獣神将バルグル
「キルシエ! 今戻ったぜ!」
男はせつなには答えずに、野太い声で彼の横のキルシエ向って、
「まったく、手こずらせやがって、こいつをブチ壊さずに、ここまで追ったてるのは、難儀したぜ!」
男の背後、崩れ落ちた冥条屋敷の縁側を親指で差しながらそう言った。
「グキュキュキュキュ……」
土煙の中から、金属を擦り合わせたような、弱々しい鳴き声が聞こえてくる。
「あ!」
半壊した自宅を眺めながら呆然としていた琉詩葉が、驚きの声を上げた。
「プルートウ……!」
琉詩葉の顔が、パッと明るくなった。
薄らいでいく土煙の中、冥条屋敷の縁側を縁の下から断ち割って鳴いているのは、黒々とした甲殻の各所を青銀色の金属装甲板に覆われた、全長10メートルを超える、巨大な、カブトムシだったからだ。
琉詩葉の使徒、『プルートウ』だ。
「琉詩葉先輩、バルグルには先輩の『使徒』を探すように言っておいたの。三日前の戦いで先輩の手綱を離れてから、山の中に潜り込んで行方をくらましていたからね」
キルシエも『プルートウ』の方を見て琉詩葉に言った。
「アレを先輩のお屋敷まで運んで、充電とメンテナンスをすれば、空を飛んで『悪魔城』まで攻め込む事が出来る。そうでしょ?」
キルシエの声が得意気だ。
「うん! 行ける! バッチリだよ、ゆすらちゃん!」
琉詩葉は興奮して紅髪を弾ませた。
「どうよキルシエ! 土の中に潜り込んで眠っていたコイツを見つけて、尻っぺた引っぱたいて地下からここまで追ったてて来たのさ!」
バルグルと呼ばれた男も意気揚々。
「出て来る場所が、ちょっと庭からズレてたけどね!」
すかさず、キルシエが意地悪くバルグルにツっこんだ。
「細けぇ事言うな! 大体、こんなもの無くたって……」
バルグルが少し拗ねたようにして、
「空を飛んで、あの城に攻め入るだけなら、この俺一人で充分なのによ。なんでこんな七面倒臭いことを……」
不満そうに彼がキルシエにそう訊くと、
「あんただけじゃ、ガサツで心配すぎんのよ! スタンドプレー禁止。私と琉詩葉先輩も一緒! それが私達の『ミッション』でしょ!」
キルシエが桃髪を弾ませて、バルグルにくってかかった。
「それはそうとバルグル、『ルクス』と、『シャルル』は?」
つづけて、少し不思議そうに首を傾げてそう訊くキルシエに、
「ああ、カブトムシを探す前に、ざっとこの世界を一周してみたんだが、どこにも気配が感じられねーな……」
バルグルも納得いかない様子でそう答えたが、
「ま、あの二人は『別行動』が好きだからな。今頃どっかに潜り込んで、違う方面から『ミッション』遂行を企んでるのかもな……放っとこうぜ!」
すぐに頭を振ると、雑な感じでそう言った。
「こっちは、これだけの『魔王衆』が揃ってんだ。大月教授なんざぁ一捻りよ! それにしても……!」
バルグルが、これまでの様子とは一変、少し神妙な表情で屋敷から広がる多摩の街並みを見渡し、ついで空に浮んだ『悪魔城』を見上げた。
「裂花……。夢魔の森を統べる『昏き血族』、無明を彷徨う『魔なる者』達の上主、大いなる吸血鬼の姫君が、こんな所で死んじまうなんて……まったく、いい女だったのに……!」
バルグルは、本当に無念そうな顔で、城を見上げてそうつぶやいた。
だが……
「バぁルグル! 余計なこと考えてんじゃないわよ!」
キルシエが、怒りに燃える目で、バルグルにそう叫んだのだ。
「あの女は魔王衆を裏切ったのよ! 死んで当然なんだから! グチグチ言ってないで、『プルートウ』をお屋敷のガレージまで運ぶのよ!」
ヒステリックにまくしたてるキルシエに、
「チッ! わかったよキルシエ……」
バルグルは渋々といった様子でそう答えた。
「やったね! せっちゃん! これであの城まで登って、エナちゃんとコーちゃんを、助けに行ける!」
「ああ、すげーよ琉詩葉! カブトムシの修理と充電、あとどれくらいかかる?」
「うーん、あたし修理は苦手だけど、充電なら半日あれば大丈夫、せっちゃんも修理手伝って!」
「ああ! なんだか体も軽くなってきた!」
せつなと琉詩葉は、互いの手を取って興奮しながらそう言葉を交わした。
せつなも、ようやく気分が浮き立ってきた。
魔王衆の助けで、コータとエナを助け出す道筋がついた気がする。
めるもに突き刺された全身も、不思議と痛みが引いてきて、体も軽くなってきたのだ。
今度こそ、うまくやる、あいつらを、助ける!
せつなが自分にそう言い聞かせた、だが、その時だ。
「……あん?」
バルグルが、今、ようやくせつなに気付いたといった様子で、ギロリと彼の方を睨んだのだ。
「キルシエ、琉詩葉? まさかこのガキも連れてくのか?」
バルグルが、訝しげな様子でそう言った。
「『ガキ』って……、いや、俺、なりはこんなだけど、本当は二十八歳で、『探偵』やってて……」
自分が『探偵』だった頃の記憶を必死で辿りながら、バルグルにそう弁解しようとするせつなだったが……
「へっ! 十四だろうが、二十八だろうが、百万年の冥府大戦を戦い抜いた俺ら魔王衆からしたら、大差ねえ。依頼された仕事も満足にこなせねーような野郎は、何歳だろうが『ガキ』は『ガキ』なんだよ!」
バルグルが、馬鹿にしきった顔で、せつなにそう言ったのだ。
「あ、あんだとー!」
せつなは、激昂してバルグルを睨み返した。
頭に血が上って、顔が赤くなっていくのが自分でもはっきりわかった。
「お前こそ……! 話の最中にいきなりしゃしゃり出てきて、琉詩葉の屋敷は壊すし! なんか……乱暴だし雑だし! 一体何様のつもりだよ!」
食ってかかるせつなに、
「『何様だ』……だあ?」
バルグルが、改めてギロリとせつなの顔を見た。
「へっ! いいぜ小僧、教えてやる」
彼はせつなを見下ろしてニタリと笑った。
「俺らぁバルグル。『獣神将バルグル』。超時遍在獣性『牙一族』の長にして銀河警備機構ギャラクシエ・クロイツ第Ⅶ超獣艦隊司令官兼冥府門業滅十魔王突撃隊長さ。ついでに言っとけば牙王心形流砲剣術皆伝。砲剣を使った長距離から近接戦闘まで、この銀河じゃ俺の右に出るヤツぁいねー。ま、平たく言やぁ『めちゃくちゃ強えー』ってことよ!」
そう言って、バルグルはせつなの傍らのキルシエを見た。
「そんでもって、そこの『見霽かすキルシエ』は、背恰好はこんなだが、この俺の連れ合いさ。創世樹ユグドラシルに万年に一度咲く宇宙花の精髄を『十氏族』のアルケミストどもが一億年かけて凝縮、錬成し続けた果てにこの宇宙に顕現した『創世樹の花の精』。九大世界の調停者にして無限の視界を持った魔王衆随一の間者。さらには、遠隔攻撃においてはこの俺をも上回る、宇宙最強の長射程広域攻撃能力者でもある……」
せつなにまくしたてるバルグルに、
「つ……連れ合いだなんて、やだよぉバルグル、そんなハッキリとー!」
キルシエが合いの手。
「ななな……!」
せつなは愕然としてキルシエの方を見た。
彼は我が目を疑った。キルシエが、頬を赤らめながら体をクネクネさせているのだ。
キルシエ、さっきまでコイツのことをバカだのなんだの、あんなに悪し様な言いようだったのに……!
まさか、こいつらが、夫婦!?
「あとな、お前さんも見知ってるだろうが、そっちの琉詩葉は『蟲使い』よ!」
せつなの驚愕を、気にも留めずにバルグルが続ける。
「だがな、そんじょそこらの使い手とはわけが違うぞ。太古の昔、前宇宙の巨大怨霊惑星『ヨミ』に広がる死の影の谷間にその身を隠した昆虫王『闇喰らう蟲神』にして『蛆の王』、『ヨグソグゴス』と契約を交わした禁断の一族『冥条』の末裔。現世、冥界、異界、天界に潜んだありとあらゆる爬虫昆虫を召喚駆使する史上最強の四界昆虫使役者。人呼んで『蟲愛ずる琉詩葉』だ!」
琉詩葉を指さしてバルグルはそう言った。
「あえ? そーだったの? イヤーでもあたし、それ程の者では……? あるのか? あるのか? いやいやそれほどでもーー!」
全く自覚が無い様子の琉詩葉が、燃え立つ紅髪をポリポリかきながら照れ笑い。
「ついでに、こいつは焔。千代続く宇宙最強の忍者集団『チーム・コーガ』の影のヘッドにして、諜報戦のスペシャリスト。そして、あらゆる生物を腐蝕溶解する残虐奥技『血塗れ忍法』の達人……だった、はずなんだが……?」
次いで、バルグルが微妙な表情でキルシエの肩に乗っていた焔に目をやる。
「どーしてこうなった? むらむら!」
彼が、子猫の首根っこをつまみあげると、残念そうに指先で焔の顔をウリウリした。
「にゃ……! にょにょにょににゃにゃにゃにゃにぇにょ~~!」
黒猫の焔が、彼に抗議するように前足をジタバタさせて、バルグルに鳴きたてた。
「まあいいや……それで? ガキンチョ。お前さんは、一体、何者なんだい?」
バルグルがせつなの方を向いて、意地悪そうに彼に訊いた。
「三日前、『オーディーン』の船上からお前の戦いを見ていたぞ! 冥条の爺様からエナを守るように依頼されたらしいが、なんだいアノ様は!」
「……うっ!」
バルグルの言葉に、せつなは声を詰まらせた。
「その貧弱な右腕の武器も、ロクに使いこなせてねー。エナを連れて、忍者から逃げ回るだけだったな! いいか。お前がもう少し強くて、もう少し上手く立ち回っていたら、エナも、裂花も、アンナ事にはならなかったし、大月教授も今頃楽勝で捕まえられていたんだよ!」
バルグルはせつなを指差し、冷たくそう言い放った。
「うううううぅ……!」
せつなは、返す言葉が見つからなかった。
確かに、この男の言う通りかもしれない。
せつなが、焔を保健室に置き去りにしていなかったら?
もう少し上手くイマジノスアームを使いこなしていたなら?
メイアに、もっと上手く事情を伝えられていたら?
コータもエナも、あんな事には、ならなかったかもしれない……!
せつなは、自分がひどくチッポケで、無力な存在に思えてきて、目に涙が滲んできた。
それに……せつなは改めて自分に問い返す。
なんで、俺は、あんな学園で、自分の命を危険に晒してまで、エナのために戦っていたのだろう?
理事長に依頼されたから? 探偵としてのプライド? いや、そもそも学園に来るきっかけになった事件の捜査依頼だって、いったいどんな報酬で、何時、誰から?
いや待て……! そもそも俺は、一体、何時からこの世界で『探偵』なんかを……!?
「意味無し世界……!」
屋敷の布団で聞いた、キルシエの言葉を反芻して、せつなは再び吐き気を覚え、ガンガンと頭が痛くなってきた。
お前さんは、一体、何者なんだい……何者なんだい……何者なんだい……
……でも、それでも!
「だめだ! しっかりしろ! せつな!」
せつなは頭を振りながら、必死に自分に言い聞かせる。
思い出す。久しぶりにコータの顔を見て、涙が出るくらい嬉しかった、あの気持ち。
初めてエナの貌を見たあの時、胸に湧き上がってきた、何かいたたまれない、助けたいという、あの気持ち。
学園でコータやエナや琉詩葉たちと一緒にいた時の、なんだかホッとした、ずっとここに居たいと思えた、あの気持ち。
自分がガキで、何者だかわからない?
そんなの、知ったことか!
俺だって、エナとコータを守りたかった。
そして、今でも助けたい。この気持ちだけは、意味がある、本当のことじゃないのか?
「お……俺は……!」
せつなは、精一杯に背筋を伸ばして、再び、バルグルを睨みあげた。
せつなは眦を決した。
「俺は……『正義の味方』だ!」
冥条屋敷庭園に、せつなのキリッとした声が響き渡った。
シーン…………
数秒間の気まずい沈黙の後、
「ぷっ! ぷくくくく……せっちゃんが、正義の、味方~~~!?」
よりによって琉詩葉が、おかしくて耐えきれないといった様子で口火をきって笑い始めたのだ。
「お、お前が笑うな~~~!」
せつなは、顔を真っ赤にしながら琉詩葉に食ってかかった。
「『正義の味方』だ~~? どこまで舐めクサったガキなんだよぉ!」
バルグルの顔から馬鹿にしたような笑みが消えた。
眼帯で覆われていない方の右眼が怒りでギラリと光り、ザワザワ…… 風もないのに金色の蓬髪が逆巻いて行く。
「うぐっ!」
獣の様な獰猛な顔を歪めて、本気で怒り始めた様子のバルグルに再び気押されるせつな。
だが……
「まあまあバルグル! せつな先輩だって頑張ったんだし。先輩だって、この事件に巻き込まれた探索者の一人なのよ!」
キルシエが、せつなとバルグルの間に割って入ってきた。
「おそらく大月教授の『悪魔城』は、これまでのエナ先輩の妄執をはるかに超えた非常識領域。まさに何が起こるかわからない。戦力は少しでも多い方がいいでしょ。それに……」
バルグルを見上げながらキルシエは続ける。
「たしかに三日前の戦いはアレだったけど、せつな先輩の力は、まだまだこんなものじゃない。きっと、やれば出来る子だよ!」
せつなの方を見ながらキルシエは笑顔でそう言った。
「うううう……」
なんで、一年後輩のこいつに、「やれば出来る子」呼ばわりされなきゃいけないんだ!
せつなは再び情けない気分になってきて、庭園の玉砂利に膝をついてギリギリ歯噛みした。
「……へっ! キルシエ、まあ、お前がそう言うんなら、仕方ねえ!」
バルグルは、半ば呆れた様子でキルシエにそう言って、彼女とせつなに背を向けた。
「『せつな』とか言ったな? ガキンチョ! だれも手助けしねーから、自分の尻は自分で拭けよ! あと、絶対に、俺の足は引っぱんじゃねーぞ!」
背中越しにバルグルはせつなにそう言うと、
「琉詩葉! 屋敷の『ガレージ』まで案内しな! こいつを、『プルートウ』を運ぶぞ!」
「うん、よろしくね! おっちゃん!」
「おっちゃんじゃねー! バルグルだ!」
琉詩葉にそう声をかけると、ズルズルと『プルートウ』のボディを引きずりながら、琉詩葉と一緒に、庭園の奥の方へ消えて行った。




