決戦の地へ
山並みに落ちかかった夕日が、崩れかけた学園の校舎を赤黒く染めている。
空中の悪魔城の残骸、荊の虫籠から地上の学園へとその舞台を移した、学園の戦士たちと吸血姫裂花との戦いは、十二時間にも及ぶ激闘の末、ついに今その趨勢を決しつつあった。
出任せと出鱈目ばかりを繰り返してきた、このどうしようもない物語も、今、ようやく一つの終焉の時を迎えようとしている。
「随分と粘ってくれたじゃない。でもやっぱり、あなたたちは私の敵じゃない……」
校庭に立った美貌の吸血少女、夕霞裂花が、彼女の周囲に伏している学園の戦士たちを見渡して、無情にそう言い放った。
「ぐ……ぐぐぐぐぐう!」
冥条莉凛が苦悶の呻きを漏らした。
「この阿婆擦れ! 殺す殺す殺す~~!」
魂子が怨嗟の声を上げながら裂花を睨む。
「まだよ! まだ、終わってない!」
琉詩葉が錫杖を杖にして、どうにか立ち上がろうとしている。
戦士たちは、満身創痍だった。
二本の剣、『裂花の晶剣』と『刹那の灰刃』を振った裂花の力は、それほどまでに圧倒的だった。
莉凛の炎も、琉詩葉のホタルも、魂子の巨茸獣も、焔の血塗れ忍法も、てふおの寿司も、雨の牙も、今の裂花には通用しなかったのだ。
「ようやく自分たちの無力さに気づいたみたいね。さあ。おとなしく私の軍門に下って、今後は、この私の『下級天使』として私に尽くしなさい。そうすれば、命だけは助けてあげるわ!」
勝ち誇った裂花が、そう言って玲瓏と笑う。
もはや、立ち上がる力すら残っていない学園の戦士たち。
万策尽きたかに思われた。だが、その時だった。
「うそ……!」
校庭に立った裂花の目が、突如驚愕に見開かれた。
「たった今、私が死んだ……!」
少女は茫然とそう呟くと、自身の白蛇のような右腕を、虚ろな目で見据えた。
途端。
ぼろり。
裂花の右腕がもげて落ち、真っ黒な灰となって風に散り、夕空に消える。
「ああ! なぜ! どうしてです! 再創世者!」
空を仰ぎ絶望の叫びを上げた少女の全身から、
ぼおおお。
金色の炎が噴きあがって、少女の全身を焼き尽くしていく!
「こ、これは!」
琉詩葉も、莉凛も、そこにいる誰一人として、目の前で起きていることを理解できないでいた。
「あああああああああ……」
やがて少女の悲痛な叫びもついに絶え、裂花の全身は完全に燃え落ちて、黒い灰になると、風に蒔かれて、消えた。
「……裂花! 逝きおったか!」
少女を襲った突如の惨劇を目の当たりにして、冥条莉凛は虚しくそう呟いた。
紅髪の少年には分かった。裂花の気配がこの世から消えて、彼女は今、完全に世界から消滅した。
「裂花……ちゃん……」
琉詩葉もまた、複雑な心境だった。
「さらばじゃ、裂花!」
どうにか校庭から立ち上がった莉凛は、空を仰いで一人ぽつりとそう呟いた。
彼自身と冥条の一族を散々に翻弄し続けた魔性の少女は、その理由は定かでないが、今ここに、ようやく滅びた。
何を思うか冥条莉凛。
夕日を見つめる少年の白皙の頬をツと伝ったのは、一筋の涙であった。
「それでも、うちら……勝ったんだね!」
立ち上がった琉詩葉が、祖父にそう訊くと、
「ああ。琉詩葉。これにて一件落着じゃ!」
燃え立つ紅髪の少年は、孫娘を向いて、力強くそう答えた。
茜の空を覆った薔薇は、いまだ不気味な歌を歌いながら天空をうねってはいたが、あの女の死と共に、やがては滅び、消えゆくだろう。
今、万感の思いを込めて、校庭に立った学園の戦士たちは、ただ、黙って空を仰いだ。
だが、その時だった。
「ひぐう!」
突如、琉詩葉がおかしな呻きを上げた。
「どうした、琉詩葉?」
慌てて琉詩葉を見遣った莉凛だったが、
「ああ!」
突如、琉詩葉が顔を覆った。
「やめて……! だめ、お願い! こないで!」
これはいかなることか?
苦しげにそう呻く彼女の紅髪が、風になびくと、みるみるうちに伸びあがり、漆黒の色へと染まって行く!
ぼおお。
そして琉詩葉の全身が、真っ黒な炎に包まれた。
炎は琉詩葉の全身を舐めながら、彼女の身体を包んだ紺碧のブレザーを、何か異質なものに変貌させていき、炎が収まった時、彼女が纏っていたのは血のように深紅の、ビロードのワンピースだった。
そして、
「ふうぅううう……」
顔を上げた彼女の容貌は……もう琉詩葉の物ではなかった。
切れ長の目。黒珠の瞳。蒼白の頬。真っ赤な唇。人形のような貌。
……そこにいたのは、夕霞裂花だった。
「馬鹿な! なぜお前がここに!」
愕然として、そう叫ぶ莉凛に、
「ごめんなさいね、凛くん。こんな時の為に、琉詩葉ちゃんの身体の中に、私の基質を挿れておいたのよ……」
いまや琉詩葉の身体を乗っ取り、己が手中に収めた夕霞裂花が、そう言って莉凛に嫣然と微笑むと、
「ぁああ……! この身体、イイ!」
突如裂花は、両手で自分の肩をかき抱いて、うっとりとした表情で空を仰いだ。
「琉詩葉ちゃんの身体! やっぱり凛くんの血筋ね。すごく……馴染むわ!」
裂花が莉凛にそう言って、
くるん。くるん。くるん。
孫を襲ったあまりの怪事に茫然とする莉凛の眼前で、陶然と微笑んだ黒髪の少女は真っ赤なワンピースを揺らしながらクルクルと、一人校庭にワルツを舞った。
たたん。たたん。たたん。
裂花の舞の1ステップ毎に、彼女の身体は空中高く跳ね上がり、いまや裂花がいるのは校庭を一望する学園の上空だった。
「凛くん。魂子さん。悪く思わないでね!」
校庭の一同を一瞥して裂花が冷たく言い放つ。
「本当は琉詩葉ちゃんに、こんなコトしたくなかったんだけど、もうそんなこと言っていられない。世界の『リセット』は阻止して見せた。二本の『楔』は私の手の中。あと一つ、最後の楔を手に入れれば、私にもまだ、チャンスはある!」
裂花が、わけのわからないことを莉凛と魂子に向かって叫んだ、その時だった。
「ぴきゅ~~~~!」
突如、裂花の胸元、真っ赤なワンピースの合間から、『何か』が飛び出してきた。
「ああっ!」
吸血姫が驚きの声。
ざくっ!
裂花から飛び出して、彼女の真っ白な喉元に果敢に噛みついたのは、おお、一匹の小さな、金色の『つちのこ』だった。
琉詩葉がその胸元に忍ばせていた彼女のペット。ゴールデンつちのこの『ノコタン』である。
「琉詩葉ちゃん! 自分の胸を、こんなもので水増ししていたなんて……! 間違っているわ!」
美貌の吸血少女は忌々しげな表情で喉元に手をやって、無理矢理に、噛み付いたつちのこを引きはがすと、
ぽい。
無情にも、空中から、校庭むかって放り捨てたのだ。
「ぴきゅ~~~!」
ぽとん。
ノコタンは、情けない声を上げながら校庭に墜落すると、目を回して地面に転がった。
次いで、
ピカッ!
茜の空に走った金色の亀裂から、突如放たれた稲妻の一閃が空中の裂花を直撃した。
だが、
少女が右手をかざすと、金色の稲妻は裂花の右手に、ガシリと受け止められて、
「ふん!」
ばりん。
裂花が鼻を鳴らして拳に力を込めると、稲妻は、天空の雷光剣は彼女の手の中で粉々に砕け、金色の破片と化して空中に散った。
「無駄なことよ。再創世者!」
裂花が空を仰いでそう叫ぶ。
「この肉体は、あなたとせつなの寵愛を受けた下級天使。冥条の一族のもの! いかにあなたの『天の火』でも、そう簡単に滅ぼすことは出来ない!」
茜色の空を上昇して行きながら、裂花は空を指し高らかにそう告げた。
そして、
「見ていなさい。再創世者! あなたがどこまでも、この私を拒むというのなら、私もまたあなたの望みに、どこまでも抗おう! せつなと同じよ! 私もまたこの世界に突き立てられた牙! あなたの傀儡を葬って、あなたの望みから最も遠い姿に、この世を作り変えてやる! そして、いずれはあなたになり替わり、この世界を治める『主』になってやる!」
天を仰ぎ、輝く晶剣で空を指し、夕霞裂花は敢然と天に向かってそう言い放った。
その美しい貌に、もはや妖艶の笑みはなく、朱をさしたような唇は厳しく結ばれ、切れ長の眼から空を睨んだ黒珠の瞳のその奥には、決然たる叛逆への意志が煌めいていた。
ざざざああああああ……。
次の瞬間、裂花の身体は何千頭もの黒翅の蝶へと姿を変えて、薔薇の花咲く茜の空を不吉な灰色へと染め上げながら、やがて一陣の黒い風になって、空の彼方へと消えて行った。
「そんな! うおお琉詩葉ー!!」
「だめよ! 行かないで、るっちゃん!」
空を仰いで、無念の叫びを上げるしかない莉凛と魂子。
だが、その時……
ぼおお!
これはいかなることか?
地上に落ちて転がったゴールデンつちのこが、ノコタンの身体が、金色の光に包まれて膨れていく。
そして、光の中から、何かが立ち現われた。
ヒトだった。
「なにい!」
驚きの声をあげる莉凛。
光の中から姿を現わしたのは、燃え立つ炎のような紅色のロングヘアーを風に靡かせた、一人の女だったのだ。
齢は二十半ばか。スラリとした肢体を包んでいるのは、純白の詰襟。頭に目深にかぶっているのは金色の桜花の帽章も眩い白と黒の正帽だった。
くるり。女は凛とした表情で、莉凛と魂子を向いた。
「パパ! ママ! 諦めるのはまだ早いわ!」
二人に向かってそう言った女に、
「おおお……! 瑠玖珠!!! お前、生きておったか!」
「まあ! るくちゃん! あなたも生きていたのね!」
二人もまた、嬉しい驚きの声を上げた。
彼女の名前は冥条瑠玖珠。
十年前、異次元世界からこの世界の侵略を目論んで学園と一戦を交えた異世界勢力『ルルイエ学園』の大幹部『邪神廟最凶七部衆』との熾烈を極めた戦いで命を落としたはずの、冥条獄閻斎こと莉凛と魂子の一人娘。
そして、琉詩葉の母だった。
「てへへ。パパ。ママ。黙っていてごめんなさい!」
瑠玖珠が獄閻斎に向かってペロッと舌を出して悪戯っぽく笑った。
「七部衆、『斬界のラスネール』との戦いで被った傷を癒すため、この十年間、つちのこにその身をやつして、影ながらルーシーを見守りつつ復活の時を待っていたのよ!」
瑠玖珠は力強く二人にそう言った。
「そういうことじゃったのか、瑠玖珠!」
「そういうことだったのね、えらいわー、るくちゃん!」
一人娘の深慮遠謀に、思わず感嘆の声を上げる莉凛と魂子に、
「パパ! さっき奴に噛みついて、ハッキリわかった! ルーシーはまだ生きている! 裂花を追って、あの子を取り戻しましょう!」
瑠玖珠が空を仰いで、厳しい貌で裂花の消えた彼方を睨む。
「取り戻すって、だが、あやつは一体何処に?」
消えた裂花の行方も見当がつかずに、途方に暮れた様子でそう訊く莉凛に、
「心配しないで。奴の目的もまた、ハッキリした! すでに世界を支配する『三種の神器』のうち二つ、『地の楔』、『空の楔』は裂花の手に落ちていた。残るは一本、あの女の目的は『時の楔』! 楔の眠る場所、封印の地は『南極大陸』!」
自信と確信に満ちた表情で、瑠玖珠はそう答えたのだ。
それが、彼女の能力だった。
瑠玖珠は、その体で触れた相手の思考を瞬時にして読み取ることの出来る、精神感応者なのである。
「すでに、私のダーリンが先回りして南極に向かっているわ! 事は一刻を争う。私達も急ぎましょう!」
そう莉凛をせっつく瑠玖珠だったが、
「うぐ! ダーリンとな! では、『あの男』も生きておると……」
莉凛は、あからさまに嫌そうな顔をしてそう言った。
「あらまあ! じゃあ、シャルルちゃんも生きているのね!」
対する魂子は、そう言って目を輝かせる。
「莉凛さんも、そんな厭な顔しないで。みんな生きてて、おめでた続きじゃないの!」
「う、うるさい魂子! わしは、まだあの男を認めたわけではないんじゃあ!」
莉凛を諌める魂子に、彼は苦虫を噛み潰したような顔でそう叫んだ。
「まあまあ、パパ。ママ。ここでグダグダやってる暇はないわ! さあ! 出発よ! 行き先は南極大陸! 狂気の山々の、そのまた彼方! さいはての地! 夢見の平原!!!」
瑠玖珠が燃え立つ紅髪を揺らしながら、高らかに二人にそう告げる。
「だが瑠玖珠、『出発』って、一体どうやって?」
首を傾げる莉凛に、
「ああ、パパ。そんなことも忘れてしまったの?」
瑠玖珠があきれ顔で、右手の指をパチリと鳴らした。
すると、
ごごごごごごごごご……
不気味な地鳴りが辺りに響き渡り、
ずずううううううう……
一同の立った、学園の校庭全体が、周囲の大地から、突如、『せり上がった』。
「まさか瑠玖珠! 学園を『発進』させるつもりか!」
驚愕の莉凛に、
「その、まさかよ!」
平然と瑠玖珠が答える。
「この学園の最後の秘密。遥か太古の昔、地球に降り立った異星種知性体の遺した『遺跡宇宙船』! その宇宙船の真上に建造されたのが私たちの聖痕十文字学園! 有事の時に、学園そのものを戦艦として運用できるようにね!」
突如の怪事に右往左往する学園の戦士たちに瑠玖珠が説明する。
「遺跡の中央制御金属球と交信して『船』を操縦することができるのは、冥条家の中でも、地上最強の精神感応能力を持った、この私のみ! そして今が、その時だわ!」
瑠玖珠が得意げに胸を張る。
「え? じゃあこのまま南極に行くの? やったー『修学旅行』だー!」
「こら! 雨! 遊びじゃないぞ!」
空飛ぶ学園に興奮してはしゃぎまわる大神雨を、タニタてふおが叱りつける。
「焔……本来は無関係のお前まで、こんなことに巻き込んでしまった。なんなら船を降りて、甲賀の里に帰ってもよいのじゃぞ」
冥条莉凛が彼の背後に立った忍者少女、焔に向かってそう訊いた。
だが、
「何を言う理事長殿! 琉詩葉は、私の三宿九飯の恩人。私も行くぞ! 琉詩葉を助けに! 理事長殿、早急にこれを受理してもらいたい!」
焔は何の躊躇も無く莉凛にそう答えると、懐から何かの巻物を取り出して彼の前に広げた。
はらり。
「おお。こ、これは!」
見ろ。焔が莉凛の目の前で広げた巻物に、記されてあったのは……
『転入学届』である。
本来ならば引っ越しが決まった際に、学校の担任の先生にその旨を早めに連絡して、転校届、転校確認書、転出学通知書、在学証明書、教科書給与証明書などを発行してもらった上で、やっと転入先の学校に受理してもらうことの出来る届出書であるはずだ。
だが、これはいかなる忍者の業か。
焔の示した入学届には、すでに多摩市教育委員会の承認印が、朱々にはっきりと捺印されていたのである。
「よかろう! お主の心意気、今はっきりと受領した! 学園への入学を許す!」
孫のために、そこまで!
莉凛は感極まって涙ぐみながら、焔の入学届を快く受理した。
「かたじけない! 理事長殿!」
焔の目にもまた涙が滲んだ。
「パパ! そんなところでメソメソしてないで、船のメンテナンスはパパに任せたんだから!」
娘の瑠玖珠が莉凛に檄を飛ばす。
「そうですよ莉凛さん! ほらほらしっかり働いた!」
妻の魂子もまた莉凛を叱りつける。
「わかったよ! 瑠玖珠! 魂子! ううう。なんだかやりずらいわい……」
莉凛はブツクサそう言いながら、船の主武装を点検すべく、学園の甲板を駆けだした。
多摩市を一望する小高い丘陵地帯をつき崩し、いまや大空に浮揚した聖痕十文字学園。
全長500メートルを超える巨大空中戦艦の甲板に立って、冥条瑠玖珠は茜の空を指さして叫んだ。
「発進するわよ! ウラヌス級超弩級学園戦艦『セイント・クルセイダー』!!!!!!!!!!」
#
「探偵……。また何か、始めたのか?」
茜の空に赤黒いシルエットを浮かび上がらせた学園戦艦を見上げて、聖ヶ丘公園の芝生から起き上がって、訝しげにそう呟く少女がいる。
荊の虫籠から地上に叩きつけられて、今ようやく目を覚ました嵐堂メイアだった。
「まったく、あいつと付き合っていると、ロクな事がない!」
一糸も纏わぬ姿のメイアが、芝生から立って頭をふりふり、そう呟く。
せつなのおかげで、メイアのアイデンティティはグチャグチャだった。
警察官だと信じていた自分は、仮の姿で、正体は忍者の末裔で、蒸気騎士のヘッドライナーで、吹雪の国の『魔王』……!
だが、そんなの知ったことか。
何処の誰に、どう望まれようが、『私』は、『私』だ。
ぼおおお。
メイアの身体を、青黒い炎が覆う。
炎はメイアの身体を舐めて、誰に望まれたものでもない、メイア自身の望んだ彼女の衣服を形作る。
「探偵……! この落とし前は、つけてもらうぞ!」
メイアは天を仰ぎ、空を征く船にむかって、再び、ポツリとそう呟いた。




