暗殺者襲来
「タマ市の未成年の失踪事件の記録、か……」
どうにかクマガヤバルトを無事に抜け出した俺は、ノイエタマに戻るべく地上路ヤエン・シュトラーゼを飛ばしていた。
警察を当たるのが最短コースだろうが、嵐堂刑事とやりあった後、肝心の俺が指名手配中ではノイエタマ署の敷居はまたげない。
やはり情報屋をあたるか……。『おやっさん』にアクセスしてみよう。
そう決めて、胸ポケットから携帯を取り出すと、
「む……?」
俺は妙な事に気づいた。
「メッセージ1件」
着信もメールも滅多に来ない俺の携帯のモニターに、そう表示されている。
俺の愛用する前世紀のガラケー『iPhone105』が、一通のメールを受信しているのだ。
「妙な事もあるもんだな……?」
俺は中身を確認しようとiPhoneのメールアプリを開いた。と、その時……
「ん……? なんだあれ?」
突如、俺は異変に気付いた。疾走するスピナーの前方、ヤエン・シュトラーゼの真ん中に、巨大な黒い靄の様なものが立ち込めているのだ。
「何か、おかしい!」
危険を感じて急ブレーキ踏むも、スピナーはそのまま靄の中に突入した。
ぶわぁーーーーーん!
何てことだ。靄に見えたものは、その渦中に飛び込んでみれば、ひどい有様だ! 虫だった。灰色の小さな羽虫の群れが形成する巨大な虫柱だったのだ。
何万匹もの羽虫が雲霞の如く道路に湧きあがり、スピナーを包んでいるのだ。
「ばかな! こんなことが!」
俺は恐怖に駆られ、スピナーを再発進させようとする。だが、アクセルがかからない!
「!!!」
途方に暮れてキャノピーごしに周囲を見回した俺は、スピナーの前方に立つ人影に気づいた。羽虫の靄に覆われその姿は定かではない。
「人違いだったらごめんください。如月せつな……さん……じゃございませんか?」
影が俺に尋ねる。男の声だ。やはり俺が狙いか……。
俺はスピナーを下りて『イマジノス・アーム』に意識を集中した。
「いかにも、如月ですが。何かくれるんで?」
俺がそう応えるや否や、
「ああ……こいつをな!」
しゅばっ!
黒光りする無数の何かが、虫どもの雲霞を切り裂いてこちらに飛んできた!
「ぬうぅ!」
がきん! 俺は咄嗟に硬質化させたイマジノス・アームで、そいつらを受け払った。
「これは……」
地面に散らばった相手の飛び道具に目を遣った俺は、思わず息をのんだ。
飛んできたのは、幾振りもの、切っ先鋭い黒金の十字手裏剣だったのだ。
「『蟲使い』……『手裏剣』……まさか、『甲賀』の『蟲塚小四郎』!??」
俺は全身が総毛立った。
「いかにも! 甲賀朧谷が蟲塚小四郎! 如月せつな……死んでもらう!」
虫霞の向こうに立った男が、俺に向かってそう叫んだ。
甲賀朧谷衆! 何百年にも渡って近親交配を重ね、殺しの業を磨いてきた暗殺者集団。
特定の主人に仕えず、報酬次第でどんな相手にも暗殺の牙を剥く凶犬。新西暦に至った現在でも、その所在も構成員も闇の中に秘されたまま。実在を疑う者も少なくなかった。だが、俺も含めた裏世界に関わる者の間では、畏敬に近い確信と恐怖とともに、こう言い伝えられてきたのだ。
……忍者に狙われたら、絶対に助からない。
俺の首筋を冷たい汗が伝う。口の中はカラカラだ。
百戦錬磨のこの俺も、忍者と相対するのは初めてのことだった。
「くらえ如月! 火星忍法『闇霞』!!」
小四郎が叫ぶ。
ぶわーーーーーん! あたりを飛び回る何万匹もの羽虫の群れが、一斉に俺の体にたかってきた。
羽虫は、その小さな身体に見合わぬ鋭く巨大な顎で、俺に噛みつき、俺の皮膚を噛み割いて、身体の中に潜り込もうとしている!
「うおおおおお!」
苦痛に転げまわりながらも、俺はイマジノス・アームの発電細胞を活性化させた。
ばちん! 俺の体を何十Aもの電流が伝い、羽虫どもが一瞬、俺から振り払われる。
勝機あり!
「戦術神風!」
俺は叫んだ。
イマジノス・アームの掌底から吹きあがったアストロ・キンチョールが俺の体を覆っていく。
さしもの羽虫どもも、これは効いたようだ。
羽虫は俺の周りを離れ、ヤエン・シュトラーゼの側道に新たな虫柱を形成した。
今だ! 俺はイマジノス・アームをパンプアップさせ小四郎に走り寄る。
「ぬうう!」
狼狽した奴が再び懐から十文字手裏剣を取り出すと、雨あられと俺に浴びせかけてくる。
だが苦し紛れだ。俺は手裏剣を払い落すと、すかさず奴の懐に飛び込んで、喉首を絞めあげた。
「とったぞ、小四郎!!」
俺は左手で奴の被った黒頭巾をはぎ取った。まだ若いが、まるで狼のように獰猛な面構え。爛たる殺気をその目に灯して俺をにらみ返してくる。
奴を掴んだ右手の指先に、俺は疑似神経組織ブレイン・アクセサを形成した。
忍者が依頼主の名を明かすことは絶対に無い。直接脳髄に聞くしかない!
ぷつっ! ぷつっ! 指先から伸びた微細な金属繊維、アクセサの端子が次々に奴の頭蓋に突き刺さる。
だが待て、何かがおかしい。この意識パターンは……! まさか!!!
ぶわっ! 小四郎の頭部が一瞬、倍ほどに膨れ上がった。
そして……その眼窩や鼻、口中から何かが這い出して、俺の首と右腕に巻き付いてきたのだ。
「うおぉ……!」
俺は『そいつら』の不気味さに息をのみ、同時に蟲塚小四郎の正体を知った。
小四郎の頭部から這い出てきたのは、飴色にテラテラと光ったミミズ状の妖虫。
一匹一匹は数ミリほどの太さしかないそいつらが、何百匹と寄り合わさって、俺の腕と首を絞めあげているのだ!
「げへへええぇ! 見たか! 火星忍法『顔中蠱』!! このまま絞め殺してくれる!」
勝ち誇る小四郎。うかつだった! 奴の頭蓋の奥に在るのは人間の脳髄ではなかったのだ。
替わりにいたのは何百匹もの火星長虫。彼らが蠢きのたうち発するスパークが、一個の統一された自我を形成して奴の肉体を制御する。
小四郎は、そういう忍者なのだ!
奴の縛めをふりほどこうと俺は必死でイマジノス・アームに意識を集中する。
だが、遅かった。長虫に頸動脈を圧迫されて、俺の意識が、急速に、遠くなっていく……
#
じじじ……じじじじじ……
頭の中で、何かが軋む音がした。
#
「私、引っ越すことにした」
引っ越す? 引っ越すって、でもどこに?
「だからもう、私たち、終わりにしましょ……」
デニーズの禁煙席でデミグラスハンバーグセットを頬ばっていた俺に、向かいに座った彼女が、不意に、そう言った。
「え……」
俺は一瞬、彼女が何を言ってるのかよくわからなかった。
俺はライスプレートから目を離して彼女を見る。
注文した和風ドリアを一口、二口。それきり、彼女は食事に口をつけていなかった。
「おわりって……何を言ってるんだよ? 鳴?」
いつもはお喋りな彼女が、しばらく、黙ったままだった。
秋の雨が、サアサアとガラス窓を叩いている。遅く起きた俺に合わせて、昼飯に出掛けたのも三時近く。
俺たち二人の他に周りに客の姿は無い。店員が食器を運ぶカチャカチャという音と、雨音だけが店内に響いて、俺は何だか、いたたまれない気分になってきた。
「先が、見えないの」
やっと、彼女が口を開いた。
「あなたの本、ずっと読んでる。小説家が一生の仕事、子供たちに夢と科学への探究心を教えるのが自分の役目、なんて言ってるけど……子供向けの本を年に一冊かけたらいい方。収入だって、このままじゃとても……。もうここ三年、家賃も、食費も、全部、私持ちじゃない……」
俺は下を向いて彼女から目をそらす。
「何度も相談したよね? このままでいいの? せめて昼間は働いてほしいって……。でも、いつも、忙しいって……いそがしいって、何よ?」
彼女の語気がだんだん強まって行く。
「私、結婚したい、子供がほしい」
これまで聞いたことも無いギョっとするような言葉が彼女の口をついて、俺は思わず顔を上げる。
だがすぐに気づく。俺への言葉じゃないのだ。
「でも、あなたは、ずっと、あなた自身が子供のまま。そこが、なんだかホッとするし、好きだった……だけど……」
静かに、そう続ける彼女の目から、ぽつり、涙が一粒。だがその次に、
「責任がとれない人」
俺の目を見てきっぱりそう言った彼女の声は、とりつくしまがないくらい、決然と、冷やかだった。
「もう部屋は、借りてあるの。あたしの私物と家具は、あとで引越業者に運んでもらう。しばらく、荷物の整理だけさせてね……」
続けて彼女が何か話しているが、もうなにも頭に入って来ない。
「そろそろ、出よ。最後くらい、ワリカンにしましょ……」
どれくらい経っただろう。彼女はそう言って席を立ち、バッグから財布と取り出す。
仕方なく俺も尻ポケットの財布に手を伸ばす。震える手で千円札を取り出そうとするが、なんだか食べたものも、値段も、よく思い出せない。
窓ガラスをサアサアと雨が打つ。ガラスを伝う雨粒が、俺と彼女の間のテーブルに絶え間なく流れ落ちる翠巒の縞模様を映して、俺は何だか、景色がぼんやりと白茶けて見えてきた。
#
じじじ……じじじじじ……
#
「うぉおお!」
何か強烈に嫌なイメージが頭をよぎって、俺は一瞬意識を取り戻す。
目の前では、口や耳から長虫をうごめかし、勝ち誇った顔の蟲塚小四郎。
やむを得ん。『こいつ』を使うしかないか……
俺は、右眼を閉じて、サングラスの奥の左眼に意識を集中した。
俺の中の『パワー』が、徐々に左眼に集まっていく。はやく……間に合わない!?
「おっと! 妙な真似はするなよ!」
俺の次の一手を察した!? 小四郎がおれの首元に匕首を突きつけてくる。
くそ! 勘のいい野郎だ! 万事休すか?
だが、その時。
ぷるるるるるるるる……
俺の胸元で、耳慣れない音がした。
胸ポケットの携帯が、振動しているのか? だがこんな着信音、聞いたことないぞ?
「何だ?」
予期せぬ異音に戸惑ったのか、俺を締め上げる小四郎の長虫どもの力が、一瞬、緩まった。
チャンスだ! 俺は、右腕のパワーの全て尽くして長虫を引きちぎると、奴の顔面に強烈な右ストレートをお見舞いした。
「ぐうう!」
たまらず悶えうつ小四郎。長虫どもが苦しげにのたうつ。
今だ。俺はすかさず跳び退り、奴から距離をとってどうにか呼吸を整える。
小四郎が殺しのプロフェッショナルであることが、逆に幸いした。
俺の一挙手一投足、どんな僅かなモーションも見逃さない奴だったが、俺自身も予想のつかなかったモーションに対しては、逆に慌て戸惑い、そこに隙が生じたのだ。
「さっきのは一体……」
俺は素早く胸ポケットの携帯を検める。
受信メッセージに表示されていたのは、ただ一文。
「^o^」
「何だこりゃ?」
戸惑う俺。その時……
「せつなさま。お待たせしましたの!」
携帯が……喋った!?
ぴょん。
俺のiPhone105が、俺の手の中から飛び跳ねると、そのまま俺の目の前、空中に浮かび上がった。
かちゃかちゃかちゃかちゃ……
呆気にとられる俺の前で、iPhoneの外装がまるで寄木細工のようスライド、展開していき、みるみるその形を変えていく。
「お……俺のiPhoneが~!」
愛用のiPhoneの変わり果てた姿を見て俺は思わず悲鳴を上げた。
俺の目の前に浮いているのは、ちょうど手のひらに収まるくらいの、小さなレオタード姿の、女の子だった。
背中からはやしたトンボのような二対の翅をパタパタさせながら、俺にニッコリ笑いかけてくる。
「セットアップ完了ですの! せつなさま、よろしくですの!(^o^)」
俺にむかって、ペコリとお辞儀するiPhone。
「お……お前は一体……」
唖然としてそう訊く俺に、
「わたくしは『めるも』。大月教授の送信した萌えメール。せつなさまの、ナビゲーターですの!(^o^)」
背中の翅をパタパタさせながら、彼女はそう答えた。




