邂敵
「それにしても、あいつ……」
教室の窓から広がるタマ市の街並みをぼんやり眺めながら、せつなはぽつっと呟いた。
昼休みだ。せつなは購買で買ってきた昼飯のカツサンドの包みを、自分の机でひろげる。
午前中は、案の定上の空だった。
ノートに、自分で考えた如月家の『紋章』や、昨日見たアニメのロボの落書きをしている内に、あっという間に授業は終了。
せつなはカツサンドにかぶりつきながら、『彼女』の事を考える。
「せつなくん、今日は久しぶりに、あなたとお話したいの」
朝のSHR。つかつかとせつなの席の前にやってきた夕霞裂花は、彼に、そう話しかけてきたのだ。
「放課後、ここに来て……」
裂花はそう言って、せつなに一通の便箋を手渡すと、呆然とする彼を背にして滑るように自席に戻って行ったのだ。
ざわざわざわざわ……
裂花が入って来た時よりも、さらに大きなどよめきが教室中を渡っていった。
「ななななななななな……!」
彼女の大胆すぎる行動に、せつなの隣では風紀委員のエナが、目を白黒させながら肩をわななかせている。
「ふひょー! 朝から告白! 大胆だねぇ、どーも!」
前の席では、冥条琉詩葉が目をキラキラさせながら、無責任かつ嬉しそうな感嘆の声。
「せつな! き・さ・ま~~~!!!!」
同じく前の席から、時城コータが恐ろしい目でせつなを睨んでいた。
「ううう……」
せつなは学園生活一日目の朝から、いきなり巻き起こったアクシデントに、ただ固まるしかなかった。
そんなわけで、午前中は、ぼーーっとしたまま昼休みに至ったのだ。
「夕霞裂花……」
せつなは、コータやエナ、琉詩葉、その他クラスメートの騒ぎようと、その言葉の端々から、どうにか彼女に関する記憶をまとめ上げていた。
外見は、朝方見たとおり。廊下をすれ違った男子どもが、全員目を見張って振り返ってしまうような、ちょっと凄みさえ感じさせる美貌の持ち主。
ただ、体が弱いとかで、めったに学校に来ないし、来ても図書室か保健室で終日『自習』だ。
それが、彼女に関してせつなが知り得た全てだった。
親しくしているクラスメートは、一人もいないみたいだ。
なぜ彼女だけ学園指定の制服を着ていないのか、それもよく分からない。
たまに教室に顔を出しても、口数は少ない……というか、誰か話をしたことのある者がいるのか、それもわからないのだ。
今日も四限目の授業が終わった時点で、気分が悪いからと、スタスタと保健室に引っ込んでしまった。
「そんな奴が話って、一体なんだよ……」
カツサンドを食べながら、せつながグダグダそんな事を考えていると……
「せ~つ~な~!!」
がし! いきなりせつなの頭を後方から羽交い締めにするヤツがいた。
時城コータだ。憤懣やるかたない様子でせつなをヘッドロックして、彼の頭をグリグリしているのだ。
「ああ、もー! 痛てーからコータ!」
腕をばたばたさせてコータをふりほどくせつな。
「裂花様から御声をかけられて! その上、放課後に『話がある』……! だとー! くそがー!」
要は、憧れの裂花がせつなに近寄ってきたのが、うらやましくてたまらないのだ。
「まったく、せっちゃんも隅に置けないねぇ……! いつの間に裂花ちゃんとそんな仲になったのだえ? ほれほれ正直に言ってみぃ!」
紅髪を弾ませながら完全に下世話なおばちゃんと化した冥条琉詩葉が、コータに乗じてせつなの脇を肘でつっついた。
「ばか! そんなんじゃねーから!」
顔を真っ赤にして琉詩葉に弁解するせつなの前に……
ばさっ! 机の上に、分厚い紙束が降ってきた。
「『不純課外交友活動日次報告書 -風紀委員会-』……って? なんだよこれ?」
紙束の表紙に書かれたタイトルをみて、せつなが訝しげに顔を上げると、そこには眼鏡を光らせた炎浄院エナ。
「如月くん、これ、今日の報告書だから! 夕霞さんと、どんな事をお話したのか、ここに録音して書面に起こして、謝罪と反省、再発防止のための今後の対策をまとめて、あたしに提出なさい! 明日、朝一でいいからね!」
何故そんなものを持っているのか? エナがボールペン型ボイスレコーダーをせつなに手渡しながら、厳しい声で彼にそう言った。
まだ何もしていないのに、どうしてそこまで! 呆然とするせつなを尻目に、エナが、今度はコータの方を向いた。
「あと……! 如月くんはあたしが見張るし、コータくんは、夕霞さんの事には、首を……つっこまないこと!」
彼女はツインテールを揺らしながら、おずおずと伏し目がちにそう言った。気持ち、声が小さめだ。
「はあぁ!? 何勝手に決めてんだよエナ! 余計なお世話だっつーの! こいつは俺のダチなの! せつな、俺も行くからな、放課後!」
風紀委員の横暴に怒りの声を上げて断固、せつなを邪魔する気まんまんのコータに、
「キーーー! とにかく、ダメなものはダメなの!」
逆ギレのエナが金切り声。
「えー! じゃーあたしも行く、コーちゃん! あたしもあたしもあたしも!」
歩く野次馬根性と化した琉詩葉がコータとエナの間に割って入っきた。
「冥条さんは引っ込んでなさい!」
「琉詩葉は引っ込んでろ!」
事態が、更に鬱陶しくなってきた。
「あーもー勝手にしろ! お前ら!」
いいかげんウザくなってきたせつなが、机を立って教室から飛び出した。
#
「まったく、のんびり昼飯も食えやしないぜ……」
カツサンド片手に教室を飛び出したせつなが、なんとなく足を運んだのは、学園の校舎の屋上だった。
小高い丘陵地帯に建てられた聖痕十文字学園の屋上からは、タマ市の街が一望できる。
秋の空は高くて、風も気持ちいい。
ちょうどいいやと、せつなは金網の縁に腰を下ろすと、屋上で昼食を再開した。
「そういえば、アレ……」
カツサンドを食べ終えたせつなは、胸ポケットから何かを取り出す。
クシャクシャになった、一通の便箋。朝方、裂花から渡された手紙だ。
コータや琉詩葉の騒ぎように気をとられて、中身を読んでいなかった。
「どれどれ……」
水筒からほうじ茶を飲みながら、せつなが便箋をひろげると。
中にはただ一言、こう書かれていた。
「ここ」……
「せつなくん、やっぱり今、ここでお話しましょう……」
不意に、せつなの耳元で、声がした。
「うわあ!!」
声に振り向いたせつなは、驚きの悲鳴を上げた。
一体何時からそこに? せつなの左隣に腰掛けて彼を見つめていたのは、秋風に長い黒髪をなびかせた一人の少女。
夕霞裂花だった。
「裂花! いつの間に!」
驚愕で継ぐ言葉の出てこないせつなに、
「せつなくん、この前は大変そうだったけど、調子はどう? 何か、思い出せそう?」
裂花が、吸い込まれそうな黒い瞳でせつなの顔を、じっと見つめてそう言った。
「何かって……何?」
訳が分からずに、ドギマギしながらそう聞き返すせつな。
朝の行動といい、この女、やっぱりどっか、おかしいんじゃないか?
せつなの中にそんな疑念が頭をもたげてきた、その時。
くん。裂花がせつなに身を乗り出して、一際、彼に貌を寄せてきた。
「ななな!」
緊張して身動とれないせつなに、
「ほんと。前よりも、ずっと強くなっている……」
彼の問いには答えずに、裂花が嬉しそうにそう言って、ふっと笑った。
「うぐ……!」
せつなは、再び息をのんだ。
唇の片端をキュッとつり上げて、一瞬覗く真っ白な歯。
それだけで何か胸が締め付けられるくらい、間近で見る彼女は可憐で、美しかったのだ。
だがそれは……。せつなはうなじの毛がザワザワと逆立った。その笑顔は、どこか彼を不安にさせる笑顔だった。
「せつなくん。随分と色んな所で戦って来たのね。それに、いろんなモノを集めてきた……」
裂花がせつなの瞳をじっとのぞき込んで、また、よくわからない事を言い始めた。
「お願い、あたしに、それを、見せて……」
裂花の両手が、せつなの肩に添えられる。白くてたおやかな指先が、ウズウズとせつなの肩から、頸筋へと這っていく。
「ちょ、ちょままま……裂花!」
突如の怪事に、呆然としたまま、せつなは裂花にされるがままだった。
だが、その時。
「ぐおー! せつな! それ以上は許さんぞーーー!」
ばたん。屋上の入口から飛び出して、せつなと裂花に向かって突っ込んできたのはコータ。
「コータくん! みっともないから引っ込んでて! 如月くん! 夕霞さん! これ以上やったら不純異性交友で『審議』にかけるわ!」
コータの腕をひっつかんで彼を制しながら、せつなと裂花にそう叫ぶエナ。
せつなを尾けて、彼と裂花の様子を入口の物陰から伺っていたのだ。
「ひゅーひゅー! いーぞお二人さん! それキース! キース!」
コータとエナの後ろから、全く空気を読まない琉詩葉が、無責任にそう囃し立てる。
「お、お前ら……!」
ようやく我に返ったせつなは、裂花の手をふりほどくと、屋上の床から立ち上がる。
三人の乱入でホッとしたような、ガッカリしたような、何か拍子抜けした気分だった。
「ふふ……いいわ、せつなくん。また、『今度』にしましょう」
立ち上がった裂花が、彼の耳元でそう囁く。
「裂花、お前、一体……」
唖然として裂花を見るせつなに、
「いずれにしても、今日はもう時間がなさそうだし……せつなくん」
せつなにそう言った裂花の、鈴の音のような声の中にふと、厳しさが軋んだ。
「エナちゃんを守って、戦いなさい」
「エナを……!」
せつなは、息を飲んだ。
裂花は、せつなが学園に入学してきた目的を知っているのだろうか?
そうだ。せつなは頭を振る。いかんいかん、しっかりしろ!
朝から色々あって忘れかけていたが、彼の目的は炎浄院エナの警備だったはずだ。
「エナ……」
そう呟いてせつなが、コータとエナの方を振り向いた、その瞬間!
「どわー! なによこれ!」
屋上に、エナの悲鳴が響き渡った。
エナの体が、宙に浮いていたのだ。
「エナ! なにが、どうなって!」
目の前で引っ張り上げられていくエナに、愕然とするコータ。
「縄!?」
そう気付いた琉詩葉が驚きに紅髪を震わせた。
しゅるん!
気付けばエナを絡め取り、彼女を屋上から、空中に引っ張り上げようとしているのは、彼女の上半身に巻き付いた一条の荒縄だった。
「な……投げ縄だと!!」
驚き叫んで、縄の元をたどって空を仰いだせつなが見たものは……
凧だった。人の背丈ほどもある巨大な方形の凧が、学園屋上の上空を悠然と泳いでいるのだ。
そして……せつなは目を疑った。凧に乗っていたのは、人。
真っ黒な忍装束に身を包んだ三ツ編みの少女が、左手で自分の乗った凧の舵を器用に切りながら、右手では投げ縄を手繰り、エナを空中に引きずり上げようとしているのだ。
「お前! その格好! 昨日の忍者の仲間か!」
空を仰いで怒りの叫びを上げるせつなに、
「いかにも! 甲賀朧谷衆が暁宮焔!! 如月せつな! 蟲塚小四郎の敵、取らせてもらう!」
空中の少女が、せつなを見下ろし敢然とそう名乗った。




