吸血花ふたたび
「変態教授! これだけの女の子を攫って、一体何を企んでいるのよ!」
玉座の教授を指さして、凛々しい表情で琉詩葉が叫ぶ。
「そうじゃ! 悪魔なんて……! 悪魔なんて……! 許さん許さん許さん!!」
意味が解らない繰り言を唱えながら莉凛が続く。
燃え立つ紅髪を靡かせながら、厳しく教授を睨み上げる莉凛。
そして見ろ。先程までマッパであった彼の下腹を覆っているのは、目にも清らな純白の越中褌である。
たまたま琉詩葉が巻いていたさらしを使って、妻の魂子が急遽あつらえたサムライ・パンツであった。
「莉凛さん! もうやめなさいったら、みっともない……」
譫言を繰り返す莉凛を、きのこ少女となった魂子が恥ずかしそうに背中から諌める。
「にゃにゃにゃ……! 怪しげな!」
玉座の間を埋め尽くした、小中学生を閉じ込めた無数のカプセルを見回しながら、短刀を構えた忍者少女焔も怒りの声を上げた。
「何を企んでるかって? ふははー! いいだろう、教えてやろう!」
教授が怪しく嗤ってそう答えると、己が蛸足で黒曜石の玉座の背後に設けられた、天蓋の幕を取った。
はらり。
「あ……!」
幕の奥から姿を現したモノの正体に、琉詩葉は息を飲んだ。
現れたのは、巨大な大理石の台座から伸び上がった、青白く輝く透明な水晶の柱だった。
柱の中にヒト。二人。
胸から真っ赤な血を流し、苦悶の表情でその身を横たえているのは琉詩葉の級友、時城コータ。
そして、血染めの彼の半身を己が胸にかき抱いて、満足そうな表情で目を瞑り、口元に、喜悦の笑みを浮かべているのは……
炎浄院エナだった。
「コーちゃん! エナちゃん……どうして! 笑っている……?」
エナの顛末を知らない琉詩葉は、水晶柱の内部に現前した二人の異容に混乱した。
ああ。傷ついたコータ。彼を抱くエナ。
三日前に繰り広げられた惨状から、寸分たがわぬ姿の二人。冷たく輝く水晶、凍った時の中に閉じ込められたようなその様は、まるで奇怪な聖母子像のようにも見えるではないか。
そして水晶柱には、幾本もの微細なコードが接続されていた。光ファイバーの様に透明に輝いたそのコードが、玉座の間の床一面を伝って、教授が攫った少女たちの閉じ込められたカプセルに繋げられると、奇怪な緑色の燐光を、カプセルの内部に注ぎ込んでいくのである。
「三日前、あのJCがこの世に開放した己が力。この世の理を変える『冥界の炎』……。その『力』! 我が『超魔術』でここに封印した!」
教授が水晶柱を蛸足で撫でまわしながら不敵に嗤う。
「そして見ろ!」
教授が蛸足で玉座の間をグルリと指さしながら叫んだ。
「その『力』を使って、世界中から攫ってきたJCやJSを、私の言うことをなんでも聞く『魔法少女』に改造!!! 総勢400万の不退転魔法少女軍団で、全宇宙を我が掌中に収めるのだーーーあ'`あ'`あ'`あ'`あ'`あ'`あ'`あ'`……」
完全に常軌を逸した目で、教授が高らかにそう宣言する。
「く……狂ってる! てゆーか馬鹿でしょアンタ?」
琉詩葉は開いた口がふさがらなかった。
「んー。テキストに起こすのも小っ恥ずかしいその野望! わたくしたちが潰させていただきますわー!」
魂子が見下げ果てた目で教授を見上げて言う。
「ふん。君たちでは私に勝てんよ。我が悪魔力の前に、ひれ伏すがいい!」
蛸足を振り回して一行を挑発する教授。
「ハッタリかますな! 行くぞー!」
「行くわよー!」
「行きますわー!」
「にゃーーーー!」
大月教授を倒すため、莉凛、琉詩葉、魂子、焔の四人が一声に玉座への階段を駆け上がって、教授に飛びかかった!
だが……
「ふん。悪魔翼!」
教授がそう言って、背中の黒翼を羽ばたかせると……
ばさあ!
「うわーーーー!」
羽ばたきで巻き起こった旋風が、強烈な衝撃波となって、四人を吹き飛ばし、四方の壁に叩きつけた!
「あ痛つつつつ……!」
痛みを堪えながら、どうにか立ち上がる琉詩葉たち四人に、
「ふん。他愛もない。これでとどめ!」
教授が蛸足をクロスさせて、そう言うと。
「悪魔の矢!!!」
無数の蛸足を四人に向けてそう叫んだ。瞬間、
ぎゅーーーーーん!
蛸足の先端に、赤く輝く球形の振動器官が幾つも形成されていくと、
カッ
振動器官から、幾筋もの烈風の刃、『超音波メス』が飛び出すと空を切りながら四人向かって襲いかかった!
「いけない! ダーク・ルシオン……ルシフェリック☆バースト!」
琉詩葉咄嗟に錫杖を構え、己が使徒ダークルシオンを召喚するなり、必殺技の名を叫ぶ。
びゅーーーーーん!
瞬時に琉詩葉の周囲を取りまいたホタルたちの発光器官から発射されたレーザービームが、教授の烈風の刃を、正確に叩き落としていく。だが……
「こざかしい!」
教授が嗤う。
再び無数の蛸足から発射された刃が、数では劣るホタルたちのビームを潜り抜けてホタルの体を両断、琉詩葉の使徒が次々に斬り落とされていく!
「く……! もちこたえろルシオン!」
錫杖を振って琉詩葉が叫ぶも、見ろ。遂に最後のホタルが斬って落とされ、烈風のメスの向かう先、新たな標的は冥条琉詩葉!
「いかん琉詩葉!」
琉詩葉を庇おうと莉凛が駆け出すも、距離が遠すぎる、琉詩葉に迫る超音波メス。
あぶない琉詩葉! だが、その時だ。
ざしゅ! 琉詩葉の背後から一足跳びに彼女の頭上を飛び越えて、彼女の前に立った男が一人。
「ぬううん!」
男の振った身の丈ほどもある巨大な出刃包丁の一薙ぎが、教授の超音波メスを切り裂いて、周囲に四散させた。
「なにい!」
意外な伏兵に教授が驚き声。
「大丈夫ですかい? 琉詩葉嬢様」
男が琉詩葉を向いてそう言った。
「あ……あなたは!」
琉詩葉もまた驚嘆の声。男の声、体つきには覚えがあった。
聖痕十文字学園学生食堂の管理栄養士にして、宇宙寿司の探求に人生を賭す寿司職人。そして冥条莉凛の剣の弟子。
三日前、学園での闘いで己が玉子焼きに討たれて命を落としたはずの、タニタてふおであった。
だが見ろ彼の全身を。出刃包丁をたずさえて、板前法被にその身を包んだ彼の手も、顔も、真っ白な包帯でグルグル巻きの、まるでミイラ男か透明人間のような出で立ちなのである。
「てっちゃん! 生きてたんだ!」
「おお、てふお! 生きておったか!」
琉詩葉と莉凛は嬉しい驚き。
「はい先生、嬢様、実は生きてたんでさあ!」
てふおが二人に答えた。
「へへ……。雷に撃たれて生死の境を彷徨っていた俺の夢枕に奥方様が出てきて、『てふおちゃんもついでにいらっしゃい』って言われて、ノコノコ付いてきたんでさぁ……」
包帯でグルグル巻きの頭をかきながら、てふおが笑う。
「そうなのよお。賽の河原をウロウロしていたから、一緒につれてきちゃった!」
魂子もまたコロコロと笑った。
「琉詩葉姉ちゃん! 僕も戦うよ!」
そう言って琉詩葉の横からひょっこり姿を現したのは、半ズボン姿も初々しい紅顔の美少年。
人狼化現象を自在に御する地上最強の雨男。
三日前、アミガサ粘菌斎のきのこ忍法の前に恥辱の撤退を余儀なくされた、聖痕十文字学園初等部四年、大神雨だった。
「あ、雨ちゃんもついてきたの!?」
あきれ顔の琉詩葉。
「でもおかしいわね。さっきまで、ずっと外は晴れてたのに?」
首を傾げる琉詩葉に、
「答えは簡単よ。るっちゃん」
祖母の魂子が笑顔で答えた。
「何を隠そう、このわたくし、これまでの人生、遠足や旅行で一度も雨に出会ったことのない、地上最強の『晴れ女』なのよ~!」
誇らしげに胸を張る魂子。
彼女の強烈な晴れ女力が、雨少年の気象マイナスオーラを打ち消していたのである。
「そっかー! なるほどねー!」
琉詩葉もようやく合点がいった。
「よし! これで学園の『隊員』もそろい踏みじゃ! 観念せい教授!」
冥条莉凛が日本刀『花殺め』を構えて教授に吠えた。
「ふん! 一人や二人増えたところで、何も変わらんぞ! 今度こそ死ね!」
怒りに燃えた教授が触手を振るう。
「琉詩葉姉ちゃん! 背中に乗って!」
そう言って、一瞬にして雄々しい銀狼の姿に変じた雨少年。
「わかった!」
狼の背中に飛び乗った琉詩葉が錫杖を構える。
「特選寿司十人前、お待ち!」
タニタてふおが岡持ちから寿司桶を取り出し鬨の声。
「ぎしゃ~~~~~~!」
見ろ。寿司桶から飛び出した寿司達の異容を。三日前に魚面の怪忍者陀厳状介のフグ毒にあてられ死線をさまよい、雷に打たれ、地獄の炎に晒された寿司達は、もはやただの寿司ではない。腐りかけた全身を地獄の業火で焙られた、奇怪な、焙り屍人寿司なのである。
「冥条流焔術、『獄炎大車輪』!」
莉凛が『花殺め』で玉座の間の床を、掠めて叫ぶ。
カチリ。一瞬床から散った火花から、ごおお。
空気が火を噴き真っ赤な火柱が上がり、そこかしこに伸びた教授の触手を焼き払っていく。
「ぎしゃ~~~~~~!」
莉凛の炎を潜り抜けた屍人寿司達が、燃え盛る寿司火球となって、教授の触手に喰らいつき、引火していく!
「キノコノコノコキノコノコ、キノコタケノコワタシノコ……」
胸の前に印を結んで、冥条魂子がおかしなお経を唱えると、
「冥条流菌術、『秋風のヴィオロン』!」
矢絣の小袖を振ってそう叫んだのだ。するとどうだ。
ぽっ ぽっ ぽっ ぽっ
小袖の間から、金色に輝いた無数の粒子が辺りに舞い落ちると、
ずにゅるるる!
なんということだ。玉座の間の床を覆ったタイルを割って物凄いスピード伸び上がっていくのは、シイタケ、マツタケ、サクラシメジ、マイタケ、コウタケといった味や香りも今が旬の、秋のきのこたちである。
魂子の足元に集ったきのこ達が寄り合わさり、合体していくと……!
「ぴきゅきゅーーーん!」
おお見ろ。魂子をその背に乗せて、北欧神話の植物の精霊にも似た、ワニのようなそうでないような巨茸獣へと変化していくではないか。
「行きますわよー! 突撃ー!」
巨大なきのこ戦車と化した巨茸獣が、そのかさから無数の牙を生やした幾本ものエノキダケの触手をくねらせながら、玉座の教授めがけて進撃を開始した。
「血塗れ忍法、『飛焔弾』!」
たん。短刀を構えて焔が跳んだ。
忍者少女の口元から放たれる炎の礫が教授の触手を撃ちぬき、先端のデビルアロー発射器官を次々に破壊していく。
「ダーク・ルシオン……ルシフェリック☆バースト!」
銀狼の背に乗った琉詩葉が、教授の触手や超音波メスをかわしながら、再び召喚したホタルのビームで蛸足を斬り払っていく。
「おのれ! ちょこざいなあ!」
教授の顔に、初めて狼狽の色が浮かんだ。
ずにゅるるるるるる!
教授の体から更に何百本もの触手が伸び上がると玉座全体を覆って琉詩葉たちに襲い掛かる。
「怯むな! 正義は我にありーーー!」
『花殺め』を振って莉凛が号令。
「応!」
裂帛の気合いで学園の戦士たちがそれに応える。
ぎしゃ~~! ずにゅるるる! びゅーん! びゅーん! びゅーん! ごおおおお!
寿司が跳び、きのこがうねり、ホタルがビームをまき散らし、爆炎が、火柱がそこかしこから噴きあがる。
『悪魔城玉座の間』に、猛然たる戦火が燃え上がった。
#
「くらえ! メイア!」
悪魔城上空での死闘は続いていた。
びゅーーーん!
獣神将バルグルの撃ち放ったバスター砲の閃光が、JC車掌メイアの駆る蒸気騎士『震電』むかって迸る。
だが、光の奔流は震電の構えた巨大の円形盾で防がれて、蒸気騎士本体とメイアは全くの無傷だ。
「やれ! 戦乙女!」
メイアが右手にはめた腕時計型の通信機に命令すると、
どん! どん! どん!
震電の列車砲から放たれた金色のビーム榴弾が逆にバルグルに襲い掛かる。
「ビームシールド!」
バルグルが吠える。
次の瞬間、彼の正面に出現した光の障壁に阻まれて、列車砲の砲弾は四散して消滅した。
「ちっ! 埒が開かねぇな! キルシエ、援護しな!」
「あいよ、バルグル!」
バルグルの呼びかけに花吹雪と化したキルシエが応じる。
「まってくれ! なんでメイアと戦わなきゃいけないんだ? あいつ……『味方』のはずだろ!?」
バルグルの小脇から混乱したせつなが叫ぶも、
「んなの知るか! 事情はともかく、邪魔する奴は、ぶっ倒すしかねーーー!」
猛り立つバルグル。
びゅーーーん!
バスター砲の二射が放たれた。すると、
「サクラマイサクラメガケテヒカリマイチルチルミチルヒカリチル……!」
閃光の奔流の先からキルシエの呪文が聞こえると、水晶に覆われた桜の花びらが空中に凝集。なんと、バスター砲の閃光を受け止めては吸収していき、自身が無数の光り輝く金色の水晶針と化して、再び空中に四散したではないか。
「ヒカリキターーー! 百華繚乱キルシエ花飛礫!!!」
月夜に響くキルシエの叫び。
そして見ろ。彼女の変化した金色の水晶針が、縦横無尽に飛び回りながら、メイア駆る震電を、
びつん! びつん! びつん!
その背中から、頭上から、足元から、360度の全方位から狙撃。機体を貫いていくではないか。
「うああああああ!」
機上からメイアの叫び、水晶針は震電と同時に、彼女の右肩と左膝を貫いていた。
「やめろ! キルシエーーーー!」
せつなの悲痛な叫びが夜空にこだます。
「く……! アストロトレヰン、モードB!」
震電の肩の上で膝をついたメイアが、苦しげな表情で、機体のバランスを崩して高度を落としていく己が蒸気騎士の制御電脳にそう命令すると、
「了解、あすとろとれゐん、モードB!」
制御電脳『アストロトレヰン』がメイアに復誦。
ギガゴゴギ。
瞬時に震電はスペースシャトル状の航空機に変形。
旋回した震電は、メイアを翼に乗せて悪魔城向かって墜落していく。
「メイアーーーー!」
眼下の震電と、メイアの痛ましい姿に、せつなが悲鳴。
そして次の瞬間、反射的だった。
せつなは、跳んだ。
彼を抱えたバルグルの手を振り払い、メイアの乗った震電めがけて、空中に跳び出したのだ。
「馬鹿野郎! 何勝手こいてんだ! クソガキー!」
背中から、頭上から響くバルグルの怒号に、
「うるせー! ほっとけるか! だって……! あいつはメイアだ! キルシエ、俺をあそこまで運べー!」
せつなはバルグルに答えず、空中のキルシエむかってそう叫んだ。
「ちょっともー、何やってんのよ、せつな先輩ー!?」
呆れた様子のキルシエの声。
だが、ざわあ。せつなの周囲に桜の花びらが集うと、彼の体が浮揚して、墜ち行く震電向かって運ばれていく。
「ったく! せっかく助けてやったのに、あのガキ! ただじゃおかねーぞ!」
空中で苦々しげな表情のバルグルだったが、
「ん……!」
眼下の悪魔城を見下ろした彼が、何かの異変に気付いた。
ざわ……ざわ……ざわ……ざわ……
バルグルが目を瞠る。様子がおかしい。
空中に浮遊した悪魔城のその下、かつて学園があった場所に生え、茂った、緑色に輝いた無数の荊。
その荊が、今再び、蠢き、伸び上がり、悪魔城の城下の奇岩から生えた蛸足を圧倒、絡めとりながら、その奇岩ごと、城全体を、覆い尽くしていく!
「城の中で何かあったな? 琉詩葉、焔、無事なのか!?」
バルグルはひとりごちると、背中の推進器の出力を上昇させ、せつなメイアを乗せたスペースシャトルを尻目、荊に覆われていく悪魔城めがけて、ひとり突進していった。
#
「追い詰めたわよ教授! 覚悟しなさい!」
悪魔城玉座の間に琉詩葉の一声が響き渡った。
「にゃー! 覚悟しろ教授!」
「やったね! 琉詩葉姉ちゃん!」
「ごくろうさんです、琉詩葉嬢様!」
「莉凛さん、おつかれさまでしたー」
「うむ、やったな、魂子!」
玉座にたどり着いた焔、雨、てふお、莉凛、魂子。
学園の戦士たちが教授を取り囲んだ。
「ぐぬぬぬぬ……ウジ虫ごときが、私の計画を~~~!」
憤怒に震える教授の声。
学園の戦士たちの猛攻で、教授は追い詰められていた。
全身から伸ばした何百本もの蛸足も、既に寿司に喰らわれ、獄炎に焼かれ、きのこに絡めとられ、緋焔弾に撃ちおとされ、ホタルに切り裂かれて尽きた。新たな武器悪魔翼も今や傷付き羽ばたかすこともかなわない。
「くそー! かくなる上は!」
じゅるん! 教授が跳んだ。
「あ……!」
琉詩葉が愕然。
最後に残った八本足を弾ませて、教授が跳んだ先にあったのは、コータとエナを閉じ込めて青白く輝いた、巨大な水晶柱だった。
「全員動くなよ! この私にこれ以上手を出したら、この二人が、粉々だぞ~~~!」
懐から取り出した巨大な金槌を水晶柱に振りかざして、教授が戦士たちを牽制する。
「人質なんて卑怯よ! 二人を返しなさい!」
怒りに震える琉詩葉が叫ぶも、
「はん! 闘いに卑怯もラッキョウもあるものか!」
教授が嗤う。
こうなれば、この二人を人質に一時退却。そう考えた教授が、水晶柱を蛸足で抱えながら玉座の間の秘密通路めがけて、後ずさりしかけた、だがその時だ。
サワガシイゾ……オ前タチ……!
どこからともなく響いてきた怒りに満ちた声が、玉座の間全体を震わせた。
「あ……! あの声は!」
琉詩葉は唖然として口を覆った。
聞き覚えのある、いや、聞きなれた声だった。
炎浄院エナだ。
「まさか! あのJCか? 封印の力が、弱まっている?」
困惑した顔の教授。彼が懐から取り出したタッチパネル状の制御装置で、水晶柱のパワーを調整しようとした、だがその時、
ずざああああああ……
突如、悪魔城玉座の間の床が、壁面が、天井が、不気味にうねった。
「な……! 何が!」
琉詩葉も教授も、そこにいる一同全員が、状況が理解できず、唖然と立ち尽くすしかなかった。
壁が、床が、天井が、玉座の間全体が、いや、城そのものが、何かに浸食され、崩れ落ちていくのだ。
「うそ……!」
崩れゆく部屋の外部から姿を見せたソレの正体に、琉詩葉は再び驚愕の声を上げた。
それは荊だった。
悪魔城を覆い、城そのものに食い込んで、崩落させた緑色の荊が、蠢き、うねり、空を覆っていく!
もはや一行が踏みしめてしがみ付いているのは、城の床でも、壁でもなかった。
それはさながら虫籠。蠢く荊で形成された、巨大な、禍々しい空中の籠だったのだ。
オ前カ? ワタシノ微睡ミヲ邪魔スルノハ……!
再び籠全体に響き渡った、忌々しげなエナの声。
そして次の瞬間、
「ぐぎゃ~~~~!」
教授の絶叫が辺りに響いた。
「うおわーーー!」
琉詩葉は眼前の惨状に悲鳴を上げた。
蠢く荊が、見る見る内に教授の体を覆い、縛り上げると、彼の体に食い込み、潜り込んで、次の瞬間、
死ネ!
再び響いたエナの声と同時に、
ずばっ!
内側から教授の肉体を引き千切り、八つ裂きにしたのだ!
なんたることか。引き裂かれてもなお生命力を失わない教授の蛸足が、緑の荊に触れるなり、急速に干からび、縮れ、しぼんでいくではないか。
「くそー! もう少しだったのに! 覚えてろーーーー!」
そして見ろ。引き裂かれ、首だけの姿になった教授が、コロコロと転がりながら、荊の虫籠から零れ落ちると、地上向かって落下して行く。
教授の情けない捨て台詞が、琉詩葉たちから遠ざかって行った。
「エナちゃん? エナちゃんでしょ?」
緑に輝く周囲の荊に向かって、琉詩葉がそう話しかけた。
「大丈夫だよエナちゃん。もうこんな事しなくていいから! さ、コーちゃんと一緒に、みんなのところに帰ろう!」
昂ぶるエナをなだめるように、エナに語り掛ける琉詩葉だったが……
「ダメダ……! 来ルナ!」
エナの悲痛な声と同時に、荊が苦しげに蠢いた。
「『ココ』モ、モウダメダ……モウスグ終ワル……! モット潜ラナイト……こーたト二人ダケデ……モット深ク! モット遠クニ!」
琉詩葉の声が届いたのか、そうでないのか?
譫言のように辺りに響くエナの声に怒りと焦燥が滲んでいき、荊が緑に明滅する。
「もうすぐ終わるって……何言ってるのよエナちゃん? もう! いい加減にしなって!」
エナの声にしびれを切らせた琉詩葉が、エナとコータを閉じ込めた水晶柱に近寄ろうとした、その時だ。
「琉詩葉! こいつには、何言ってもだめだぜ!」
琉詩葉の頭上から声が聞こえて、彼女が見上げれば、
がさり。
現れたのは蓬髪の壮漢。
荊の籠をかき分けてここまでたどり着いた、魔王衆バルグルだった。
「おっちゃん! やっと来たんだ! もう教授はやっつけちゃったからー!」
バルグルにそう言う琉詩葉に、
「ああ! 手間かけさせたな琉詩葉! 焔! それにしても……」
彼が痛ましげな表情で荊のうねりを眺める。
「これがエナの力……! そして!」
青白く輝いた水晶柱に目をやるバルグル。
「教授……! 既に力を『分離』して『制御』するシステムを作り上げていたのか? だったら、話は早いぜ!」
バルグルがそう言って、荊の虫籠の天蓋から水晶柱めがけて跳躍した。
クルナ!
エナの叫びと同時に、蠢く荊がバルグルに襲い掛かるも、
「シールド!」
獣神将一声。彼の周りに生じた光の障壁が荊を遮り、燃やしていく。
「エナ……! 気持ちは分かるが、やっぱりこいつぁルール違反! やっちゃならねえ事だ!」
水晶柱の前に立ったバルグル。
「その小僧は死すべき運命であった者。もう、お前と一緒にいちゃあ、いけないんだ!」
水晶の中のコータを見つめて神妙な表情でそう言ったバルグルが、次の瞬間!
「エナ! 小僧! 解放するぞ、お前たちを! バニッシュメント・ナックル!」
水晶柱めがけて、己が素手を叩き込んだのだ。
バリン! 次の瞬間、柱が砕けて、
ごおお! 水晶の中から猛然たる緑色の光の奔流。
エナの胸から止めどなく溢れて来る、緑の炎。『冥界の炎』だった。
「ヤメローーーーーーー!」
引き裂かれるような悲痛な叫びが辺りにこだます。
「貴様! ヨクモ! 許サナイ!」
おお。声の主はエナだった。
砕けた柱から立ち上がったエナが、胸から緑の炎を滾らせる。
ツインテールを震わせながら琉詩葉とバルグルを睨みつけたエナが、憤怒の形相でそう叫ぶと、次の瞬間、
ざっ!
まるで緑の炎に包まれた猛獣のように、バルグルむかって飛びかかったのだ!
だが……聞け。
「この世の因果を超えた力よ。条理の及ばぬ不可思議の先触れよ。……冥界の炎よ!」
バルグルが厳しい顔でエナを睨むと、高らかにそう叫んだのだ。
そして見ろ。彼が己が手に握り、エナの前にかざしているのは、先程砕いた水晶柱の破片の一塊。
「冥府門業滅十魔王が一人、獣神将バルグルの名のもとに命ずる! この世の条理を乱すのをやめよ! 己が世界に戻るがいい!」
するとどうだ。ごおお。エナの胸から噴きあがる炎が、蠢く荊が瞬かす緑の燐光が、バルグルの手の内、水晶の塊に吸い取られて行くではないか!
「ダメダ! ヤメロ! アあ……! これで、もう……」
エナの悲痛な呻き。胸から噴きあがる炎の全てを水晶に吸い取られた彼女は、力なく膝をつくと、荊のうねりの中にその身を横たえた。
「エナちゃん……! どうしてこんな……?」
眼前で繰り広げられた凄惨な光景に、身動きもできなかった琉詩葉が、震える声で、ようやくそう呟いた。
「まったく手間とらせやがってエナ! だがな、これで一件落着だぜ!」
バルグルが琉詩葉を振り向いて、二カッと笑った。
「おっちゃん……エナちゃん、死んじゃったの?」
不安そうにそう訊く琉詩葉に、
「いや、大丈夫だ。『力』を引きはがされたショックでぶっ倒れただけさ! 多分な……」
そう答えるバルグル。
「そっか! じゃあ、コーちゃんも……」
水晶柱から開放されて、倒れているコータを向いて再び訪ねる琉詩葉だったが、
「いや琉詩葉、あの小僧は……」
バルグルが、答えずらそうに口ごもった。
「ん? どゆこと?」
琉詩葉が首を傾げた、その時だった。
「ん? なんだ? こいつは?」
バルグルが、戸惑いの声を上げた。
いったい、何時からそこに。彼と琉詩葉の周囲をハサハサと飛び回る可憐な断片がある。
「あ……! あの時の!」
琉詩葉もそれに気づいた。飛んでいるのは蝶だった。
先ほど琉詩葉を悪魔城城門まで導いた黒翅の蝶。そして、次の瞬間。ざわあ。
エナの昏倒とともに、その動きを止めていた荊が、今再び、大きくうねった。
「……んんぁあア……!」
荊の中から聞こえた、欠伸の様にも、なにかに、よがるようにも聞こえた。女の声。
そして見ろ。バルグルの眼前。一際大きくうねった荊。虫籠の床を割って、まるで荊の褥から今起き上がったかのように、猫が伸びをするような仕草で二人の前に立ち現われた者の姿を。
「お前は……!」
バルグルが、その目を見開いた。
「あなたは……!」
琉詩葉の首筋が微かに疼いた。
「三日前に私が死んで、そして今夜私が目覚めた。全ては必然、抗えぬ運命……」
鈴を振るような澄んだ声。
歌うようにそう言いながら、現れたのは一人の少女。
右手には冷たく輝く水晶の短刀。
その身に纏ったビロードのワンピースは血のような深紅。その様はまるで、蠢く緑の荊から突然咲いた大輪の薔薇だった。
夜風に靡いた長い黒髪。真っ白な肌。朱をさしたような唇。切れ長の眼、黒珠の瞳。人形のような貌。
現れたのは、夕霞裂花だった。
「そして……! めでたし今宵は宴の夜。私がこの世に影をもたらす、その日の前夜。祝いの夜……」
誰ともなしに玲瓏と、まるで真っ赤な花弁の様な唇から譫言のような歌を零しながら、少女は今ようやく琉詩葉とバルグルに気づいたように、二人の方に貌を向けた。
「ああ。バルグル、バルグル。私のいい人。うれしいわ、私のためにソレを運んで来てくれたのね……!」
裂花が愛おしげに、バルグル向かって両手を広げた。




