傷の癒え3
「アルクトス様、お久しぶりじゃのう」
「「「お久しぶりなのよー」」」
ゾロゾロと入ってきたのは、森から出た時に世話になった村長とメイド三人だ。
彼らを歓迎すると、あらかじめソファと椅子を並べて置いた席に案内した。
「はてさて、思い出はあると言ってもの。村にいた期間は本当微々たるものじゃ」
「いいのです……リルに…何かしてやりたい……」
そう言った俺に、リルは手を重ねた。
「これはこれは。みない間に随分仲がよろしくなっておるの」
その様子を村長は嬉しそうに見ていた。
メイド三人も、リルに興味津々に詰め寄って、三人掛けのソファから身を乗り出していた。
「人形みたい」
「でも、すごく綺麗」
「赤髪、やっぱり綺麗」
「これこれ、座るんじゃ。お嬢さんの心は相当中に閉じこっもっておるようじゃな」
閉じこもる?
「壊れてしまったのかと………思っていた…」
「それは違うの、壊れるなら本当に狂人となってしまう。お嬢さんは強いショックを受けて耐えきれんかった。じゃから、現実が夢だと思い込むようにしたんじゃな。ここもおそらく、どこかの夢の中かと思っておるぞたぶん」
彼女は確かに、この屋敷で目が覚めた時に夢かと聞いていた。
俺が生きているから、ここは夢なのではないかと。
「村長……どうすればリルは………現実だと気づく?」
「難しいの。でも、やはり幸せを与え続けるのが一番でないのか?美味しいご飯を食べさせたり、アルクトス様の得意な愛情表現をするとかじゃな」
「でも……リルはなかなか…目を覚まさない」
少しだけ、諦めかけていた。もうリルは、このままずっと目から光が落ちきってしまった人形のように生きていくのだと。
俺も、彼女の命さえ助かれば良いと思ったが、やはり彼女の宝石のようにキラキラした瞳がまたみたいと思えてならない。
戻ってきてほしい。もっと、彼女は素敵な笑顔に溢れる人だから。
欲張りだから、俺はそこまで望んでしまうんだ。
でも、いくら彼女を抱擁し、抱きついても、彼女の意識は一向に戻る気配を示さなかった。
「彼女は…このまま……」
「ほら、花冠」
「わーすごく似合う」
「女神様みたいね」
「ほほほ。よく似合っておるぞ」
隣のリルはいつのまにか作られた黄色の花冠を頭に乗せられて、メイドたちに微笑んでいた。
赤髪の上に乗る黄色の小花に富んだ花冠は、美術作品の一枚絵を思い起こさせた。
題名をつけるなら、やはり春の女神が相応しい。
「アルクトス様、一つだけ。お嬢さんがここが夢だと思うのは幸せなことじゃ。そのぐらいに幸せだということに変わりないのじゃからな。じゃが、やはりそれでは残された者があまりに寂しい。残された者ができるのは、お嬢さんの心が変わる前よりも、大きな幸せを与えることじゃ。アルクトス様、番を大切にする最も強き獣人のお方なら、きっとこのお嬢さんも攻略できるじゃろうて」
「攻略です!」
「ま、まさか、夜の!?」
「きゃー」
攻略…
隣のリルは分かっていなさそうに、こちらを見た。
この目の前のエロダヌキに、試されているような気がして、俺は理性を保つことに意識を向けた。
「だが…戻りそうで戻らない‥‥」
「そういうもんじゃ。波の満ち引きと同じじゃよ。少し波を揺らしたら、その分帰ってくる。こうやって今までの思い出深いひとに合わせるのも大いに方法じゃ。じゃが、やはり鍵なのはアルクトス様じゃろうな。お嬢さんも、きっと幸せを感じたいのはアルクトス様と一緒がいいということじゃ」
「俺と…一緒…‥」
『あなたの隣を歩きたい』
『あなたの隣が私の居場所なの』
『あなたは私にとっても運命の人ね』
『私にだって、守らなければならないものがあるの』
『私、生きててよかったって思うのよ。あのとき、あなたの手をとって良かったって。だって、こんなにも幸せなんだもの』
彼女は、何度も俺の隣が好きだと、居場所だと言った。
幸せを感じていてくれたんだ。
「そうじゃ。アルクトス様、ようやく添い遂げることができたんじゃから。どんな運命に引き裂かれようと、何度だって結ばれることが二人はできるじゃろう。期待しておるぞ」
「「「またねー」」」
村長とメイド三人は部屋を出て行った。
残されたように座り続ける俺は、リルの手を取った。
俺よりも小さな手は、何度だって誰かを守った手。
「リル……してもいいか…」
「アル」
彼女の赤く火照る桃のように柔らかな頬を撫で、俺は優しく彼女の唇にキスをした。
「ん……アル…」
キスが終わったら、俺はその白く細い首に、甘噛みをした。うなじからはいつだって甘い匂いが蜜のように俺を誘い狂わせる。
尖った犬歯が傷つけないようにしながら、彼女の首筋を何度も刻むように噛んだ。
「んん…」
目を閉じて少し怯えながらも、彼女は俺の頭を撫でた。優しい温かい手、せわしなく動く俺の耳を捕まえ確かめるように。
彼女の反応が可愛くて、もう誰にも取られたくないと思えば思うほどに、甘噛みの回数は増えて、より強くなる。
「アル……甘噛みいっぱい」
ソファにリルを押し倒すと、照れた様子で、俺の目と赤い瞳が合った。
赤い瞳はもうどこまでも暗い。けれど、よくよく目を凝らして見れば、その奥に小さな蛍のような淡い光が見える気がした。まだ光は完全には消えていないのだ。
その光が再び広がることを祈って、キュッと唇を噛んだ後に彼女と目を離さずに語りかけた。
「リル……君は俺を…運命の人だと言った………嬉しかった。生きててよかったと……言ってくれた…俺だって…リルが生きてて嬉しい……。君は俺を守ってくれた……ありがとう。…その小さな体で…君はたくさんの…苦しさや辛さから………何度も傷つけられながら…でも君は…笑うことを忘れなかった………生きることを何度だって選んだ。…もう一度でいい…もう一度だけ……チャンスをくれないか………今この時…この場所で…俺と一緒に歩いて欲しい」
俺はリルの手をもう一度強く握った。
「俺は…君の隣にいるよ…ずっと……君が死んでも………一緒に生まれ変わって…隣にいるから……」
願いを込めて、彼女の握った手にキスをした。甘い花の蜜のような匂いが手から香った。
お願いだ。もう一度だけ、俺と一緒に歩いてくれ。
「アル」
押し倒されている彼女が、しっかりとした声で俺を呼んだ。
「あなたはいつも隣を、歩いてくれているのね。ありがとう。おかげで、目が覚めたわ」
「っ……リル!」
彼女が太陽のように笑って言うから、俺は思いっきり上から抱いた。何度も何度も、彼女の胸に顔を擦り付けた。
もう絶対に離さない。絶対に逃がさない。俺の匂いでずっと、これからさきもすぐに見つけられるようにいっぱいにしておく。
「ふふっ。くすぐったいわ」
「だって……リルが…」
「ごめんなさいね。すごく長い間、眠っていた気がするの。公爵は、どうなったのかしら」
どのくらいの期間を、彼女は覚えていないのか。おそらく、公爵に地下牢で閉じ込められた時からだろう。
説明しなければならないと思って、一度席に座り直した。
「そんなにひっつかなくても。私はここよ」
リルを膝の上に乗せて、いつだって綺麗な曲線を描く背中に顔を埋めながら話した。
公爵は罪悪感で自害したこと、リルのお母様が魔力持ちであったこと。
それから、公爵によってたくさん体を傷つけられていたこと。それを狼が、人の姿になって助けてくれたこと。
全部話すと、彼女は頷いて聞いていた。
「そう。私も、一つ思い出したわ。あの時、アルの首をとったと公爵に言われて、クマの首を獣化したあなただと思ったの。すごく怖くなって、あなたが死んでしまったと思ったわ」
「リル…俺が死ぬわけない……」
「でも、魔物の襲撃のとき、死にかけてるのを見てしまったもの」
「あれは…数が多すぎた……でも…対人戦なら…軍相手でも余裕……」
「格好つけなくてもいいのよ。そんなに強くなくても私はっ、アル!」
俺はちょっと悔しくて、リルの胸を後ろから手を伸ばして触った。
「俺は…獣人で最強……本当に強い……舐められたら…やり返す…」
「ご、ごめんなさい許して。その、まだ目が覚めたばかりだから、この他のことなら何でもするから」
「何でも…?」
何でもか。うむ、何をさせよう。
俺と見つめ合う勝負でも良い。絶対に耳まで赤くなって可愛いから。
俺の耳を触らせることもいい。彼女に触られると心地いいから。
でも一番は
「俺を抱きしめて……キスしてほしい……」
「もう、どっちか一つにしてよ」
「二つで一つ……そういう計算…」
彼女は戸惑いつつ、まず思いっきり抱きついてくれた。俺の首に腕を回してぎゅっと、体が密着して相手の体温がわかるくらいに。
次に、彼女は熱っぽい目で俺を見上げた。
「っ……」
ウルウルした赤い瞳が、俺を見て今からキスされるのだと思うとこっちが照れてしまう。
「顔を逸らしちゃできないわ」
「本当に……君は…」
覚悟して、俺はもう一度そのウルウルした瞳と目を合わせた。
彼女の美しい顔が、近づき、俺の唇に潤いのある柔らかい唇を重ねた。
「アル、大好き」
「っっっっ…」
無言で掻き抱いた。小さな柔らかい肉を持った背中を引き寄せて、愛おしい彼女がまた俺と手を取り、隣で歩いてくれることにこの上ない喜びを感じた。
ありがとう。
もう一度戻って来てくれて。
俺の太陽、また空を照らし続けてくれ。




