったあと、再び人間の国ヒューテルに戻ると、劇団の資金が募っていった。
「全てはエンリルのおかげだよ。エースに乾杯!!」
同僚が酒の入ったコップを突き上げた。
宿屋は貸し切り状態だ。
一杯の乾杯からガヤガヤと楽しい会話を弾ませ始めた団員たち。
ジョッキを手にして眺めていた。
彼らとも、今日でお別れだ。なぜなら、彼と約束した日からちょうど今日でニ年経つから。
長いようで短くて。女が旅をするのは大変だったけど、楽しいこともたくさんあった。
「エンリル、来い」
浸っている私を呼んだのは、経営者のフリードだ。ぽっこりしたお腹に、頭はツルツルしている、うちのマスコットキャラクターのようなおじさんだ。
私は経営長のフリードの元へ行った。
「君は小さかったのに、いつの間にこんな立派なエースになって…」
「ありがとうございます。育ててくれたこの劇団があってこそだと思います」
劇団員にいじめられようとも、この経営長がかばってくれたことが大きかった。
おかげで二つの国を無事に回れ終えれたのだから。
フリードはニヤニヤと含みのある表情を浮かべた。
「そうだよな」
急に私の手首は力いっぱいに握られ、奥の部屋に連れて行かれた。
「離してください!」
「君は女性としても大変魅力的に育った。グヘヘ。私はこれを、これこそ待ち望んでいたんだ」
経営長は私の成長を温かく親代わりとして見ていてくれていたのだと思っていたのに。
そのブクブクと張った手が私の衣服を引き裂く。胸が露わになり、私は怖くなってかがみ込んだ。
「さて…楽しみはこれからだ」
「どうしてですか。信頼できる人だと、信じていたのに」
裏切られた気持ちと、これからされることに怖さを覚えた。
足が震え、心臓がドクドクと全身を駆け巡り、手先から冷やした。
部屋の扉に鍵を閉めようと、フリードが扉へと行った。
部屋の鍵を閉められたら、もう私は純粋でなくなってしまう。
それだけは嫌だ。
約束した日になって、彼と会えるというのに。不純粋な身体では合わせる顔がない。
「助けて」
祈りが声に出たその時、ゴッという鈍い音が聞こえたかと思うと、違う足音がしてきた。
その人は私の背中に上着をかけてくれた。
「…リル……怪我してないか…?」
低く穏やかでゆっくりとした口調だった。頭を上げると、アルクトスがかがみ込んで私の顔を覗いていた。
優しい金色の瞳が私を包んだ。先程の怖い気持ちが緩んで、涙腺も緩んでしまう。泣き止もうとも泣きやることができなかった。私はアルクトスの胸の中に抱きついてそのまま顔を埋めた。
「あいつに……何かされたのか…?どこだ……見せてみろ…」
「ちがうっ、ちがうの。怖かったっ」
私が泣き叫ぶものだから、アルクトスは背中を大事に撫でてくれた。包み込んでくれるような手は逞しく大きくなっていて、懐かしかった。
「なんでっここにいるの」
「約束……したろ…」
忘れたのか?と聞くから、私は頭を横にふった。
約束はずっと覚えていた。
彼が迎えに来たときに、自信を持てるようにとずっとずっと頑張ってきた。世界一の旅芸人になれるようにと。
「私…頑張ったのよ。あなたの隣にいれる資格が欲しくて」
「知っているよ……“太陽の歌姫”」
それは私の異名だ。
演技者として一番になれるよう、踊り子の勉強も、歌手としての勉強も、様々な国の慣習と作法も身につけた。身につけた上で女優となった。その過程で、私が人々に呼ばれるようになった異名が彼にも届いていたのだ。
「誰も知らない……美しい歌言葉………君がデビューしたときも……そうだった…」
「覚えててくれたのね、ありがとう」
涙を止めて、私は微笑みかけた。アルクトスの顔はどんどん赤くなっていく。
「太陽の笑顔……リル…その笑顔を…もっと側でずっと……見させてくれないか」
それは告白の言葉だった。
「もちろんよ。私をあなたの隣にいさせて」
差し伸べられた手に、今度こそと強く握った。
私は劇団の仲間に引退を告げた後に、そのまま逃げるようにアルクトスと共に馬に乗った。宿屋で休憩をはさみながら、何日か馬で走ったあと、アルクトスの屋敷についた。
「アルクトス心配したぞ!」
アルクトスの父親らしき人が、すごい勢いで玄関の扉を開けた。
「父上……番を…迎えに…行ってました…」
「番だと!?」
驚いたお父上の後ろからは、母親らしい人も走ってきた。
「まあ!あなたがアルクトスの番なのね。昔から気になっていたのだけれど、こんなに美しい娘だなんて」
その人は私にいきなり抱きついてきて、頭をよしよししてくれた。私よりも大きな胸で、息ができなくなりそうだった。
「母上……リルが…苦しそうです……」
「ごめんなさいね、つい」
「まあ、なんだ。早く入りなさい。夕食の準備ができているから」
当主の一言で、みんな揃って中に上がり込んだ。食事の部屋に入れさせてもらった。
アルクトスには弟がいるらしくその子を待っていると、人が入ってきた。弟にしては随分背が高いから、違う人だろうけど。ここの使用人でもなさそうだった。その人には頭の上に四つの耳が生えていた。
「リル!リルじゃないか!!」
その人は私を見て、瞳孔を大きく開いたあと、私を抱きしめてきた。
苦しくなるまでギュッとされるのが、今日はやけに多い。
「会いたかったぞ!久しいの!百年ぶりか?」
その人は本当に嬉しそうに抱きついてくるから、人違いだと言い出せなくなる。
戸惑っていると、隣のアルクトスがその人に向かって睨みをきかせてくれた。
「アルクトス、睨みつけるでない!我がせっかくお主らとの約束を全うしてあげておったのに」
「ご、ごめんなさい。えっと…狼さん?」
「そうじゃ。我のことを狼さんと呼ぶのはお主だけじゃ。この世の理が主らが生まれ変わることを許したというのに!」
生まれ変わり?
なんだか、心の中がもやもやし始めてきた。
この世の理……狼さん……アルクトスにただならぬ懐かしさを覚えていること…。
「まあまあ、リュコス様も早く食事にいたしましょう」
アルクトスのお母上が促して、狼さんは私の隣に座った。両隣で睨みを効かせているものだから、真ん中の私が居づらい。
弟さんが来た。彼は私達の向かい側にいる奥様の隣に座った。
その子もまた可愛らしい茶色の髪に、栗色の瞳を持っていた。
食事が終わると早々に、大人同士の両隣がいがみ合っていた。
「リルは……お前ごときには…渡さん」
「なんじゃと?お主のように、前の記憶も思い出せんやつに、リルは渡さんぞ」
ため息をついていたら、席を立った弟さんが私と狼さんのイスに割り込んできた。まだ十歳くらいの子供は私の膝の上に手をのせて見上げてきた。
「あなたが、兄上の番?」
可愛らしくて、昔のアルクトスの面影があった。
「アルクトスに似ているのね。そうよ、私はエンリル。あなたのお名前は?」
「リュートス。お姉ちゃんが番かぁ…僕もお姉ちゃんがほしい」
その発言で、両隣のアルクトスと狼さんがハッとして、今度は弟さんの顔を見た。幼い子に対して何をしようというのか。
「リュー……リルは…俺の…ものだから…」
「ものとは何じゃ!リルはものじゃないじゃろ!」
「二人とも落ち着いて。可愛い子が泣いちゃうわ」
止めにかかるとようやく落ち着いたような素振りを見せた。
と、狼さんは何かを思い出したようで私の額にその親指をつけた。
「本当に何も覚えとらんのじゃな。これでは我が不憫でならん。この世の理が主らのことを許したんじゃし、我の力をほんの一部だけ使っても反すまい」
狼さんの指から力が流れ込んでくきた。
温かい、幸福の感覚。
それは…記憶…思い出……
『アルクトス……愛してる』
記憶の中の自分が言った。
その相手もまた、低くゆっくりとした声で、私に言った。
『俺も……リルが……大好きだ…』
その人はすごくすごく優しい顔をしていた。
まるで今、隣りにいるアルクトスのように。
『アル……生まれ変わったら……また………会ってくれる?』
ぼんやりとして、もう、ほとんど見えない。でも、そのとき隣りにいた人のことは鮮明に映っていた。
『もちろん……リルと……一緒に………ずっと…いたい…』
そう言ってくれたのが嬉しかった。嬉しくって、私はそのまま穏やかに…。
涙が出てきた。これは私の、魂の記憶。東の国ヤーパンに行ったとき、輪廻転生と言う言葉があった。
生まれ変わって、私達はまた出会えたんだ。
「リル…?……お前…何をした」
「めんどくさいやつじゃの、いちいち我がしたことに口を出すんじゃないわ」
狼さんはアルクトスの額にも親指をグリグリ押し当てた。
『俺が…守るから………結婚してほしい……』
記憶の中の自分は、その人に向かって言った。その人は明るい声で俺に言った。
『ええ、もちろん。私もあなたのこと、ずっとずっと好きよ。私だってあなたを守るわ!』
眼の前の人は太陽のように笑っていた。今、隣にいるリルのようだ。
外の生き物の鳴き声さえ聞き取れなくなった耳。でも、隣りにいた人の声はよく聞こえる。
『アル……生まれ変わったら……また………会ってくれる?』
声はもうすでに弱々しいというのに。よく胸に響いては、愛おしいと思う。こんなにも、俺のことを思ってくれる。何度でも、君と一緒にいたいと思えた。
『もちろん……リルと……一緒に………ずっと…いたい…』
何度だって言いたかった。何度も何度も彼女が言ったことを心のなかで復唱した。幸せだ。ありがとう…君のおかげで……
アルクトスも涙を流していた。二人で涙を流しているのを見やると、互いの顔を見て笑った。
「アル。また私を愛してくれるの?」
「もちろん……リルも」
「当たり前じゃないの!」
二人は涙を拭い合うと、抱きあった。
「今世だけじゃぞ。来世からは自分で思い出すんじゃ」
後ろから言う狼。私は、狼も巻き込んで抱きしめた。
「あなたのことも覚えてるよ、狼さん。ありがとう、約束を守ってくれて」
「っく………ええい!泣かせるでない!」
狼まで涙を流した。リュースくんも入りたそうだったので、私はリュースくんも抱きしめた。
それから、数カ月後に私たちが正式に番として認められると、すぐに結婚式を上げた。
国中が英雄と魔力持ちの再来のようだと祝福してくれた。城下町で一番大きな教会での式だ。
神父が言葉を紡いだ。
「永遠の愛を誓いますか」
神父の言葉に、私とアルは二人で答えた。
「「はい、誓います」」
重なり合う声は、前世で誓うと既に約束してくれたものをさらに強めた。
誓いの言葉を上げたあと、互いに指輪を交換して、アルが私のヴェールを取った。
「好きだ…愛してる……」
その言葉が胸を掻き乱すほどに嬉しくって。私は彼に飛びついて口づけをした。
「もし、前世という記憶がなくても、何度だってあなたと一緒にいたいわ」
「リル…俺だって……リルと…何度生まれ変わっても……共にいたい…」
神様、私は幸せです。
新しい歌言葉が私の頭に響く。思わずその式場を退場するとき、私は歌い始めた。
その音色はまるで教会の天井にピッタリとくっついて響くことをやめなかった。私がアルクトスの手を引いた。彼もまた、男性パートを知っているようで、私に合わせてくれた。
願いは強く強く、その地に響いていく。
人々を超えて天まで貫く歌声の響きは、神をも魅了する力を確かに備えていた。
こうしてやつらは、何回も何回も生まれ変わっては、結ばれおった。
何度も何度も互いを強く結ぶものだから、理が星になることを許した。星は二つで対となり、一つの星を成す。
「あれが、リルエヴェーネ、隣にピッタリくっついてるのがアルマンドライトっていう星なのよ」
「すごい!お母さん、ものしり!」
母が子にものを教え、子はキラキラした目で星を眺めた。
真っ暗な夜空に、赤い星と金色の星があった。
「この国に伝わる実話と言われる物語は有名よ。リルが女神、アルが男神になる前の話。彼らは人間と獣人だったのよ」
「私と母さんと同じ人間で、父さんと同じ獣人?」
「そうよ。何度も愛し合って、何度も結ばれた。彼らは永遠の愛を互いに求め続け、実現させた。その強い願いが、思いが、この世界の神様を認めさせて、彼らを星にしたのよ」
母娘揃って天を見る。
闇夜に浮かぶ赤く光る星のすぐ隣には、寄り添うように輝く金色の星。
この親子も、初めて子供に教える星座はあの二つなのだ。
リルエヴェーネと、アルマンドライト。
それは神から与えられた、あやつらの星名。
「はあ…にしても、遅いの…」
「ごめんね狼さん。つい待たせちゃったわ」
下着の店から赤髪の女性が出てくる。
「早くアルクトスに見せてあげたいわ」
「はあ……何百年と生きてるというのに、よく飽きないの」
二人は星になってから何百年と時を経ているのに、赤髪の女性は勝負下着を買うことは欠かさなかった。
「飽きるわけないわ。あの人には、自分が一番良く見えるようにしないと」
顔を赤くする彼女は、初々しい恋をしている乙女のように見えた。
「それに狼さんだって、私達を見守るって強く願って未だにいてくれるじゃないの」
「そうじゃったな…忘れておったわ」
「嘘!!狼さん、そんなこと言うなんて」
涙をホロホロ流し始めたものだから、ずっと変わらんなと思いながら、狼は頭を撫でた。
赤髪は細い絹のようにサラサラしている。今は一時的にだが、森でひっそり暮らしているというのに美しさはずっと星と同じだ。
「リル!…お前……離れろ」
懐かしみ愛おしむムードを壊したのは、金の瞳を持つ獣人だった。
我の腕に、爪が食い込むくらいの強さで掴みかかってきた。
「な!そろそろ触ることを満足するまでさせてくれぬのか!」
「むりだ……お前には…触らせん」
こいつも、嫌なところは何百年と変わらんの。
ムカつく。
リルはお主のような執着の強いやつのところに行かせてはならんかった。
後悔しても遅いが、親代わりの自分としては、娘同然のリルを取り返さねば。
「あ、二人共見て!私と、アルの星が見えるわ!」
星になったこやつらは、好きなときに地上に降りたり、星に帰ることもできる。
その星が、輝く姿を見せるときに。
「まだ帰りたくないわアル。もう少し、船に乗って旅しましょう?」
「わかった………だか……お金が…」
「大丈夫よ。なんせ、私はずっとまえに人気女優だったのよ?旅芸人としてどこかの街の広場で歌って踊ればいいわ」
「そうだな……俺も…暴走中の魔物を……この剣で狩ろう…」
「お主ら、金稼ぎが雑すぎやしないか」
貰えたとしても、それではチマチマとしか稼げんであろう。もっと、魔力持ちの力や、獣化の力を使えば良いというのに。
ま、力をむやみに使わないことも神に認められた理由なのかもしれんな。
「狼さんも、楽器を弾いて手伝ってくれる?」
「あー久しぶりじゃから、どうなるか知らんぞ」
空には三日月。何十年かに一度しか見られない貴重な星を見るために、今日の日は外に出る人が多い。
赤髪は金の瞳を持つ者の手を引いた。その後ろを狼がついていく。何度も国は栄えては、消えていき、新たに国が出来上がる。悲しいことではあるが、新たな芽に期待を込めて二人の対は駆け出した。
「アル!大好き!」
赤髪の女性は振り返って、太陽のような笑みを浮かべた。
「俺も……リルが好きだ」
金の瞳を持つ男は穏やかな目を向け、丸い耳を動かした。
二人のいつもの甘い雰囲気に負けじと、狼も叫んだ。
「わ、我だって認めたくないが、お主らが好きじゃ!」




