混同
□月□日
公私混同はなりません。
「隣国の国の視察についてきてほしい」
王が直々に、私達に頼み込んできた。といっても、アルだけに頼むつもりらしかったが。
あの公爵の件以来、過保護がましたアルから私は逃げられなかった。このように王の謁見の間でも手を繋がれてしまっているのは、さすがにいけないことだと思うのだが。
「アル、離しなさい。狼さんだってここまではしないわよ」
「……」
アルは私の手を離してくれた。
「公私混同はいけません。王、アルにちゃんと叱ってやってください」
「う、うむ。だがな、アルクトスに叱ることのできる者はお嬢さんだけだぞ」
王は困った顔でアルクトスを見ていた。
手を離すときのアルクトスの表情はなんとも絶望した顔を見せていた。
こやつからお嬢さんを取り上げようものなら地獄がまっている。
お嬢さんが城で他の貴族子息に話しかけられて、子息の冗談にお嬢さんが笑ったときのこと。
アルクトスがたまたま王と一緒に、その時のお嬢さんの姿を目撃した瞬間、アルクトスの殺気が全開になって、周囲の草食獣人は気絶して、肉食獣人も跪いていた。
お嬢さんをアルクトスから離せば、あれが常日頃起こるのだ。万が一にでも、アルクトスが今回の視察で数日離れている間、お嬢さんが城下町に出かけて男性に絡まれたりでもしたら……
間違いなく、城下町が瓦礫の山になりそうだ。王の背中に鳥肌が立った。そうだ、それなら…
「お嬢さん、今回はアルクトスだけに頼みに来たのではない。これは、公爵夫妻に頼みに来たこと」
アルクトスの表情はみるみるうちに、輝いていった。
わかりやすすぎる…。
番に関しては、緩みすぎているアルクトスを連れて行くのは危ないとも思ったが、アルクトスは仕事のときはまるで違うのだ。いい機会だ。アルクトスの仕事ぶりをお嬢さんにも見せてやらねば。
「隣国といっても、そちらも獣人が治めている国だ。我が国より領土は小さいが、兵力は向こうのほうが強い」
この国には二つ接している国がある。一つはユルフス王子のいる人間の国、ヒューテル。もう一つの獣人の国は、ジエール。
王が言っているのはまさに、ジエールの国である。
「視察の目的は、軍部に関すること。アルクトスは我が国の最強の兵でもある。軍の指揮官や騎士団長に就かせることはできないが、ある日突然人々を指揮するときが来たら困るだろう。そのためにも、お前さんにも護衛についてもらうことにした」
最強の力を持つとされるアルクトスは、主に個人戦で活躍することが多いので、指揮する場が少ない。いざとなったときにそれではどうにもならないということで、王が任命したらしい。
王の謁見が終わると、今日はすぐに公爵邸に帰って、準備を始めることにした。
数日だけの宿泊のために、私の馬車は三つ分用意された。ここまでして持っていく必要などないというのに。
「どうした…リル」
「こんなに多い馬車、お金使いすぎよね。貧困層の社会保障に使えないの?」
「この国は……貧困との格差が少ない…。それで有名………知らない…のか?」
「え、ええ」
驚いた。この国には海にも接しているから、漁師にもなれるし、農民にもなれる。時々ある魔物の襲撃も良く言えば、軍備のための材料が取れるし、騎士や傭兵への給料がまわる。それにこの国の獣人には、何かしらあると互いに贈り物を送るのが普通だから、国のお金はどんどん回っている。
思えば、確かに納得できた。
「これから……俺が…リルに教える…」
アルクトスが子供を撫でるように私の頭をよしよしするから、頬が膨れてきた。
元王妃候補で、妃になる教育を施されていた私。そのプライドはまだ少し残っているらしい。
視察のための移動の日。まだ少し、頬が膨れていた。馬車の内には、狼がいる。
私の膝の上に顔を乗せて甘えてくる狼のことをよしよししてあげる。
この子のおかげで、私は命が一度助かったのだから。
窓の外には馬の背に乗ったアルクトスがいた。
この中の光景を見られたらひとたまりもないので、馬車のカーテンをしめた。
「あの人ったら公私混同して、過保護になりすぎなのよ」
どうにもやるせない気で、狼の頬をモフモフとかいてあげる。
幸せそうに狼が鳴くと、急に馬車が止まった。
何か、敵が来たのかと思ったら、アルクトスが馬車に乗り込んできた。
彼は、私と狼をまるで不倫現場を見るような目で見ていた。
「お前……リルから離れろ」
「イヤじゃ。聞こえていたろう?お主は過保護すぎるんじゃ」
人の姿をした狼が私の胸に頭をいれた。
公爵の事件以来、狼が見せてくれた人の姿。頭の上には狼の耳が四つ生えて、お尻の辺りからは馬の尻尾が生えている姿。青年のようにも見えるが、女性にも見える中性感の強い姿だ。
私に対して、森で出会った時から世話を焼いてくれた狼。
狼は私が子供のように可愛い、と言ってくれた。
母性があるからメスなのかと思えば、体つきは青年っぽさがある。
改めて不思議に思い狼の人の顔をまじまじと見ていると、アルクトスがその首根っこを掴んで外に吹き飛ばした。
「リル……だめだ。あいつだけは……」
「アル!狼さんが痛そうよ。もう許しません。あなたは、本当に過保護すぎるのよ」
ふんっ、と言って、アルクトスの体を力任せになんとか押すと、馬車の扉を閉めた。
移動のときだけでも、距離を置いておこう。
最近の彼ったら、公私混同ばかりして。
確かに私のことを何度だって守ってくれたし、癒してもくれた。でも、あんなに仕事と混同してしまったら、国に影響が出てしまうだろう。
私の愛する人は獣人で最強の力を誇る。国に対して最も影響力のある人なのだから。
外に残されたアルクトスにちょっかいを出したのは狼であった。
再び獣の姿でアルクトスの革靴をガリガリと噛む。が、そんなのを気にもとめずに、アルクトスはただ下を俯いたまま再び馬の背に乗った。
馬車を護衛している軍の兵は勘弁してほしい気持ちであった。前方の王を守るために配備された見栄えがいい騎士と交代したい気持ちであった。
なぜなら、俯いたアルクトスの絶望的な表情は、周囲にある木の根を枯らすぐらいに重いからだった。
こうなると、機嫌をとってあげようとしても施しようがない。それは、アルクトスの近くで働く人なら誰しもが理解していた。
番に言われたんだなと、絶対的に分かるのだ。
地獄のような黒い覇気を漂わせた馬車。その馬車がジエール国の前につく頃には、何とか気を繕っていた。
城の敷地に入れば、私はアルクトスに嫌でもエスコートをされる。
「リル…」
仕方ない。ジェールの騎士もいるのだからと、私は仕方なく手を取って馬車からおろしてもらった。
赤い髪はふんわりしたストレートで、元いた国より日射が強いため、赤色が生える。
ジエールの騎士も、護衛してくれていた軍もその髪に釘付けであった。
しかし、エンリルは気づかなかった。アルクトスに対してのちょっとした怒りがその頭を悩ませていたからだ。王とも合流すると、すぐに謁見の間に向かわせてくれた。
「シリーナ国の王、並びに公爵夫妻のご搭乗です」
謁見の間はシリーナ国とほとんど同じ造りをしていた。私達は一歩下がって頭を伏せた。王は立ったままであった。シリーナ国の方がジェール国よりも繁栄している証拠であった。
「よく来てくれた、友よ!」
「ジエールの王よ、久しい」
「そうだそうだ。友が来たのは数カ月ぶりだ。最近はなかなか来てくれないじゃないか!」
玉座からおりてきて、ジエールの国王が、王と抱擁を交わした。
「こんな堅苦しくしなくとも、二人とも顔をあげよ。して、アルクトスも久しいが、お隣さんは…」
「お嬢さんは、番でな」
「そうなのか!」
ジエールの国はリカオンの獣人で、顔は人の姿であった。赤色に近い茶色の髪で、そのオレンジ色の瞳は強く私を見透かすようだった。
「そうか、お前さんがエンリルという者だな!ほー。よい赤色の髪をしている。赤はこの国では力を象徴する、良い色だ」
ジエールの王は、私の髪を興味津々に見たあとに、目を合わせてきた。身分の低い方が目を合わせるのは不敬なので、必死にそらしているのに、合わせに来る。
「ええい、まどろっこしい。私は面をよく見たいのだ!」
ジエールの国王が私の顎を掴むと、グイッと、自分の方に寄せて離さなかった。オレンジの瞳と目が合った。白い肌を持つアルクトスとは違った浅黒い肌が南国の厳しい日射を思わせる。頭には音がよく聞こえそうな大きな黒い丸い耳を持っていた。
「っ……」
アルが後ろから今にも飛びかかりそうだ。奥歯を噛み締めている音がする。
「エンリル…お前さんは獣人を強く惹く力を持っている。赤い瞳、見事なもの。人の国のヒューテル出身と聞いている。人間が赤を持つのは大変であったろう?」
確かに、人間の国で赤色はたしかにあまり感心はされたことはない。
「それより、さすがにこの状態は不便なので、手を離していただけると助かります」
ジエールの王は笑った。
「はっきり申してくれるのだな!よいよい!これは、アルクトスに取られる前であったら、私の息子に引き合わせてやりたかったな!」
王は快活に笑って使用人に私達を誘導することを頼んだ。バーグナーさんと似たような性格だな。敬うような行為を徹底的に嫌っていたが…。
「今日は旅の疲れを取るといい。使用人に案内させよう」
着替えをする部屋に案内されて、私はまず温泉に入れられた。シリーナ国とは違って、大型の浴場である。使用人たちが私の体を洗おうとしてくれたが、丁重に断った。こういうものは、誰にも邪魔されずに入るのが一番だからだ。貸し切りの大きなお風呂。と、誰かが入ってくる音がする。扉の方を見るが誰もいないので、気のせいかと思いお湯につかった。
「ぷふぁ〜」
いいお湯だな〜。
馬車での疲れも流される。
シリーナの国の春も、もうすぐ夏を迎える。
「もうすぐ、終わりかぁ。早いなぁ」
そういえば、アルクトスはこの国で軍や騎士の仕事を見学しに来たとか言っていたな。軍の司令官、騎士の副団長と共に…
「アルクトスも、ね」
彼も己の力にさらに磨きをつけるために来たのだ。
すごいなぁ。
本当は私も彼のように力をつけたい。けれど、魔力を上手く使おうと文書をあたっても情報は少なく、やりようがなかった。
「番としてのつとめもね…」
上手く果たせているのだろうか。未だに彼との間に子供はつくっていない。私が子供を大切にできる自信がないのだ。獣人たちは基本多産である。番を探すまでが厳しいだけで、子を成すのは容易いほうなのだが。私はそのつとめというのを果たせてないだろう。
「もう……おしまいよ」
なんだか今日は憂鬱だな。
結局のところ、彼が国に貢献して、私は何もできてないのだ。
湯から上がり、タオルで拭うと、使用人がやってきて私に服を着せてくれた。
いつもより高そうなドレス。贅沢をさせてくれているのに、私はアルクトスに、何にもできてないのではないか。
廊下に出ると、彼と会った。馬車のときあんなことを言ってしまったのが急に申し訳なくなってきた。謝ろうと思って、彼の袖を引くがいつもみたいに反応してくれない。どうしてしまったのだろうか。彼はそのまま無視を貫いて、歩いていってしまった。
そうしてすぐに夕食の時間になり、ジエールの王妃と王子とも一緒に食事となった。




