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複雑

「エンリル、我が国には戦闘しか見るものがないの。明日は暇になるかもしれないわ」


王妃が食事の席でツンとしたような素振りで言った。


「マリーは本当に正直だな!」


「ジエール王は、王妃がいて羨ましい」


「友よ、そんな寂しいことを言うな!」


ジエールの王とシリーナの王は本当に仲が良いようで、互いに目を合わせていた。


「ケイン王子には番はおられないのですか?」


向かい側に座るケイン王子に話を振ってみた。彼は、はい。とだけ言った。アルクトスと同じくらいの礼儀正しそうな青年である。


「エンリル、どうだ我が息子は。こう見えてなかなか戦闘向きな肉付きをしておるのだ。明日のアルクトスとの模擬試合でよい相手となるだろう」


王子直々に試合をするのだというから、ジエールの国の戦力は相当なものだということを痛感した。ケイン王子は黒い目を一瞬だけ私と合わせた後に、すぐに食にありついた。容姿は王と似ているが、性格は意外にも大人しいように見える。


「アルクトスも気軽に話して良いのだからな!」


ジェールの王に言われても、隣にいる彼は頑なに話さなかった。その日の夜、用意された客間が三つであることを知った。王と、私と、アルの分。

毎日共に寝ていたのに突然のことだった。アルと廊下で別れを言っても、彼は寂しそうにただ黙って部屋に入っていった。

様子がおかしいのは私のせいかもしれない。私が引き離すようなことをしたからだろう。でも、過保護なのは本当だし、アルが悪いのだ。先程は謝ろうと思ったけど、そんなことを考えないようにと眠った。






□月□日

王子の申し出を、アルはまさかの承諾しました。後々分かったのだけど、私の呟いていたお風呂での言葉が原因だそうで(インクが薄れている)



翌日、私はアルと王子の模擬試合を見ることになった。闘技場は、楕円型の建物で、よく姿の見える観客席からの見学だ。見下ろすように、彼らが見えた。

ここからでは分からないが、試合前に二人は何かを話していた。



「アルクトス殿、この勝負、勝者が敗者の言うことを何でも一つ叶えることにしよう」


「いいですが……リルに…関することは……無理ですよ……」


「それは無理だ。それでは本気になってくれないだろう?それに…俺はエンリル殿のことが、気になっている」




二人は話したあとに互いに距離を取ると、審判が合図した。次の瞬間に、彼らは勢いよく剣をぶつけあった。金属の音が空高く響き合った。


「あら、今日は激しいのね」 


王妃が期限良さそうに笑った。


「そうだな。どうやら、我が息子がアルクトスに何かふっかけたようだ」


「うむ…。獣化の力は互いに使わない約束であるが、心配だな」


じっと二人の動きを見た。剣豪である二人の力は凄まじい勢いで、無駄なく攻防が続いていた。人の姿でのアルクトスの戦闘は今まであまり目にしていなかった。だから、彼のこの姿を見るのは新鮮でもあった。

動きの速さは王子に劣るかもしれないが、その剣で叩き出される一発の力は上回るもの。

王たちもそれを黙って真剣に見ていた。

勝負はいつつくのかと思っていたが、剣の音がなりやんだ。


「勝者ケイン王子!」


王子が勝ったのだ。最強と言われているアルが負かされたことに考えが及ばぬまま、王子は試合が終わってすぐに観客席に来た。私の前で膝をつくと、手を差し出してきた。


「私にあなたの一日をください」


すぐ後ろからアルが来ていた。


「……許して…やってくれ」


アルはそれだけで、立ち去ってしまう。どういうことかわからないが、行ってやってくれということだろうか。だとしたら腹が立つ。なぜこの申し出に反発してくれないのか。

いつもの彼なら慌てて、私を必ず離さないのに。


「わかりました。明日ですね」


膨れた嫌な気持ちを紛らわすかのように、私は王子の手をとった。




□月□日

ジエールの城下町。ここは気温が高いので、日陰を作るために布を張るそう。というか、なぜアルクトスは何も言ってこないのかしら。何か言って欲しいのに。私のこの我儘が心の中で悲鳴を上げてるわ。



明日になると軽装で出かける支度をした。外はよく晴れており、出かけるにはもってこいだった。


「今日はよろしくお願いいたします」


「畏まらなくていいよ。今日、あなたは俺と同じ平民に扮して出かけるのだから」


城から歩いて出ていき、街の中を歩いた。城も家も、シリーナ国とほとんど同じであった。ただ、日よけのために大きな布が町の至る所で空に張ってある。それが新鮮で、様々な色や刺繍の組合わせの幕があるので、つい上を見て歩いてしまう。

ケイン王子は町に来ると意外に気さくな人で、私に積極的に話しかけてくれることもあったし、町の人から話しかけられることもあった。


「あなたには、アルクトス殿がどう見える?」


不意に王子から振られた話題。店の雑貨に向けていた目線が、王子に向かう。彼は真剣な表情で私を見て、それを聞くことが今回の目的であるようにも見えた。


「どう見える…と?」


具体的に聞きたいことは何かを尋ねた。


「そうだな…。獣人とは番に関してピンとくるであると、父上もそう言っていた。番というのは見た瞬間に分かると。だが、その本能は獣人にのみ備わっている。では、人間は?人間はそう思うのか?」


好奇心と、本気が混じった眼差し。アルが獣人の番として私にピンときたように、私もアルに対してピンときたかのか知りたいのか。その知りたいという催促は、人間の国の第一王子ユルスフのものと似ていた。

私は懐かしい思い出を少し記憶の水から汲み取るように答えた。


「どうでしょう…。分からないわ」


ケイン王子は黒い目をパチパチさせた。


「私にははっきりとわからないの。初めてあったとき、私は妃教育と学園の勉学で忙しかったから」  


「そういうものなのか…」


「でも、あの人の瞳はね、特別に綺麗なの」


金の瞳。月のように美しい弧を描く瞳。


「それに、アルが私をシリーナ国に連れ出すとき、何度も守ってくれた。どうして私にここまでしてくれるのか。単純に好きだからとかじゃ、そんなこと出来ないわよ。あの人は学園のときに告白してくれたんだけど、私はそれを断ったし。それで余計わからなくって」


アルクトスが学園で告白してきた。それを聞いたとき、ケイン王子は想像できないようであった。ここの国に来てからちょっと喧嘩中だからアルと私がベタベタしているところを見ていないからだろう。少しずつ思い返してみる。アルとの思いは、どこからか変わっていたのだな。


「…アルと、一緒に逃亡するうちに、知らないうちにもっと大好きになっていったのよ。色んなところがいいなって思い始めたの。瞳もそうだけど、ちょっとした時に見せる笑顔も、私を見て顔を赤らめてくれるのも。本当は大したことないことなのだけれど、一つ一つ愛おしく思えるようになるのよ」


「本当にそうなるのか?俺は、人を好きになることがわからないんだ」


「そうね…。私のアルへの愛は大きすぎるからここまで思う必要はないのだろうけれど。アルなしでは生きていけなくなるのよ。だから、彼が死にそうになれば助けに行くわ、この身を捨てて。彼が侮辱されるのは、自分が貶されるよりも憎いこと。でもたまに、彼と距離を取ってみたくなって、意地悪してみたくなることはあるの。私のことを追いかけてほしい。逃げたあと捕まえて、もっと愛情表現してほしいとか。いろいろ気分は変わるのだけど」


「複雑…だな」


「そうよ、本当…………に」


なぜ…この声がするの?

なぜアルクトスが私の後ろにいるの?

ケイン王子が驚いた目で私の後ろを見るものだから最初はなんだろうかと思ったけれど、アルクトスだったのか。

え、てことは、全部聞かれてた?


「心の声…漏れてる……全部聞こえてた」


アルクトスが自身の口元を覆いながら、横目で私の顔をじっと見て言った。その視線によって熱くなってしまう。

ナニコレ、私、すごい恥ずかしい。

自分から距離取っておきながら、愛してほしいっていう気持ちも口にしてしまって、それを本人に聞かれて…。

彼は私の首に腕を回してきた。


「そうか……そういうこと…だったんだな……」


「ち、ちがうの!」


そもそも、今回のは距離を取りたかったためでもある。それに、ちょっとプライドが傷ついて怒ってたのもある。だから、決して増した愛情表現がほしいとかそういうのじゃなくって。

必死に子供じみた理由をつけて言った。でも確り、本心は違うところにあった。


「どう……違う?まさか……風呂場で…言っていた………独り言が…本当の…こと?」


「お風呂場?」


「終わり…俺も…番としての…つとめも……と…」


あのとき、たしかに扉が開いた音がしたけど、あれってアルクトスが入ってきた音だったの!?

確かに、思えば女湯の隣が男湯で…。


「城の浴場は、男女ともに天井が繋がっている。壁は大きいが、よく見ると、天井までしっかりと届いてない吹き抜けだからな」


ケイン王子がハッキリと口を開いた。つまり、男湯と女湯は天井の方では繋がっている構造なのだ。なんと、恥ずかしい建築。


「…で……本音は?」


「うぅ……さ、さっきの」


「はっきり言わないと……わからない」


聞こえてるでしょ!?

クマって聴覚と嗅覚が一番秀でてるって聞いたことあるし。


「さ、さっき言ったことよ!あなたは最近、いつもいつも夜遅く帰ってくるし。王の前で公私混同はさすがに不味いと思うわよ!でも二人きりで、そういうことをしてほしいの」


伏し目がちに言った。


「っ……」


アルクトスが後ろから抱き寄せてギュッと抱きしめてくれる。その力はいつもよりも強くて、お互いの存在を確認する一番の手段であった。


「アル…」


「リルは…子供みたいだ…」


「う、うるさい!あなたには、子供として見られたくないわよ!」


「わかってる……女性としても…魅力的だ…」


何日かお預けされていた愛情が返ってくるようにと、彼はしばらく抱いてくれた。


「ゴホン。俺も、公私混同はやめてほしいな」


「すみません」


「まあ、気にしてないよ。それに、アルクトス殿にもふっかけたのは、俺だからな」


アルクトスが王子相手に鋭い睨みを効かせている。王子は大笑いしていった。


「ハハハ。模擬試合の時、俺がアルクトス殿の本気を見たくて、わざと言ったんだ。エンリル殿が気になっているとな。そしたら、本当に動きがいつもよりも激しくなるわ。冷静さを失っていたのが決定打になってしまったが。あー、面白かった」


「面白がって………リルを…巻き込まないで…ください」


「悪かったな。ハハハ!それにしても、アルクトス殿はエンリル殿に対してここまで変わるとは。噂も本当だったのだな」


「噂とは、どんな」


浮かない顔をしていた私に、王子が聞かせてくれた。


「最強の獣人は、番を蜂蜜として離さないって」


私が蜂蜜?


「部下が…言っていた………蜂蜜など……リルは…蜜よりも甘いのに…」


「そういう問題じゃない気がするわ」


「ハハハッ。アルクトス殿がこうなるとは、俺はしばらく、番探しを控えておこうかな」

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