重なるキオク
「裂花! おまえ! どうしてエナを!」
傷ついたメイアの体を背負いながら、スペースシャトル震電のタラップを伝って、ようやく琉詩葉と裂花のもとにたどり着いたせつな。
だが、全ては終わった後だった。
彼と琉詩葉を此処まで導いた獣神将バルグルは、突如姿を現した吸血姫裂花の姿に惑い、その心臓をえぐられて地上に落ち、見霽かすキルシエもまた彼の体を追って地上へと消えた。
そして、裂花の剣を奪おうとして彼女を背後から刺した炎浄院エナは逆に裂花に心臓を貫かれて、炎に焼かれ、灰になって消えた。 残っていたのは、恐怖に震える琉詩葉と妖しく微笑む裂花、そして、胸から真っ赤な血を流して、蠢く荊にその身を横たえた、変わり果てた姿のコータの、骸だった。
「せつなくん。うれしいわ。ようやく来たのね!」
裂花はせつなを向くと、緑に輝く水晶の短刀を彼にかざしながら、嫣然と微笑んだ。
少女が、せつなむかって滑るように歩いてくる。
「ご覧なさい。これは世界に突き刺さっていた棘。あなたを煩わせる第一の楔『炎浄院エナ』は此処より抜き放たれた。次は、あなたよ。せつなくん!」
煌めく短剣をかざして高らかに歌う少女の、貌には勝利の喜びの色。
「さあ。あなたの内に在るモノに、この私を繋げて頂戴。私と一つになりましょう……」
薔薇の花弁のような唇から、せつなに向けて放たれる、言葉には淫らな悦びの色。
「メイア、ここで、待っててくれ!」
せつなはそう言って、自分の学生服の上着を荊の上に脱ぎ捨てると、背負っていたメイアの体をゆっくりと、その仮の敷物の上に横たわせた。
ぴたり。せつなは黒銀色のイマジノスアームの銃口を、裂花の白皙の貌に向けた。
「ああ。うれしいわ、せつなくん。まずは『ソレ』から、くれるのね……」
そう言って、せつなににじり寄る少女に、
「裂花……。夕霞裂花! お前のことは、目的も、正体も、何も知らない……」
せつなが美貌の少女に、苦しげに言う。
「でもこれだけは分かるぞ! コータを殺して、おっさんを殺して、エナを殺して、琉詩葉を弄んで非道い目に遭わせた!」
せつなが叫んだ。
「お前は……『悪』だ!!!!!」
びつんっ!
裂帛の気合いと共に、イマジノスアームの弾丸が裂花むかって撃ち放たれた。
だが……
たんっ!
少女が跳んだ。
目にも止まらぬ速さだった。
せつなには、一瞬にして照準の先から、少女の体が消え失せたかに思えた。
せつなの視線と指先の動き、イメージアウトされる『トリガー』の気配を見極め、彼が銃弾を放ったまさにその瞬間、裂花が飛び込んでいたのは、既に、せつなの懐だった。
「『悪』……ですって?」
鈴の音の裂花の声に怒りが軋んだ。そして次の瞬間。
しぱん。
白刃一閃。
目前で何が起きたかも理解できないせつなの右腕めがけて、緑炎に煌めく少女の晶剣が奔った!
「うあああああああああああ!」
せつなの絶叫が、虫籠一杯にこだました。
「せっちゃん!」
蠢く荊に転倒し悶え打つせつなを見て、琉詩葉もまた愕然。
裂花の振った水晶刀は、せつなの右手、黒銀の液状金属装甲に包まれたイマジノス・アームを、その上腕から斬りとばしていたのだ!
「まったく、せつなくん。この程度の業前でここまで戦ってきたなんて、逆に尊敬するわ……」
蠢く荊の床に落ちたせつなの右腕を拾い上げると、裂花は呆れたように微笑んだ。
「くそお! まだだ裂花! 許さない!」
荊の床から跳ね上がったせつなが裂花に叫んだ。
斬り飛ばされたのはサイボーグ腕のみ、出血はない。痛覚のフィードバックも遮断した。
……まだ、戦える!
せつなは決然。裂花を睨んで、自身の左手で背に負った妖刀『関ノ孫六兼元』を抜こうと手をかけた、だが、その時だった。
「せつなくん。さっき私の事を『悪』と断じたわね?」
少女がせつなを指さし、その口元には嗜虐の笑み。
「だったら、あなたが先刻から彼女に強いている、『その』恰好は何?」
彼女? 意味が解らずに思わずせつなが訊き返した、その時だった。
がきっ!
「ぐああああ!」
不意にせつなの正面に立ち現われた白い影が、せつなの頸に強烈な喉輪。そして彼の体を空中に吊り上げた!
「そんな!」
せつなは、新たな攻撃者の正体を知って愕然とした。
おお。立っていたのは、メイアだった。いつの間にか荊の褥から起き上がっていた彼女が、一糸も纏わぬその華奢な身体からは信じられないような腕力で、片手でせつなの喉を締め上げ、空中に吊し上げているのである。
「メイア! どうして! ……あ!」
メイアの万力のような指先に、頸を絞め上げられて苦悶に呻きながら、せつなは気づいた。
彼女の額に埋め込まれた水晶片が、今再び妖しい緑の光を明滅させているのだ。
「驚くことないわ。その子の額の水晶は、この私の晶剣ともまたリンクしてるのよ……!」
唇に人差し指して裂花が嗤う。少女が振う『裂花の晶剣』が、悪魔城上空での戦いの時と同様、メイアの意思を奪い去り、彼女の身体を操っているのだ。
そして、どさり。不意にメイアの手の力が緩むと、せつなの体は荊の床に投げ出された。
「やめろ裂花! これ以上メイアに……」
咄嗟に顔を上げ、跳ね起きて、メイアを操る裂花を制そうとするせつなだったが……
あ。
顔を上げたその眼前に、メイアがいた。
「メイア、何を!」
当惑するせつな。荊に倒れた彼の体に、メイアが覆いかぶさり、両の手でせつなをガッシリと抑えつけているのである。
「せつな……」
ボンヤリとした緑の煌めきを瞳の内に瞬かせて、陶然とした表情でメイアが呟いた。
「せつなくん。私の計画に素直に協力するなら、その子をあなたにあげるわ!」
荊の褥で絡まり合った、せつなとメイアの前に立ち、裂花がせつなにそう言った。
「せつな。あたしをお前にあげる……」
裂花の命じるままに、メイアがせつなにそう言った。
「やめろよ! メイア、こんなのって!」
必死で抗うせつなだが、信じられないようなメイアの腕力。
体の、自由がきかない!
「この子が欲しかったんでしょう、せつなくん?」
裂花がせつなを見下ろして艶めかしく嗤う。
「あたしが欲しかったんだろう、せつな?」
メイアが、何も見ていない目でせつなの顔を覗き込んで、裂花の言葉をなぞる。
ぼおお。そして見ろ。メイアの華奢な裸身から、再び黒い炎が噴きあがる。
炎は彼女の体を舐め回しながら、警視庁公安零課の警邏服に、紺碧のセーラー服に、新京王線の車掌服に、焔模様を象った漆黒のボンテージスーツへと、めまぐるしくその姿を変えていき、次の瞬間には黒炎に包まれて燃え落ちては再び生来の姿に戻った彼女を新たな衣服で覆っていくのだ。
「この子に、こんな服を着せたかったのね、せつなくん? それとも、何も着ていない方がイイのかしら?」
裂花の冷たい眼差しがせつなを射抜く。
「あたしに、こんな服を着せたかったのか、せつな? それとも、何も着ていない方がイイのか?」
メイアが譫言の様にそう言って、せつなに貌を寄せてきた。
「メイア! 頼むよ! 目を覚ましてくれ!」
懇願するようにメイアに呼びかけるせつなだったが、
ちゅ。
次の瞬間、メイアの唇が、せつなに重なった。
「うんぬぅうううう!」
口元を塞がれてせつなの懇願は封じられた。
メイアの冷ややかな舌先が、せつなの内に、もぐりこんできた。
ぬるぬると、執拗に、せつなの口中を這いまわり愛撫するメイア。
ぼおおおおお……そして、更なる怪異がおきた。
メイアの全身を舐め回していた彼女の黒炎が、今度はせつなの方まで這ってくると、せつなの全身を縛り上げる奇怪な黒縄と化して、せつなの体に、食い込んできたのだ!
「ひぃぐぅぁああああああああああああああああああ!」
炎の様に熱いような、氷のように冷たいような、痛みとも快楽ともつかない凄絶な感覚に全身を貫かれ、せつなは声にならない叫びをあげた。
「ごらんなさい、琉詩葉ちゃん!」
虫籠の片隅にへたりこんだ琉詩葉を向いて、裂花が嗤った。
「あなたの『上存在』が、愛する者に求めているのは、この程度の茶番なのよ!」
琉詩葉に言い放つ少女に、
「『上存在』? 何を言ってるの?」
せつなとメイアの惨状を目前にして、ただ震えるしかない琉詩葉。
「まったく、情けない声ねぇ、せつなくん!」
冷たく響く裂花の声も、今のせつなには届かない。
もういいや。
もうどうでもいい。
このままずっと、メイアと一緒に、
ここでこうしていられるなら……
壮絶な痛みと快楽に苛まれて薄れていく意識の中で、せつながボンヤリとそんな事を考え始めた、だが、その時だった。
じじじ……じじじじ……
頭の中で何かが軋む音がした。
「んぐう!」
せつなの目が見開かれた。
秋のせせらぎ。行楽の頃の渓谷。晴れた空。河原に敷いたシート。彼女と姪と、一緒に食べたおにぎり。口いっぱいに広がる焼き鮭の味。
落ちかかる夕日。朱く染まった部屋。パソコンに向かったせつな。背中から、しきりに何かを話しかけて来る彼女の声。暗くなった部屋。
午後のファミレス。客は一組。俺と彼女。サアサアと窓を打つ雨。なぜだか悲しそうな彼女の貌。ハンバーグをほおばる俺。震える手、財布を持つ手。最後くらいは。さようなら。
「うおおおお!」
せつなは、生まれて今まで感じたことの無かった、強烈な感覚を味わっていた。
胸に去来した見覚えの無い光景。同時に胸に湧き上がって来る、何か、絞めつけられるような、痛いような、それでも、かけがえなく尊いと思える感覚。
愛おしさだった。
そうだ! せつなは思い出した。
俺はメイアに、こんなことばかりを望んでいたわけじゃない!
いやちがう! せつなの胸に怒りが込み上げてきた。こんなことばかり、どころじゃない。これは、心の中ではシテほしかったけど、なんか恥ずかしくて彼女に言い出すこともできなかった、一番みっともない類の望み!
……!? せつなは混乱した。
望みって? この記憶は一体だれのものだろう?
だが……! それでも今、ハッキリとせつなが思い出したことがある。
「メイア!」
全身に力が漲ってきて、せつなはメイアの唇を無理矢理ひきはなした。
「メイア!」
彼を押し倒そうとするメイアに抗い、せつなは半身を起した。
「メイア!」
せつなは、メイアの肩を抱いた。
「『何でも言うことをきくお前』なんて要らない! ギャーギャー五月蠅くていい! 喧嘩してもいい! 機嫌悪くたっていい! また一緒にハイキングに行ったり、たまには美味しいレストランに行ったり、一緒に買物行ったり……それだけでいいんだ! お願いだ! 一緒にいてくれ!」
「何を……言ってる?」
メイアの顔に困惑の表情が浮かんだ、額の水晶片が、あわただしく緑に明滅する。
「だって俺は、お前の全部が……! お前を、お前のことを……!」
そうだ。せつなは今改めて思い出した。
「愛しているんだ!」
そう叫んでせつなはメイアを抱きしめ、メイアに、再び、唇を重ねた。
次の瞬間!
ぱちんっ!
メイアの額の水晶片が、小さな火花を上げて砕け散ると、
「どわー! 探偵! お前、こんなところで、あたしに何を!」
一糸纏わぬメイアが悲鳴を上げて、せつなに叫んだ。
「メイア! 元に戻ったんだな!」
せつなは、胸に熱いものが込み上げてきた。
右目からはポロポロと止めどなく涙がこぼれてきた。
「ああ、元に戻った。『思い出した』よ、せつな……」
そう呟いて辺りを見渡したメイアは、緑の瞳を煌めかせて、なぜだか一瞬、とても悲しそうな顔をした。
「せつなくん! 今やっと……! 『原初の記憶』を取り戻しかけているのね!」
二人の様子を見た裂花が、昂ぶった様子でそう叫ぶと、だが、次の瞬間。
「ならば、『彼女』は用済みだわ……」
一言、冷たく言い放つと、右手の水晶刀を振ったのだ。
すると、ざざあ!
メイアの周囲の荊から緑の炎が吹きあがり、
「ああ!」
メイアの足元の床が陥落し、彼女の身体は空中に放り出された。
「メイア!」
せつなが咄嗟に身を乗り出して、残された左手で、メイアの右腕を掴んだ。
だが、ずるり、ずるり。
せつなの体がメイアに引かれて、徐々に床の穴を滑り落ちていく。
右腕を失ったせつなの力では、彼自身の力でメイアを引き上げることはかなわない。
それでも……!
「メイア! しっかりしろ! 俺の体を上って来い!」
空中のメイア向かって、必死にそう呼びかけるせつなだったが、
「いいんだ、せつな。お前は残れ。此処で、まだ、やることがあるんだろ?」
せつなを見上げて、メイアは悲しげな貌で、そう言ったのだ。
「そんなの知ったことか! 俺は、お前と一緒だ! もう絶対に……お前を離さない!」
目から涙を零しながらせつなは絶叫する。
だが……。
「でも、お前じゃダメだ。せつな。だってお前は……」
はらり。メイアが、せつなの左手を振り払った。
「責任が取れない……」
メイアが、宙に舞った。
地上向かって落ち行く彼女が、悲しそうに微笑んで、せつなにかけた、最後の言葉。
「ひぐぅぁあ! メイア」
せつなが絶叫した。彼の身が竦んだ。せつなの手を放れて、遠ざかって行くメイア。
一瞬、何だか、彼の存在を根本から揺るがし、壊してしまうような強烈な不安と恐怖が彼の胸に去来した。
だがそれはすぐに、再びメイアを失ってしまうという、さらに根本的な恐怖と、自殺的な衝動にかき消された。
「待て……! 待ってくれ! メイア!」
矢も楯もたまらず、自身の命も、後先も顧みず、せつなはメイアを追って、空中に身を投げた!
しかし、
「どこに行くの、せつなくん? あなたの用は、まだ済んでないわ!」
裂花の声が冷たく玲瓏、そう言い放つなり輝く水晶刀を振った。
ずるん。荊がうねって落下するせつなの足に巻き付き、彼を空中に繋ぎとめると、
ざわ……ざわ……ざわ……ざわ……
「メイア! なんでだよ! なんでだよぉ!」
泣き叫ぶせつなの全身を、荊が覆っていく。
荊は、暴れるせつなをグルグル巻きにして、幾重にも巻き重なると、緑の光を放って蠢く、球形の塊を形成した。
それはさながら、荊で編まれた奇怪な繭塊。せつなの体も、鳴き叫ぶ声も、繭に塞がれ封じられた。
「これでいい。『如月せつな』は私の虜、彼が世界を巡り掻き集めてきた滅魔の力も、今は私の手の中。全ては私の、計画通り……」
わけのわからない事を呟きながら、裂花は己が手に握られた、せつなの右腕、金属製のイマジノス・アームを見つめた。
ぼおおおお。緑の炎に包まれて、せつなの右腕が変化していく。
見ろ。炎の中から現れたのは、少女の携えた『裂花の晶剣』と、ちょうど一対になるような意匠を施した、冷たく輝いた白銀の長剣だった。少女は左手の白刃を見て人形のような貌を妖しく歪めた。
「今日からこれは『刹那の灰刃』。辺獄の上辺。ぬばたまの夜の空より私が捕えた、主に連なる『第二の楔』……」
冷たく輝く白銀の刀身の内に金色の炎を揺らめかせた長剣に愛おしげ頬ずりをしながら、裂花が呟く。
「裂花……! あなたは、一体何者なの……!?」
ふらつく足でどうにか荊の床から立ち上がった琉詩葉が、自身の錫杖を拾い上げて裂花に構えた。
「男の人を殺して! エナちゃんに酷いことをして! みんなにいやらしいことをして……! 一体なんのつもり? あなたは誰なのよ!?」
悲鳴にも似た声で琉詩葉は裂花に訊く。
「私は裂花。夕べに飛ぶ蝶。彼と、同じ者よ……」
裂花はそう答えて、せつなを覆い閉じ込めた荊の繭を見下ろした。
「せっちゃんと、同じ!?」
意味の解らない答えに目を白黒させる琉詩葉に、
「そうよ。彼と同じ者。世界を巡り、正し、導く者……」
そう繰り返して裂花は琉詩葉を見た。
「琉詩葉ちゃん。彼の『寵愛』を受けたあなたたちは、この世界が如何に異常で狂ったものか、まるで気づいていないのね!」
裂花の貌から妖艶な笑みが消え、瞳は冷然。琉詩葉を問いただすその口調には苛立ちが滲んでいた。
「彼も一緒よ! 『主』の言うなりに目の前に現れた魔物だけを、まるでパブロフの犬みたいに追い掛け回す。エナちゃんを『守る』、『助ける』ですって? 笑わせないで! あの女こそ私たちが誅戮すべき魔中の魔。最悪の災い。奉ろわぬモノ。世界を喰らう邪なる者なのに!」
何かに昂ぶったのか。裂花の白皙の頬が薄っすらと桃色に上気した。
「この世界で彼女を救う方法なんて、完全な『死』以外、どこにも無かったのよ! もう彼には任せておけない。今度こそ私が、この世界を何とかしないと……」
誰にともなく意味の解らないことを呟きながら、裂花は琉詩葉のもとに歩み寄っていく。
「おいでなさい琉詩葉ちゃん。この私についてくるなら。あなたにも『世界』の秘密を授けてあげる……」
琉詩葉むかって手を差し伸べる裂花に、
「くるな!」
琉詩葉は妖しく疼く首筋を左手で抑えつけながら、怒りに燃える目で裂花にむかって錫杖を構えた。
だが、その時だった。
ずるり。烈花と琉詩葉を取り囲んだ荊が、一際大きくうねって二人の足をとった。
「うおわ!」
よろける琉詩葉。
「なに!?」
必死で踏みとどまり辺りを見渡す烈花。二人の周囲で響き渡る、
コータ……何処!? コータ……何処!? コータ……何処!?
まるで、地の底から響いてくるような、怨嗟と狂おしい渇望に満ちた声。
炎浄院エナの声だった。と、同時に、
ぼおおおおおおおお……
うっすらと緑の燐光に包まれた周囲の荊を、更に強烈な光を放ちながら、何かが覆っていく。
荊を包んで行くのは、禍々しく揺らめき立つ紫色の炎だった。
「そんな!」
裂花の切れ長の眼が、驚愕に見開かれた。
「力を奪い去り、私の晶剣で心臓を刺し貫いた。だのにまだ滅びない! なおもこの世界に喰らい付く!」
驚愕は怒の表情へと変じていき、裂花は空を覆う荊を、荊を伝う紫の炎を見上げた。
「炎浄院エナ……! あなたは一体、何者なの!?」
裂花が美しい貌を怒りに歪ませて、エナに向かって叫ぶ。
「エナちゃん……何をするつもりなの!?」
琉詩葉もまた不安な表情で空を仰いだ。
そして、更に奇怪な事がおきた。
バリン。何かの割れる音。
突然、荊に覆われた多摩の夜空にジグザグと、稲妻が走った。
「何アレ!?」
琉詩葉は驚愕に目を見開いた。
稲妻が、消えない。まるで夜空に張り付いたような金色のジグザグ。よく見れば、それは雷光ではなかった。
夜空に走った、巨大な、亀裂だった。
じゅううううううう……
紫の炎に包まれた蠢く荊が、亀裂から漏れた金色の光に照らされると、たちまちその部分の炎がかき消され、荊が萎れ、崩れ、チリになって夜空に舞い散っていくのだ。
「馬鹿な!? あれは……『天の火』! でも早すぎる!!!」
空を見上げた裂花が、憤怒の呻きを上げる。
「また『リセット』するつもりなのね!? 全てを『無かったこと』にして、幾万回と同じ苦役を私に強いる!」
裂花が絶叫。鈴の音のような澄んだ声が、あたりをつんざくような金切声となった。
少女の美しい貌が、怒りと焦燥で再び上気していた。
「でもだめよ! やらせない、やらせない、やらせない、やらせない、やらせない……!」
蠢く床に転がった、せつなを包んだ荊の繭を見下ろして、裂花は何かに取り憑かれたような眼で、ブツブツとそう呟く。
「裂花! 今度は何を!?」
尋常でない裂花の様子に気づいた琉詩葉が裂花に詰め寄るも、
かじっ!
荊の繭に駆け寄った裂花が、白蛇のような自身の下腕に口を押し当てると、鋭い犬歯で、己が手首を噛みちぎった。
ドクドクと血。血。血。
止めどなく赤い血を流す自分の手首を、裂花は荊の繭の上にかざした。
ポタポタと滴る血潮。吸血少女の真っ赤な血液が、蠢く繭に染み込み、吸い取られていく。
「まだ三本揃っていないけれど、今の私の手の中には、せつながある。これだけ材料が揃っていれば、『あの御方』の元にも辿りつけるはず……」
自身の血を吸い、赤く染まっていく荊の繭を愛おしげにさすりながら、裂花は呟く。
「『リセット』なんてさせない! 今度こそ、あなたを止めて見せる!」
少女は荊に覆われた夜の空を、空に走った金色の亀裂をキッと睨み上げて叫んだ。
「待っていなさい! 再創世者!」




