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蛍火

起きたら暗い闇の中。

足元も床があるのか、そこに壁という空間の限界があるのかさえわからないような黒。

どこに進めばいいのか分からなくて、今自分が歩いているのかさえあいまいだ。

ふと、私はその微光に気づいた。弱い光を放つ球体は、蛍の光と同じようにスイスイ飛んでいた。

そのぼんやりとした朧気な光についていこう。そう思い立って、私は追いかけた。

蛍火はスイスイと光の跡を作りながら導いてくれる。

突然、蛍火が閃光を放った。あまりに眩い光に、私の視界は真っ白になる。立ちくらみそうになったその直後、私をたくさんの蛍火が優しく覆った。フヨフヨと私の周りに漂いながら、ゆっくりと下から上へと昇っていく微光たち。


『感謝する。我が民を、異国のあなたが守ってくれた』


朧な光に身を包まれる中、少し低めの落ち着いた女性の声が聞こえた。

ああ、これは夢か。

彼女の声の聞こえ方に、現実味がないことからわかった。

光たちはある一つの流れを作る。川に灯籠を流しているような、光の川。天の川の星々が本当の川と同じように流れたら、きっとこういう感じになる。美しい光の川の向こう側に、人が立っている。

人を照らすにはあまりに弱い光だ。でも、目を凝らすと、その人の特徴は掴めた。

丸い耳と、長い尾を持っていて、尾の先にはふさふさと毛が生えている。

喋り方が、どこか王と似た雰囲気を持っていた。

その人が無性に気になった。光の川を渡ってしまえば彼女の元へいける。

私は光の川の近くまで行くと、その人が手を伸ばして止めてきた。


『あなたは、まだこちらに来るべきでない』


その人は厳粛な態度で言った。


『私とこうして川を挟んで話しているということは、あなたがここに来る前に強く願ったからだ。神が機会を与えなさったということ』


「でも、何も思い出せないの」


何かが自分の中で欠けていた。ここが夢であるというのは分かる。だが、現実世界のことが抜け落ちていた。


『大切な人を思い出せ』


大切な人……


「無理よ。本当に何も」


『何でもいい。例えば、どんな目をしていた?』


星のような輝きを持った目。一目惚れした、美しい瞳。


『どんな顔を見せてくれた?』


陽だまりのような暖かい顔。私にふとした時に笑いかけてきた。


『隣にいて、どんな思いになる?』


すごく安心できた。夜の闇が広がる中、見守って導いてくれる極星のような存在。


「あ、あああ」


頭を抱えた。

いつも私を守ってくれた彼。

希望と生きる勇気をくれた彼。

手を差し伸べて、共に歩こうとしてくれた彼。

私をいつだって導く、極星のような。


「アルクトスっ」


大切な人の名前を呼べば、蛍火の川が再びその輝きの強さを増した。


『そうか、あなたがあやつの番か』


「あなたは、帰らないの?」


『帰れないのさ。これからも、我が民を私の代わりに救ってくれ』


そうか、この人はきっと。


『もうひとつ、私の大切な人に伝えてほしいことがある。今も愛していると。私がいなくて辛い思いをさせてすまないと。いつまでもここで待っているから、これからも国を守ってくれと』


その人は笑ってくれたような気がした。大切な人、それはきっとシリーナの王のことを指すのだろう。


『エンリル』


光の川が完全に視界を覆うくらいの、強い閃光を放ったとき。不意に自分の名前が呼ばれた気がした。


「…お母様?」


その人の隣に並んで、私と同じ赤い髪をした人がこちらを見て目を細めた。


お母様、どうして今さら現れるのですか。お母様にこそ聞きたいことはたくさんあったのに、彼女が訪ねたのはもう私の意識が戻る直前だった。

光に身が包まれ、お母様の姿ももう見えない。でも、最後まで放ってきた言葉だけは届いてきた。


『あなたは、幸せになるのよ』





□月□日

想い人は直ぐ側でずっと見守っていると思うの。どれだけ離れていようとも。

自分のために尽くしてくれた想い人の、死ぬ前に行ったことは、ずっとずっと自分に恩恵として返って来てる。




襲撃から十日経った日のことであった。


「っ……いたっ…」


目が覚めると同時に走る痛み。

主に背中からの痛みが私の目を一気に覚まさせた。

周りは白く清潔感のある部屋で、見覚えのない部屋であった。先程見た夢とは真反対の真っ白な部屋だ。

私の眠る大きなベッドの隣で、包帯を取り替えようとしていたメイドさんが驚いて、手からガーゼやら何もかも落とした。

メイドさんは部屋の外にいる人に声をかけると、廊下を全速力でかけていくような音が聞こえた。



「目覚められまして、本当によかったですっ」


ものの数分で部屋に戻ってきたメイドさんが、目に涙を浮かべた。


「あの、今、何日?」


聞いて見ると私が怪我をした日から十日も経っていたそうだ。空腹がすごくて、それを伝えると、すぐにご飯を準備してくれた。

左手首には彼がくれた腕輪がちゃんと身につけられていた。はめ込まれた琥珀を見ていると、彼の瞳の色をしっかりと思い出せた。


「お嬢さん、起きたか!」


最初に来たのはアルクトスではなく、王であった。私が姿勢を改めようとして、起き上がると王が止めてきた。


「体を起こさせたら、私がアルクトスに首をはねられる」


「ふふっ。笑わせないでください。今、背中が少し痛むんです」


王は私のことを見て、目を細めると大きく頷いた。そういえば、夢でも王にそっくりな人を見たとその人の特徴を伝えると、今度は目を大きく開けた。


「それはわたしの番のティーヌだろう」


聞けばやはり、病でなくなった王の奥さんだという。


「そうか、ティーヌも手伝ってくれたのかもしれんな。お嬢さんは生死をさまよっていたからな。なるほど、光の川の向こう側はきっと死者の国だ」


王の見解に私も頷いた。きっと、あの川を渡っていたら、もう意識は戻らなかっただろう。


「王に伝えてくれとティーヌ様から伝言をもらいました。『今も王を愛している。自分がいなくて辛い思いをさせてすまない。いつまでもここで待っているから、これからも国を守ってくれ』と」


「ティーヌがそう言っていたんだな」


王は目線を下げながらも慈しむような目をして呟いた。


「私も、いつまでも君のことを愛しているよ。待っていてくれ。王位を譲り、いつかヨボヨボになって最後を迎えるときまで、君を待たせてしまうけれど。私が王である限り、この国が安泰であるように務めよう」


その言葉は、今は亡き番へ向けた言葉だった。何だかティーヌ様は王の直ぐ側に、今もいる気がした。

でも、あの夢には続きがあった。お母様が最後に言った言葉。

『あなたは、幸せになるのよ』

どうしてあれほど悲しそうに言ったのか。お父様とお母様は相思相愛であったというのに。

なぜ、私に“あなたは”なんて。お母様は幸せでなかったのだろうか。


「とにかく、目が覚めてくれて安心した。そろそろ彼らが来る頃だ。先に会っていたことは秘密だよ」


王は私の頭をなでてくれた。獣人が王に絶対の信頼を寄せるのも無理はないと思った。

偉大な王の手は、とても大きく、撫でてくれるときに当たる肉球がプニプニして気持ちいいのだ。

王がその手で撫でてくれるだけで、誰しも大人しく従ってしまいそうだ。

王が去ったあと、しばらくして入ってきたのはタウさんとバーグナーさんだった。


「エンリルちゃん、心配したのよ!」


タウさんが思いっきり抱きしめてくるものだから、息が苦しくなった。


「タウ、エンリルちゃんが苦しがってるぞ」


「っ。だって」


よく見れば、タウさんには目の下に隈ができていた。心配をかけてしまって申し訳ないのと同時に、心配してくれてありがとうという気持ちにもなった。


「悪いな。あいつは今、部屋のすぐ外にいるんだが、合わせる顔がないとへこんでんだ」


「アルクトスはね、あなたのそばにいてずっと声をかけ続けて手を握っていたの。許してあげてね」


許すも何も、彼を最初から咎める気など全くなかった。だから合わせる顔がないなど、彼がへこむ必要もないのに。


とにもかくにも、私は国を、大切な人を守ることができたのだ。

目の前にいる二人を私は抱き寄せた。今、アルクトスの気持ちがよくわかる気がした。

こうやって抱きしめることが、相手の無事を確認できる一番の手。それでいて、愛情表現もふくまれるということ。

顔の筋に力が入った。口角が自然と上がっていた。


「二人とも、お見舞いありがとう。私、バーグナーさんもタウさんも大好き」


「きゃー!可愛いこと言わないの!私、母性が湧いちゃうわ!」


「おお…敬語じゃないと、こうも変わるものなんだな!」


二人も軽く私の傷をいたわりながら抱擁を返してくれた。

大切な彼の友人であり、私の友人でもある人達。


バーグナーさんは、たくさん彼のことを語って教えてくれた。何より、あのときの私の我儘を叱りながら、通してくれた。

タウさんは、私にアルクトスに対しての覚悟を、目標をつくるのを手助けしてくれた。初めての獣人の女友達だ。


「そういえば、バーグナーさん。あの答えを、まだ聞けていないので聞いてもいいですか?」


「ん?」


「アルクトスの一番の好物についてです」


村からバーグナーさんの屋敷に向かう馬車の中。はぐらかされた答えを聞きたいと思った。

アルクトスが相当落ち込んでそうなので、今度一番の好物というものを送りたかった。

私は彼を守りきれたことが誇りに思っているけれど、彼は逆に私を傷つけたと思っていそうだ。

好物で釣れれたら、ちょっとは彼の私に対する気まずさを解消できるかも。


真剣な眼差しでバーグナーさんを見ると、お腹を抱えて笑われた。


「酷いです。私、結構頑張ったので、笑わずに答えてくれてもいいじゃないですか」


「ハハハハ、これはずっと笑っていられるぞ」


高らかに笑い続けるバーグナーさんを、タウさんがその脇腹をつねった。


「バーグ、いい加減教えてあげなさい」


「いたた、わかったよ」


脇腹をさすりながら、バーグナーさんはとうとう答えを教えてくれた。


「あいつにとって一番の弱みであり、大切なものであり、好物はな。エンリルちゃんだ」


「え」


「もう、エンリルちゃんがかわいそうよ。すっごいからかわれてるの、自覚しながら飲み込めてなさそうよ」


アルクトスにとっての好物って、私だったの??

一番好きだと、愛していると、大切に思っていると。彼が言ってくれて、そこまでは自覚できていた。

でも、彼にとっての弱みで、好物であるのは私なのか。


「なんか、意地悪しすぎたな。つい面白く、いてて」


「あなたの人に意地悪する癖、どうにかならないの?」


タウさんが再びバーグナーさんをつねった。痛がるバーグナーさんに、今度は私がクスクス笑った。


この後、アルクトスと話すだろうと、空気を読んでくれた二人はおいとまして行った。部屋を出る直前までタウさんにつねられるバーグナーさん。二人を見て、彼らは私にとって本当に大切な友人だと思った。


二人が出ていったあと、しばらく待っていても扉が開く気配がしないので、私は独り言のように話した。


「寂しいわ。愛しい人が来ないなんて。ねぇ、狼さん」


その瞬間扉が開いた。狼は今、この部屋にいないというのに。アルクトスは目を合わせずに入ってきた。


「アルクトス、おかえり」


私は背中をクッションに預けて起こしながら、彼に向かって微笑んだ。


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