溺愛
□月□日
ミコラーシュ公爵家に移り住む準備ができたそうよ。お城も確かにいいけれど、あなたの屋敷の方が落ち着けそうね。
それからというもの…私はアルの屋敷に引っ越しを済ませて、本格的に住むことになった。今までは城内の余った部屋に公爵家の使用人やら、道具やらを置かせてもらっていた。だけど、私が正式に公爵の爵位を持つ彼の奥さんになったということで、屋敷に招かれたのだ。私は再び公爵の人となった。
そして、困ったことに彼はなかなか私を一人にはしてくれなかった。
「お手洗いに行きたいの。離してくれる?」
執務中の彼の膝の上で、私は私に回された腕を解けないでいた。
「無理だ……ここで…」
「ここは無理よ!流石に、私だって人に見られたくないものはあります」
渋々、膝からおろしてくれたアルから離れて、すぐに部屋を出た。
お手洗いに行くと見せかけて、私は図書館に行った。
申し訳ないが新しい本を読みたいのだ。新刊が入荷したと昨日知らされていたから。
急いで公爵付属の図書館に行って借りると、今から走れば何とか時間ギリギリに戻れるだろうと計算をふんだ。しかし、廊下でいきなり背中の傷が痛み始めた。
「いたた……っわ!」
かがみ込もうとしたが、急に視界が高くなる。この高さは、彼にお姫様抱っこされているときの高さだ。
「………だろうと思った……」
「あ、あの、嘘をついたつもりはないのよ。私、本当にお手洗いに行こうとしてついでに」
「嘘だろう……音……真っ直ぐ……図書館に…」
耳の特別優れたクマの獣人であるからか、彼が言ったことが正確すぎて困った。
これは完全に怒ってる。
私は何とか腕の中から抜け出そうとするが、彼の胸板は厚く、少しの力ではどうしようもない。
それに、背中は痛むばかりだ。
「ううっ」
「諦めろ………どうしようもない…………それに……辛そうだ…」
また執務室に連行されると、今度は執務室にあるベッドに寝かされた。静かに寝かしてくれたアルは、私の首筋にキスをした。
「は、恥ずかしいよぉ」
たまに入ってくる使用人たちが気まずそうにしながらも、ニヤニヤとこちらを見てきた。アルが何度も愛おしげにキスを落とすので、私はそれが恥ずかしくてたまらなかった。
「アル、私だって策があるんです」
「今度は…何をするんだ…」
「狼さん!」
呼べば部屋に狼が入って来た。この瞬間のための緊急脱出作戦を練っていたのだ。
狼は、私の方に来ると、ベッドに脇までやってきた。
よし、いい子。
私は狼の方に手を伸ばして頭を撫でた。
「…解せん」
アルが狼を睨め付け、目を離した。そう、この機会を狙っていた。
私はすぐに体を彼から寝返りをうって、彼から離れるつもりだった。
「リル……ダメだろう…………そんなに動いては……」
彼がいつの間にかベッドに入ってきていて、私を抱きしめた。その動作までがあまりに早くて、私は目をパチパチさせることしかできなかった。
「まさかこのまま、一日を過ごすってわけじゃ」
聞けば彼はコクリとうなずく。
「仕事…は?」
恐る恐る聞くと、彼はニッコリと答えた。
「一週間分…やった……」
あ、作戦が失敗に終わってしまった。とりあえず今日一日中は、このままなのだろうと覚悟した。
あるとき、私は別の作戦を練った。
そうだ、こうなれば、朝から抜け出せばいいのだと。彼は本当はあまり朝に強いタイプではなかった。
森で野営するときは、神経を張り巡らせてくれていたから朝早く起きれていたらしく、普段はそんなにスイッチが早く入るわけではないそうだ。
その日の朝、私は寝ている彼の腕を上手く振りほどくと、ベッドから起きてすぐに支度した。
今日は軽装でいこう。そういえば、公爵の庭園に植えていた薬草が育っているはずだ。
私はソロソロと、部屋の外に出ていった。
すれ違う使用人にも、しーっと、身振り手振り協力してもらう。無事に二階の寝室から出て、階段を降り、庭園についた。
タウさんからたまにプレゼントされる薬草も含めて、ここには様々な植物が植えてあり、そのほとんどがそろそろ咲く時期だ。見に行くときれいな花がちらほら咲き始めていた。
「かわいいわね」
呟いていたら、ジャリジャリと砂を踏む音。
まさか……もう起きたの!?
それでも、ここまで彼から離れれた時間は、最高記録ではないだろうか。
これはのばさなくては、という謎のプライドで、私もそっと庭園を歩いた。
庭園は私が一番知っている構造をしていた。彼は迷うのではないだろうか。しめしめと、後ろを見て歩いていたら、いきなりボフっと何かにぶつかった。
ボフってこの感触…
そのまま心地よくて、しばらく触って堪能しながら確かめると、ハッと気づいた。
焦げ茶色の毛皮って…これ…
見上げれば、クマの顔。金の瞳と目があった。私は、急いで引き返した。走って引き返しながら後ろに叫んだ。
「普通、獣化までする!?」
獣化は力をたくさん使うから、体が疲れてしまうのだ。こんな遊びのようなものに、この能力を使うなど、考えもつかなかった。クマはあっという間に間合いを詰めた。私は思わず尻もちをついて、後ずさる。クマは私の首元を舐めると、人の姿に戻った。
「おはよう……リル」
微笑み立つ彼に、一瞬血の気が引いた。
「あの、束縛が激しすぎでは」
「こうでもしないと……離れる…だろう?」
ヒョイッと持ち上げられて、足が地面につかなくなった。
「リル………離れないで……俺から離れるな………もう守れなくなるのは……辛い……」
珍しくこの遊びでしょんぼりした顔をするものだから、あたふたした。それは、彼が私の背中の傷跡を見るたびに浮かべる表情と同じだったから。
「ごめんなさい。私がやりすぎたわ。明日はやらないから、ね」
そもそもこの試みは週に三回ほどしかしていない。ちょっとしたことなのだ。
「それに…愛してほしいと言ったのは…君だろう…。永遠がほしいと…」
「そ、そうよ。そうなのだけれど。こんな、溺れるような愛なんて聞いてないわ」
彼がこれほどまで私を愛してくれているとは思いもしなかったのだ。
互いを思いつづけ、互いを支えあうという愛しか知らなかった私。アルの愛は私のよりももっとずっと大きかった。
すごくそれは嬉しいこと。けれどこのままでは、本当に全て彼に依存してしまう気がした。
私の愛だって、本当はもっともっと大きい。盲目的に愛することを指す溺愛を彼が私に抱いて、私を溺れさせてしまったら。それこそ、常軌を逸するほどの愛を指す狂愛へと、私の愛は変貌するだろう。
彼に私だけを見てほしい。私だけの名前を呼んでほしい。
それほどの我儘にはさすがに、彼も応えられない。困らせてしまうのが目に見えたので、私は出し惜しみしておるのだ。
「リル…今晩はな……」
「ひゃっ」
アルが、私の首元をもう一度舐めた。そういうことかと考えて、一気に顔が熱くなってしまった。
いや、何浮かれてるんだ。流されてはならないぞ自分。
それよりバーグナーさんにも新しく作戦を練ってもらわないと。
彼らとは手紙でもやりとりを続けていた。今日もタウさんからの手紙を見てみると、仲睦まじく過ごしているようで何より、と。タウさんの手紙にはバーグナーさんの手紙も同封されていた。そこには、頑張れ、とだけ書いてあった。二人とも真剣に、アルのこの行動について考えてはくれないのだろうか。
もしかすると、彼らは私がアルの好物だと言って笑ったくらいだから、私をからかって楽しんでいるのかもしれない。
「はあ。何だか、気が長くなるわ」
「……リル」
「あのね、いつまでもこんなふうにされると、私、あなたに飽きちゃうかもよ?」
思ってもいないことを、私は口に出していた。しまったと思う頃には、アルが頭を垂れた。明らかにしょんぼりして、獣耳の力が抜けてぺたんこになった。
そもそも、あなたが私にこれほど溺れてしまうような愛を注がなければ。
そう。これは、私が悪いのではないわ。
永遠を注いでほしいと言ったのは私なのに。愛してほしいと願いながら、距離をしばらく取りたいと思う心があった。
完全に私の我儘で彼を困らせていた。
「しばらく距離を置きましょう。城下町にとりあえず一週間泊まってきます」
「………」
私も彼も、しばらく互いと距離をとった方がいい。永遠の愛というのを求めてはいたけれど、その深さや形まではぼんやりと、まだ見つけれていないようだから。




