番外編 禁断
「これ、何かしら」
あるとき、私は妙なものを見つけた。
アルが城へ勤めている間に、彼の部屋にお遊びで忍び込んだのだ。寝室は同じ部屋を使っているけど、ちゃんと自分たちの部屋は別々にあるのだ。
で、遊びで彼の部屋に来たわけだけれど。
「まぁ!」
私はその雑誌を手にとって驚いた。外見こそ無地で何も分からないが、開けば春画の印刷が書かれていた。
女性の人が縄で縛られて、笑っている。
他にも、手足が拘束されているものから、壁にはまって動けない女の子まで。
アルにこんな趣味があったとは。しかも、みんな
「大きいじゃないの」
みんな巨乳。
これには流石にショックを受けた。
彼は一ヶ月も私の心を癒やしてくれてはいたが、もしかしたら物足りないからこういうのを買ったのではないだろうか。獣人だから浮気はしないものの、これで我慢するなんて、それはそれで悲しかった。
こんな本に、私は負けたのか。
「私、アルのこと満足させてあげれてないのね」
謎の敗北感を味わっていたら、足音が聞こえてきた。
まずい、まさか来てしまったのか。
慌てて私は自分の身をクローゼットの中に忍ばせた。
いや、この本を突っ込むだけでよかったのに。どうしてこんな隠れてしまうのだろうか。
息を潜めていると、彼が部屋の中へと入ってきた。
彼は仕事着の制服を首のボタンから緩めると、上の服を脱ぎ始めた。
逞しく育った胸筋、割れた腹筋と脇腹まで回り込む細かな隆起。
いつも思うが、本当に厳しい鍛錬を乗り越えてきた彼の体はカッコいいのだ。
思わず見惚れた。
「ん……?…リルの…匂い」
鼻をクンクンして、アルが匂いを嗅ぎ始めた。
や、やめてくれ。今クローゼットだけは開けてくれるな!
金色の瞳と一瞬目が合った。
「リル…」
私の方へドンドンやってくる。
クローゼットの中で、私はとっさにかがみ込んで頭を雑誌で隠した。
「……何をやってる」
「う、私は本だよ」
頭に雑誌を乗せて、目を合わせずに足元を見た。
しかし、正直いってその誤魔化しようには無理があった。
渋々私は立ち上がってクローゼットから出た。もう、隠れる意味なんて、皆無なのだから。
私はアルと向き合ってちゃんと謝った。
「ごめんなさい。ちょっとだけ面白半分で入っただけなの」
面白半分なんて、我ながら人のプライバシーを守らないということが、どれだけ迷惑極まりないことか。
本当に申し訳ない気持ちになった。
「ふっ…面白半分で……君は本に…?面白すぎるよ……」
口の端を持ち上げて、眩しい顔をするアル。昼に差し掛かる窓からの光が彼のことを照らして、より一層かっこよくさせた。
怒らないあたり、彼はいろいろと寛容的なのだ。クスリと微笑んで、肩を上下させるアル。
焦げ茶の髪が金色がかり、鍛えられた体には影が浮かんでくっきりと筋を浮ぼらせた。
まるで古代の石膏像のように整った肉体美が明るく照らされ、いつも夜になってから互いの体を見るせいか光の違いだけで新鮮な気持ちになった。
今彼は上半身が裸で、滅多に見れない珍しい姿に私だけがどんどん恥ずかしくなった。
「で…その本を…なぜリルが」
「うう」
もう言い逃れできないんだ。なら、いっそのこと向こうを攻めてしまえ。
「こ、こんなの置いてあるのが悪いわよ!何で普通に暖炉の上に置いてあるのよ。しかも、しゅ、春画だし。中を見たら、みんな縛られて気持ちよさそうにしてるものなのよ。みんな大きいし、胸もお尻も、大きいし…」
もう自分が涙目になっていくのがわかった。
「あなたを、私の体で満足させられないのはわかってたけど。やっぱり巨乳と大きいお尻が好きなんじゃないの。悪いと思ってるわ、人の趣味に口出しするのも。でも、こんな、こんな本に負けるなんて嫌なの」
負けず嫌い。誰よりも気品高く、優しい心を持とうと、私はずっと負けず嫌いであった。
この言い分も、自分の性格からくるものだ。
相手の趣味嗜好なんて自由だというのに、彼に関してだけは真剣に考えてしまう。
こんなに告げ口をしてしまうのも、人として最低だ。
「こんな本、どこで買ったの」
問い詰める私に、しかし彼はいたって説き伏せるような優しい声で答えた。
「リル…それはね…父上のものだよ」
「え」
「こう言ってはあれだが……父上は…母上のが好きすぎて……よくこれを見て…試したそうだ。執事長から…渡された」
まさかの、所有者がアルの父親だった。聞けば、最近この部屋を大掃除した時に見つかったらしく、中身を見て適当に置いて置いたらしい。
「わ、私、あなたが買ったのかと」
「俺がこういうのを……買うわけがない。目の前に…満たしてくれる人がいる…」
アルが私の胸の中に顔を埋めてきた。彼の息が服を通り抜けてくすぐったい。
押しのけようとも両手首を掴まれて、さらに胸にうずくめてくるばかりだ。
「ちょっと、そんな押されたら、胸が小さくなるから。ただでさえ、なくて困ってるのに」
「……そんなに…不安がるな………君のはいい匂いがする」
「そういう問題じゃ」
大小の話をしてるのに、香りの方に話を逸らされるのは嫌だ。
「本当に、困ってるのに」
呟けば、今度は胸を軽く触ってきた。服越しに彼のゴツゴツとした、鍛錬を積み重ねた手の感触が伝わってくる。
私よりも幾分か体温の高い彼の手が、徐々に私へと熱を移す。
熱は心臓をドクドクと働かせて胸から巡り、全身をポカポカとさせた。
「君の胸……かわいいな…」
「小さいっていいたいんでしょ」
「違うさ………君は凛としてる花のようで…気品高いから……このくらいがちょうどいい」
アルが顔を上げて笑いかけた。どこまでも無邪気な顔に、私は呆気なく負けてしまった。
「早く……むさぼってしまいたい……」
「な、何言ってるの」
「だって……甘い匂いがずっと…」
コンコン
「旦那様、午後からのご予定は……失礼しました」
ドアのノックに気づくには遅く、開かれた扉から執事長に見られた。いつもアルの予定を組んで秘書の代わりを受け持つ執事長。
アルに予定連絡を入れようと部屋に入った執事長は、私がアルに一方的に攻められているところを見てしまった。
扉を開いて一瞬で閉めていったから、本当に一瞬だけど。
「恥ずかしいじゃないの!これから執事長とどうやって話せば」
もう手で顔を覆うしかない。こんな、アルに胸を軽く揉まれているところなんて、裸を見られるよりも恥ずかしい。
「大丈夫……君が…俺だけにしか…話さなくなればいい……」
嬉しそうな顔をして、今度は首に甘噛みしてきた。最近は、抱擁と甘噛みが多くなったな。
少し強い力で噛まれて、一日中歯形が必ず首にできるから。隠すことも面倒で、そのままにしている。
「そういえば、もうそろそろ私も十九歳ね」
「そうだな……プレゼント…何がほしい…?」
十九歳か。普通の令嬢なら、もう第一子をもうけている年齢だ。
でも、アルは子供のこととか考えているのだろうか。
異種族間の妊娠は難しいとされている。まず、妊娠するのが困難だと。それに魔力持ちと、獣化の能力を持つ人同士だ。
ますます困難だろう。
「アル、プレゼントの話じゃないけれど。子供って、あなたはどう考えるの」
「子供……いいのか俺と…。君が望むなら…喜んで……」
うーん。でも、まだわからないや。
子供は欲しい。だって、アルとの幸せをまた増やすことに繋がるのだから。
でも、自分はお母様を早くに亡くして、母の愛情というものを知らない。
ましてお父様は、最後に自分で首を切ったと言う。アルが教えてくれたが、お父様は、お母様が魔力持ちだと気付いたと。私に対して酷い思い込みをしてしまったことの罪悪感に耐えれなかったそうだ。
「まだ子供をつくりたいか、本当は悩んでるのよ。私のお母様がね、夢で出てきたことがあったの。『あなたは、幸せになるのよ』って言って。私という子供ができたから、お母様は不幸になってしまったのかなって思うの」
「それは違うと思う……きっと君のお母様は…力を隠していたからだと思う…。ラモン公爵は……君の歌でようやく…気づいていたから」
お母様は哀れな人だったのだろうか。自分の歌を、最も愛する人に聞かせておきながら、その能力について何も相談しなかったというのだから。
いや、きっと最後まで怖かったのだろう。あれほどに幸せな家庭が自分の力がバレてしまっただけで、崩壊していく。それを考えると、誰にも言えなくなる気持ちがわかった。
でもせめて、お父様に泣きつくぐらいして、頼ってしまえばよかったのだ。
人というのは、悩みを自分で解決しようとする人ほど優しい性格をしている。その優しさは時に自分を追い込み苦しめるが、周りから好かれる優しさでもある。
だから、お母様は愛されていることを自覚して、お父様に相談すればよかったのだ。
お父様は私に復讐するほど、お母様を愛していたのだから。
「リル……悲しい顔をするな…」
「顔に出ていたかしら。ごめんなさいね、なんだかやるせなくって。お母様はあれほどお父様に愛されていたのに。確かに、この能力は本当におぞましいわ。人を簡単に追い込む。能力者自身も、何度これに追い込まれる歴史をたどれば」
赤を宿す魔力持ち。それは血に濡れた迫害の歴史と共にあるのだ。
この能力を持つだけで能力者は迫害に追い込まれ、周りの人だってこの能力がおぞましい力を持つと怖がって生活することになる。
「本当、残酷な力よ。でも、何度も救われた。あなたを守ったのは紛れもないこの力。私へと血を繋げてくれた先祖がいたからこの力は簡単に憎めない」
私は拳を握った。
私の作った拳に、アルが両の手を重ねた。
「君のを……俺にも背負わせてくれるか……?」
そうだ。私には永遠を誓うと約束までしてくれた、このアルクトスがいる。
お母様、私はすでに幸せです。
「アル、今ここにいてくれてありがとう。あなたのご両親にも感謝するわ。もっともっと前のご先祖にも。あなたが生まれてきたのは奇跡なんだから」
「それはリルもだよ……君がいてくれるから…俺は生きていける。きっと君のお母様も………君が心の支えだったはずだ……」
「その考え方は素敵ね。あなたはいつも私を支えてくれるわ」
赤い花のように笑った女。クマの男は、たまらなく愛おしいと思うと、その薄桃色の唇に口をつけた。




