黒蝶散華
「ううう……」
「目を覚ました? せつなくん」
気が付けばせつなは、裂花の腕に抱かれながら、どことも知れない真っ暗な流れの中を、ユラリユラリと漂っていた。
せつなは、自由のきかない体に鞭打ち、無理矢理に顔を上げて辺りを見回す。
せつなと裂花は、時折何処からか、ドクンドクンとくぐもった音の響き渡る、生暖かく肌にまとわりつくようなヌメリの中を、ただ、どこまでも上昇していくようだった。いや、下降していくようでもある。
朦朧として現実感を失ったせつなには、それすらも判別がつかなかった。
「ほら、見えてきたわ。せつなくん」
白魚のような指先でウズウズとせつなの髪を撫でながら、少女がせつなにそう言った。
「見える……?」
やがて、粘つく闇の向こうから、幾つもの『景色』が、せつなの眼前に広がって行った。
#
ざざあああああ……
多摩市の上空。
琉詩葉たちの足場であった、かつての悪魔城の残骸、蠢く荊の虫籠は、いまや急速にその姿を崩壊させつつあった。
虫籠を構成していた蠢く荊の大半が、緑にうねった棘持つ薔薇の蔓へと変化すると、空に向かって伸び上がり、金色の亀裂の生じた夜空に突き刺さり、絡みつきながら、夜空を縫い留め、広がる亀裂を止めようとしているようだ。
「裂花! そいつを……せっちゃんを返しなさい!」
残ったわずかな足場に、どうにかしがみ付きながら、燃え立つ紅髪を揺らした冥条琉詩葉は、眼前の夕霞裂花が、その腕に抱いている深紅の繭玉を錫杖で指しながら、嫣然と微笑んだ少女にそう叫んだ。せつなの肉体を包み込んだ、蠢く荊の繭玉だった。
「これが欲しいの? 琉詩葉ちゃん? そんなに、せつなくんが心配?」
裂花は嘲笑うように琉詩葉に答えると、
「でも無駄な事よ。もう彼の『本質』は私のココにあるの。これはもう、抜け殻よ」
美貌の少女は真っ白な指先で、自分の胸元をチョコンと押えると繭玉を腕の中から手放した。
深紅の繭は裂花から空中に放りだされると、地上に、多摩の市街向かって落下して行く。
「うわあ! せっちゃん!」
琉詩葉が悲鳴を上げるも、自分の足場を離れることはできない。
琉詩葉には成す術なく、繭は地上へと消えていった。
「くそう裂花! よくもせっちゃんを!」
怒りに燃える目で琉詩葉が裂花に錫杖を向けた、その時だった。
「おお琉詩葉。無事じゃったか!」
「るっちゃん。ここにいたのね、怪我はない?」
莉凛と魂子が、蠢く薔薇の蔓を伝いながら、琉詩葉のもとへと辿り着いたのだ。
その大半を空を縫い留める糸と化した荊の虫籠。琉詩葉と二人を隔てていた垣根は既に消滅していた。
「琉詩葉嬢様。無事ですかい!?」
「琉詩葉姉ちゃん。大丈夫?」
「にゃー! 大事ないか琉詩葉!」
同時に、タニタてふお、大神雨、焔の三人も冥条一家のもとに辿りつく。
「あら、その貌は凛くん!」
闇に浮んだ少女が嗤う。
「この事件、やはりお前が黒幕であったか、『吸血花』!」
冥条莉凛が獅子の鬣のような紅髪を怒りで震わせながら、薔薇の蔓の上に立った美貌の少女を睨んだ。
「しばらくぶりね。凛くん……。やっと『転生』できたみたいね……」
裂花が婀娜に嗤いながら、莉凛を眺めてそう答える。
「裂花……! お前とは古い誼みだが、よもやわしの孫を手にかけようとは……許さんぞ妖怪!」
莉凛はそう言うなり、越中褌の間に潜ませていた手裏剣を、何の躊躇も無く少女めがけて投げ打った。
しゅしゅしゅ!
裂花の眉間めがけ、寸分の狂いも無く飛んで行く冥条莉凛の棒手裏剣。
だが……
「ふぅぅ」
裂花が朱い唇から息吹きを漏らした。
ぼっ! ぼっ! ぼっ!
見ろ、とたんに蒼黒い炎を噴き上げて、空中で爆発四散した手裏剣。
「酷いわ、凛くん。ようやく、また出会えたのに。それにしても……」
裂花は唇に人さし指しながら、しげしげと莉凛の貌を眺めまわす。
「ふふふ。綺麗な貌に戻って。やっぱり、そっちのあなたの方が好きよ。また昔みたいに愛し合いましょう……」
ぴきぴきぴき。
空気が凍った。
「うぐぐぐぐううう!」
莉凛の顔が恐怖に歪んだ。
「え? お祖父ちゃん、こいつと知り合いなの?」
琉詩葉が訝しげに祖父にそう訊くと、
「あうえ、いやあのそのほの……」
しどろもどろにそう答える莉凛の目が、宙を泳いでいる。
「ええ、そうよ琉詩葉ちゃん」
代わりに裂花があっさりとそう答えた。
「凛くんは昔から、私のいい人。凛くんも知っていたでしょう? この私と『契り』を交わしたら、そう簡単には死ねないのよ……」
少女は再び莉凛の方を見て、艶めかしい貌で紅髪の少年に微笑んだ。
その時だった。
ぶすっ!
「うぎゃーーーー! 痛たたたあーーーー!」
莉凛の悲鳴が響いた。
「り……莉凛さん! このわたくしというものがありながら、よりにもよってあんな阿婆擦れと!」
莉凛が自分の尻を押えて振り向けば、怒りで肩を震わせながら立っているのは冥条魂子。
彼女が、抜き放った懐刀で、莉凛の尻を思い切り突き刺したのだ。
「ち……違うんじゃあ魂子! あれはもう、ずっと昔! まだお前と出会う前のこ……あだだー!」
ぷすっ!
再び魂子の懐刀が莉凛の脇腹をかすめる。
「問答無用! そこに直りなさい!」
怒りに燃える目で魂子が刀を振り上げた。
「ちょっと二人とも~! そんなことしてる場合じゃないってー!」
莉凛と魂子の間に割って入った琉詩葉が、あきれ顔で二人を諌めた。
「んーぐぐぐううう! いいでしょう。莉凛さんの仕置は、あとでじっくりと!」
恐怖で土下座しながら念仏を唱える莉凛に背を向け、ぎらり。魂子が裂花を睨む。
「そこの阿婆擦れ! 何処の馬の骨か知らないけれど、今日こそ、このわたくしが引導を渡してあげますわ!」
きのこ少女が懐刀を構えながら、裂花にそう叫ぶ。
「あら、はじめまして、魂子さん。ふーん。あなたが凛くんの今の奥さん……」
裂花が艶っぽい声で魂子を挑発する。
「それにしても、そんなきのこの体で、凛くんを喜ばせてあげられるのかしら?」
魂子を指さしコロコロと笑う裂花に、
「ぐぐぐぐぐぅ! 殺す殺す殺す~~~!」
魂子が恐ろしい声で唸る。
すわ、多摩市上空に恐ろしい修羅場が展開されるかと思われた、だがその時だ。
「お祖母ちゃん、いけない! あれ見て!」
琉詩葉が何かを指さし祖母に叫んだ。
「あ、あれは!」
魂子も我に返って驚きの声。
ずずずずず……
荊が解けて行く。
いまや完全に薔薇の蔓と化して空を縫う糸。
空中の虫籠が急速に消滅していく、と、同時に
がらん。がらん。がらん。
何かの塊が、一斉に空中に放り出されて地上に落下して行った。
大月教授が地上から攫って悪魔城に幽閉していた、何千人もの女子小学生と女子中学生を閉じ込めた無数のカプセルだった。
「いけない! 助けないと!」
咄嗟に魂子はそう叫ぶと、
「ぬううううん!」
胸の前にガッキと印を結んで一心不乱に何かを念じると、
ふわん。ふわん。ふわん。
少女たちを閉じ込めたカプセルが、一斉に空中に浮遊した。
『騒霊現象』。
冥条魂子が、まだ幽霊少女であった頃に会得した念動力にも似た超常の能力であった。
「どうやら、『リセット』は食い止められたみたいね……」
空一杯に広がって、夜空を縫い留めた奇怪な薔薇の蔓。
中秋の月に照らされながら、その空に生じた無数の薔薇の蕾、やがて咲き誇っていく深紅の大輪を見上げて、最後に残った薔薇の蔓の一筋に立った裂花は、満足そうにそう呟いた。
そして、
「いいでしょう、琉詩葉ちゃん、凛くん、魂子さん! 決着は地上でつけましょう!」
冥条一家を向いた美貌の少女は、凛然とそう言い放った。
「あなたたち『天使』の所業が、その力が、如何に愚かで無力なものか、今日こそ私が教えてあげる!」
ふぁさ。
裂花が、地上向かってその身を投げた。
「うわー! 落ちるー!」
完全に足場を失って琉詩葉と莉凛もまた空中に投げ出されるも、
ふわり。ふわり。
「二人とも、あんまり動かないで! もうこれが限界なんだから!」
魂子が顔を真っ赤にしながら琉詩葉と莉凛とをポルターガイストで引っ張り上げる。
「すげー! お祖母ちゃん!」
「うぐぐ! すまんかった魂子!」
琉詩葉と莉凛が、魂子を見て感嘆の声を上げた。
「雨! 俺につかまれ!」
空中に放り出された大神雨の手を掴んだタニタてふおが、小脇に抱えた最後の寿司桶を開け放って叫んだ。
「出ろーーーー! フライング・ロールドエッグ!」
すると、
ぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよぴよ……
寿司桶から無数に飛び立ったのは、金色の柔毛に包まれたかわいらしい翼をパタパタと羽ばたかせた、玉子焼きだった。
玉子焼きの群れが、一か所に寄り集まると、巨大な空飛ぶ金色の絨毯となって、てふおと雨の体を支えた。
「すごーい! 寿司絨毯だ!」
雨が驚嘆の声を上げた。
「ご主人様。この前は酷い事をしてしまって、ごめんだピヨ!」
てふおの耳元で、すまなそうにそう謝る玉子焼きの一羽に、
「へへ。いいってことよ!」
てふおは照れ臭そうに、包帯でグルグル巻きになった頭を掻いた。
「忍法ムササビの術!」
忍者少女焔が懐から取り出した風呂敷を広げて空中で叫ぶ。
すると、ばさっ!
少女の背中で広げられた風呂敷で風を受け止め、満帆の半球状に膨れ上がる。
忍者少女もまた、風呂敷の落下傘によって、ゆっくりと地上に降下して行った。
裂花。琉詩葉。莉凛。魂子。てふお。雨。焔。
一行が落ち行く先には、荊の結界をはぎ取られて、いまや崩れかけた廃墟も同然の聖痕十文字学園があった。
#
裂花とせつなが、暗い闇の間を、どこまでもどこまでも上っていく。
「一体、これは……!」
せつなは眼前に広がっていく異様な景色に息を飲む。
いや、せつなには『景色』としか形容できなかったが、実際に彼が感じたものは、視覚を介したものですらなかった。
多摩市上空で、なぜだか其処にも存在する裂花。
美貌の吸血少女と戦いを繰り広げる琉詩葉ら学園の戦士たち。
息絶えたコータ。
コータの骸に唇を重ね、燃え上がる紫の炎と化して何処かへと発って行くエナ。
桜吹雪に変じて消えた、キルシエとバルグル。
そして、生きているのか、死んでいるのか、荊の虫籠から地上に落下して、公園の芝生に叩きつけられたまま微動だにしていない、一糸も纏わぬ姿のメイア。
すべてが、同時に、一瞬にして今のせつなには知覚できた。
「琉詩葉! コータ! エナ! メイア!」
せつなは思わずそう叫ぶが、引き攣った喉から放たれた掠れた叫びは、虚しく闇間に響くだけ。
せつなに知覚できた光景は、それだけに留まらなかった。
#
「私、もう疲れてしまったわ……」
どこからともなく聞こえて来る、力ない少女の声にせつなが意識を向けると。
「あ、裂花……!」
せつなは驚きの声。そこにいたのは、またしても夕霞裂花だった。
「狂ってしまった世界。陰影を失ったヒトの心。私はこの世界では『妖怪』としてヒトから追われる! 奉ろわぬモノ、呪われし血族……」
どことも知れぬ夜の廃村。
火事があったのだろうか、焼けこげ、崩れ落ちた家々を蕭々と濡らす夜の雨。
「お願い。いっそあなたの手で、私の命を、私の存在を此処より消して……」
雨に打たれたまま路傍にへたりこんだ裂花が、傍らに立った燃え立つ炎のような紅髪を濡らした美貌の少年に、そう懇願しているのだ。
「『彼』の寵愛を受けたあなたの力なら、私をこの世界から永遠に消し去ることも可能なはずよ……」
哀れを誘う声で裂花は少年に言った。
「何を言う裂花……!」
少年が裂花に手を差し伸べ、少女を助け起こし、彼女の肩を抱く。
「お前が妖怪でも! 呪われし血族でも! 俺は、最後までお前を守り抜く!」
力強く少年は少女に言った。
「凛くん……本当に?」
雨に濡れた貌を上げ、少年を見つめる裂花に、
「例え世界の全てがお前の敵になっても、俺だけは、絶対にお前と一緒だ!」
少年もまた裂花の瞳を見つめて、彼女にそう答えた。
「うれしいわ凛くん。だったら、あなたに、私を上げる」
「裂花……!」
少女が艶めかしく笑って少年に、朱をさした様な唇を重ねる。
雨中で二人は一つになった。
裂花の白魚のような指先が、ゆっくりと、少年の首筋むかって這っていく。
#
「遅っせえなぁ。何やってるんだよ、あいつ……」
正午をまわった駅舎の前で、時城コータがブツクサそう言いながら、待ち合わせをしているらしい誰かの到着を待っている。
「コータさん! こんなところにいたのね! ああ、これで、ようやく……」
コータの背後に、忽然とその姿を現したのは、ツインテールを揺らした炎浄院エナ。
「さ。行きましょうコータさん!」
「エナ! 行くって何処に?」
「何処だっていいじゃない。何処でもない場所、誰も邪魔しに来ない場所よ……」
「う、うん。わかったよエナ……」
不安そうにエナの差し出した手を取るコータ。
彼の手を引くエナ。
ぼおお。二人が歩き始めたその端から、辺りに紫色の炎が燃え立ち、道は崩れ景色は消え世界は壊れて行く。
#
何処かの公園、夜空を仰いだ誰か。
暗い空には星とも月とも異なる、オレンジ色のぼんやりとした光点がいくつも散らばっている。
彼は黙って傍らに立った小さな少女の手をとった。そして空に向かって叫んだ。
「よく聞け! 願い事を言うぞ!」
「世界の全てを見せろ! 俺を世界につなげ! そして俺とこいつを『外』に連れて行け!」
#
「ひぐう!」
せつなは息を飲む。
何か、重要な『何か』の記憶が甦ろうとしていた。
過去、現在、未来。
いまや、世界の中で起きた事、起きている事、起きる事が、同時にせつなには理解でき、認識できた。
「この感覚は……!」
せつなは、強烈な既視感に襲われた。
初めて味わう感覚なのに、間違いない、俺は昔、この景色を、この感覚を、一度、知っている。
遥かな昔、この世界、いや、この世界ですらない何処か別の場所で、俺は一度、同じ事をして、同じものを見た。
そして一つだけ、今のせつなに認識できない事象があった。
自分自身だった。
#
「せつなくん。そろそろよ! 『上層』に近づいてきた!」
興奮した面持ちで裂花がせつなに貌を寄せる。
「さあ! あなたがこの世界に記した『標』を見せて! 私を『主』のもとまで導いて!」
彼の耳元でそう囁いた裂花に、
「『標』?」
少女は一体何を言っているのか、訝しげにそう答えたせつなだったが、その時だ。
ぽ。
ぽ。
ぽ。
ぽ。
ぽ。
ぽ。
闇に覆われた『世界』に、点々と、何かの明かりが灯って行った。
「うおあ!」
せつなは灯っていく明かりの正体を知って、愕然とした。
明かりの一つは、カクカクとぎこちなく動きながら、二人を手招きする、人間の『右腕』だった。
明かりの一つは、暗闇の中をせわしなくコロコロと回転する、黒瞳の『眼球』だった。
明かりの一つは、闇間に血を垂らしながらドクドクと絶え間なく脈打った、『心臓』だった。
歯、爪先、手の指、足の指、耳、鼻……
無数に灯った明かりの正体は、それぞれが、バラバラになった無数の人体の一部だったのだ。
「これは……俺だ!」
なぜだか、せつなはそう直感した。
これは、かつてせつなであった彼の肉体そのものなのだ。
と、同時に、
さらさらさら……
裂花に抱かれていたせつなの全身が、みるみるうちに、真っ白な砂になって、闇の中に流れて、落ちて、散っていく。
もはや、せつなから、手も、足も、内臓も、耳も失われていた。
せつなに残っていたのは、彼の首だけ。
「ああ、これが俺か……」
かろうじて残された口もとから、何かを諦めたような自虐的な呻きが漏れて、一つだけ残った右目から止めどなく無念の涙があふれた。
「あれが『標』ね! すごいわ! これで私も、『主』のもとへ!」
裂花が歓喜の声を上げ、闇に歌った。
その時だ。
「止まれ! これ以上先の領域へ進むことは許さぬ!」
聞き覚えのある男の声と、
「裂花! もうあなたが此処に来ることは、許されていないのよ! その子を放して、元いた場所に帰りなさい!」
聞き覚えのある女の声が闇から轟いて、
ばさあ! 何処からともなく現れた、裂花とせつなの十倍の背丈はありそうな金色の翼を羽ばたかせた蓬髪の巨人。
巨人が手に持った巨大な虫取り網を振って、裂花を捕えようとする。
「こんなところまで邪魔しにきたの!? でも……」
少し驚いた様子の裂花だったが、次の瞬間には、
ぎんっ!
少女が振った水晶の短刀が、巨人の虫取り網を引き裂き、同時に、
カッ!
短刀から迸った緑色の光が、巨人を貫くと、金色の巨人は一瞬で砕け散り闇に舞った。
「これなるは『裂花の晶剣』! あらゆる条理を覆し、世界に新たな理を穿つ剣!」
短刀を掲げて、裂花は高らかにそう叫んだ。
次いで、
ばさあ! またしても何処からともなく現れた、金色の翼を羽ばたかせた精悍な戦乙女。
乙女の槍の一薙ぎと共に、辺りに薄桃の桜が舞い、その花吹雪の中から、キラキラと輝いた水晶の弾丸が一斉に裂花めがけて降り注いだ。
だが、次の瞬間には、
らんっ!
少女が振った白銀の長剣から反射した光が、水晶弾を照らすや否や、
きん。きん。きん。
水晶弾は瞬く間に砕けて白い砂粒と化して闇に消え、少女の周囲を桜が虚しく舞うばかり。
カッ!
長剣から迸った銀色の光が、戦乙女を貫くと、金色の乙女は一瞬で砕け散り闇に舞った。
「これなるは『刹那の灰刃』! いかなる力を持った天使といえども、この剣に抗うことは許されぬ!」
長剣を掲げて、裂花は誇らしげにそう叫んだ。
「あーあ、やっぱり駄目だったか……」
「жжж、あとはお前に任せたぞ……!」
「ごめんねжжж。私の法螺につきあわせてしまって。でも、楽しかった……」
「結局、俺じゃあ力が足りなかった。悪かったな……」
せつなの耳元で、砕け散った男の破片と、砕け散った女の破片が、交互に彼にそう言った。
「父さん……! 母さん……!」
せつなは、一瞬で、全てを理解した。
バルグルはせつなの父であり、キルシエはせつなの母だった。
「父さん、母さん、こんなところまで、俺を……。ありがとう!」
せつなに残された右目から、苦くて熱い涙が流れた。
「見えてきたわ、せつなくん! 出口よ!」
裂花がそう叫んでせつなが上方を見ると、
ぱあああああああん……
闇の中の遥か上天。
眩い光を瞬かせた、金色の光の門が見えた。
「いけない、だめだ……!」
せつなは呟いた。
理由は分からないが、あそこは、何か無垢で神聖な『触れてはならぬ者』の場所であり、そのような場に、この宿業の化身のような少女を立ち入らせるわけにはいかない。せつなはそう感じたのだ。
「再創世者よ! 今日からは、私があなたにお仕えします!」
少女は光の門に向って、恭しくそう言った。
「やめろ……! 裂花! お前はあそこに行ってはいけない!」
掠れた声で少女を制しようとするせつなだったが、
「あら、どうして、せつなくん?」
首だけになったせつなの耳元で、少女が嗤う。
「私のことが、うらやましいの? 私は、あなたよりも遥かに強くて賢い。私なら、あなたよりもずっと上手くやれる……!」
そう言うなり、裂花はせつなの首を、高々と己が頭上に掲げた。
「世界創世の神よ。再創世者よ。この壊れてしまった男には、この何者でもない男には、天使長の任は荷が重すぎる。これからは、私があなたのために働いてご覧にいれます! ともに世界を正しき容へと導きましょう!」
誇らしげにそう叫んだ少女。
「ぐぐぐ……!」
せつなは屈辱と、使命感の綯交ぜになった感情に苛まれ、もうない彼の胸中を、やり場のない怒りが満たして行った。
何者でもない……だと……!
「俺は、……………だ!」
烈花の頭上で、せつながボソリとそう呟いた。
「え? 何ですって?」
思わず裂花が貌を寄せて、せつなに訊きかえそうとした、その時だった。
「俺は! 『正義の味方』だぁ!」
せつなは力一杯にそう叫ぶと、
ぎゅんっ!
何もないせつなの左の眼窩に金色の光が満ちていくと次の瞬間!
びかっ! 世界の邪力が集まった!
せつなの眼窩から放たれた金色の光線が、裂花の喉元に突き刺さった。
「いぐあ!」
せつなの予期せぬ攻撃に少女はたまらずせつなを取り落すが、
「いまだ!」
落下するせつなが、少女の鼻先をかすめたその瞬間。
ざくっ!
彼は残された口を開けて牙を剥き、裂花の真っ白の喉元に喰らい付いたのだ!
「がああ!」
裂花の凄まじい絶叫が辺りに轟いた。
少女の喉元から飛び散った赤い血が、闇間に泳ぐ薔薇の花弁のように辺りを舞った。
首だけになったせつなの口腔を裂花の血が満たした。
生臭くむせ返るような鉄の味が、だが一瞬、たとえようも無く甘美で好ましいもののようにも思えてきた、その時だ。
ぎゅん。
突如、少女の血を介して、せつなの心を、裂花の心が満たした。
これは……!
せつなは当惑した。
少女の心に在ったのは、哀しみだった。
何か、ひたむきに愛していた尊いものが、永遠に変容してしまった、喪失感。
失われてしまった世界への、哀惜の思いと、胸焦がす愛だった。
がばっ!
次の瞬間、せつなの髪を裂花の手が引っ掴み、彼を少女の喉元から引きはがした。
「せつなくぅん!」
裂花がせつなの首を見下ろす。
「あなたも、結構男らしいところがあったのね! 気に入ったわ……」
裂花が、凄絶な笑みを浮かべてせつなを覗き込む。
「気が変わったわ。せつなくん。あなたを天使の任から追放するのはやめた! これからは、一緒に働くのよ! 再創世者の為に!」
裂花がそう言って、目前に迫って来る光の門に、手をさしのべた、だが、その時だった。
「こないで!」
光の門から響いた声が、裂花を一喝した。
「なぜです? 主よ! なぜ私を拒む!?」
唖然として裂花がそう問うと、
「なぜですって?」
怒りに満ちた少女の声が闇を満たした。
「エロいからよ!」
光の門から、さらなる一声、と同時に、
ピカッ!
上天から放たれた金色の稲妻が、門に向って差し伸べられた裂花の右手を打った。
ごそり。
途端、裂花の右手はもげて落ちて、真っ黒なけし炭と化して辺りに砕ける。
「あたしの見ていないところで、みんなにいやらしいことをしたり、あたしの悪口を言ったり!」
ピカッ!
ピカッ!
ピカッ!
声と同時に、稲妻が、次々に裂花の周囲に炸裂して、闇を金色に切り裂いていった。
「あたしが、全知全能なるこのあたしが、知らないとでも思っていたの!?」
何か、抑えかねていたものが一気に噴出したように、少女の声が裂花むかってそう捲くし立てた。
「待ってください! 再創世者!」
吸血少女が狼狽した貌で、少女の声に反論した。
「この『世界』にはそういったモノが必要なのよ!」
裂花の声に苛立ちと怒りが滲んだ。
「この世界は清浄なモノばかりで構成されているわけではないわ。不浄なモノ、淫猥なるモノ、条理にそぐわぬモノを嫌って、封じ込めてしまっては、世界はまともに機能しなくなる! 炎上院エナのような者の『一途な愛』だけを認めていたら世界は大変なことになる! ごらんなさい、この世界を!」
裂花が美しい貌を歪めて叫んだ。
「何万回『リセット』した!? あと何万回『リセット』するつもり!? ゲームじゃないんだから! 自分の思う通りの世界にならないからって、子供みたいにいちいち駄々をこねないでよ! 少しは中に在る者の、私の気持ちも考えてよぉ!」
堪りかねたように天を仰いで、そう抗議する裂花だったが、
「うるさい……! うるさい!! うるさい!!! 小難しい事ばっかり言って、結局あんたがビッチなだけでしょ!」
声にはもう、裂花の問いかけは届いていないようだった。
「顔もいや。声もいや。みんないや! とにかくあたし、あなたの事、きらいなの!」
光の門から放たれた声が、再び裂花を責めたてると、
「失せなさい裂花!」
ピカッ!
金色の稲妻が、再び裂花の体を直撃した。
「ああっ!」
裂花の体が炎に包まれ、崩れ落ちて行く。
吸血少女の破片が、ハサハサとした黒翅は瞬かせた何百頭もの蝶と化して、せつなの周囲を舞っていくも、
「あたしの世界に、あなたは要らない! 永遠に消えなさい! この、エロテロリスト!」
天からの一声と共に再び放たれた稲妻が、蝶たちを一頭残らず、焼き尽くしていく。
ああああああああああああああああ!
せつなの頭の中に、闇の中に、ヒトのモノではない、凄まじい絶叫が、絶望と悲痛に捩じくれた、恐ろしい咆哮が響き渡った。
夕霞裂花の、断末魔だった。
「裂花……!」
せつなの面持ちもまた悲痛だった。
吸血少女の支えを失って、彼の頭部もまた、無限に広がった世界の闇の中を、どこまでも、どこまでも、果てしなく落下して行った。
だが、不意に、
ふわり。
闇を落ち行くせつなの首をすくい取り、持ち上げるものが在った。
それは闇の中で金色に輝いた、たおやかな少女の手だった。




