友人の弱り
白虎の獣人 バーグナー視点です
「助かる見込みは半分かと…」
「そうか…もうよい、ご苦労だった」
医者は最善を尽くしたと言って、部屋から出ていった。
アルクトスの番、エンリルちゃんは数刻前、魔物に重症を負わされ緊急の治療を施された。
己の左腕を自ら切りつけて魔物を退散させたあの力。
あれは一体何だったのかと、俺はエンリルちゃんが治療を受けている間にアルクトスに聞いた。
魔力持ち。その能力は魔を操るとされる強大な力だ。獣人もかつて人間に奴隷として扱われていた時代もあり、迫害に関しての歴史学は幼い頃にだけ色濃く学ぶ。
小さい頃に習った、魔力持ちの迫害。
人間に悪魔の力だと言われ、赤を宿す者たちが徹底的に殺されていった。
そのことを今さら思い出して、まさかエンリルちゃんがその生き残りだとは信じられなかった。
魔力持ちは、もう数十年も前にこの地上からいなくなったと伝わっていたから。
「アルクトス、少しは安心しなさい。一命はとりとめることができたのだ」
王は番から離れないアルクトスの肩に手をおいて言った。それから王は襲撃の後始末のために、俺に事を任せてきた。
自分の怪我の応急処置を受けてから、片時も離れないアルクトスは、見るに耐えなかった。
ただ呆然と、絶望したような目で赤髪の番を見つめていた。
とにかく、こいつは少しエンリルちゃんから離してやった方がいいだろう。このまま一日をここで過ごしていても、らちが明かないから。
「朝の鍛錬はどうした」
「……」
アルクトスに黙っていられるのは、慣れていた。学園から卒業したとき、何度もこうやって黙り込むことがあったから。
だが、俺はどうこいつに話をふればいいか迷った。エンリルちゃんを迎えたいと、番にしたいと言っていたときの方がよっぽどマシな姿をしていた。
「…とりあえず、鍛錬に行くぞ。エンリルちゃんが目覚めたとき、やせ細ったお前なんかみたらショック死するだろうよ」
「……」
俺が先に部屋から出ると、アルクトスも黙って側に立てかけてあった剣を取り、外へ出た。
この病室は城の別棟だ。
別棟の外に出れば、管理の行き届いているところを見つけ、剣を構えた。短く刈り込まれた芝生に足を踏む。
後ろからゆったりとついてきたアルクトスが、先に剣を構えていた俺の前に立った。
だがいつまで経っても、アルクトスは剣を構えようとはしない。
俺は剣を振りかざしたが、それでも呆然と立っているだけだった。
「おいっ!しっかりやれ!」
俺は脅しのように、何度もアルクトスに当たるギリギリで剣を止めた。
後数ミリでその肌を斬ってしまえる距離まで詰めているのに。しかしアルクトスは獣人で最強なだけあって、こちらの動きは筒抜けらしく、一歩たりとも動かなかった。
尚も剣を構えている俺を、今までにないほどぼんやりと見ていた。両親を失ったときよりも、その目は光を失った新月のようだった。
舌打ちしてから俺は、アルクトスに本気で剣を振り上げた。命の危険を感じたのか、それだけは受け止めて流してきた。
どうやら、本気になればそれなりには応えるらしい。
アルクトスに本気で斬り続けた。剣先は上から下から、あらゆる方向から流れていく。
だが、ぼおっとしながらも適当に受け流せてしまうアルクトスにだんだん嫌気が指し始め、剣を放した。
「やめだやめ。お前、本当にどうしたんだ」
実力主義の国で、軍のトップクラスの地位に就く俺を、赤子を相手するかのようになめてくるアルクトスにさすがに腹が立った。
だが自分にとってもアルクトスにとっても、互いに良い友人であり親友であるのだ。
腹が立っていても、真意を聞かずにはいられなかった。
俺が尋ね始めると、アルクトスは下を向いた。
「リルが……死ぬかも………………しれないっ」
すぐに泣いてきた。ボタボタと落ちる涙が、芝生の上へと落ちていった。
さすがに俺の調子も狂った。こんなに泣き虫のアルクトスはいつぶりか。両親をなくしたとき以来だろう。それ以上に、今の状態は相当不味いが。
獣化で体の疲労は確実にあるというのに、何も食べずに、泣いて取り乱すとは。
「お前、エンリルちゃんが起きなかったら、なんて考えんなよ?起きることだけを考えろ。起きたら、どんな顔を見せてやればいいかわかるか」
叱責するかのように思われる口調だが、今のアルクトスに響かせる声はこのぐらいが丁度良かった。アルクトスは泣きながらも、俺に答えた。
「っ………安心…させてやりたい」
「なら話は早い」
俺は口の端を大きく上に上げた。
「笑え。笑ってやれ。健康な顔して、エンリルちゃんに笑って話しかけてやれ」
それでも泣き止まないアルクトスに俺はあのときのことを話した。
「エンリルちゃんはな、お前を助けに行くために戦地に行ったんだと思うぜ」
「俺の……ため?」
「そうだ。『守らなければならないものがある』と言って、死んでもいいからと笑って頼んできたんだ。すげえよ。お前のために自分の腕を切ったしな。それに加え、魔物が襲いかかったとき咄嗟の判断でお前のことを守っただろ?あんな反射的な行動、相当お前のこと好きじゃないとできねえよ」
令嬢だというのに。激痛が走ると頭の中で自覚しながら、自分の腕を切りつけあれほど血を流すなどできることじゃない。
魔物が襲いかかってきたときも、エンリルちゃんはこの目の前の男を守るために。貧血をおこしふらつく中で、庇いきった。
アルクトスだって、外傷には表れないものの、肉体の内部は能力の影響でボロボロだというのに。死にかけのエンリルちゃんを力強く抱き、泣きながら悲痛の叫びをあげていた。
騎士も軍も、お前たちの姿を見て涙していた。
種族の壁を越えて、互いを想う。なんて美しい姿なのだろうかと。どうか、この二人を引き裂かないでくれと、思っていることは同じだった。
アルクトスとエンリルちゃん。互いを想いやっていることはよくよく分かってはいたが、これほど惹かれ合っているとは誰も思いもしなかった。
相手のためを思いやり、自らの体が勝手に動くなど。
俺は、二人に敬服した。
俺は俺の意見をアルクトスに教えてやると、さらに涙をこぼしてきた。
男の涙など需要がなさすぎると思い、タオルを被せてやった。
「わかるな。お前は泣いてエンリルちゃんを出迎えるんじゃなく、笑って迎えてやるんだ」
アルクトスは大きく頷いた。
全く、こういうときだけは、大きな子供同然のようだ。
鍛錬を積みまくり、最強の獣人となったこの友人。いつもこいつは、俺の数歩先を歩いていて、誇りに思っている。
だが、本当にエンリルちゃんに関してのことだけは最弱だ。
アルクトスの弱点であり、大切な人であり、一番に好きな人であるエンリルちゃん。
俺の愛おしいタウが言っていた通りだ。
魂の片割れのようなくらいに、二人は強く惹かれ合っている。
それから、幸いなことにアルクトスはちゃんと食事を摂るようにもなった。鍛錬も毎朝欠かさぬようになったし、仕事だってきちんとこなし始めた。ただ、それ以外の時間と寝るときだけは、必ず番の眠る部屋へと入っていった。




