忍法学園祭
「くそぉ! よくもコータくんを!」
「やめろ! 下がってろ! エナ!」
激昂して焔に飛びかかろうとするエナを、せつなは必至で押し止めた。
落ち着け、落ち着け俺! コータの死を眼前にして荒げる呼吸を、せつなはどうにか整える。
今は、焔からエナを守ることだけを考えろ。
「狙撃手形態!」
もう、情報のために焔の命を気遣う余裕はない。
せつなは右手を拳銃に変形させると、目前の忍者少女に躊躇なく引き金を引いた。
だが……
「ひゅ!」
焔の口もとから、掠れるような息吹が漏れると、
ずどん!
せつなの人差指に生じた銃口が、爆炎を上げて、破裂した!
「なにいいい!」
右手を抑えながら苦悶の声を上げて狼狽のせつな。
その正体はわからないが、焔の飛ばした『何か』が、弾丸を発射する寸前のせつなの銃口に正確に飛び込むと、彼の右手を内側から爆破したのだ。
「せつなぁ! 忍者に、同じ技を二度用いたがお主の誤りよぉ! いざ小四郎の仇!」
その裸身から再び真っ赤な業火を流出させて、せつなに迫る焔!
だが、その時だ。
ずぶぅっ!
焔の踏みだした一歩が、校庭の地面にめり込んだ。
「何!?」
足を取られ困惑する焔。
これはいかなることか。焔の周囲の地面だけが泥沼の如く液状化している。
泥沼は波打ちながら彼女の足を捉えて、その歩みを阻んでいるのだ。
「せつな、今だ! エナを連れて早く逃げろ!」
地中から、聞き慣れた声がした。
「こ、コータ!!!」
せつなが驚きと安堵の入り混じった表情で叫ぶ。
「コータくん! 生きてた!」
エナがその目に涙を滲ます。
驚くべき事に、コータは生きていた。
彼が地面に溶け落ちたのは、焔の忍法ゆえではなかったのだ。
コータ自身が、その肉体を随意に液状化させて土中に浸透し、周囲の地形を自在に操ることのできる『能力者』だった。
焔の忍血が彼の肉体を焼く、まさにその寸前、コータは一瞬早く己の身を土中に浸し、恐るべき業火の術を逃れたのである。
彼もまた、学園の『隊員』だったのだ!
「ああ、コータ、頼んだ!」
せつなもまた、右目から一筋、涙を流して足元のコータにそう言った。
「エナ! 来るんだ! 安全な場所に隠れろ!」
翻り、無事な左手でエナの手を引き、駆け出すせつな。
「おのれ逃がすか!」
コータに足止めされた焔は、己が朱唇に二本の指を当てた。
ぴゅっ! ぴゅっ! ぴゅっ!
焔の口もとから、何かが飛んだ。
血塗れ忍法『飛焔弾』!
先程せつなの狙撃種形態を打ち破ったのは、この忍法だった。
焔がその唇から飛ばした唾液の飛礫が、これまた空中で発火、炎上。灼熱のミサイルと化してせつなとエナに迫ってきたのだ。
絶体絶命、その時だ。
ぴしゃり! 何者かが振った巨大な出刃包丁の一薙ぎが、『飛焔弾』を弾き飛ばした。
「あーあ、やっぱり新人に、いきなり実戦は酷か……。坊主、お嬢ちゃんを安全なところに連れて行きな!」
いつの間にか、せつなとエナの前に立ち、焔の弾丸をから二人を庇ったのは、身の丈程もある出刃包丁を構えた精悍な壮年。
宇宙寿司の達人にして、聖痕十文字学園食堂の戦う管理栄養士、タニタてふおだった。
#
「わかった! おっさん! エナ! 行くぞ!」
「お願いします! 食堂のおじさん!」
てふおの背中から彼に一礼すると、せつなとエナは再び駆け出した。
「おのれ逃すか!」
そう言うなり焔は、己が血で紅蓮に燃え滾った拳を、彼女を捉えた地面に向かって叩き込んだ。
ずぶり。地面に拳をめり込ますなり、
「血塗れ忍法、『爆焔拳』!」
焔が一声。すると、
「ぐわあ!」
コータの悲鳴とともに、
ぼちゅっ!
焔の足元が弾けて、彼女を捉えていた泥沼は周囲に四散した。
「うぐぐぐぐぐぐ……」
地面から響く苦しげなコータの声。
コータの可塑性を逆手に取った焔は、彼の身の内に己が拳を突き立てて、内からコータを焼いたのだ。
「はっ!」
身を翻してせつなとエナを追う焔。だが……
ばさあ!
彼女の裸身に、何かが絡みついた。
宇宙寿司の求道者、タニタてふおの放った、投網だった。
「どこを見てる! 嬢ちゃんの相手は俺だ!」
焔の可憐な肢体に、タニタてふおの放った投網がギリギリと絡まりつく!
てふおが、ニヤリと笑って網を引く。身動きのとれない焔。
「ふん、寿司屋如きが小賢しい! そんなもので私が止められるか!」
ごおお! 怒りに燃える焔が、その身から再び業火を滾らせた。
投網が、見る見るうちに焼け落ちていく。もはや彼女を縛れる物はない。
てふおに迫る業火。だが、なぜだ。てふおが怯む様子は無かった。
「おい! もうそろそろだよな!」
不意に、てふおが、校舎の物陰に立つ誰かに叫んだ。
「ああ大将、すぐだよ!」
物陰から答えが返ってきた。
その声とともに、
ごごごごごご……
これはいかなることか?
これまで雲ひとつ無かった晴天がにわかに掻き曇ってゆく。
そして、
ずさあああああああああっ!
突然の豪雨が校庭を叩きはじめたのだ。
「い、いかん!」
焔の端正な顔に、初めて焦りの色が浮んだ。
酸鼻極まる焔の『血塗れ忍法』にも、一つの弱点があった。
それは水だ。降り注ぐ大量の雨が彼女の炎を消し去ると、その血を薄め、洗い流してしまったのだ。
だが、こんなことが有り得るのか?
焔は今朝がたチェックしたNHK『おはよう日本』を思い返していた。
本日のノイエ多摩市は終日晴天のはず。馬鹿な! 檜山さんが私を謀ったと申すか!?
焔が、ガクリと膝をつく。
「お姉ちゃん、風邪ひくから、服を着なよ」
校舎の物陰から声。
焔にそう言って、陰から姿を現したのは、ビニール傘をさした一人の、子供だった。
人狼化現象を自在に御する異能の小学生。
半ズボン姿も初々しい紅顔の美少年、大神雨だった。
#
戦況を覆した突如の豪雨、だがこれは、偶然の産物ではなかったのだ。
人狼化現象は、雨が生まれ持った巨大な宿業の一部にすぎない。
彼は、その名が表すとおり、地上最強の『雨男』なのだ!
いかなる催事、行楽、イベントも、ひとたび彼が参加するや否や、百発百中で豪雨に見舞われるのである。
その巨大な『能力』故に世間から疎まれ蔑まれ石もて追われ、学園に身を隠す。
まさに、呪われた宿命の一匹狼であった。
「さあ、観念しな! 嬢ちゃん!」
てふおが巨大な出刃包丁を構えて焔に迫る。
だが、その時、
「焔さまぁ~~~!」
焔の前に飛び込んで、てふおを制する男が一人。
全身にぼろ布を纏った魚面の怪人だ。
焔の生家、暁宮家の下男にして甲賀朧谷衆の一人、陀厳状介であった。
「焔さま! 下がっておられよ、ここは、このわしが!」
「ああ、任せたぞ状介!」
いつまでマッパでも絵にならぬ。状介が手渡した漆黒の闇ブレザーをはらりと纏う焔。
「助太刀だと! 勝負は決したぞ!」
憤慨するてふお。
だが、忍法の大秘争にルールなど無い。
状況が己に不利と判断した焔は、何の躊躇もなく状介と選手交代をとげると、せつなとエナを追うべく校庭を跳躍した。
「『気象操作能力』か! 『学園』にも曲者がおるな……。だが!」
てふおと雨を向いて状介が、おもむろに腰に下げた魚籠から何かを取り出した。
なんだこれは? 魚籠から出てきたのは、蛙とも魚ともつかぬ、幾つもの奇怪な生物の干物だった。
「焔さまの術を封じて勝った気かも知れぬが、水は我が輩よ!」
状介が幾つもの干物を水浸しになった校庭に撒くと、己が胸の前にガシリと印を結んで、何かのお経を詠みはじめた。
ふんぐるい~むぐるうなふ~くとぅるう~るるいえ~うがふなぐる~ふたぐん
むく! むく! むく! むく!
見ろ。なんということだ。
水で戻されて見る見る内に膨れ上がってゆく、干物達の妖しさよ。
「けろけろ、うーー!」
元の姿に戻った状介の眷属たち。校庭に腐った魚のような悪臭がたちこめる。
なんということ、その姿は人間と魚と蛙を混ぜ合わせたような忌わしい怪物であった。
「目覚めよ同胞! 海鮮忍法『陰州升』!!」
状介が復活させた十二体の怪物、『深きもの』どもが、てふおと雨を取り囲んだ。
「がるるるる!」
雨が、己の衣服を脱ぎ棄てた。
少年のしなやかな肢体が、四つ這いになると、その身が見る見る艶やかな銀毛に覆われていく。
オオカミだった。
雨の姿が白銀の獣へと変わっていく!
見ろ。食肉目オオカミ科オオカミ属ウチュウオオカミ種の孤影を、ニホンオオカミの凛然たる雄姿を!
輝く銀毛に覆われたしなやかな体躯は優に七尺。
その威容には、狼王ロボや追跡者グモルク、魔狼フェンリル、果ては山犬の神モロも頭を垂れざるをえまい。
たん! ひと飛びで『深きもの』の包囲陣を飛び越えた雨が、状介の喉首めがけて一直線に走り寄る!
「うおおお!」
不意を突かれて身を竦める状介。だがその時!
にょき にょき にょき にょき!
なんたる怪異よ。湿った校庭を割って、信じ難いスピードで状介の眼前に生えてきたのは、身の丈程もある巨大なエリンギだ。
ばしゅ! エリンギの身を割いて中から姿を現したのは、頭部の菌状腫をぷるぷると蠕動させた甲賀衆の最長老アミガサ粘菌斎。
がつん! 不気味な老人は樫の杖を構えるなり、飛びかかる雨の頭部をしたたか打ち払った。
「ぎゃいん!」
雨が苦悶の声をあげて校庭に転がる。
「粘菌斎殿、かたじけない!」
「ふしゅしゅ、状介! 魚に頼りきりで、腕が鈍っとるのではあるまいな? まあよい、犬コロの相手はわしがするわい……」
樫の杖をつき状介の前に立った粘菌斎が、菌状腫を揺らして不気味に笑った。
「ぐるるるる!」
校庭に伏した銀狼が、すかさずガバと跳ね起きた。
恥辱の一撃を被った雨が、粘菌斎に怒りの牙を剥く。
「ほっ、威勢だけはよいの……ならば!」
見ろ。粘菌斎が背中にしょった信玄袋より取り出したるは、クヌギを断ち割って用意された、何かの苗木だ。
「この湿り気、良い具合じゃて……!」
粘菌斎はひとりごちると苗木を天にかざして叫んだ。
「いでよ茸の子! 産めよ、増やせよ、地に満ちよ!」
もこ もこ もこ もこ……
なんというおぞましさよ。
苗木から生えてきたのは、ヌラヌラと不気味に光る大小無数の、『椎茸』であった。
「ふしゅしゅ、喰らえ犬コロ! きのこ忍法、『椎茸地獄』!!!」
ぽん! ぽん! ぽん! ぽん! ぽん! ぽん!
苗木から発射された飛行宇宙椎茸の大群が、不気味なきのこミサイルと化して、雨の口元めがけて一斉に飛んできた!
「ぎゃ~~~~ん!」
椎茸が死ぬほど嫌いな雨が、恐怖の悲鳴をあげた。
#
椎 茸 !
こと、おぞましさという一点に於いて、これに比する物体がこの地上に存在するのだろうか?
蛞蝓を彷彿とさせるヌラヌラとした食感。傘の裏に密集した淫靡なヒダヒダ。
口にした瞬間口腔に溢れかえる腐汁。環状生物の残滓の死臭にも似た嘔吐を催す、その臭い。
かような狂気の産物が、ごく普通に日常の食卓を蹂躙しているという事実に、筆者は宇宙的な戦慄を禁じ得ない。
お吸い物、茶碗蒸し、給食の春巻、果ては、一部チェーン店の牛丼までが、この冒涜的な異次元生物に侵食されているのである!
果たして、筆者の認識する世界は正常なのだろうか?
この世は狂った神々の見る、一睡の夢ではないと、誰に言いきることができるだろう?
とはいえ、これ程までにおぞましい人外兵器を、何の躊躇もなく死合に用いるのもまた、忍者の争いならではの残酷苛烈といえよう。
「きゃい~~~~ん!!!」
雨が、尻尾を巻いて逃げ出した。
「雨ー! しっかりしろ!」
タニタてふおが雨に叫ぶ。だが彼にも雨を援護する余裕などなかった。
「けろけろけろけろ~~!」
てふおに、状介の放った『深きもの』の群れが迫ってきたのだ。
すでに投網は焼け落ちている。彼はただ出刃包丁一本にて『深きもの』どもと対峙するしかなかった。
だがてふお、何を考える?
おもむろに包丁を収めて彼が手にしたのは、その傍らに用意した岡持ちだった。
そして、彼が岡持ちの蓋を開け中から取り出したのは、寿司桶。桶に収まっていたのは、マグロ、ヒラメ、寒ブリなどの新鮮なネタを用いた、目を奪われそうな、にぎりの盛り合わせだった。
「特選にぎり十人前! お待ち!」
ぴく、ぴく、ぴく………
これはいかなる妖術か?
寿司達が、てふおの声に呼応するかのようにその身を蠢動させると、いきなり、寿司桶から飛び跳ねた。
「キシャ~~~!」
見ろ。見ろ。
桶から溢れ出た寿司達が、地を這い、空を切りながら、『深きもの』どもにまとわりつくと、シャリとネタの間から鋭い牙を露出させ、魚人どもに噛みついたのだ。
なんたる狂った食物連鎖か!
宇宙寿司の求道者、タニタてふおの握った寿司は、ただ座して、喰われるを待つ駄寿司にあらず。
逆に相手を喰らうのだ!
獰猛苛烈な人喰い寿司の軍団が『深きもの』の全身にたかると、見る見るその身を齧りとっていく。
「げろげろげ~~~!」
魚人の群れは、どす黒い体液を撒き散らしながら次々と校庭に斃れると、数秒を経ずして哀れな魚骨となり果てた。
だが寿司達の食欲に底はない、彼らが次に狙うは魚人の主、陀厳状介。
ぴょん! ぴょん! ぴょん!
無数のマグロ、ヒラメ、寒ブリ、ウニ、コハダどもが、校庭から跳ね上がると状介に襲いかかった。
陀厳状介の体をめがけ、次から次へ飛びついてはその牙を剥く、人喰い寿司の大軍団。
とったぞ状介! てふおは勝利を確信した。だが待て、訝るてふお。様子がおかしい。
もは~~~……
状介の体から、強烈な瘴気がたちのぼる。
「キシャ~~~~~!」
寿司どもが、苦悶の声を上げた。
なんと! フグの持つ、テトロドキシンにも似た状介の毒気に当てられた寿司どもは、状介の体から剥がれ落ちると、見る見るうちに傷み、黒ずみ、摂食不能となってしまったではないか。
「片腹痛い! 海産物で俺と張ろうなど、千年早いわ!」
寿司どもの死骸を蹴散らす状介。同族を食べられた彼の魚眼が怒りに燃える。
彼は、己が脇に抱えた魚籠の口をてふおに向けて、こう叫んだ。
「海鮮忍法、『瑠々異慧』!!」




