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動揺

□月□日

元婚約者が来ました。


夜も開けベランダの外に出れば、上着を何枚か着ないと肌寒いくらいだった。ベッドで寝ている彼はそろそろ起きただろうか。


「もうすぐ冬が来るのかしらね」


空を見れば、薄い色の空。

人の国よりも寒さが厳しいとされている獣王国。そのぶん、秋に採れる作物の恩恵は豊富である。冬と言っても、体が丈夫な獣人にとって住みやすさは変わらないという。


「本当…素敵な国ね」


目を細めて街を見た。と、一本道を通行する馬車が見えた。あの紋章は…


「リル…」


後ろから呼びかける彼の声も、遠のいた。


「……」

 

「…リル?」


怖い。怖くて、動けない。そんなの、有り得ない。

けれど、確かに馬車の紋章は表していた。


「エドワード・イフェンス…」


馬車には青色の小さな旗が立てられていた。あれは間違いなく、元婚約者が乗っていることを示す宮廷からの馬車だった。

ヒュッ、と息が詰まった。

アルは私の気持ちをすぐに汲み取って、部屋へと連れ戻してくれた。馬車は二台あった。一つは第一王子のエドワード。もう一つは第ニ王子のものだろう。

でも、彼らの目的は何なのだ。思えば、逃亡中の私がこの国に身を委ねたことは外に広まっているのかもしれないのだ。魔物の襲撃のとき、活躍したからこその名誉は今、また仇となって返されるのかもしれなかった。


「リル…」


どうすれば?

お父様も生きているのだから、私を追いかけてくるだろう。それは、私を殺すため。王は確かに言っていた。お父様が国に来て私を探していたと。子を殺そうとしていたと。


「リル!」


アルが私の名前を強く呼んでようやく我に返った。後ろから抱きしめてくれる彼のおかげで、少しだけ平静を取り戻した。


「…ヤツらが…来たのか」


頷くと、しばらくぎゅっとそのままの状態でいてくれた。


「私を追っているとは限らないけど。王子が乗る馬車にお父様も必ずついて行っていたの。だから、怖くて」


もしかしたら、また殺しにくるのかもしれない。ただ、アルは黙って聞いてくれた。


「殺されたくない。こんなに幸せなのに。どうして私は脅かされないといけないの…」


心からの悲痛が残っていた。残響がまだ鳴りやんではいなかったのだ。


「俺が……君を守る………だから…今日は帰ろう…」


帰れる場所がある。私には居場所があるということ、守ってくれる彼がいることが私の心を解した。

公爵邸に戻ると、アルは王に使いを送った。くれぐれも、彼らがこちらに来ないようにと。少しは安心したのもつかの間、王からの伝言を承った使いが帰ってきた。伝言は、ぜひ国一番の力を持つアルクトスに面会を申し出たいと、第一王子が申し出た、というものだった。第二王子もそれに賛同しているらしく、アルクトスは至急城に向かわねばならなくなった。


「すぐ帰る……」


「…っアル」


どうしようもなく不安で、見送るときに口づけをほどこした。アルは馬の背に乗ると、すぐに行ってしまった。ここから城下町まではそう遠くない。早く帰ってきてほしいと、このとき、本当に強く切望した。







城につくと、俺はすぐに応接間に通された。そこでは、獣王国の王、王子たちが話していた途中であった。王は俺を見て頷いた。俺は前に出て、膝をついた。


「私が…アルクトス・ミコラーシュ…であります……」


王子も王もそれぞれが自己紹介したあと、王子が話を切り出した。


「ほおう。お前が最強と名高い獣人か」


褒めてはいるようなものの、その見下すような目は感心しない。金髪碧眼で、容姿は女性受けしそうなものの、その心は歪んでいるようであった。俺は、こいつがエンリルを捨てたろくでもない馬鹿な王子か、と思った。


「ぜひとも、狩りに行って、勇姿を見たいものです」


一方、金髪に翡翠の目をした第二王子ユルスフは、親しげな雰囲気だった。まだ第二王子はまともそうだと、思った。


「…狩りはあまり……好まないのです…」


ユルスフは朗らかに笑った。


「むやみな殺傷はしないことは、本当なのですね」


確かめて納得したような顔のユルスフ。それとは正反対にエドワードは明らかに失望した表情を見せた。

ユルスフはにこやかなまま話を続けた。


「いや、不快にしてしまったのなら、すいません。私は以前から、獣人の伝統や文化には関心をよせているのです」


第二王子が人間の国で王になるというのなら、外交は上手くいきそうだな。他国の文化を知ろうとすることはいいことだと、俺も品定めするかのように彼らを観察した。

愚かなエドワードはユルスフの熱心さを微かに鼻で笑った後に、口を開いた。


「そういえば獣人には運命の人が分かるとか」


俺はその一言で血の気が引くのを感じた。


「そうですね。それは番といわれるそうで、一生大切にするらしいです。その本能的に一途なところも憧れます」


「一途という愛の重さは、弟には婚約者がいないからわからないだろうに。僕には、ナスタシアという恋人がいるから、よく分かるね」


エドワードは胸を張って言った。ユルスフを卑下する言動であったし、何よりも獣人の番という特別なものを理解した気になっているのに虫唾が走った。


「アルクトス殿にも、確か、番がおられるとか」


「はい…」


ユルスフは情報を知っているようで、俺は頷くしかなかった。


「おお!それはできれば、ナスタシアも含めて公爵邸で四人で茶会を開きたい」


第二王子ユルスフを省くように、エドワードは言った。


「それはいいね。私にはまだ恋人がいないが、ぜひ、私も公爵邸には行ってみたいものです」


王の方を見ると、笑顔を取り繕ってはいたが、その息が詰まっているようだった。ユルスフはまだしも、エドワードを連れて行くなど言語道断だ。俺は王を睨みつけたが、王はただ額から青白い汗を流すしかなかった。


「私の番は……」


どう言おうか迷っていたが、思いついた。


「病気がち…なのです……」


たとえ王子に嘘をつくことが反逆罪だか、罪に問われようとも、リルだけは譲れなかった。


「そうなのですか。それは残念」


よし、ユルスフをこのまま落とせば…。


「それなら、元気なときに茶会にしよう。やはり、狩りの姿も見たいし、番とどういうふうに接しているのかも見たいからな」


エドワードが言った。これには、腹が立った。まるで俺達獣人を動物か何かだと思ってないか。番とは見世物ではないし、むしろ獣人の生涯の守るべき宝なのだ。

剣を抜きそうな手を抑えて、奥歯を噛んだ。


「明日は、無理か?」


立て続けに無理難題を言うエドワード。


「明日は…」


「ライモ公爵、明日の予定はどうなんだ?」


ライモ公爵と呼ばれた人は、エドワード王子の後ろに控えていた人物であった。

その容姿を見て、俺は驚いた。黒髪黒眼であるが、その目元がリルと似ていた。

なぜ今までその存在に気づかなかったのか。普遍的な宰相という感じであったからだろうか。

今改めてライモ公爵を一瞥すると、その体から少しだけにじみ出た異様な雰囲気を感じた。影こそ薄いが、やはり只者ではない。

細身なライモ公爵は、落ち窪んだ目で俺を見やってから、思い出すように宙を見た。


「そうですね。明日は空いてますが、明後日となると視察になります」


「そうであったな。アルクトス、明日では駄目か。無理そうなら医者を送るが」


背水の陣であった。逃げ場所はもはやどこにもないように思えた。


「医者は…必要……ありません……」


「それなら大丈夫そうだな。明日に組んでおいてくれ」


何が大丈夫なんだ。再び奥歯を噛み締めた。明日の護衛にもライモ公爵がついてくるだろう。そうなったら、リルが危ない。

王子の面会も終わると、俺は王と二人きりになった。お互い、取り繕っていたものを外した。


「あ、アルクトス、大丈夫か?」


「…大丈夫に…見えます…か?」


慌てて目を伏せた王。


「エドワード王子……特にアイツは許せん…」


「そうだな。私もお嬢さんを捨てたと耳にしているよ。だがな、王子がお前さんに興味を持つのは、将来の最有力王候補だからだ。お前さんがまた評判を上げたから、民も期待しているのだよ」


王の話に、俺は眉間に力が入った。

俺には王になる気など全くないのだ。王など政務に追われる人生で、王になったらリルに構う時間など微々たるものとなる。そんなの、絶対になるものか。

しかし、周囲から器があると誰よりも言われていたのは他でもない俺だった。その器というのは、獣人では強さのことを指し示す。 


「王など…いらない。リルと……いたいだけだ…」


「お前さんのその思い、いつも思うが恐ろしいな。お嬢さんも、少しはお前さんから逃げることをすればいいのに」


王は呆れながらも、ラモン公爵のことには同じく思うことがあった。


「子殺しを企む親は怖いぞ。特に、ラモン公爵はいけない」


あの異様な雰囲気。影は薄く、普遍的な人であるのに、あの異質な覇気。


「リルは……何としても…守らないと…」  


おそらく、赤髪赤目という情報もユルスフは知っているはずだ。ライモ公爵も勘付いているのかもしれなかった。恐ろしいことが今にも起きそうで、気がきでなかった。


「とにかく、アルクトスは公爵邸に戻った方がよい。お嬢さんと話し合うんだ」


「…断れない…か…」


「外交上、向こうを優先してあげねば。ただでさえ、人間の国での獣人の差別意識は根付いているというのに。断ってしまうとなると、向こうに住んでいる獣人に被害が行くぞ」


どうしようもないということだ。代わりを立てようと思っても、赤髪赤目の獣人など滅多にいない。いや、そもそも赤色という色素が獣人にはない。大体が黒か茶色で、珍しい色としても、金、白銀であるのだ。アルクトスは急いで帰った。





その日の夜、アルクトスがすぐに帰ってきてくれた。本当に早く帰ってきてくれたから、私も安心することができたが、彼は顔色が悪かった。


「リル…言わなければ…ならない…」


「どうしたの?」


玄関先で彼は立ち止まって話した。


「王子が…明日……茶会に来る」


「あ…え…?」


「ライモ公爵が……付添護衛していた…」


私は冷や汗が出てきて、足の力が抜けた。まだ王子だけならなんとかなったのかもしれなかったが、お父様が来るかもしれないとなると、本当に怖かった。アルクトスの立場からは断ることはできないだろう。だけど、彼が全て悪いわけではない。

私自身、ずっと怯えて暮らすわけにはいかないのだ。

最強と名高い彼の横につくのに相応しくなれるよういつかは脅かされるような立場から成長しなければならない。それを考えると、私は震えながらも足に力を入れた。


「守られるばかりじゃいけないわ。脅かされるような人生も……自分の手で変えなきゃいけないのよ」


赤色の瞳がアルクトスを見揃える。奥には太陽のように燃える決意が見られた。


「けじめをつけるわ。そうと決まったら茶会の準備よ」


その手はまだ震えているというのに、エンリルは自身に言い聞かせるようにしながら立ち上がった。


「リル…」


「アルも手伝ってくれる?」


「もちろん……獣人流のセットは…任せろ」


「なら私は、茶葉やお菓子、使用人たちの割り振りね!」


その日のうちに計画を立てて、夜分遅いが店に使いをやった。明日には準備も揃ってすぐにでも用意ができるだろう。

ベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。



夢では、また不思議な森にいた。木々の間から射し込む光がキラキラと美しかった。ぼおっと見ていると、私の手を隣の人が握った。

「アル……」

彼は、金の目を優しげに細めた。ここは私達しかいない森。静かな森は、葉が擦れ、小川が流れる音のみが聞こえてきた。耳を澄ませていると、隣のアルが低く呟いた。

「愛してる……いつまでも…」

まだもう少しここにいたかった。けど、それは叶わなくて。

目が覚めたとき、ぼんやりとした夢の一部を思い出して、私の胸は締め付けられた。あそこにいれば、いつまでも彼と二人きりになれるのに。

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