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□月□日

熱が下がらないのが申し訳ないわ。あなたに、謝りたい。(ページが抜け落ちている)…あなたのことを信じてはいるけれど、どうしようもなく私は欲深いみたい。


熱を引いて二日後。

熱はなかなか治らなかった。ここまで来て、運のつけが回ってきたようだった。今まで上手く行き過ぎていて、この熱は神様が私が幸福になりすぎるのを止めるためのものなんじゃないかと思った。


「リル……」


もう二日もベッド上で過ごしている私を、アルクトスは心配そうに見ていた。バーグナーさんと行う仕事があるというのに、暇があるときには手を握ってきてくれた。疲労からくる熱だと医者は言っていた。移ることはないが、免疫力が低下しているので治るのに、すぐにとはいかないと。


「ごめんねアルクトス。こんな熱なんて……」


汗はかいていたが、私は同時に悪寒がしていた。熱いはずなのに、なぜだが体が冷えて仕方ない。


アルクトス自身も、顔がやつれているリルを見て、なにかしてやれないかと考えた。


「薬…飲まなくちゃ…」


苦い粉末をまた口に入れなくては。アルクトスが薬包紙に乗せたものを渡してくれた。一気に口に入れると、コップの水を受け取って飲み干した。これでまた、体調は良くなるはずだ。アルクトスは私の頬を撫でたあと、再び仕事に戻ってしまった。


「アルクトス…早く来て」


誰もいない部屋で呟いた。

こんなにも寂しいと感じるときが今まであっただろうか。王妃教育を受けていた頃は、風邪を引けば情けないと言われ、サリーにつきっきりの看病を施されると、自己管理ができないのかと陰口を言われいた。サリーがせっかく私を懸命に看病してくれているのに、周りから避難されてしまうことが申し訳なかった。それで、私から介抱されることを、避けるしかなくなってしまった。

しかし、こうして彼に見舞いに来てもらえることに関しては、もう誰からも咎められることもなくなったのだ。今はただただ、その温もりに甘えたいと思った。彼が私に応え、側にいてくれたからこそ、私から離れていってしまった時に来る寂しさは大きかった。それは、屋敷で離れてしまったサリーに対するのと同じくらいか、それ以上の大きさであった。


「サリー…あなたは今……どう過ごしてるいるのかしら」


アルクトスへの寂しさと、サリーに対する思い残しが、薄闇の部屋へと溶け込んだ。今すぐに会って話したい懐かしい人の気配も、もうここで確かめることは叶わなかった。

サリーとアルクトスに助けられながら困難を乗り越え、そうしてようやく勝ち取った安全は、彼女一人だけが不明の状態だった。


私が幸せになるとまた誰かが。


いつかまた、私の中から大切なものが、ほんの少しのことで壊れてしまうのではないかと杞憂を抱いた。サリーが繋いでくれた安息が、いつか何かで壊されたとき、今度いなくなるのはアルクトスではないかと。


彼を失うこと。もし、彼が私よりも先に亡くなるというのなら。

彼がいなくなったこの世界で、私は何をしがらみとして生きればいいのだろうか。愛していると言ってくれた彼が、いなくなる。

彼は最強の獣人だから、よっぽど可能性は低いだろうけど。起こらない可能性がなくなったわけではない。

それは、愛と同じようなものだと思った。悲しほどに安息よりも簡単に失うもので、ずっと互いを思い合うことなどできる人達こそないに等しいのではないか。


「だめね…こんなこと、考えちゃ」


人は一つ心配事ができると、過去の多くを振り返って、千思万考する性質らしい。

自分の中の渦が、とぐろを巻くように(うごめ)いていた。


溢れ出る行き場のないような愛をただ一人の誰かに捧げたいと思う欲求。

その相手を見つけても、その分その相手に己を愛してほしいと止まぬ望み。

己を愛してくれていると自覚しながらも不確かに思えて、果てしない宇宙(そら)のように飽満することのない胸。

ベッドの天蓋を見つめて、元婚約者の顔が浮かんできた。


「エドワード…」


エドワード王子は幼い頃、よく私に笑ってくれた。キラキラと輝いて笑う顔に、どんなに胸を踊らせたことか。王子はいろいろと大変なことばかりだから、私が一番に支えていると、あなたを思っていると、姿勢で伝えたかった。

愛してると、言ってくれたときはなかったけど、私にその素振りを見せるときが一度だけあった。誕生日にバラを百本くれたときがあったから。君の色だと朗らかに微笑んだエドワードの顔。物語の王子様みたいだと思って、あのとき彼は私をお姫様にしてくれた。

それでも人の愛はずっとじゃなかった。十代になる頃には、彼とやりとりしていた手紙もまばらになった。愛されていないのではないかと思うとき、誕生日のあの王子様の顔を思い出して、あれが彼なりの最高の愛情の示し方だと何度も自分に言い聞かせた。

でも、彼に注いだ愛は、彼によって満たされる前に、婚約破棄されることで儚く散った。


本当に悲しほどに、十八年間注いだ愛は全て相手に届いていなかったようで。

どれだけ彼を思おうと、彼からの愛は幼少期で終わってしまっていたのだ。


永遠の愛とよく言われるけれど、愛情に永遠なんてない。

勝手に十八年もの間、エドワードを思い続けた私。でも彼から見たら私は余程滑稽(こっけい)だったに違いない。


アルクトスはエドワードとは違うことはよくわかっている。

きっと彼は、私を生涯をかけて守ってくれて、愛情をくれるだろう。

でもやはり彼も、永遠に愛してくれるかと思うとそれは叶わないだろう。なぜこんなに、永遠の愛というのに憧れて(こだわ)ってしまうのか。

それはお母様が早く死に、お父様に愛されなくなったことから全て始まっていたのかもしれない。

自分が死んでも私を忘れない存在が欲しい。

互いを一途に思うことを忘れない、支え合える存在が欲しい。

生まれ変わってもまた一緒になりたいねって、願いあえる存在が欲しい。


「欲張りね…私は…」


星空のような輝かしい希望を見れるようになった自分の心は、今度はこの世の終わり、終天まで輝く星を追い求めずにはいられなかった。


「リル」


声と同時に、部屋に明かりが入り込む。夜になり薄闇を帯びた部屋に入った光は、洞穴から見た朝日と似たような入り方をしていた。

アルクトスが、私の寝転ぶベッドに入ってきた。既に寝る準備は済んだらしい。


「………熱は…下がった…みたいだ…」


寝転んでホッと息をつくアルクトスは、私をまた優しく抱きしめた。彼の鍛えられた胸にギュッと顔を抱き寄せられて、何年も離れていた寂しさを取り戻すかのような抱擁。

昨日だって、彼はたくさん私を抱きしめてくれた。


「どうしてあなたは、いつも私を抱きしめてくれるの?」


「抱擁は……嫌いか?」


「そうじゃないの。ただ、少し疑問に思っただけよ」


サリーもたくさん抱擁してくれたけど毎日じゃなかった。お父様とお母様はそれこそ幼い頃だけだ。エドワード王子に至っては、一度もされたことはなかったことを、なぜ彼は毎日してくれるのか。

くだらない質問だったのに、無視してもいいのに。

アルクトスは言い聞かせるように、ゆっくりとした口調で言った。


「君が今……俺の隣に本当にいるのかと……心配になる……。こうしてないと…夢ではないかと思うんだ……」


私はそこまで(はかな)いような人ではないというのに。体が丈夫な自信だってあるのだが。


「それに……これは愛情表現の一つだから……」


そうだ、彼の愛はちゃんと私に向けられているんだ。私に注いでくれている。これは一方的な愛ではないのだ。


しっかりと自覚しているのに、でも私が欲深い人間であることに変わりなかった。


「ねえ、考えてたの、永遠の愛なんて存在しないくせに、どうして私はそれを憧れてしまうのかって。どうして、そういう存在しないものを追い求めるのかって」


幼き頃から童話に出てきた姫が勝ち取る、永遠の愛。エドワードと婚約するとき、書面に永遠の愛を“誓う”と書いた。王妃教育がたとえ辛くなろうと、その書面に書いたことに私は責任を持っていた。だからこそ、王妃教育を詰め込んで、自分を責任から逃れられないようにもした。

学園でほとんど顔を合わせてくれなくなった、エドワード。

彼がその責任を果たすには、王子だから忙しくて目をそらしているだけだと言い聞かせた。


一生涯この責任と、一番にお支えすることを無理にでも誓った。

だがそれは、婚約破棄するときに目の前でズタズタに引き裂かれた。

私の十八年の憧れと、責任と共に、紙くずとなった。


ならば自分の思いが裏切られたと、深く傷つく前に確認してしまえばいい。

永遠の愛などないと、相手に否定される前に自ら否定する。そうすれば、裏切られたと思うことなどなくなるだろうから。

永遠の愛を求める根底にある、己の欲しいものを、私は口に出した。


「私が死んでも、私を忘れない存在が欲しい。互いを一途に思うことを忘れない、一方的でなく互いを支え合える存在が欲しい。生まれ変わってもまた一緒になりたいねって、願いあえる存在が欲しい」


喉から手が出るほどに、強く思った。

それは十八年間の真意であるように思えた。エドワードに私は永遠を求めたのを深く後悔していた。私が彼にあまりに多くを求め、高い理想を望んだから。婚約破棄されたとき、心の底から強く裏切られたと、真っ先に思ってしまったのだ。


「私はいつも、求めすぎなのね。永遠の愛などないのよ。それでも私はそれに憧れてしまうの。それこそ夢物語だt」


最後まで言いかけて、アルクトスは私の口を口づけすることで塞いだ。


「んんっ…………は」


「君は俺を…………信じてくれないのか」


突然の深い口づけに戸惑いながら、私は首を振った。アルクトスのことは心の底から信じている。

一瞬垂れたクマの耳が、再び起き上がった。


「それなら少しだけでいい……永遠の愛はあると信じてくれ………でないと…俺の気持ちが……君に否定されることになってしまう…」


ゴールドの蜂蜜色に輝くような星を宿す瞳が、私をまっすぐ見た。暗がりでも僅かな光をその瞳に反射する彼の瞳は、真剣味とまた悲しみを帯びていた。


「それと…君にはまた……永遠を求めて欲しいんだ。…多くを俺に求めて欲しい………エドワードのように裏切ったりしない……傷つけないと誓うから……」


すがるように、彼の私を抱く腕に再び力が込められた。

その大きな手が私の後頭部にそえられた。彼は、私の頭を何度も撫で下ろした。


永遠の愛など少女の夢物語なのだ。

エドワードに対して、それを求め、あっけなく潰れてしまった夢。

そう言えれば簡単で、この物語は終わりなのだろうけれど。


夢物語を彼が信じてほしいと言った。私は夢物語だと否定したというのに。

傷つけないと誓うと言った。私は相手から一方に誓われることなど初めてだった。

永遠を求めて欲しいと、彼がすがるように言った。それはつまり、彼もまた私のように、永遠を求めてくれているということだろうか。


だとするなら、私は永遠の愛を否定したくない。彼の気持ちを(ないがし)ろにしたくなどない。何より、信じていたいと思っているのは私の方だから。


いつも私を抱いてくれて、聞かせてくれる彼の優しい鼓動の音。人の心の臓というのは最も人を安心させてくれる音のようで。

私も、彼の胸にすがるように抱きしめた。

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