成心
「こう……しゃく…」
父である者に呼びかけた。
朦朧とした意識のさなか、二人の声が異様に頭に響いてきた。
「まだ話せるということは、“エレ”の場所を知っているのでしょう。知っているから、ザリアーにその命を奪われずに生かされている」
私の額から血が出ているのか、目を開けることもできなくなった。
鎖によって縛られた手足。
鞭を何度も背中に打たれて、肉をえぐられる強い痛みが何度も私を襲った。
もうダメだ。痛い、死んでしまいそうだ。
そう考えるたびに、アルの顔を思い出した。魔物の襲撃をやり過ごして以来、溺愛してくれる彼の顔をたくさん見れた。
手の指を絡めて、熱の籠ったアルの金の瞳。
耳を触ってあげて、上目遣いすると目を逸らす恥ずかしそうなアル。
彼の頭を私の胸の中に抱いて、思いっきり撫でたらもっとして、と甘えるアル。
可愛い、愛おしいとその顔を思い出しては、ここで死ねないと思った。
でも口で言葉を発する気力は、残っていなかった。
「早く殺してはいけないのか」
「なりません。他の“エレ”の場所を聞き出してから出ないと、あなたに呪いは跳ね返るのです」
「呪いか、それは困る。早く吐いてくれないか」
何も私は知らないというのに。公爵は、神父の言葉を間に受けて何かしら聞き出そうとしてきた。
先程から雨のように打たれる鞭に、ぼんやりと今度は夢を思い出した。
『あなたは、幸せになるのよ』
お母様の言葉だった。私が魔物の襲撃で瀕死になった時に夢でかけてきた言葉。
お母様は、幸せでなかったのだろうか。お父様と仲が本当によかったのに。
パシっ
「っああああ!」
魔物のから受けた傷跡に広がる痛みが、私を追い込んだ。
とてつもなく焼けるような痛みに舌を噛みそうになりながら悶えた。
「ここは秘密にしてある教会だからな、誰も助けになどこないよ。お前の旦那もな。さあ吐け!おい、もっと鞭を強くしろ!」
公爵は指示を出すと、再び打たれる鞭の強さが感電したように全身を通った。
「あああああ!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
一つ一つ振り下ろされる、焼け付く痛みをはらんだ鞭の嵐。
彼はきっと来てくれる、だから大丈夫。そう思っていても、公爵の秘密の教会といわれるこの場所が、見つけられるだろうか。
私は最悪のことを考えた。彼の迎えがないまま、ここで迎える最後の日を。
ここは現実じゃない。思い込むように自分に言い聞かせた。
ここは本当の世界じゃない、夢なんだ。全て悪い夢。
「そろそろ伝えて見てはいかがでしょう」
「そうだな神父の言う通りだ」
鞭の手が止まった。
「伝えておくよ。君の大切で愛おしい旦那は、哀れにも死んだ」
そんなの、真っ赤な嘘だ。
彼は獣化の力を持つ最強の獣人だから、そう簡単に死ぬはずがない。
「嘘だと思っているんだろうが、本当だ。ほらこれが証拠だ」
ゴトっ
足元に転がった音がした。確かめるようにその物体を触って、私は涙を流した。
頭だった。獣の姿をした、彼の頭だった。
その瞬間、私は生きる希望を失った。
彼がもうこの世に存在しないというのなら、ここで生きている意味もない。
星空の下、彼と共に並んで輝き続けてきた心。彼が隣から消え、私の足元は崩れ去った。
私の中に備わる感情の全てが、機能することを止めた。
どうしてここに私はいるの?
分からない。
どうしてこんなことをされるの?
分からない
私は誰?
分からない
「そろそろ血を抜いてはいかがでしょうか」
「それはいい考えだ。早速やろう」
目の前の細い男は私の髪を引っ張り上げた。
「さて、お前もそろそろ自分を見失ってきたんじゃないか?」
もはや何も感じなかった。
目の前の人がどういう人なのかさえも分からなくなっていた。
ただ相手に感じるのは、激しい憎悪だけだった。
「切り刻め」
ナイフは、私の腕を浅く切った。
ポタポタと小さな赤い血が流れ始めた。
「もっと深くだ」
右腕を今度は深く切る感覚がした。
今度は大量の血が流れ始めた。
もう、痛みなどわからなかった。
自分さえも誰なのか見失っていた。
ただ、足元に落ちているクマの頭を見て、どうしようもなく悲しい気持ちが湧いた。
痛みの感覚が壊れたのに、心は傷むことを忘れなかった。
アル
言葉にする力もないが、愛おしい名前だけが今の自分の頭に焼き付いていた。
「ゲホっ」
口から血を吐いた。
血生臭いにおいと、鉄の味。目の前の人物が高笑いする響く声。
ああ、アル
頭に浮かぶ名前を、ただ一心に大切に抱きたくなった。




