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浴場

「王妃でしょ!これ絶対、王妃のせい!」


頭にニヤニヤする王妃の顔が鮮明に見えた。


「リル…それよりも……警戒心がなさすぎる…これだと……俺の敵に…簡単に…倒されてしまう…」


彼はそう言うと、せっかく泡だったタオルをその場において、今度は石鹸を手で泡立てた。何をするつもりなのか。


「少し……刺激が強いかもしれないが……」


アルが私の胸を触り始めた。ゴツゴツした熱い手が焼けるように、私の小さな胸をもみ始める。


「アルっっっ」


大きな手が、私の小さな胸を優しく包んで離れない。彼の体温が、気持ちがそこからよく伝わるような気がした。


「君は魅力的なんだ……もしこういうこと…俺じゃない他にされたら………どうするんだ?」


切なく目を細めて揉む手が止まったアル。悲しそうな表情にいたたまれなくなって、彼の手をとった。


「こんなこと、アルにしかさせないわ」


「だがリルは……屋敷から向け出す森の時…あの騎士に…」


彼が言うのは、あのフリーガーとの戦いの時だろう。

もう随分前のことのように感じるけれど、あの時たしかに自分の身をフリーガーに捧げようとした。


「あれは仕方ないわよ。あなたが助かるなら、私なんかの身は安いと思ったから」


アルが助かるのなら、私はなんだってするだろう。

己の身を売れというのなら売るし、服従しろというのなら従う。

それこそ代わりに死ねというのなら、代わりに死のうというくらいだ。


「私より、アルはずっと大切なのよ」


誰かを守るために鍛錬を重ねた手を、ねぎらうように包んだ。

そうして彼の金色の双眸と目を合わせれば、全てが通じ合う気がした。

わかっている、あなただって私があなたの命より大切なものだって思ってくれていること。

これほど私を一途に恋して、愛してくれたこと。


「知ってるのよ、あなたの思いも。何度も私を助けてくれたことからだって、よく分かるの。でも、私だってあなたがそのくらい大切なのよ、アル」


私を誰よりも一番に考えるあなたのこと、私はあなたよりももっとあなたのことを考えてる。


「それに、私が敵からこんなことされないよう、アルは助けるでしょう?」


彼が敵を気にしているのは、シリーナ国を狙う者達にはアルを狙うものが多いからだろう。

獣人で最強のアルは、他国からの刺客がとりわけ多い。彼の首が取られてしまうと、最強もいなくなって国の士気も下がり、力も弱くなるから。

最近は最強の彼を狙うより、人質として私を狙うほうが容易いからと必然的に私が襲われる確率のほうが高くなっていた。

実際、このことを彼は危惧しているのだ。


「もちろん助けるが…それでも……心配なんだ…」


どうしても不安は拭えないような面持ちだった。

彼の不安を取り除いてあげようと、今度は私が手にタオルを持って席を立った。


「今度は、私が洗うわよ」


耳をピンと上に釣り上げたアルは、渋々といった感じで私に背中を向けた。私はシャンプーをも半ば奪い取ると、手で泡立ててからからアルの頭を洗った。

獣耳の中に入らないように注意しながら焦げ茶色の髪を洗ってあげていたら、前の方が届かなかった。少し体を寄せ頭の前の方に手が届いたとき、私の胸が彼の大きな背中にあたった。


「リル……」


「わ、わかってる」


私は体を離した。


「胸が小さいっていいたいんでしょう?悪かったわね、母上は大きかったけど。エドワードの恋人も大きかったけど…王妃も。」


彼が不安に思う気持ちを切り替えようと思って洗っているのに、これでは私の不安が掻き立てられてしまう。

アルは本当に素敵な人で、私の女の敵は沢山いる。ボン・キュッ・ボンな美人とか、大人の色気を持つ人とか、それこそ魅力的な女性は周りにたくさんいた。

この国には武勇のある女性もいて、アルに憧れを抱いている獣人もいるのだ。横に並んで、彼女たちがアルと一緒に鍛錬したりすることも知っている。

ゲンナリしていると、アルが私の手を取った。


「胸のことは…気にして無い……と言ったら…少し…嘘になるが…」


「大きいのが好みなの!?なら、私、大きくしてくるわ!」


胸を削いで何か詰めて来ればいいだろう。

女の敵に取られないようにするには、血を流してでも自分の魅力を追求すればいい。


「違う……もう少し…聞いてくれ………」


「でも、大きいのがいいのでしょう。無理しなくていいのよ。私が大きくしてくればいいだけよ」


「だから違う……どうしてそう勘違いするんだ…リル」


「だって、本当に小さいの気にしてるんだよ」


胸に魅力がないのは、彼に夜の営みを育む一番の女性として見られないかもしれない恐れがあるから。

体を重ねることに関しても、私はとことん気にしてしまう。

アルにとっての一番は、全てこの私であってほしい。


「あなたの一番でありたいのに。この胸じゃ、あなたとの、その……いとなみだって…」


「はあ……」


彼は顔を覆って、大きくため息をついた。

呆れられてしまっただろうか。こんなに気にする私を面倒臭いと思っただろうか。


「ごめんなさい。しつこいわよね」


謝ると、彼はそのまま呟くように言った。


「……可愛すぎるだろ」


「え?」


「気にしているのは……君の胸が背中に当たって……少し…その…興奮したんだ…」


口元を手で抑えたアルは、泡の付いた獣耳をたたんで顔を赤らめて言った。


私の胸で、興奮した…?


「えっと、そのっ、ありがとう」


お互いに目を合わせられなくなってしまった。


彼が黙って手を離してくれたあと、髪を再び洗い始めた。

再び背を向けた彼に、頭の前側を洗おうと思うとやはり、胸が背中についてしまう

先程言われたことを意識しすぎて、私の鼓動が早まった。

それでも、彼の大きな背中に、私の小さな胸を押し付けて洗うしかなかった。

黙ったまま水で流してあげると、彼の髪が濡れて、いつもとは違った雰囲気になった。

いつもはフワフワと穏やかそうな雰囲気だが、濡れて重くなった髪になると勇ましさというか野性味が増した。


今度は背中も流そうと思い、タオルを泡立てた。


「傷がこんなにっ」


大きな背中を優しく洗うと、その生々しい傷の数が多いこと。私の大きく残った魔物の爪痕よりも、彼の今までの痛みのほうが心に堪えた。


「ただの跡だ……もう痛くない」


前側には私を助けてくれたときの、矢に射抜かれた傷跡があるはずだ。


「前も、前も洗う」


「……」


背中を洗い流した後、アルがこちらを向いてくれた。

大きな筋肉質な胸には、深手の矢の跡がはっきりと残っていた。

それ以外にできた傷跡も多く、私のために民のために働いてきた戦士の傷だと思わずにはいられなかった。


連れ出してくれたときに負った、弓矢のあとの傷…。その傷跡を手のひらで優しく覆った。少し、涙が出てきた。


「……泣くな…」


「泣いてないわ。泡が目に入ったのよ」


アルがこんなに身を尽くして私を、民を守っている。傷だらけの皮膚、筋肉質に仕上げた体は、全て誰かのため。


「あなただって、優しすぎるのよ。いつもいつも、誰かのために」


「そう泣くな……」


頭を撫でてくれるアルの手はいつものように優しくて温かかった。


「愛おしいリルに泣かれると………どうしようもない気持ちになる……」


「何よ。さっきはあれだけ私のこといじめたくせに」


「リルをいじめるのは……俺の特権…」


「じゃあ、私があなたにイジワルするのも、私の特権ね」


彼の頭の上にある獣耳に触れる。

いつもよりプニプニと強めに撫であげつつ、口を近づけて囁いた。


「アルはいつだって、私の一番よ。大好き」


彼は黙って顔をフイッとそむけた。耳はいつになく柔らかくなっていた。

恥ずかしそうに彼は立ち上がった。


「湯船に…つかろう……」


露天風呂は外気に合わせて熱くなっており、空には月が見えた。


「月が綺麗ね」


ストロベリームーン。

ほんわかに赤くなった月。

これほどに酔える月は、人間の国での多忙な日々の中では拝めなかっただろう。


「リルのほうが……よっぽど綺麗だ…王妃には…感謝しよう…」


隣にいるアルが言うから、今までの思い出を思い出した。


公爵邸から深手を負ってまで助けてくれたこと。


永遠の愛を誓ってくれたこと。


魔物の襲撃で彼を救おうとしたら、たくさん心配をかけたこと。


元婚約者が来たとき、味方でいてくれて私を思って怒ってくれたこと。


公爵に捕まった私を助けに来てくれたこと。


心の壊れた私に、諦めず辛抱強く声をかけて待ってくれたこと。


「あなたは何度も助けてくれたけど、どうしてここまでしてくれるのか、よくわかったわ。本当にどうかしてるぐらいに、私を愛してくれてるのね」


アルクトスが私の肩に手をやって引き寄せた。


「学園のとき……初めてあった日………あのときのこと…忘れたことが無い…」


「番を見つけたときって、どういう感じなの」


「心臓が……苦しくなる」


それって心臓病みたいなものなのかしら、と考えていたらアルが言葉を続けた。


「この人を…どうしても守りたくなる……どうしても手に入れたくなる…………絶対に離したくなくなる…」


「まるで呪いのようね」


「そうだ……一生の呪い………でも……幸福の呪い」


アルクトスはじっと私の顔を見た。

今度目をそらしたのは、私の方だった。


「リル…こっちを…」


アルクトスに言われて、溺れるような瞳を見た。


「赤い目…優しい心………誰をも信じるところ……嫉妬してくれるところ………君の全てが愛おしくなる…………年を取っても……互いの変化が楽しみだと…………それと……子を作りたくなる」


「明日」


私は誓う。


「明日、私はまた町に行くわ。民の子供を見てくるの。考えるから」


アルクトスは微笑んだ。浴場の明かりの証明でその顔がよくわかった。

そうかこの人は、まだ待っていてくれていることがあるんだ。

私が追いつけれるように、手を握りながら少し先で待ってくれているんだ。


「ありがとうって、あなたに何度でも言うわ。私を好きになってくれて、ありがとう」


その晩は大きな暁に見守られて、アルクトスと一緒に眠った。

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