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救助

アルクトス視点

国境につくまでに俺は何度も馬を変えた。そして、眠らずに夜を明かした。

疲れよりも、彼女を助けに行く気持ちの方でいっぱだった。

狼も魔物だけあって、馬の隣を走り続けた。おかげでライモ公爵邸につくまでにかかった日数は三日半。

公爵邸のあたりをコソコソと探せば、ユルスフが派遣した騎士が見えた。テントを張り終えたところだったようだ。


「貴殿がアルクトス殿であるか。私は騎士団長のセフェムである。長旅ご苦労だった」


几帳面に巻き、整えられた長いヒゲを摘むセフェムという、縦に長いほっそりした男。

 

「早く屋敷に…助け出しに行きましょう…」


「そうしたいのは山々であるが、そうするわけにはいかんのだ。ラモン公爵殿がどこに公爵夫人を隠されていらっしゃるのか全く検討もつかない」


どこにいるのか、リルを探すこと。それは、アルクトスが一番得意なことだ。


「……失礼する」


「?一体何を」


俺は全身に流れる血に神経を巡らせた。

全てが遡り、己の本来の姿を現すこと。それは時間を太古に巻き戻すことと同じようなことだ。

骨がギシギシと体内で動き、血肉がそれに合わせて移動した。

獣化の能力はその痛みに耐えることができるかどうかが鍵となる。

リルのために使うなら、こんな痛みは擦り傷にも含まれない。

俺は獣化した。

疲弊が溜まった身体が悲鳴をあげてはいるものの、アルクトスにとっては針が刺さったくらいの小さなことだった。


いきなり獣へと形を変えた俺に、騎士たちは驚きながらも、自分たちに危害を与えるものでないと、すぐに気づいた。

ユルスフの手紙に、こういう獣化の能力についてもかかれていたのだろう。


俺は地面に鼻を向け、耳を四方八方に忙しく動かした。

隣でも狼は同じような動きをして、二頭が吠えるのは同時だった。

それは、戦いの始めに鳴る雄叫びのようであった。 

俺はそのまま屋敷へ突っ込んでいった。

閉ざされていた公爵邸の門がグチャグチャに歪んで壊れた。その速さは自分でも驚くほどに凄まじいもので、邸宅にいる騎士たちがなぎ倒されていった。



一方、呆然としている騎士に狼が吠えた。

よく見れば狼の魔物であったが、それよりも騎士はハッとした。ついてこいということだ。


「乗り込めー!」


「「「「「おー!」」」」」




騎士が後ろから加勢してくる呼び声が聞こてくる中、俺は無我夢中になって奥へと走った。

ここから彼女の匂いがする、と思い、ただ走った。そこは、公爵の執務室のようであった。

その机の隣にある隠し本棚をぶち壊すと、地下に続く道が現れた。

獣化した俺がギリギリ通れる幅だ。詰まることも考えずに、俺はその石でできた階段を滑りながら降りていった。

石の階段が途中で割れ、壁にぶつかったが構いもせずに、ただ奥に進んだ。

階段を降りたら、左右には牢屋が続いていた。まだ匂いが濃く残っている牢屋があった。


ここから、連れ出されたのか、と予想した。


連れ出された先の方を見ると、火の明かりが一つもない闇であった。

だが、獣化した俺にはしっかりとわかっていた。


奥にいる。


走ると匂いを頼りに一度廊下を曲がり、また進んだ。そこには地下の教会があった。


「公爵!!ヤツが現れました!」


「なんだと!?」


公爵は、俺の怪物のような姿を改めて見たが、今度は恐怖も感じていないようだった。

俺はリルを目の当たりにして、怒りの色に染まっていた。

彼女は中央回廊の先にある祭壇の上で、仰向けに寝かされていた。日の光で、彼女の血がギラギラと反射した。


「これこそ“エレ”が使役している魔物だ。退魔の水をかけなければ」


神父は今に見ていろという表情で、水が入った小瓶を掲げた。

俺はそれが出される前にと、神父の頭を食いちぎった。

人の血が自身の喉を通ることが一層、俺をあるべき姿、理性を失った獣へと導いた。

けれど、愛する番を取り返すためだと思えば、正気を保っていられた。


「神父!!おのれっ」


公爵は剣を掲げて、尚も神父の頭の取れた体を貪る獣の背を切りつけた。だが、先に傷ついたのは、公爵の剣の方であった。


「な、なぜだ。なぜ、効かない!!」


俺は振り返ると、公爵へと唸った。

だが、複数人の騎士の存在を忘れてはいけなかった。彼らは己の命を守るべく最良の選択をしていた。


祭壇に鎖で手足を縛り付けられている彼女に剣を向けていたのだ。

それに気づいたのは公爵も同じだった。


「そ、そうだ。お前が私を食えば魔物の子を殺す」


「バウ!」


と、後ろから狼が来ていた。狼もまた、肝心なときに加勢しに来てくれたのだ。


「ヴー……グヴァァアアアアア!!」


狼を視認した後、雄叫びをあげて、俺は祭壇の方へ突っ込んだ。

その巨体で出せるのかと疑われるほどのスピードで、彼女の一番近くで剣を向けていた騎士から食い殺した。

返り血がその毛皮を染めては、口が赤く塗られていく。


「や、やめろ!!」


祭壇の手前では、狼が公爵の腕に噛み付いていた。


「いだい!いだい!」


惨めに泣きわめく公爵。すっかり騎士をも食い散らかした俺の目から、禍々しく光が溢れた。本能に駆られてしまいそうだった。


公爵を…食い殺せ。


きっと、こいつを殺すと俺は完全に本能に支配された獣となるだろう。もう二度と人の姿には戻れない。

俺はそう、感じていた。

一度にこれほどの人を食べたのは異常だった。

疲弊した身体は、既に本能に抗える体力も限界だというのに、ここまで持ったのは奇跡であった。

でも、たとえ獣に身を落としても、俺はそれでいいと思った。

リルが、もう誰からも傷つけられずに生きるには、こいつを今すぐにでも殺すことが最良だから。



金色の月が二つ、暗い教会の中で妖艶に浮かんだ。射抜くは公爵の絶望の顔。

耳まで避けそうな真っ赤な口を開け、血の味が染み付いた鋭く大きな牙をギラギラと見せた。



「……と…す……………ぁ…」

 

獣は公爵の肩に噛み付いた。頭を外して噛み付いたのは、本能に抵抗したためだった。


「ァ…ル…」


愛しい人が呼んでいたからだった。掠れた消え入りそうな声であるのに、理性を呼び戻すには、十分であった。

しかし、いつものように体はすぐには戻らなかった。理性を持ったままな、獣の姿であった。


「……クマ…生きて…いたのね…」


とぎれとぎれの言葉を、リルは弱々しく話した。

そういう彼女の眠る祭壇の下には、動物のクマの頭が落ちていた。


「よかっ…た……」


そうか、君はこれを見て俺がもう生きていないと思ったのか。

迎えに来るのが遅れて、すまなかった。

俺は血だらけのリルのことを舐めた。こんなにたくさん血を流すなんて、激しい拷問だったに違いなかった。

何度もいたわるように舐めると、俺の体から光が出た。


「リル」


人の姿に戻って話しかけた。


「だあれ……その…なまえ…」


まさか君、記憶を失って…。

リルは虚な目をしていた。俺が頬を撫でると、リルは不思議そうな顔をした。


「ハハハハ。もう無理だろう。魔物の子は、心が壊れたんだ。背中をむちで打って弱ったところにクマの頭を投げたら、泣いて目が死に始めた。腕を切り刻んでも、もう何も反応しなくなった」


…うるさい


「本当に恐ろしい子供だよ。私の妻を殺し、魔物の襲撃を防いだ化け物だ」


うるさい…黙れ…


「生憎だが、もうそれの心は壊れている。今ここで殺してあげた方がいいんじゃないか?」


「黙れっ!!!」


俺は再び獣化しようとした。全身の毛が逆立った。

愛おしい人を虐げ、心を壊した相手にたいする憎悪と嫌悪からの強い感情が渦巻いていた。

けれど、それは止められた。


「うた……う…ね…」


彼女の思いっきり肺に空気を取り込む音が聞こえた。 

歌う、そう言った彼女が声を発した。


洞窟に響き渡る掠れているが、よく響く声。

それは、音色を成していく。高くもなく低くもない、彼女だけが持つ声のトーン。




「シュザンヌの…歌じゃないか…」


発せられた歌言葉は公爵の耳を疑わせた。

それは、公爵が最も愛した人が使った歌言葉とうり二つであった。


彼女はたしかに、よくこの音色を……歌を…私に歌ってくれていた。

だが、なぜお前が覚えているのか。なぜお前がこの歌を歌える。



ただ、美しい歌言葉は弱々しい声であっても、地下をも震わせた。

その音色、その歌言葉、何もかも人間や獣人、小鳥にだって歌えない歌。

生き物の心さえも掌握し、その心へ大きく波打つ魂の歌。




俺は傷だらけになりながら歌うリルの手を握った。

狼は噛み付くのをやめて座り、公爵は涙して膝から崩れ落ちた。

 

「リルっ…だめじゃないかっ……そんなに歌ったらっ…」


俺は小さな額を撫でた。出血がひどいせいで、彼女は酷く冷たかった。


「ァ…ル…………?」


疑問符をつけながらも、彼女はその瞳に俺の姿を捉えた。

俺は涙を流した。体中に怪我した彼女を見て、守れなかったことに、心が悶えた。

体ばかりでなく、今度は心にまで傷を負い、彼女は獣の姿の俺しか認識することができなくなっているのだから。


「リル…君の名前だよっ……俺はアル…君と永遠を誓った…獣人だ……」


手を握ってやると、彼女の光を失った目に涙が滲んだようだった。

後ろで、公爵がすすり泣く音が聞こえた。





「シュザンヌの歌をなぜ…まさか、そうか。彼女は最初から…」


その美しい歌言葉は、どの国にも存在しないはずの言語であった。

美しい歌言葉をのせることに洗練された、神に捧げるような旋律。

その旋律を歌うことのできるものはおそらく、古来から親から子へと歌い継がせた魔力持ちの者だけ。つまり、シュザンヌもまた、魔力持ちであったのだ。

あの日、シュザンヌは確かにこの旋律を歌っていた。

秘密の歌だ、と言いシュザンヌはよく私に聞かせてくれたその歌を、あの日歌った。

魔物さえ操る力をどこかで制御しきれなかったのだろう。頭に爪痕があったのは、ジュザンヌが力を誤ってしまったからだ。それから、シュザンヌは息を引き取ってしまった。


公爵は答えを知ると、近くにあった剣を拾った。涙を流しながら、それを自分の喉元に突き立てた。


「すまなかった。謝って許されるとは思ってない。だが、我が子エンリルよ。もっと早く私が気づけば……いや、君をシュザンヌの残した宝物だと、始めから思えていれば…全て」





言葉は突然に切れた。公爵が首を自分でかききったためだ。

ただもうその遺言も、リルには届いていないようだった。

父親の思い込みが起こした、子に対する復讐心。生み出したものは残酷なものでしかなかった。

リルは傷を作り、心を壊し、父親は娘を傷つけた罪悪感に耐えられず自害した。


「ここ………ど…こ」


「リル………もう…話すな…」


自分の服を破り、彼女の応急処置にと巻きつけた。

傷は魔物の襲撃のときよりも数が多く、また、出血が酷く、これでは大量に血がなくなって、死んでしまうほどだった。


「早く…外に行こう」


彼女の体と祭壇の間に手を入れ抱えようとした時、彼女は俺の手を掴んだ。


「…よく……わからない…」


「どうした…もう大丈夫だから…安心して俺に」


「だれ……あなたも……わたしも……」


虚な目は、焦点が定まっている様子がなかった。


「リル…思い出してくれ」


俺と手を繋いだ日々。たくさん笑いかけてくれたこと、たくさん抱きしめ合ったこと。

何度も好きだと言い合ったこと、何度も互いを求めたこと。

永遠が欲しいと言って今、それをかなえようとしている最中だということ。


必死になって、俺はリルの手を握った。


「ほら…何度もこうして……手を握った……。この男の手を…君は愛おしいって言ったんだ」


俺はそれから、自分の頭の上に生えている耳を触らせた。


「この耳も…君はかわいいって……俺のことを笑うんだ…」


空虚な顔は少しだけ笑った。


「ア…ル…」


「そうだよ…俺の名前……君が愛おしそうに呼ぶんだ…」


嬉しかった。君は心が壊れても、絶対に俺のことだけは忘れないんだから。

でも、死人のように冷たいことを知っては、俺はまた目前に死を感じた。

魔物の襲撃のときよりも、それはずっと近かった。


「…もう…たすからない」


「言うな…君がいなくなったら……俺は何をしがらみにすればいいんだ」


学園で出会った時からこの身、この心は全て彼女へと溶けた。

彼女がいなくなったら俺は、彼女と手を繋いで死んでやる。


「でも…もうむり……」


力なく言う彼女の元に、狼も歩んできた。


「クーン」


狼は鳴きながら、のそのそと落ち込むように歩いた。

リルの元まで近寄ると、喉を鳴らしてその体の血を舐めとり、遠吠えを始めた。

主人の死を悲しんでいるのだろうか。

暗くしっとりとした、だがよく響く遠吠え。地下をも通り抜けて山にまで響くような声だった。

狼の意思が遠吠えに乗り、伝わってきた。


『エンリルを助ける』


すると教会は突如、光で溢れた。

狼がその体から、星のような優しく眩い光を放出していたのだ。

それは突然のことで、俺は目を疑った。なぜなら、狼は光と遠吠えの中で、人の姿を成していたからだ。

人の姿となりながらも遠吠えを一通り響かせたあと、息継ぎと同時に光が収まった。


「エンリル。こんなに怪我をして。我がそなたを助けようぞ」


人の姿をした狼は、リルの胸の上に手をかざして唱えた。

先程、彼女が歌った歌言葉と同じような言語を短く話した。

彼女の体は、黄色の木漏れ日のように温かな光に包まれた。彼女はゆっくり目を閉じて、気持ちよさそうに眠っていった。その体からは、傷が消え去っていた。

どうして狼は助けてくれたのか。どうしてこのような神が成すような力が使えるのか。

疑問に思い、俺が口に出すと狼が答えた。


「エンリルは強い赤を持つ、それに惹かれたんじゃ。我は森の古くからの魔物である。魔物にだけ与えられた、この世の理を少しだけ破る力を持っておるのじゃ」


狼はリルの頭を撫でた。


「それに…我があのとき、やすやすと捕まってなければ、エンリルをこんな目にあわせることもなかったのじゃ」


「ありがとう……お前はずっと……リルを守っていてくれたんだな」


「あたりまえじゃ。なんせ、我はエンリルの母親同然じゃからな。アルクトス、我はそなたとエンリルが結ばれること、これから大いに見守っていく。じゃが、我がお主が相応しくないと思ったら、即刻噛み付くからな」


「そうだな……俺はもっとリルに…相応しい男にならなくてはな…」


リルをどれだけ傷つけるような状況に合わせてしまっていることか。

最初はエドワードとの政略的な、家同士の婚約により始まった王妃教育の苦悩。

あれほど王妃になれるようにと頑張ったリルの十八年の努力を、エドワードが婚約破棄によって砕いた。

魔物の襲撃でも、リルはその背中に傷跡を背負った。

今度は心と記憶までも、彼女の中で大きく傷ができてしまっていた。


「もう離さないから……ずっと俺のもとで守るよ…」


静かに眠る愛おしい人の唇に、キスを施した。

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