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刹那、らんだまいず!  作者: めらめら
第7章 毀れゆく世界で
29/36

美少女地獄

「メイア! もうやめてくれ! 何でこんなことを!?」

「教授のご命令だ! せつな! お前を排除する!」

 悪魔城の残骸、空中に伸び上がった蠢く荊の上空を飛行するスペースシャトルの機上で、せつなはメイアと対峙していた。


「メイアちゃん! まだやる気なの?」

 びゅうう。せつなの隣に花嵐が渦巻いて、桜の花びらが凝集。桃髪を揺らした呆れ顔の少女の姿に変じたキルシエだ。

 キルシエの花の弾丸に右肩と左膝を貫かれてもなお、緑の瞳に闘志を燃やして二人に立ちふさがるメイア。


「ん……?」

 ぱちん。何かに気づいたキルシエが右手の指をパチリと鳴らした。途端、


「う!」

 びつ! メイアのくぐもった悲鳴。

 キルシエの周囲を舞っていた花吹雪の一片が水晶針(クリスタルニードル)と化して、メイアの頭部を直撃したのだ。


「おいキルシエ!」

 あわててキルシエを制するせつなだったが、


「大丈夫よ先輩。狙ったのは、帽子だから!」

 そう答えるキルシエ。

 その通りだった。キルシエの弾丸の標的はメイアが目深にかぶっていた帽子。

 新京王線の車掌帽だったのだ。空中にはじき飛ばされ、地上向かって落下して行く車掌帽。


 帽子をとったメイアの頭部から現れたのは……?


「あ!」

 せつなは息を飲んだ。


「ふふふ! 教授のご命令ですの!(^o^) 侵入者は全て始末しますの!(^o^)」

「教授のご命令だ! 侵入者は全て始末する!」

 なんということだ。剥き出しになったメイアの額に埋め込まれ、怪しく輝いているのは、月の光を反射した小さな、水晶の破片だった。破片には微細な幾つものコードが接続されてメイアの頭部、ショートにまとめた黒髪に冠された黒銀色の奇怪なティアラへとつながっていて、その上にチョコンと乗っているのは……


 めるもだった。


 せつなのiPhoneが変じた大月教授の尖兵。奇怪な虫翅の少女の最後の一体が、メイアの頭部のティアラに、まるで操縦席かなにかのように腰かけて水晶の破片に接続されたコードを小さな指先で操っているのである。


「メイア! 操られていたのか!?」

 驚愕のせつな。


「やっぱり! だったら話は早い! あいつを始末するだけのこと!」

 キルシエがそう叫ぶなり、しゅ。しゅ。

 辺りを舞った桜の花びらが花の弾丸となってメイアの頭部、メルモ向かって飛んでいく。


 だが、ぼおお。


 何が起きた!? キルシエは愕然とした。

 花びらが、燃え落ちていく。メイアが空中に振った『何か』に掠るや否や、蒼黒い炎に包まれて瞬時に氷塊となり、砕け散ったのだ。


「あれは!?」

 せつなもまた目を瞠った。

 

 メイアがその手に構えていたのは、『信号炎管』だった。

 彼女が腰元の胴乱の中から取り出した携帯用信号炎管の先端から噴きあがった奇怪な黒炎が、キルシエの花の弾丸を凍らせ、砕いたのだ。 

「あれは……『魔王剣』! メイアちゃんの本気技!」

 息を飲むキルシエ。


「ふふふ! そのとーり!(^o^) 本気で殺らせていただきますわ!(^o^) ほ-----ま!」

 メイアの頭部のめるもが、そう言ってコードを手繰った。


「放魔!」

 メイアが復誦。


「うおお……!」

 せつなは思わず声を上げた。


 ごおおおお……。『魔王剣』から噴きあがった炎の勢いが止まらない。

 メイアの紺碧の車掌服が、純白のブラウスが、彼女の体を覆って燃え立つ蒼黒い炎に包まれて、見る見るうちに燃え落ちて行く。


「わわ!」

 炎に覆われながら一糸纏わぬ姿となったメイアの全身から、せつなは慌てて顔をそらした。だが……


 更に奇怪な事が起きた。

 メイアを覆った炎が、彼女の裸身を舐めるように這いまわりながら、寄り合わさると、やがて彼女を包む新たな『衣服』を形成していったのだ。


 おお。華奢な肢体をピッチリと覆っているのは焔模様(ファイヤーパターン)をあしらった漆黒のボンテージスーツ。

 その背中に纏っているのは、闇色に艶かしくたなびいたビロードのマント。黒髪のショートカットの周囲からパチパチと飛び散っているのは、紫色の輝く稲妻。


「ふぅぅぅぅう……!」

 メイアの口から、溜息の様な、歓喜の様な、凄艶な息吹きが漏れた。


「メイアちゃん! コスプレタイム終了か……ようやく、正体を!」

 キルシエがメイアを睨んで凄絶に笑った。


「正体?」

 思わず聞き返すせつなに、


「ええ先輩! 警視庁公安零課の敏腕刑事。伊賀島ヶ原衆の末裔にしてゲルマン忍法の使い手。蒸気騎士『震電』のエースパイロット……みんな、彼女の世を忍ぶ仮の姿……。ごらんなさい!」

 キルシエがメイアを指さし叫んだ。


「彼女は魔王衆『闇吹雪(やみふぶ)鳴亜(メイア)』! 魔影世界(シャテンラント)十二国の盟主にして『吹雪の塔』の女王! 絶対零度の魔氷黒炎(シュバルツフランメ)を操る宇宙最強の最高位炎術師(フォイエルマイスター)なのよ!」

「そ……そうだったのか!?」

 せつなは唖然としてそう答えるしかなかった。

 黒衣に身を包み、剣先から炎を滾らせて、メイアが再びキルシエとせつなを向いた。


「ふふふ! いきますわよー!(^o^) 魔王剣!(^o^)」

 メイアの頭部のめるもが、そう言ってコードを手繰った。


「魔王剣!」

 メイアが操られるがままに剣を振る。


「うわあ!」

「先輩、よけて!」

 剣先から噴きあがった黒炎が、せつなとキルシエを襲う。

 間一髪で炎をかわした二人。炎の奔った後、空気は凍った。

 蒼黒い奇怪な雪が、チラチラとスペースシャトルの周囲を舞った。


「ええい! 弾丸(たま)が足りない!」

 びゅうう。業を煮やしたキルシエが再び花吹雪に変じる。


 びつん。びつん。びつん。びつん。


 花の弾丸に変じたキルシエがメイアの四方八方から、水晶針で、彼女に撃ちかかるも、


 ぼおおおお。


 メイアの周囲に生じた黒炎に阻まれて弾丸は全て凍り、砕けていく。


「おい! 大丈夫かよキルシエ」

 燃え落ちる花吹雪に、せつなが心配そうに呼びかける。


「ダメだよ! やっぱり埒が開かない! こうなったら……!」

 花吹雪からキルシエの声。


「ヒカリ在レ! 百華繚乱キルシエ花流れ!」

 メイアを取り囲んでいた花吹雪が、再びせつなの方に流れてくると、

 びょおおおおお。花が、螺旋になった。

 せつなの正面に形成されたキルシエの花吹雪が、まるで栓を抜かれた風呂桶の湯のように渦巻きながら螺旋(スパイラル)を描いて、メイア向かって突進していく。


「キルシエ! 何を!」

 せつなが叫んだ。


「ふん! 何をやっても無駄ですの!(^o^)」

 メイアの頭上から、めるもが猛る。


 ぼおおおおお……。メイアの正面に生じた奇怪な黒炎が、花の螺旋を包み、凍らせ、砕いていく。


 だが……見ろ。様子がおかしい。


「これは!」

 せつなは息を飲んだ。

 螺旋が、炎を巻き取って行く。黒い炎に凍らされ砕かれても、なお進撃をやめないキルシエの花の渦が、炎と絡み合い、その氷を辺りに拡散させていくのだ!


「先輩! 今だよ! 撃って!」

 せつなむかってキルシエの声。


「そうか! わかった!」

 状況を理解したせつなは、右腕のイマジノスアームを狙撃手形態(ガンナースタイル)に変形させた。

 キルシエが花の螺旋で穿った炎の壁、その壁の間隙ごしに、せつなはメイアの頭部に照準を合わせて、フィンガーマズルを構えた。


「チャンスは一度! よーく狙って!」

 空中から悲鳴にも似たキルシエの号令。


「ああキルシエ! いまだ!」

 せつなが、銃身に変形させた己が指先に、『トリガー』をイメージアウトした、次の瞬間!


 びつ!


 一瞬、全ての動きが止まった。メイアの炎は消え、キルシエの花吹雪は散り、そして、


「うあああああああああ!」

 メイアの凄まじい絶叫が、震電の機上に響き渡った。

 ガクリ、全身から力抜け、震電に膝をつくメイア。


「こ、こんどこそやられたー! ですの!(T_T)」

 せつなの放ったイマジノスアームからの一弾は、メイアの頭上のめるもの体を、正確に射抜いていた。

 ころん。メイアの頭部のティアラからこぼれ落ちたメルモが、震電の機上に転がる。

 そして、その姿は既に虫翅の少女のものではなかった。

 弾丸に撃ちぬかれ、粉々に砕けた、せつなの、iPhoneだった。


「めるも! 今度こそ、終わりだ!」

 無残に砕けた己がiPhoneを見下ろして、せつなはそう吐き捨てた。


 そして見ろ。ぼおお。メイアの体を再び黒炎が舐める。

 膝をついたメイアの体を覆っていた焔模様(ファイヤーパターン)のボンテージスーツが、ビロードのマントが、見る見るうちに炎に同化して空中に散っていく。黒い炎のゆらぎが消えて、辺りに闇が戻った頃、震電の機上にその身を横たえているのは、華奢な体に一糸纏わぬ、メイア生来の姿だった。


「メイア……!」

 メイアに駆け寄り、気を失った彼女の半身を抱きおこすせつな。


「へへ……! せつな先輩、おつかれ!」

 びゅうう。せつなとメイアの横に、キルシエが立ち現われた。


「キルシエ……」

 せつな、は二の句が継げなかった。キルシエの姿は無残に変わり果てていた。

 自分の分身の花の弾丸の大半を黒炎に凍らされ、砕かれたキルシエは、全身に酷い凍傷。その体のいたるところ、蒼黒く輝く氷の刃に貫かれて赤い血を流していたのだ。


「お前……大丈夫かよ!?」

 唖然とするせつな。


「まあ、なんとか……魔王同士の戦いだもの。お互い命があっただけラッキーよ! さ、バルグルの……みんなのところに行きましょう!」

 キルシエが気丈に答えた。


「ああ、行こうキルシエ!」

 せつなもまたキルシエにそう言った、その時、


「ピー! めいあ様! 石炭ガ足リマセン!」

 震電の中央制御電脳『アストロトレイン』が悲鳴を上げた。


 ごおお!


「うわー!」

「きゃー!」

 メイアの制御を失ったスペースシャトル震電は急速にその高度を低下させ、悪魔城の残骸、荊のうねりに向かって落下していった。


  #


「うむう! さっきのアレは一体!?」

 悪魔城の残骸、荊の虫籠の中で、冥条莉凛が首をひねった。


「うーん。完全にはぐれてしまいましたわー」

 彼の妻、魂子もまた困り顔。


 突如一行を襲った城の崩落と、わき上がった荊のうねりは、琉詩葉と二人を隔てると、彼らをまた別の虫籠へと隔離してしまったのだ。焔とてふお、雨少年も同様。二人の前から分断されて、その姿を消してしまった。途方にくれる二人だったが、その時だ。


「むむ! 妖気!」

 何かを感じ取った冥条魂子が顔を上げた。


 ぴこーん。ぴこーん。


 彼女の頭部のベニテングタケが、何かを感知して赤く怪しく明滅しているのだ。


「あっちでなにか、大変なことがおきてるわ! 行きますよ莉凛さん!」

 そう言って荊をかき分けながら無理矢理前進していく魂子。


「待ってくれ~魂子!」

 莉凛もまた必死で彼女の背中を追った。


  #


「裂花、生きていたのか!」

 バルグルが、驚きの声を上げた。

 一行と分断された琉詩葉とバルグル、その二人の前に突如姿を現したのは、三日前に緑の炎に焼かれて燃え落ちたはずの吸血少女、夕霞裂花だった。


「こいつぁめでてえ! 三日前の戦いで、てっきり死んだものとばかり!」

 そう言って少女に駆け寄るバルグルに、


「ええ。たしかにあの時私は死んだ。でも、あれは『試し』。今の私の肉体(カラダ)では、やっぱり彼女の力を受け入れることはできなかった。ひとたび私から離れた()の力……『ヒトの願い』を受け入れることは……」

 真っ赤なビロードのワンピースをなびかせて二人の前に立った裂花は、バルグルにそう言った。


「裂花……一体、何を言ってる?」

 バルグルが首を傾げた。


「だから……『もう一人の私』は、混沌の荊に身を潜めて、この刻を待っていたのよ」

 そう答える裂花。

 

「あなたたち……、私と『彼』が学園に招き入れた下級天使が、その情熱と使命感……『ヒトの力』で彼女を封じ、『力』を制御して分離してくれる刻をね!」

 裂花は、謎めいた微笑を浮かべた。


「『下級天使』……!? な、何を言ってるの裂花ちゃん?」

 琉詩葉は、少女の言っている事の意味がさっぱり解らなかった。


「そうだ裂花……! お前まで、魔王衆の戒律を破るつもりか! 『冥界の炎』をこの世界に封じ、外界から隔離するのが俺たちの任務だ! 宇宙最強超時超界……『冥府門業滅十魔王』の使命を忘れたというのか!?」

 バルグルもまた憤然と声を張り上げた。


「ああバルグル。『外界』なんて、元々無いのよ! あなたたちは最初からこの世界の住人。『主』と『彼』の寵愛を受けてこの世界に生まれ、目的も定かでないおかしな使命を課されて、世界を飛び廻る者達……!」

 唇に人差し指して、おかしくてたまらない様子で裂花が嗤った。


「『魔王衆』も、『甲賀衆』も、そして『学園』も、全てはエナちゃんとコータくん、そして『彼』がこの世界に望んだ子供じみたガジェット。まやかしの設定。幼稚な共同幻想にすぎないのだもの!」

 琉詩葉とバルグルの顔を交互に見回しながら、そう言う裂花に、


「うちらの学園が……『幻想』!? いーかげんなこと言わないでよ!」

 怒りの声を上げる琉詩葉。


「でもそうなのよ、琉詩葉ちゃん。あの『学園』は偽りの城。エナちゃんがコータくんを囚えるためだけに創り上げた囚獄。彼女が只のヒトであった頃の、ずっと昔の記憶の宮殿なのよ……」

 裂花は少し苛立った様子で、美しい貌をゆがめてそう答えた。


「でも、嬉しいわバルグル」

 裂花がバルグルを向いた。


「そんな茶番も今夜でおわり。新しい世界が始まるのよ。あなたたちがもたらした、『ソレ』のおかげで! さあ、早くソレを私に頂戴。これ以上、邪魔者が増えないうちに!」

 裂花がそう言うと荊の虫籠の天蓋を見上げた。


「邪魔者?」

 バルグルと琉詩葉が、つられてそちらを見上げると、


 ずずーーーん。


 蠢く荊を突き破り、巨大な機影が虫籠に突入してきた。

 

「バルグルー!」

「琉詩葉! 無事だったか!」

 機上からキルシエとせつなの声。

 現れたのは、悪魔城の庭園に不時着するはずだった、スペースシャトル震電だった。


「来たのね……。せつなくん!」

 裂花は声の元、不時着した『震電』の機上に立ったせつなを向いた。

 なぜなのか? 少女から笑みが消え、その貌にはなにか、手の届かぬ者を見上げるような、狂おしい羨望の念が滲んでいた。


 そして、次の瞬間。


「ああバルグル、私の、愛しい(ひと)……」

 たん。おもむろに裂花はバルグルの懐に飛び込むと、その貌を男の胸元にうずめた。


「うぐう!」

 蓬髪の壮漢の体が竦んだ。


「のぎゃぎゃ!?」

 スペースシャトルの機上のキルシエが、声を詰まらせ目を白黒させた。


「はやく。はやく。お願い、はやくあなたのソレを私に頂戴!」

 裂花が、男の髪を撫でながら、睦言のようにそう呟く。


「愛しているわ、バルグル、あんな女、忘れてしまって。私と一緒に、新しい世界で一緒に暮らしましょう……」

 少女が男の顔を見上げて、切ない貌で、そう言うと……


「裂花……」

 がちゃり、がちゃり。

 バルグルのその身を包んでいた黄金の鎧が、両肩を覆った鋼鉄の翼が、次々と彼の体から剥がれ落ちていく。


「知ってたのかい……俺が、ずっと昔から、お(めー)に惚れてたってことを……!」


 す……。


「うそ! おっちゃん!」 

 烈花とバルグルを間近にした琉詩葉は、バルグルの体から、何かが抜け落ちていく音が本当に聞こえたような気さえした。

 それは、使命感、責任感、矜持、誇りといった、男を支えていたいくつもの『何か』の抜け落ちていく音だった。


「うそだろ! おっさん!」

 せつなもまた愕然として、機上からバルグルに叫んだ。

 あれほど傲岸不遜で、せつなを認めようとしなかった、大嫌いだったバルグル。

 一方で子供じみていて天真爛漫。戦いでは一歩も引かなかった屈強なバルグル。

 だがいまや見ろ。せつなが機上から見下ろす男には傲慢さも、強さも、少年らしさも見る影もない。

 そこにいたのは女に惑った、壮年の、みっともない、ただの、男だった。


 つ。


 バルグルが、己が手の中で緑の炎を揺らめかして輝く、水晶のかけらを少女に手渡した。


「だめよ! バルグルーーーー!」

 機上から響く、キルシエの金切声。


「ああ、うれしいわバルグル」

 少女が喜悦の笑みを浮かべる。

 ごおお。そして見ろ。今や少女の真白の手中に在る炎の水晶片が、更なる変化を遂げていく。

 水晶から漏れた緑の炎が、少女の手を伝って、彼女の右手にある輝く短刀の刀身を覆っていくのだ。


「今日からこれは、『裂花(れっか)の晶剣』……」

 炎を吸収して、その水晶の刀身の内にボンヤリとした緑の炎を揺らめかせた短刀。

 少女が炎の刀身に頬ずりしながら、愛おしげに、そう呟いた。


「バルグル、もう一つお願いを聞いてくれる?」

 男の耳元で少女が囁く。


「ああ、なんだい裂花?」

 譫言の様に訊きかえすバルグル。


「ずうっと此処で眠り通しで、お腹が空いたわ、バルグル……」

 少女の口の端が、淫らに歪んだ。


「お願い。あなたの生命(いのち)を頂戴……」

 次の瞬間!


「ぐがああああああああ!」

 バルグルの、身の毛もよだつような絶叫が辺りに響いた。


「裂花ちゃん! 何を!」

 琉詩葉もまた悲鳴を上げた。

 バルグルの胸に深々。突き立てられていたのは、緑の炎を揺らめかせた、烈花の短刀だった。


「うそ!」

 琉詩葉は目を瞠った。


 ずるり。


 どくん。どくん。


 次の瞬間、苦悶の呻きを上げる男の胸の創口から引きずり出されて来たのは、おお、少女の晶剣に刺し貫かれた、彼自身の……脈打つ心臓だった!

 何という凄惨な光景だろう。

 血染めの水晶刀に貫かれながら、なおもドクドクと脈動を続けるバルグルの心臓。


「あぁはぁああああああ……!」

 その心臓を高々と己が頭上にかざして、心臓から、男の胸から噴きあがる鮮血をその全身に浴びてゆく裂花。

 人形のように美しい貌を男の血で真っ赤に濡らしながら、口元に垂れてきた鮮血を恍惚の表情で舐め取り、啜り上げて行く少女の姿は。


「あなたの仕事は、終わり。さようならバルグル……。私のいい人(・・・)

 凄艶な笑みを浮かべてバルグルに囁く裂花。

 次の瞬間、どう。無残。苦悶の表情をその顔に張り付かせたまま、バルグルの巨躯が荊の上に崩れ落ちた。

 そしてこれはいかなることか。見ろ裂花の貌を、身体を。

 少女の全身を濡らしていた男の鮮血が、見る見る内に彼女自身の白磁の肌に、ビロードのワンピースに、染み込むようにして吸い取られていくと、血塗れだったその姿が瞬く間に一変。月光に照らされた裂花は、男を殺める前とまるで変わらない、清廉な少女の姿を取り戻しているではないか。


「バルグルーーーー!」

 キルシエの絶叫が荊の虫籠にこだました。


「残念ね。ゆすらちゃん」

 キルシエを見上げてコロコロと烈花が嗤う。


「あなたの大事な(バルグル)は、もう私が頂いてしまったわ」

 烈花がキルシエにそう言うと、人形のようなその貌に、亀裂のような笑みを浮かべた。


「裂花! 殺してやる! このクソビッチ!」

 キルシエが憤怒の形相。

 彼女は傷ついた体を引きずりながら、震電の機上から虫籠めがけて飛び降りると、裂花の貌を睨みつけた。

 

「よくも私の亭主を! この淫売! 魔王衆の裏切者! ちょっと綺麗だからってイイ気になってんじゃないわよ。顔色の悪い吸血鬼風情が! 魔王としての『由緒』も『(ランク)』も『実力』も、全部私の方が上なのよ! この私、『見霽(みはる)かすキルシエ』は、創世樹ユグドラシルに万年に一度咲く宇宙花(コスモス)精髄(スピリッツ)を『十氏族』の上級アルケミストたちが一億年かけて凝縮、錬成し続けた果てにこの宇宙に顕現した『創世樹の花の精』。九大世界の調停者にして無限の視界を持った魔王衆随一の間者。さらには、遠隔攻撃においては他の魔王たちの追随を許さない、宇宙最強の長射程広域攻撃能力者! あんたみたいなゾンビの親戚(しんせき)とはねェ……住んでる世界が違うん……」

 桃髪を怒りで震わせながら、一気にそう捲くし立てて、じりじりと裂花に詰め寄っていくキルシエだったが、次の瞬間、


 きゅうう……


 裂花が真白の指先で、真横一文字に中空をなぞった。すると、


「うんにゅうぅ……!」

 まるで唇にチャックを付られたかのように、塞がれて、言葉を封じられたキルシエの口許。


「お黙りなさい、ゆすらちゃん。あなたの駄法螺(だぼら)も、いい加減聞き飽きたわ!」

 裂花が愕然とするキルシエを見据えて、冷たく言い放った。


「あなたは『彼』を言いくるめて此処に連れてくるために『魔王衆』の列に加えたのよ。だけど私、そこまで『設定』を広げていいなんて、言ってないわ!」

 馬鹿にしたような貌で、そう続ける裂花だったが、


「ぐう! ぐにゅにゅにゅにゅぐにゅにゅにゅにゅにゅにゅぐにゅにゅにゅにゅぐにゅにゅにゅにゅにゅにゅにゅにゅにゅにゅにゅ……!」

 怒りのキルシエが胸の前でガッキと印を結び、おかしな呪文を唱えた。次の瞬間、


 びゅうう。


 桜の花びらに変じて風に舞うキルシエ。


「問答無用! 死ね! 裂花! 百華繚乱キルシエ花飛礫(はなつぶて)!」

 言葉を取り戻したキルシエの怒りの声が辺りに響き渡り、月光に煌めく何千ものキルシエの花変化、桜の水晶針(クリスタルニードル)が空を切る花の弾丸となって一斉に裂花に襲いかかった。だが、


「あら、ゆすらちゃん。あなたにはそんな暇、ないんじゃなくて?」

 烈花が動じる様子もなくそう言って己が水晶刀を振った。

 すると、ごおお。荊の虫籠の床に斃れたバルグルの体の周りから、一瞬緑の炎が噴きあがると、


 くしゃ。


 炎に焼かれ、干からびていく荊。バルグルを支えていた周囲の床が陥没した。


「バルグルーーー!」

 キルシエの悲痛な叫び。崩落する床から空中に放り出された傷ついたバルグルの肉体は、そのまま地上向かってまっすぐに落下して行くではないか。と、次の瞬間、


 しゅん。しゅん。しゅん。しゅん。

 烈花めがけて宙を舞っていた桜の花びらが、水晶針が、一斉にその軌道を変えた。


 新たな目標は、落ち行く男だった。

 荊の床に炎で穿たれた穴をくぐって、落下するバルグルを追いかけて虫籠から飛び出すと、無数の花びらが夜空へと舞い散っていくのだ。

 なんという奇怪な光景か。

 吸血少女の水晶刀で胸に穿たれた創口から、とめどなく噴き上がる鮮血を夜空に蒔き散らしながら真っ逆さま。地上むかって落ちていく蓬髪の壮漢。

 そして月の光にチラチラと薄桃色を煌めかせながら、風に乗り、渦を巻き、男に追いすがる桃髪の少女の花変化、秋の夜の桜吹雪は。


「おいキルシエ! どこまで行くんだよ!」

 唖然としてキルシエを呼ぶせつなだったが、


「ごめん、せつな先輩! 私、あいつを助けないと!」

 せつなの耳元で一片舞った桜の花びらから、そう答えるキルシエの声。


「ここはもう、先輩たちに任せるから、あとはよろしくね!」

「そんな! ここまで来て、いなくなるのかよ!」

 キルシエの無責任な様子にせつなは憤るも、


「大丈夫、せつな先輩は、やれば出来る(・・・・・・)子だって、それじゃあ、またねー!」

 キルシエのひたむきな声が、せつな達から遠ざかっていく。


 バルグルとキルシエは、地上へと落ちていった。


  #


「裂花ちゃん……! なんだってこんなことを!?」

 眼前の惨状にショックで身動きのできない琉詩葉が、悲鳴にも似た声で裂花を問いただす。


「琉詩葉ちゃん。三日ぶりね……」

 裂花が琉詩葉を見下ろして嫣然と微笑んだ。


「それにしても、私のくちづけ(・・・・)を受けて、何ともないなんて、誰かが邪魔をしたのかしら?」

 小首を傾げながら琉詩葉の前に悠然と歩み寄る少女。


「でもいいわ。それならまた、何度でも愛してあげる……。おいでなさい琉詩葉ちゃん。『下級天使』の中でも私、あなたたちの一族は結構気に入っているのよ。この辺獄をずうっと彷徨わせておくのは、なんだか、かわいそう……」

 裂花がわけのわからないことを呟きながら、琉詩葉にその手を差し伸べた。


「い……! ぐっ! ぐっ!」

 何か強烈に()な予感がして、必死で裂花から遠ざかろうとする琉詩葉だったが、身体が痺れて、言うことをきかない!

 首筋が、ズクズクと妖しく疼く。


「裂花……ちゃん……」

 琉詩葉の意に反して、彼女の手が烈花の差し伸べた手を取った。


「さあ。私の『子供』にしてあげる……」

 琉詩葉の貌に寄せられた裂花の花弁のような唇が、彼女の耳元で妖しく囁いた。


 だが、その時だ。


 ず。


 裂花の胸元から、何かが、飛び出した。


「な……!」

 裂花は一瞬、何が起きたかわからない様子で自身の胸元を見つめた。

 飛び出していたのは、アメジストの錫杖。


「ぐああああああああああ!」

 裂花の苦悶の叫びが辺りを覆った荊を震わせる。


 琉詩葉が、混乱のあまり床にとり落としていた、彼女の武器『召蠱大冥杖』を何者かが、裂花の背中に突き立てて、その胸元まで貫いたのだ!


「ぎ……! ぐうううう!」

 苦痛に身をよじりながら、立ち上がって自身の胸から大冥杖を引き抜く裂花。


「なななな……!」

 琉詩葉は恐怖と混乱で、完全にパニックに陥っていた。


「その剣を……渡せ!」

 裂花を刺した者が、彼女の右手の剣を指さし、怒りに震える声でそう叫んだ。


 立っていたのは、漆黒のツインテールを震わせた、炎浄院エナだった。


「エナちゃん……まだわからないの? この力は、あなたが持っていていいものじゃないのよ?」

 胸の創をおさえながら、裂花が凄絶な笑みを浮かべてエナに言い放つ。

 そして見ろ、彼女胸元を。エナに刺し貫かれたその穴は、既にふさがり傷は消え、滑らかな肌が闇にさらされているのみである。


「お前ぇ……お前ぇ! どこまであたしの邪魔をする! なぜコータとあたしを、引き裂こうとする!」

 エナの瞳が、真っ赤に輝いた。

 裂花の周囲の荊がうねって彼女の手足に絡みつき、縛り上げた。

 エナの左胸から、再び緑の炎が噴きあがった。


「エナちゃん……! まだそれだけの力を残していたの?」

 裂花が驚いたようにエナを見つめた。


「でも……!」

 クン。裂花が蔑むように首を振った。


 すると。ずるん。


「うそ!」

 エナが驚愕の声を上げた。

 裂花を縛っていた荊が解けると、今度は逆にエナの体に絡みつき、彼女を荊の虫籠に宙吊りにした!


「無駄よエナちゃん。もう『主導権』は私の中にあるの」

 エナに歩み寄った裂花が、真白な手でエナの頬を撫でながら妖しく嗤う。


「うぐあーーー! 嘘だぁ!」

 屈辱でその身を震わすエナ。


「この『力』は、ヒトの手に余るもの。事実、あなたをもう何万周期もの間、おかしな妄執でこの世界に縛り付けている……」

 裂花がエナの真っ赤な瞳を、ジッと覗き込んだ


「わけのわからない事を言うな! その力はあたしのなんだ! コータと居るためには、ソレが要るんだよぉおおおお!」

 なりふりかまわず泣き叫びながら、必死で荊から逃れようとするエナだったが、


「いいかげんになさい。あなたの我儘で、どれだけの世界が搔き回されて、消滅してきたと思う?」

 裂花が、エナに冷たく言い放った。


「何を……言っている!?」

 裂花を睨みつけて憤怒の呻きを上げるエナに、


「数多の並行世界に寄生しては、その世界の条理の及ばぬ『内部小領域』を構成して、世界の容量を圧迫し、原初の民を苦しめ、いづれは死に至らしめる。コータくんが、あなたの手から離れるその度に、あなたは別の並行世界に寄生して、その世界のコータくんを捕えて自分の愛玩物にしていたのよ!」

 エナを見つめる裂花の貌は先ほどと一変、妖しい笑顔が消え、燃えるような怒りが滲んでいた。


「あなたこそが、世界を破壊する邪悪なるもの! 混沌への供物にして混世の運び手! (よこしま)なる神。簒奪者エナ!」

 エナを指刺し彼女を咎める裂花。


「うそだ! うそだ! うそだ!」

 泣き叫ぶエナ。


「でも、それも今日でおわり。エナちゃん。あなたには、健やかな死を授けましょう……。もう、苦しむことは何もない……」

 裂花が、優しい貌で、エナにそう囁いた。


 ずぶり。


 彼女の右手の水晶刀、『裂花の晶剣』が、エナの左胸に押し込まれた。


「そんな……! これで、もう!」

 心臓を刺し貫かれ、宙吊りのエナのその目に、血の涙。

 ごおおおお。エナの全身から緑色の炎が噴きあがり、彼女の体は、瞬時に崩れて、灰になり、この世から、消滅した。


「イヤーーーーーー! エナちゃーーーーーん!」

 響き渡る琉詩葉の絶叫。


「ああ。ようやく私の手に戻ったわ!」

 エナも琉詩葉も顧みず、裂花は中空を見据えて満足そうに呟いた。


「彷徨者『時城コータ』はエナの手を放れ、『混沌への供物』炎浄院エナは()の力を世に解き放って消滅し、そして今、力は私の手の中……。全ては私の、計画通り……」

 わけのわからない事を呟きながら、裂花は右手の短刀を見て人形のような貌に凄艶な笑みを浮かべた。


「愛しい私の『裂花(れっか)の晶剣』。辺獄のこの地より抜き放たれた、(あるじ)に連なる『第一の(くさび)』……」

 冷たく輝く透き通った刀身の内に緑の炎を揺らめかせた短刀を、白魚のような指先で愛おしげになぞりながら、裂花が呟く。


「裂花! なんで! こんなことを!」

 悲痛な叫びに少女が振り向けば、立っていたのは如月せつな。その背におぶっているのは、空中での闘いで傷付いた、一糸も纏わぬ嵐堂メイア。スペースシャトル震電の機上から、彼女を背負って今ようやく琉詩葉のもとにたどり着いたのだ。


「せつなくん! ようやく来たのね!」

 裂花がせつなを向いて、凄艶な笑みを浮かべた。


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