距離
□月□日
城下町で一人観光。
それから、猛スピードで準備をすると、私はすぐに狼と馬車で城下町に赴いた。町では、私を歓迎してくれる人が多くいた。魔物の襲撃の戦況を、大体的に動かしたアルクトスと私は英雄みたいなものになったからだ。
城下町の少し宿賃が高めの宿屋に泊まった。一般の客は大体ここに観光目的の人ばかりだ。ここの店主さんも私の宿賃を安くしてくれた。
狼と共に部屋に入った。
セミダブルのベッドに、一人用の椅子と机、シャワー室、トイレ付き。
一度荷物も下ろして、部屋の小さなベランダ付きの窓から外を見た。
下の階は食堂と受付で、この部屋は二階であるため少し上から眺められた。
手を繋いで買い物する親子、カフェのテラスでゆっくりする一人客、新聞や手紙をカバンいっぱいに詰めた郵便屋さん。
目の前のほとんどの人が獣人であった。こうして見ていると、みんながまた自分たちの生活を取り戻すことができているようでよかったと思った。
いろんな獣耳や尻尾を持つ人を見ていたら、アルの顔がよぎった。
屋敷を出るときに見送りもしてこなかった、彼が思い浮かんで、
「いや、私は悪くないわ」
と、開き直ることにした。
十分羽根を伸ばすことに決めたのだから。狼も寝る時は部屋にいてくれることだし、護衛は十分だった。
とにかく、この国の文化をまだまだ知りたいし、観光もしたいと思った。
その次の日もまたその次の日も、私は城下町を見て回った。
繁栄しているところもあれば、少し暗くて、怪しい裏路地のところまで。
狼がついているし、どこでも安心して巡ることができた。
あるとき、共同の温泉があると聞き、行ってみた。昼間だからか、人がまばらで運がいいと思った。
脱衣所で服を脱ぎ浴場にはいれば、獣の耳と尻尾を生やした人ばかりだ。
観光でこの国に来る人もいるけど、やっぱりこういった世俗的なところは住民の方が多い。
背中を流していると、ジロジロと視線を感じた。背中の傷のせいだろう。魔物のせいで、太い三本線の痕がついているから、驚かれるのも無理はない。
湯に浸かり、少し考えていた。
彼を守った誇らしい傷。アルが無事で本当に良かったと思った。
でも、これでは披露宴やパーティのとき、背中の見えるドレスは着れない。
女性のドレスは、そういった背中の見える方が色気を出せるというのに。
夜の営みだって、彼は私の鎖骨や首筋にキスを落とすだけで終わってしまうのだ。
自分の胸は小さい。胸のカップのせいで、一番小さい下着をつけているのだから。体には全くと言っていいほどもう自信がなかった。
胸も背中も、見どころがなくなってしまった。
いつもアルは私に、『今晩…』と言うがあれも全てキスで終わらせてしまう。
彼は私と夜の行為などしたくないのだろうか。身体だって求めてほしいのに。
「って、彼のこと考えてどうすんの」
頭を横に振った。つくづく自分が怖い。
ふとした時に必ず思いつくのはアルのことだ。それに最近はもっと醜い感情が芽生えてしまっている。
女性が彼に寄り付いただけで、毛が逆立つような思いをするのだ。
相手がメイドさんだろうと、官僚の人だろうと。
私の方が…もうアルなしではやっていけなくなってる。
こんなこと、考えてしまってはいけない。狼のためにも早くあがろう。
狼は温泉には入れないので、外で待っていてくれていた。
その後急いで温泉の店から出ると、何やら外が騒がしかった。大人の男の声だった。
「この馬鹿者が!前が見えてねぇのかよ!」
すいません。と、平謝りするのは線の細い若い青年だった。
「俺の肩にぶつかりやがって!」
男はヒョロりとした青年の襟を掴んだ。
流石に肩がぶつかったくらいで、やりすぎではないか。
狼さんもいることだし、私は止めに入った。
「そこまでにしてくださいな」
「ああ?」
ギラギラと怒りに震える男の目が射抜いた。しかし、私のことを城下町で知らないものはいないのだ。獣人は持つことのない、私の赤い目と男の目が合うと、向こうは明らかに動揺した。
「お…お前…」
「その男の子は私の使用人ですの。今は町ですので扮装していますが、離してもらえませんでしょうか?」
いつの間にか、近隣の獣人たちがこちらを見ていた。
もし男が私に手を上げれば、彼らが黙ってないだろう。
足元の狼さんも牙を剥いて、男をギラギラと射抜いた。
「…クソっ」
男は渋々青年を離した。青年に駆け寄ると、特に目立った怪我はなかった。
「怪我がなさそうでよかったわ」
微笑んで、手を貸してあげた。
「あの…ありがとうございました」
「いいのよ。あなたは狐かしら?」
「…狼です」
獣人の動物を見分けるのはまだ難しい。私は苦笑いして謝ると、青年は私についてきてほしいと言ってきた。
ちょうど、暇していたところだ。青年とお喋りしながら後をついていくと、花屋の前にたどり着いた。
「あなた、花屋さんなのね」
「そうなんです…」
狼なのに花屋を営んでいるとは。基本、肉食系の獣人は騎士団や傭兵など戦闘職につき、草食系の獣人が安全な町で店を営業するものだ。なのに、彼は花屋を営む珍しい人だった。
「良かったら、花束を差し上げたく」
「いいの?」
「はい。もちろん、あなたのアルクトス様に」
もう随分と有名になってしまっているものだ。花をいくつか選んだ。それは主に黄色の花だった。
「もう一種類いきません?」
「これで十分よ。ありがとう」
「そうですか。では、公爵邸にメッセージも添えましょう」
メッセージか。喧嘩中なので送りたい言葉はなかなか見つからないのだが。私が悩む様子を見て、青年は口を開いた。
「仲睦まじいと聞いておりましたが、ひらめきません?」
「ちょっとね、今は距離を置いているの」
「ええ!?」
青年は驚いた。
「すいません…獣人にとっては、番というのは相性の良し悪しもありますが。お二人は相当良いと聞いていたので」
「アルが過干渉過ぎただけよ」
「それなら尚更、このメッセージが大切です。花は人を結ぶ美しい植物です。ここは僕が代筆しましょう」
そうすると、筆跡でバレて、青年が後々大変なことに巻き込まれそうだ。
急いでペンを青年から取り上げると、私は彼が読み上げた文字を書くことにした。
「あなたのことをいつも考えています。本当は一緒にいたいけど、帰りづらく思っているのです」
青年が読み上げた文章を書いたあと、はっと気づいた。私はすぐにその手紙を破った。
「な、なんてことを…」
「これは、ないわよ。だって向こうから、私が溺れてしまうくらいに愛してくるんですもの!私は、帰ろうと思えば、ちゃんと帰れるし、いつもなんて…考えてないわよ」
青年に嘘を吐いた。本当は、自分の頭の中はいつもアルのことでいっぱいなのに。
青年に催促して、もう一枚手紙を書き直した。
申し訳なく思っているが、過干渉すぎるあなたが悪いと、書く。今度は、青年に破られてしまった。
「酷いわよ!」
「いや、お客様よく考えてください。相手は番ですよ!?こんなの書いたら自決しちゃいます!」
そこまでは思ってもいないことだった。
「獣人は番が全てなんです。本当に、アルクトス様はお客様のことをすごくさごく大切に思ってらっしゃいます。それはもう、獣人の模範のように。どのくらい過干渉なさってるのか存じませんが、溺愛されるのは嬉しくないのですか?絶対に仲直りの手紙にしてください!」
物腰柔らかな青年だったのに、彼は強く私に叱るように言いつけてきた。
「でも私、あんなに愛されてしまったら、自分もどうにかなりそうなのよ。アルに依存してしまいそうで」
「いいと思いますよ。アルクトス様はきっと、お客様に依存される方が嬉しいですよ」
「で、でも」
「互いを深く思い合う種族を超えた二人の愛。本当に有名なくらいなんですから」
結局、私は仲直りの手紙を書いた。差出人は私の名前を表記し、花束と共に送ることにした。
「いつでもまた来てください。お客様の悩みは花が解決しましょう」
花よりかは手紙の方の悩み解決な気がするが。
青年のおかげで、少しは彼のことを考え直せたかも。
日が暮れるまで狼とその後も練り歩いては、宿へと戻った。一服つこうと、部屋の扉を開けた。すると、窓の月明かりを帯びている人が見えた。
「だ、誰」
鍵は閉まっていたはずだ。私はおおいに警戒するも、狼だけはあくびをして部屋に入ることなく、まさかの宿屋から外へ出て行こうとした。私の警護をしてくれるのではなかったのか。
ずっと立って待っていたらしいその人は、私にぎこちない足取りで、歩んできた。廊下の光がその人物を照らした。
「…リル…ごめん……俺が…悪かった」
頭を下げてきた大柄の男。それはアルクトスだった。私も部屋に入り、扉を閉めた。部屋にある蝋燭に火をつけて、一旦体勢を整えてから、なぜここにいるのかと聞いた。
アルは、もう七日も帰ってこない日が続いて死にそうになって、花束にあった手紙を読んですぐに来たという。
「……苦しかった………リルがいない」
「でも、私言ったわ。一週間泊まるって。あなた、一週間が経とうとしてる七日目にわざわざ会いに来たの?手紙にもあるように、明日には戻るつもりだったのよ?」
「無理だ……それに…今晩が……八日目になる…」
「夜中を超えたら八日目だから許されるだろうってこと?」
手紙の仲直りをしようという内容とは正反対に、私は彼を質問攻めにした。
「……リル…怒ってる?」
「ええ」
「…俺……邪魔?」
その返事は誤魔化した。邪魔ではないがこう……まだ一人にしてほしかった気もした。言葉の整理がつかないでいると、先にアルクトスが口を割った。
「でも…リル……俺辛かった」
光はほとんど入って来ていないのに、彼が相当病んでいるのは伝わってきた。
「はぁ…まあいいわ」
「本当か……?」
私よりも大柄なのに。そんな子供っぽいところを見せられることに、私は弱い。
早々に、彼は私を抱き寄せた。
「よかった………」
この世の幸福を集めたかのように言うものだから、少し気が抜けた。
「リル………名前…呼んで…」
「アルクトス、これでいい?」
「愛称で…」
「…アル」
ハチミツ瓶を見つけたクマのように強く私を抱く。
「アルは寂しがりやね」
「……そうだ。学園卒業も……しんどかった………ようやく……手に入れれた…」
そんな恥ずかしいことを、最近の彼は自然とたくさん口に出した。
聞く身にもなってほしい、私の方が恥ずかしいというのに。
「そんなこと言われたら、私、あなたに依存し始めるかもよ」
彼に対しての愛が、永遠的な狂愛となる。
彼はこう言ったらきっと困るだろう、迷惑だろう。でも、あえて聞いてみた。
「依存ということは……俺なしで…生きていけないということか…?」
「そうよ。でも、それより深い意味を持つわ。あなたが、私にだけ目を向けてほしい。私以外の女性を見ないでって」
言い切ると腕の力が緩んだ。ほら、きっと今困った顔をしているはずだ。
私は確かめるように彼の顔を見た。蝋燭の黄色い光が彼の顔を照らし、その覗き込んだ表情に私の方が困惑した。
口元を抑え、耳をピコピコ動かし、目を私から逸らしてまんざらでもない顔。
「え、ちょっと、あなた嫌じゃないの?」
私が聞けば、目を逸らしたまま彼が言った。
「…嫉妬してくれるんだろう?……嬉しいんだ…今まで一方的に俺が……君に寄り付く男に…嫉妬したから……」
アルはそう言って、口元の手を退けると私を再び強く抱いた。
「今晩…」
「ねえ、この際だから言うわ。あなた夜の行為をどうしてキスだけで終わらせてしまうの?わかってるのよ。私の身体に魅力なんてないもの。胸だって小さいし、背中になんて大きく傷ができてしまったし。でも、こんなに愛しあってるのに、キスだけで終わらせられるのは」
アルは私の髪に顔を埋めて、息を荒げた。
「ちょっと、結構頑張って話してるのよ。聞いてる?ひゃっ…」
アルが私の首筋を噛んだ。強くはないが、立派に尖った犬歯が肌に食い込み、甘噛みをしてきた。
「甘い……溶けそうだ……」
月明かりで見える彼の甘くなった顔に、私は固まってしまった。見惚れるほどに、彼の瞳は熱がこもっていた。
「まさか今日は満月なの!?」
窓を見ると、空には大きな丸い月が。
満月の日になると、獣化の力が強いアルはいってしまえば、発情する。先祖の力が強いほど、満月のこの症状が強くなるのだ。
「君の身体……食べてもいいんだね…」
「待って、満月なんて聞いてないわ」
押しのけようとしたがグイグイ距離を詰められ、しまいにはベッドにまで追い込まれた。
フカフカのベッドに押し倒されたら、もう抵抗も出来なかった。
「ホントに待ってちょうだい、まだ心の準備が」
「待たない…待てないよ。もうずっと…我慢してきたんだよ」
荒く息をするアルが、いつもより野生的になっていた。
「リル…リル…………好きだ」
愛をささやく長い夜が始まった。




