酔態
「何がすごいって、あなたに対する執着よね。本当、ここまでの番って普通いると思う?」
確かに。なかなかいなさそう。私を迎えれるようにと、ただひたすら信じて鍛錬と勉学。あまりにも用意周到な粘着気質な気がした。
「子供を作るのを待つと言ってくれているのかもしれないけどね、アルクトスは準備してるのよ。あなたのためにも、自分のためにも。子供はかわいいわ。それはもう、夫よりも」
「そこまで、子供を可愛がれる自信がないのです」
王妃はまだ知らないのだ。アルクトスとどれだけ私が惹かれ合っているのか。もし子が生まれても、アルと同じくらい、もしくはそれ以上愛してあげられるだろうか。
「そもそも、私は母との思い出も本当に僅かなことしか覚えていないのですよ。子供というのに、どう接してあげたらいいのか…」
「それよ!あなたの母の思い出を少し振り返ってみて」
王妃が言うので振り返った。記憶の中の母はいつも笑いかけてくれた。きれいな赤髪で、赤茶色の瞳だった。
「私の頭をよく撫でてくれましたね…」
「いいわね。それから?」
「子守唄を…」
「まあ!どんな曲かしら?」
子守唄。母が歌ってくれたその歌は、怪我をしたアルのためにも、父にも歌ったもの。この世の言葉ではない歌言葉を使って。
「理解できない言語ですが、いいですか?」
王妃が頷く。息を目いっぱいに吸うと、口から声よりも音を発する意識で。母から授かった歌は、無意識にずっと私の体に染み込んでいる。歌詞の内容も言葉の発し方さえよくわかっていないというのに。なぜか、歌えてしまう、いや、歌わされるのだ。
その歌詞は何を意味するのか。歌うたびに、少しづつわかってきた気がする。
今日はどこか寂しげな歌詞。
黒くなった闇の空に薄ぼんやりと浮かぶ宵月。外の静けさの余韻を感じさせるような、唇から掠れるような発音。
続いていく言葉に王妃はグラスのお酒をつまみながら、黙って聞いていた。いつの間にか窓から小さな鳥の魔物がきていた。その歌は魔物をも惹く。
歌は城を響かせた。
それは、アルクトスの耳にもしっかり入っていたようで。
「リル…開けろ」
扉をドンドン叩くものだから、私は歌を中断すると扉の鍵を開けた。
「アル、どうしたの」
「それは…こっちが聞きたい……」
急な来訪に驚きつつ、アルは少し寂しそうな表情で私を抱きしめた。
「アルクトス、せっかくエンリルの歌をお酒を交えて聞いていたのよ」
「やめてくれ……歌は美しい…だがリルを……遠くに感じる…………どこかへ…行きそうで…」
「それは私も思ったわ。この言葉、聞いたことがないもの。あなたの母は、一体どこの出身なのかしら」
王妃の疑問は私に向けられた。
それは今まで、思いもよらなかったことだ。もちろん、父様にも聞いたことはなかった。
私の母も赤を宿していた。だが彼女がどこから来た者なのか、誰も知らない。
公爵夫人としての美しい佇まい、貴族としての教養は十分にあった。少なからず、身分の良い者であったには違い無い。
記憶の母は薄く、夢で出会った母さえもぼんやりと朧にしかない。
きっと、母と父は向こうの世界で出会えているだろう。あの川に立ち、彼女は父が来るのをじっと待っているのだから。
「それにしても、あなたたち、相当相性がいいのね…」
初めてアルのこんな姿を見た王妃は、目を細めて笑った。
同じ年ぐらいの息子がいるから、アルに対しても少しは親のように思う心はあるのだろう。
王妃の目は優しげだった。
「こんなに相性がいいのは知らなかったわ。これなら、エンリルも心配ないわね」
ウインクしてきた王妃。先程までの会話を思い出して、頭が湯気を出しそうになった。
「熱でも……あるのか…?」
「いいの。アルは知らないほうが」
「熱はないわ。お酒を交えて子供を作ることを考えていたのよ」
平然と王妃が言うものだから、アルクトスにすぐにバレてしまう。これは…恥ずかしすぎる。アルの腕から飛び出した。
「あら、お酒が入ると意外にお転婆なのね」
「意地悪…しないでください………。リルは………俺だけが…意地悪していい……」
「まあ!それはだめよ。私にだって、あの子の恥ずかしがる顔を見せてほしいわ。お酒も入ると、もっと可愛いんですもの」
私は、恥ずかしすぎてそのまま夜の中庭に出ていった。虫の音はせず、ただ花だけが大切に管理されている場所。走り疲れて、中庭の中心で腰を下ろした。胸が苦しいので、息を整えるためだ。
と、廊下から足音がかけてきた。アルクトスが追ってきてくれたのだろう。でも、本当にこんな真っ赤な顔を見せられなくて。アルと子作りを想像して、さらに真っ赤になっているのだから。こんな破廉恥なこと、考え始めてる私はどうかしている。
「……隠れても…分かる」
アルがすぐ後ろに立っていた。中庭は天井が抜けているから、月明かりが太陽のように差し込んでくる。アルの髪が金に近い色で淡く照らされている。アルの顔を見て思い出して、直視できなかった。
「追ってほしい……そうだろう?」
「い、今は違うから!」
「ちがう…は…俺には反対の言葉……」
「な、なら、そうよ!」
「そう…なんだな…」
アルクトスが後ろから抱きとめようとしてくるので、見せたくない顔を彼に向けてまで、アルの胸を手で押しやった。
「耳まで赤い…」
「そうよ!誰のせいだと思ってるの!?」
「王妃…」
「あなたよ!あなたのせい!」
両手でグイグイ押しているのに、全然後に引いている様子もないアル。諦めて力を抜くと、そのまま彼の胸に顔を埋めた。アルは顔が熱い私をそのまま優しく、腕で包み込んだ。
「まだそんなに……悩まなくていい………」
「悩むわよ。番としての役目は、子供を作ることも入るのよ。獣人はただでさえ産む子共が多いのに」
番を探すまでが難しいだけで、あとはトントン拍子の獣人には、子が多い。ジエールの国はケイン王子以外にも、成人してほかに嫁いだ王女が四人いる。民も普通は子供を三人、四人は必ず産むのだ。つまり、どれだけ子供を産むか大切で、多産が喜ばれる文化なのだ。
「でも、私は母親になれる資格はないわ。母様との記憶は本当に少ないし。父様は子殺しの罪と共に自決した。そんな娘が子を育てるなんて」
「リルは…優しい……」
不意にアルが耳元で呟く。
「君は……母とも…父とも違う……………俺と一緒に…悩むことは…解決すればいい」
「そんな、簡単に」
「俺の両親は………俺が学園にいるとき……亡くなった…」
それはその当時に聞かされた。
アルクトスは入学したときからしばらく学園を休学していた。
風のうわさでそれを知って、私は顔も知らない人のことを気に病んだ。
なぜか、アルクトスという名にも記憶に引っかかるように引っ付いていたから、番という運命のような本能が、その時から少し私にもあったのだろうか。
アルクトスが私の髪を撫ではじめた。
「でも両親の記憶は………しっかりある……。母が王族の傍系で……父は公爵の当主……二人の相性もすごくよかった…国内で有名なくらい……。ただ母は…子供が出来にくい体で………だから俺を…すごく大切にした……」
両親の話をあまりしてくれない彼からそういう話が出てくるのは珍しかった。
「俺がリルに…リルの子供にも……それを教える」
アルが言うのは、おそらく愛情というものだろう。親から子へ贈られる無償の愛。
両親に大事に育てられた自覚を持つ彼の覚悟のようだった。
「それに……王妃も…言っていた…。互いを気遣い………支え合え………子を大切にしようと…思うこと………」
アルが真剣な言葉で話してくれた。王妃が伝言した言葉は、普遍的であるが、すごく大切なことだと思えた。
「それに獣人は…人間と違う………離婚はしないし……浮気もしない………子を厳しくも大切にする…。人間の男とは違う……」
「ふふっ。それって、エドワードと同じにするなってこと?」
「そうだ……あの男は許せん…。だが少し…感謝している…………リルを返してくれた…」
返すって。彼の言ったことに、苦笑した。
「もとから、あなたのものだったみたいな口調ね」
「もとから俺のものだ………リルは…誰のものでもないが………その…」
返答に息詰まっているのを見て、私は笑ってしまう。
頼もしいのもいいけれど、戸惑う彼も見ていて楽しい。胸がキュッと苦しくなって、紛らわすためにと彼に唇を重ねた。
「っ……リル…」
私から少し激しいキスをするのは初めてか。熱を帯びた舌が彼の舌を巻き取り、熱さが移っていったのか、アルの顔が真っ赤になった。意地が悪いところが出てきて、私はアルの頭の後ろに手を回して離れないようにした。
彼の舌を一生懸命に舐めた。互いの唾液がかき混ざり、何度も彼の口を吸い取る音が湧いた。
息を整える頃には、アルのほうが私を直視できずに背中を向けてしまった。
いたずらにアルの頭の上にある獣の耳を触った。
「どうしたの?アル」
「………ぅ…………」
本当に恥ずかしいようで、顔を覗くと、口に手を当てたまま目をそらした。
いたずらっぽく笑って、彼の獣の耳を口で咥えてみた。柔らかい耳で、美味しいなと、思考はすでにおかしく染まっていた。
獣の耳を咥えるだけでは物足りなくなって、少しペロッと舐めた。丸いクマの耳がビクッと反応した。
「リ…リル……それ以上…やったら……」
「へへへ。アルの耳、美味しいのね〜。ケーキみたい〜」
感覚は鈍り始めていた。
完全に出来上がっているな、とアルクトスは思った。
それにしても、まだそういう知識が足りないのか。
獣人の耳を触るのは番にだけ許されたこと。舐めることは、誘っているのと同じだと言うのに。
「部屋に……戻るぞ…」
アルクトスは完全に上せているエンリルをお姫様だっこすると、自分の部屋の客室に入った。ベッドはダブルベッドだというのに、ここ数日はリルがいなかったから寂しく空いていたな。
そっと寝かすと、その隙間はごく簡単に埋まった。夕食をリルの分は先延ばしてもらおう。厨房に行こうと思ったら、リルが袖を引いてきた。
「アルぅ…行かないで」
切に願うような赤い瞳。ルビーが輝くような瞳に射抜かれて、俺の方でも何かが壊れた気がした。胸が無性に苦しくなる。
子供を作ることに悩んでいる彼女は可愛かった。真剣に悩んでくれることは嬉しいが、たとえ子供がいなくても、彼女がいてくれるだけで十分だというのに。
「…俺の太陽」
本当に太陽というものが彼女にはピッタリだ。隣にいてくれるだけで、俺のことを照らしてくれる。
リルの頬を撫で、髪を撫でたあと、接吻を交わした。
「っん……はっ……………」
いつもよりも、それは本能のままの強いものだった。
彼女を甘く溶かして、俺のところからずっと離れることのできなようになってほしい。
「……っる…………アルっ…」
弱々しい声。俺にしか出さない、誰にも向けたことのない、いやらしい声。
ずっと俺だけに欲情すればいい。この血色のいい柔らかい唇を塞ぐのは、生涯俺だけだ。
食べてしまいたい。
全て、君の全てが欲しいと、この感情は止まることを知らない。
白い小さな彼女の手に、指を絡めた。
こうしたキスも、強く抱くのも、強く彼女を求める感情からくる。きっとこの気持ちは埋まらない。
何度キスしようとも、何度抱きつこうとも、何度体を重ねても、底を知らないこの感情は湧き出すだろう。
それでも彼女は俺を受け入れてくれた。
包容力のある君に甘えているのは、案外俺なのかもしれないな。
絶望から立ち上がり、何度周りに道を阻まれようと、君はこの俺と共に危険を乗り越えてきてくれた。
今度は幸せに満ちた家庭を、彼女に築いてあげたい。
強い感情は強い接吻となり、彼女は少しずつ我を取り戻しているようだった。
「んんっ………ぁ……アル!」
強くその名前を呼べば、アルは我を取り戻した。口を半開きにして荒く熱い吐息を吐く私を見てこの事態を把握すると、彼の方が顔を真っ赤にした。私も先程からの強い接吻に顔を赤くしていると、アルが夕食を食べないと、と誘ってくれた。
二人で食事部屋にいく。すぐに二人の王、王妃、王子もあとに続いた。
「エンリル、アルクトスになにかされたのか?」
いち早く気づくのは快活な喋りのジエールの王。シリーナの王も、エンリルの様子からそれを察した。
「いえ…大丈夫で…す」
「?本当に大丈夫か?二人共」
脳天気なジエールの王はよくわらからない様子だったが、それを制したのはケイン王子であった。
「この雰囲気の中で食べれるわけない。私は自室でとるとする」
「それは同感だケイン王子。私もそうしよう」
シリーナ国の王も同意して引き返した。
「若い子は行動が早いわね。ご飯を食べて、後は寝るだけになったら、続けちゃっていいわよ」
王妃がふっかけるものだから、そのあとを考えて私はもう頭が真っ白になった。
食事の合間、アルは私の膝に手を触れるときがあった。その手はいつもより熱を帯びていて、私にも伝わってきた。
食事を終えると、お風呂に案内された。使用人に案内されたお風呂は露天風呂と言われる外にあるお風呂だった。
しかも、今日はなぜか誰も私の体を洗いについてきてくれなかった。
仕方なく自分で頭を洗っていると、お風呂の扉が開く音がした。誰か来てくれたかと思って、シャンプーが目に入らないよう後ろをチラ見したが、誰もいない。
気のせいかと思って、また洗った。すると、もう一度扉が開く音がするので振り返ると誰か入ってきたようだった。頭の泡を流して、体に巻いていたタオルを脱いだ。
「体を洗ってくれるかしら?」
頼めば、後ろでタオルで石鹸を泡立てて背中を流してくれた。
「背中だけじゃなくて、前もお願いしたいわ」
タオルが前に来た。タオルを握る手は大きくゴツゴツしていて、とてもメイドさんとは思えない。それに、この手は。
「あ、アル!?」
確認すればアルクトスだった。彼もまた、タオル一枚で、その体つきがよくわかった。熱い胸板、六つにくっきり割れた腹筋、四肢につく立派なコブ。
「もっと……警戒しろ…リル…」
「アル、どうして入ってきてるの!?」
「使用人に……案内された…入ったら…リルがいて………」
二回も扉の開く音がしたのら、彼が戸惑ったからか。
いや、納得できない!




