傷の癒え2
「よ、アルクトス。エンリルちゃんも久しぶりだな」
「まあ!エンリルちゃん、今日も綺麗ね」
公爵邸に次にやってきたのは、幼い頃からの友人のバーグナーとタウラヴだ。
「手紙読んだぜ。俺たちが泊まった後、あのタヌキ村長とメイド三人もとんでくるだろうよ」
侍女サリーが帰って三日後に、既に手を回していたこの二人が来て、このあとに村長とリルが世話になったメイドが来る予定だ。
着々と思い出のある人へと手紙を渡していた。
俺はリルと並んでソファに座ると、向かい側にバーグナーとタウラヴが座った。
「エンリルちゃん、相変わらずアルクトスに執着されて困ってないか?」
「バーグ、何を言っちゃ悪いか、分かってるわよね?」
タウラヴの睨みに、バーグナーは音を上げた。
俺も、余計なことを言いかねない友人のバーグナーを睨んだ。
「おい、みんなして俺を睨むなよ。ああ、こういう時エンリルちゃんなら冗談の一つでもひっかかって面白いのに」
「はあ、いじめちゃだめよ。エンリルちゃんは確かに可愛いけど、そうやって遊んだら可愛そうよ」
「バーグナー……リルをいじめるのは…許さん」
俺は近くにあった自分の剣に目を向けた。バーグナーはちっとも怖くないだろうに大袈裟に怯えたような仕草をした。
「エンリルちゃん、助けてくれよお」
「ばーぐなーさん」
リルはバーグナーの呼びかけに反応した。
タウラヴも驚いたように彼女の方に目を向けて、しきりに頷いていた。
「そうよ。私はタウラヴ」
「たうさん」
「あら!可愛いのね」
タウラヴは立ち上がって彼女のことを強く抱きしめた。ぎゅーっとしばらくして、リルは再び喋った。
「やくそう」
「うん。あなたも管理してると知ってるわ」
「ありがとう」
再び無邪気な顔を見せたリル。彼女の幸せな記憶がまたひとつ、復活したらしかった。
タウラヴはしきりと可愛いと言いながら、リルのことを熱く抱いた。
それがだんだん力がエスカレートしていくので、リルが苦しそうだ。
「タウ、エンリルちゃんが苦しそうだぜ」
「はっ、ごめんなさい」
タウラヴが席に渋々戻っていった。
「エンリルちゃん、俺のことは何か思いださないか」
人形のように戻ったリルは、バーグナーに言われて不思議そうな顔を浮かべた。
「記憶が……薄いんじゃないのか……」
「酷え。俺だっていっぱい話かけてたぞ」
「やっぱり、エンリルちゃんは分かってるのよ。良い人のこと」
そう言われてバーグナーはガヤガヤと騒ぎ立て始めた。
そんな番を尻に敷いてるタウラヴは、相変わらずバーグナーの脇腹をつねることでいとも簡単に鎮めさせた。
「いたた、肉が伸びちゃってハムになっちまうぜ」
「ふふふっ」
「リルが…笑った…」
隣で口角を上げながら微笑む彼女。バーグナーのしょうもない冗談に笑うのは、彼女くらいだ。
微かに笑い声をあげ、彼女はまた何かを思い出したようだ。
天使のように少し意地悪に笑うのも、可愛い。
「エンリルちゃん、本当相変わらず綺麗な顔してるな」
「そうね。赤い色も、この世にはない美しい色で羨ましいね」
「タウさんも綺麗」
やはりバーグナーとタウラヴとの付き合いは、侍女サリーとは短いものの、初めての身分の壁がない友達だからか、思い出すことが多いようだ。
タウラヴはリルに褒められて、バーグナーに褒められるよりも顔を染めて涙を流して喜んだ。
「エンリルちゃん、本当に優しい子ね。思い出しては、褒めるか感謝しかしないもの」
「そうだな。しかし、俺に関することは他に思い出さねえのか?」
そう言われて少し息が詰まった様子になるリル。
俺は何か助けになれればと思い、勝手に彼女の手と指を絡めた。
リルは目こそ輝きをまだ失っているものの、俺が手を握ってこちらを一暼した。
「バーグナーさん、アルのこと教えてくれた」
「そうだな。こいつの学園の時の話をしたなら、エンリルちゃんも何か思い出せるか?」
「そうね、何か話してみなさいバーグ」
バーグナーはニヤニヤとした顔で俺をみた後に、リルの方に向き直った。
何を言うのか、学園の時の話をする彼は、底がしれないのが怖い。
「エンリルちゃん、すごく美しい令嬢として男子寮でも一時期ブームが来たんだぜ。婚約者がいながら、あの王子は手をつけないからと、一部の女に飢えた蛮族らが襲ってしまおうと計画したんだ」
「なんてことを。あなた、ちゃんと止めに行ったんでしょうね?」
「当たり前だ。襲ったら、エンリルちゃんは傷つくし、そいつらは王子の婚約者を襲ったとしてきつい制裁が下されるからな。でも、それよりも酷かったぜ。なんせ、アルクトスの番なんだから」
リルは本当に、学園の中の高嶺の花だった。影で人気があるのにも関わらず、彼女は気づかずに笑顔を振りまくからますます人気が出て。令嬢はそういうところにも嫉妬して、彼女をわざと悪く言うようになった。でも人気は絶えることがなかった。
「エンリルちゃんに激しく嫉妬していた一人の令嬢が、その女に飢えた蛮族共に息を吹きかけとうとう行動に起こしやがった。それに直ぐに俺も勘づいてエンリルちゃんのことをアルクトスに知らせたんだ。でもすでにアルクトスは、そのことを知っていて、エンリルちゃんが一人にならないようずっと見張ってたんだ。それはもう、ストーカー並みにな」
「ストーカーとは……聞こえが悪い…」
「すまん。だが、そう言うぐらいにエンリルちゃんにばれないように付け回して、とうとう蛮族は我慢できずにエンリルちゃんの背後から手を出そうとした瞬間」
「で、どうなったの」
「蛮族の首根っこを三つ分、まとめて静かにつまみあげ、近くの教室にぶちこんだ。それからが面白いんだ」
タウラヴは息を飲み込むようにしてその話に耳を傾けた。
「三人を投げ込んだ後、誰もいない教室で、アルクトスは無言の圧で蛮族をヒーヒーさせた。そのあと、もう二度とエンリルちゃんに手を出すなど考えることができなくなるように、やつらのいや、男の最も大事なものを完膚なきまで足で踏み潰した」
「まあ!さすがねアルクトス」
「で、息を吹きかけた令嬢を放課後に呼びつけたんだ。アルクトスは影こそ学園で薄かったが、ハンサムだろ?だからその令嬢も、呼ばれたことに最初は浮かれてたんだ。で、令嬢はちゃんと呼ばれた教室で待ってた。しかし、アルクトスはその教室に一度も入らなかった。代わりに入れたのは先程の蛮族三人だ」
「な、危ないじゃないの!」
「ああ。危ないぜ。でもな、アルクトスを敵に回したということは、そういうことなんだ。蛮族は玉こそ潰れたが、令嬢を襲って、うっぷんを晴らしたわけだな」
バーグナーは腹を抱えて愉快そうに笑った。その話に少し納得がいかないのか、タウラヴはしかめた顔をして今度は俺を責めた。
「いくらなんでも、ヤンチャが過ぎるの。本当、バーグもそうだけど、アルクトスは格段に腹黒ね」
「仕方ない……リルが大切」
隣にいるリルを見れば、彼女は俺と目を合わせた。
まるで、太陽や女神、天使のように見える彼女は俺の一番に大切なものだ。
それを穢そうとしたやつは許せん。地の果てまで追いかけてやる。
「お、エンリルちゃん、何か言いそうだぞ」
リルは何か言いたそうで口が少し開いた。
「ア‥ル」
「なんだい……リル」
「大好き」
またそうやって、今度は俺に太陽のように温かい笑顔を見せるから。
俺はいてもたってもいられなくなり、思いっきり彼女を抱きしめた。
腕の中で温かい彼女は、何度も俺に向かって愛称を呼んだ。
「おいおい、いちゃつきを見に来たわけじゃねのに。いたた、おいタウ」
「いいじゃないの。だって、アルクトス、泣きそうよ。あんなに嬉しそうに泣いた顔なんて、本当珍しいわ」
リルは俺のことを抱き返して、その鈴のような声で俺の愛称を呼ぶ。
今まで彼女を守ってきて良かったと、俺は再び思いながら彼女の赤い髪を撫でた。
「リル…リル…俺も君が好きだよっ……」
何度言えば、何度愛情表現をすればこの底がしれない愛を君に伝えられるか。
きっと、そんな日はこない。
互いを思いやり、愛しているとは分かっていても、その愛は増え続けることをやめないのだから。
「アル、好き」
「おーおー、エンリルちゃんを完全に自分の手に落としたなアルクトス」
「あら、知らなかった?エンリルちゃんね、学園で初めて会った時からアルクトスのこと好きだったの。包み隠してたって言ってたのよ」
「げ、なんだその甘過ぎる恋っていうのか?」
バーグナーは、少し苦虫を潰したように渋い顔をした。
獣人は基本相手と結ばれる時、番というものは感じるが、恋というものはほとんどしない。
恋というのは人間が持ち、獣人が持たない特性と言っても過言ではない。
だから、いろいろなことにドキドキしたりなど、恋をもしたアルクトスは珍しい類なのだ。
俺はリルを抱きしめて、恋をさせてくれたことに感謝した。
この恋がずっと胸を温め、俺の生活を彩っていたのだから。
「リル……君も俺を好きでいてくれた…俺が君を好きでいさせてくれた……ありがとう…」




