来世
最強と謳われた英雄と、その赤い魔力持ちの詩は劇で使われるほどに有名な話となっていた頃。彼らが死んで丁度百年のときが過ぎた。
ある旅芸人に一人の赤子が生まれた。
「エンリル。あなたの名前は、エンリルよ。私の好きな物語の主人公の名前」
エンリルと名付けられた赤ん坊は笑う。その子はすくすくと育ち、赤髪と赤い目を持っていた。
母は獣人の国にある実話をもとにして作られた物語が好きだ。よく私に話してくれた。
「リルは、私の想像する主人公によく似ているわ。いつか、劇をするときには、主人公の役をしてほしいわね」
母が言う。母もまた、私と同じ赤い髪を持っていた。
その物語を語るのと同時に、母は歌を歌ってくれた。この世の言葉でない歌だった。なのに私は母が歌ったのを耳にして、初めてだというのに一緒に歌えてしまった。
「あなたは本当に、誰かの生まれ変わりみたいね」
母がよくそういった。もしかしたらそうかもしれない。
生を受けたときから何となく自分の居場所がないことを自覚していた。ここではない、母が隣にいるというのに、自分の巣はここではないという気がしていた。
なにか大切なことを約束した。
この世で一番大切な誰かと、とても大事な契を結んだ気がしてならなかった。
あるとき、母は偉い人に呼ばれて、獣人の国に行くことになった。
どうやら、獣王国シリーナの中で名門であるミコラーシュの家のものに呼ばれたらしい。
母たちは城下町にある劇場に赴いた。
劇は有名な獣人の英雄と赤髪の魔力持ちの物語。
その劇は母と私が一番に好きなもので、互いに深い愛で結ばれる劇だ。
会場のステージの上で演劇を見せる母の姿を見たいと思い、私は邪魔にならないようにひっそりと観客席の通路に立っていた。
「…君……迷子か?」
不意に話しかけてくるのは、私より二歳ぐらい年上の男の子だった。
「違うわ。私、あの人の娘なの」
指をさした。
母が赤髪の魔力持ちの演技をしているところだった。
誰にも分からない言語で歌う歌は美しい旋律と余韻を残し、観客の心を握った。スポットライトに赤い髪照らされ、母の楽しそうな表情が鮮明に浮かんでいた。
「すごいでしょう。私のお母さんは、すごい綺麗なんだ〜」
ステージで笑顔を向ける母につられて、私も笑った。
「君だって……将来はとても…綺麗になる…」
男の子は少し照れたような声を出しながら、私を褒めた。嬉しくなってもっと笑って、私は男の子の手を引いた。
「一緒に外に行こ!」
外は夜で、町の人々が店を閉めて家に帰る頃だ。劇場からすぐ出てのところには木箱が積み重なっている。
私達はそれに並んで座った。
「あなた、獣人だったのね」
「うん…」
よく見れば、頭の上には丸い耳。
「……獣人は嫌い?」
「嫌いじゃなくて、好きだよ。でも、その耳が気になって」
触ってみたくなるけど、触るなと母に言われたことがあった。獣人にとっては、耳や尾を触らせることはとても大切なことらしいから。
耳の方を見ていると、男の子は平らかに微笑んだ。
「耳……触る?」
「うん!」
早速耳を触ると、手の中でピコピコと動いて柔らかかった。
「わ〜!」
「……満足…した?」
この感触、手触りが初めてだというのに懐かしくて。
生まれたときから心に空いていた隙間が、全て埋まってしまうくらいに満ち足りた。
「触らせてくれてありがとう」
無邪気に笑いかけると、男の子は顔を真っ赤にした。
「ふふっ。耳、いっぱい動いてる」
顔を赤くして、忙しなく動く獣耳。
なんだか可愛くて、愛おしい気持ちになった。
私の頬は柔らかく持ち上がり、目には穏やかな熱がこもった。
暫くの間そうやって、彼の顔を見ていると、彼の方から言ってきた。
「君……名前は……?」
「そうね。あててみて!」
男の子は少し悩んだあと、呟く。
「……リル」
「すごい!なんでわかったの!?」
男の子が私とおなじように問い返す。
今度は私が当てる番だ。
「うーん」
考えていると、ふと名前が思い浮かぶ。
何度も呼んだことのない名前であったし、そこまで人気のある名前でもない。けれど、頭には深く刻まれている名。
「アル」
それは魂の片割れのような存在の名前。
自身から発せられる音が、ひどく愛おしく懐かしかった。
男の子の方もまた驚いたようにこちらを見た後、私に熱のこもった瞳を向けた。
「そう……僕の名前……アルクトス」
二人は互いに顔を見合わせた。
美しい。
太陽のように明るくて、月のように穏やかで落ち着く金の瞳に一瞬で虜になった。
こうして顔を見合わせると、溶け合うほどの懐かしい気持ちになった。それは彼も同じようで、私の目から目を離さないでいた。
初めて会ったのに距離を近くに感じて、でもまだ互いを恋しがるほどに遠かった。
まだ大事なものを思い出せていないのは、お互いに同じようだ。理解が深まるたびに再び心の隙間が広がった。
と、劇場から人が出てきた。演劇は終わったらしい。私は急いで片付けをしなければならない。
「じゃあ、またね」
「待って……」
アルクトスは首にかけていたペンダントを私にくれた。
大きな琥珀のペンダントは、彼の瞳のように金色をしていた。
「また……必ず君を………迎えに来る…」
子供ながらの愛の告白だった。
その意をちゃんと汲み取って、強く頷いた。
「うん、絶対ね。約束だから」
指切りげんまんをすると、私は急いで劇場に入っていった。
「アルクトス探したぞ。屋敷に帰ろう」
男の子は父に呼ばれて、手を握った。
「今日……番に会いました…」
「まあ!番に!?それは早く呼び止めなきゃいけないわ」
母親には喜びとともに、焦りが見え始めた。
「母上…あの子には……また…絶対に……会える…だから………その時まで…」
母は納得して、息子の頭を撫でた。
「なら、獣化の能力も使いこなせるようになって、強くなったら番を迎えましょうね」
「はい!」
十四歳になると、私も劇団員の一人として劇にデビューすることになった。
披露するところは、貴族学園の卒業パーティーだ。あそこは獣人と人間が盛んに交流できるようにと新設された画期的な学校で有名だ。
そんなところに呼ばれるなんて。緊張するけど頑張るしかない。
会場の暗幕が上がる。スポットライトの光が私を照らした。
「私は赤い魔力持ち。金の眼をもつ愛おしい人よ、私の力を惜しみなく使ってあなたを守るわ」
それは母の得意な物語の劇だった。
それを終えると、しばらく休んでいて良いとのことで、せっかくだから学園の温室に行ってみた。
花がたくさん植えられており、私は今まで眺めていた植物図鑑を頼りにひとつひとつ見ていく。
「君は……迷子か?」
懐かしい声。
私は、思わず首元のペンダントを握ってその人を見た。
焦げ茶色の髪が月明かりに照らされて金色のように輝いた。
「…アルクトス?」
ずっと魂に刻まれていた名を言うと、彼もまた私の名前を呼んだ。
「エンリル…」
呼ばれただけで、私の胸が今までになく締め付けられた。
あなたにこうして呼ばれるだけで、どうしてここまで苦しく恋しくなるのか。
理解できない感情を制御して、繕いの笑みを浮かべた。
「奇遇ね。こんなところであなたと会えるなんて」
小さい頃に一度あったきりなのに、互いに深く名前を覚えていたこと。優しい顔だって、何度も鮮明に夢に出てきた。
もっともそれは私に限ったことであるのかもしれない。彼は忘れたかもしれないが、私はあのときのことを忘れたことはなかった。あの日見た男の子の赤い顔と、忙しなく動く耳、そして美しい金色の双眼。
「ふふっ。あのときと変わってないのね」
顔を赤くして、耳をピコピコと動かしながら、アルクトスは私に歩み寄った。
「俺と……共に…いてくれないか」
「それって、旅芸人をやめてくれたら、居場所を与えてくれるということかしら」
大きく頷いた彼に、私は戸惑った。
旅をしているのは、身寄りがないためでもある。
母が、身分の高い父との間に私を産んだ。旅芸人なんて低い身分だから、そのまま屋敷を追い出されてしまい、母は私を連れて転々と足を運んだ。
私が物心付き始める前に住まう場所はないかと、定住できるところを探したが一向に決まらなかったらしい。
母は旅芸人として病死してしまった。
住まう場所が決まらなかったのは、この赤髪と赤い目のせいだった。
珍しい色は人間の国では目立ってしまい、人売りに攫われてしまう。それに加え、血の色だと忌み嫌われる色であったためだ。
結局、万物が集まる旅芸人としてしか職がなかった。しかし、劇団員の中には悪く言う人もいて、私にはいつも居場所がなかった。
だからこそ、それを与えてやると言うアルクトスに動揺してしまう。
「あなたの側にいると、すごく安心する自分がいるの。まるで居場所を探した鳥が自分の生まれた古巣を見つけたような…そんな気持ち」
だからこそ、怖かった。
母のように惨めに捨てられ、また居場所を求めて探し歩きそうで。
「リル…」
真剣な金の目が、私を射抜いた。
「絶対に……幸せにする…。エンリルに……揺るぐことのない……永遠の居場所を与えるから……」
その言葉は私の心にストンと落ちていく。
こうして手を差し伸べられたことが、昔にもあった気がした。
でも、私はまだその手を取れる自信がなかった。
「二年頂戴。まだ、劇団の一人としてデビューしたてなの。だから、ニ年だけは満喫させて」
その間に彼の隣にいれる資格を築き上げたかった。でも、何より彼の優しい思いが変わることのほうが怖かった。
「あなたの気も…その間に変わるかもしれないでしょう?」
母のように、愛した者から手を離されることが、怖かった。
裏切られたことにより、若くして私という荷物を抱えながら働かなければならない母を見ていたから。
「それはないよ…リル」
不安な私に再び輝くような夢を握らせてくる彼。
「君は…俺の番だから…」
「それって」
番というのは獣人の伴侶。
一生を添い遂げるもの。
それは劇でやる物語によく出てくる言葉だった。
私の顔に熱が上った。
「リル……俺は…アルクトス・ミコラーシュ」
さらに驚くことに、彼の口からミコラーシュという名前が出てきた。それは、獣人の国で百年以上栄えている名門の家柄だった。
「忘れるな…リル…二年だけだな…………二年経ったら…迎えに行く…」
アルクトスは笑った。陽だまりのような笑顔が可愛くて。それがすごく、私の胸をきゅっと結ばせた。




