約束
それから数カ月後。
私は屋敷で帳簿をつけていた。
アルが仕事から帰る頃に、びっくりさせてやるんだから。
意気込んで資料をめくっては、手早く書き写した。使用人に心配されたがお構いなしだ。
「先月の収穫量も良いわね」
全てつけ終えた。
今日のアルの屋敷での仕事はこれで片付けられたことになる。
「ふう。頑張ったわね、私」
体に良いと言われる東洋の茶を出されて、それを口にした。
「んっ」
急にお腹が痛くなってきた。
それは、腹痛の痛みとほんの少し違ってツーンとしたもの。
「奥様!」
メイドと執事が駆け寄ってきた。
「これは…大変だ!陣痛が始まってらっしゃる!」
駆けつけた執事長が、私の様子から理解したらしい。苦しくて、私はベッドに寝かされた。クッションで傾斜をつけたベッドだ。何度も波が来ては、沈んでいった。
「リル!」
一番強く痛むとき、アルクトスが駆けつけてくれた。仕事着から清潔な服に着替えており、私の手をすぐに握った。
「頑張れ!……リル!」
アルの言葉で私は励まされながら、力を入れた。
部屋中に大きな産声が聞こえた。
「奥様!元気な男の子ですよ!」
赤子をメイドさんから受け取った。真っ赤な顔をして、頭の上には丸い耳。おしりの方には丸い短い尻尾が生えていた。
「アルに、似てるのね」
赤ん坊の頬を触るとプニプニと柔らかい。
「ありがとうリル……頑張ってくれて…」
頭を撫でてくれた。今度はアルが赤子を抱き上げた。
「リーントス……」
それは、私達二人がずっと決めていた子供の名前だった。愛おしいように、アルが子供を見たあと、私の方に体を寄せてくれた。
「リルにも……笑う顔が…似てる…」
本当にこの人は…。嬉しいことをいつも言ってくれる。
私はアルクトスとともに、しばらく眠る赤子を見守っていた。
それから、何年も何年も。アルクトスは変わらずに私を愛し続けてくれた。六人目も無事に成人して、お嫁をもらう頃には、私達は隠居生活を始めた。別荘を建て、少数の使用人と共に。
季節は幾度となく移り、私達はもう、歩くことも困難なくらいに立派なお婆さんとお爺さんになった。ひ孫が遊びに来ている今日は、屋敷がすごく賑やかだ。
「ひぃばあちゃん!あそぼ!」
ひ孫は椅子に腰掛ける私の方に駆け寄る。隣で座るアルは、私の手を握ったままその子を撫でた。
「あら……元気な子ね………アルに………似てるのね…」
「リルにも………目元が……よく…似てるよ……」
アルがしわしわの私の手を握る。
「ひ孫さんや、リルとアルクトスは眠いんじゃ。そっとしておけ」
私もひ孫を撫でていると、狼さんの声がする。
「狼さん…………私らが死んでも……この子らを…見守っておくれ…」
「そうだ……悔しいが……お前にしか…頼めん……」
「はぁ、仕方のないやつらじゃの。我が見守っておいてやる」
狼さんの気配がなくなった。
今部屋にいるのは私とアルだけ。
もう力も弱ったアルの手を、シワだらけの手で握り返した。
「アル……生まれ変わったら……また………会ってくれる?」
「もちろん……リルと……一緒に………ずっと…いたい…」
夢のように思い出が流れてきた。
幸せな明るい、熟した木の実のような記憶だ。
初めて会った日のこと、はちみつ色を含んだ金の瞳に恋をした。
婚約破棄をされて絶望の淵にいた私を救ったのは、さらに素敵になったアルだった。
何度も苦しいものから守ってくれたアルに、どんどん互いに惹かれてますます想いが育まれた。
もう今はあなたの体温を感じて、隣にいることしかできない。
あなたももう年で、強靭な肉体では無くなってしまった。
けれど若い頃よりも、その刻まれたシワの一つ一つに愛おしさが込み上げてくるの。
幸せだ。
アルに愛されて、今世は本当に輝いていた。
絶望に立たされていても、愛してくれている人は必ずどこかにいる。
自分が死んだら悲しいと泣き、自分が傷付かぬように前に立って守り、歩むのが遅い自分をずっと待ってくれる。
王妃教育に追われて多忙だった頃、そういう特別な存在などいないと思っていた。
私は誰かを愛することはあっても、愛されることはないのだと。
けれど、愛は特別じゃない。必ず側に、自分を思ってくれる人がいるということに気づかせてくれたのは、紛れもないアルだ。
ありがとう。
ただただ感謝しかない。
でもきっと、これは終わりじゃない。
永遠の愛を誓い合った私たちはいつかきっと生まれ変わって、また強く惹かれ合う。
今世が最初のスタート地点な気がして。
隣にアルがいるからか、不思議と死ぬのは怖くなかった。
次の再スタートだ。
昔ほど鮮明には見えないが、彼の色あせぬ金の瞳を横目で見た。
太陽のような輝きを持ち、月のように穏やかな瞳はそろそろ閉じられる。
私も随分と眠たい。
次に目を開けたら、握り合う手から分かち合う体温が側になくて慌てるだろうけど。
きっとまた会えると思えてならなかった。
愛してるわ、アル。
この愛は永遠のもの。
神様、私たちを来世でもそのまた来世でも、引き合わせてください。
何度でも、彼と結ばれたい。
生まれ変わるまで、ほんの少しのさようならを。
弱まる感覚。抜けていくような、浮遊感。
二人は頭をこつんと合わせてそのまま長い眠りについた。
部屋の外にいた狼は涙を流していた。
「ホント、人間とは守れぬような約束もする不思議な生き物じゃ。我が予言したとおりに、六人も子を産んで、それぞれ立派に育ちおって…」
魔力持ちと獣化の獣人の間に生まれた子供は、魔力が段違いに多かった。アルクトスの遺伝子が強いおかげで、子供の六人は獣人だったが、それぞれ獣化の力を発現している。
「お主ら、永遠の愛などこの世には」
と、狼はハッとした。無意識に予言の力を使っていたのだ。
ずっとずっと後の時代に彼らは、再び添い遂げる。
笑い合い、指を絡め合う彼らの後ろ姿が頭に流れてきたのだ。
その顔は、魂は、彼らの若い時と全く変わらない。
「そうか……お主らはこの世の理に認めさせたのじゃな」
狼は笑った。
理さえも負かしたものは、人が当たり前のように持っている愛の力だった。
育んでしまえば、神をも負かす力を秘めているのだ。
外は雲一つない青い空が続き、青い草原の上を春の風が凪いでいく。
この先、いくらだって雨が降ろうと、嵐が襲おうとも、彼らは互いを見つけあい苦難を乗り越えれる力を持っている。
「頑張るのじゃぞ。長生きな我が待っておいてやるからの」
不意に狼は自分の手を引く力に驚いた。
「ねえ、遊ぼ!」
そうねだる娘は、赤茶色の髪に金の瞳を持っていた。
丸い耳はピコピコ楽しそうに動いて、まるで太陽のように笑っていた。
白い歯を見せ、口角を上げて細めた目は、最強の獣人の番でこの子供の曾祖母にあたるエンリル・ミコラーシュを思わせる。
狼は子供の頭を撫でた。
「えへへ」
ピコピコと撫でるたびに忙しなく動く耳は、魔物の襲撃を幾度となく防いだ赤い魔力持ちの番でこの子供の曾祖父にあたるアルクトス•ミコラーシュからの遺伝だ。
「ひいおばあちゃんとひいおじいちゃんは?」
「新しい始まりに向けて、少し長い眠りについたのじゃ。大丈夫。お主は我が守る」
子供はキョトンと首を傾げた後、狼の手を強く引いた。引っ張っていく方向は、日の光の溢れる外へ続く扉だ。
一瞬、その光が赤い光と金色の光を含んだ気がした。
「あ、ひいおばあちゃんとひいおじいちゃん」
子供はさらに足を早めて外へと急いだ。
少し肩で息をするくらいに走ったら、見たこともないほどの立派な花々が外で咲いていた。
「きれい!ありがとう!」
そう言って、子供は空に向かって再び太陽のように微笑み、手を大きく振った。
純粋な子供には生と死の境がよくわからないから、きっと彼らが見えているのだろう。
エンリルとアルクトス。
人間と獣人との愛が実を結ぶことが珍しい中、相当に相性がよかった番。
雲一つない空を仰ぎ見れば、彼らが笑ったのか、狼の髪を風が撫でた。
かすかに、彼らの匂いが鼻をかすめた。
「花冠作ろ。わたし、お母さんから教えてもらったんだ。ねえ、聞いてる?ねえってば」
「わかったわかった。本当、いつの世も子はうるさくて……可愛いのう」
狼は子供の隣に座ると、赤色の花を手に取った。
隣には金色の花が咲き、その組み合わせは決してこの世には見れないものだった。
赤の花は春に芽吹き、金の花は冬のような寒いところで芽吹くというのに。
「お主、花言葉は知っておるか」
「はなことば?」
「そうじゃ。例えばこの赤と金の花言葉は同じ意味を持つ」
「んーわかんないや」
苦笑いして、狼は子供の頭を撫でた。
「この二輪の花言葉は、永遠の愛じゃ」




