冥界の炎
「敵軍は『影の世界』に押し戻され、『冥府門』は封印され、宇宙に平和が訪れたかに見えました。でも……」
キルシエの話は続いた。
「戦の趨勢が決しても尚、この宇宙に干渉せんとする『冥王』の渇望は潰えませんでした。『冥府門』が封じられる正にその寸前、彼は己の分身ともいえる『力』の結晶、『一つ指輪』を、門の間隙を通じてこの宇宙に射出したのです!」
忌々しげに眉を寄せながら、そう言う彼女に、
「う~~~~ん……!」
せつなは布団の上で胡坐しながら首を傾げた。
確かに、せつなも最初はこいつ、山桜ゆすら名乗るところの『キルシエ』の勢いと、大口上に圧倒されていた。
だが、彼女の話は奇妙な名前の羅列ばかりで、肝心の話の内容が、まるで頭に入って来ない。
かてて加えて、その『名前』の中に、どこかで聞いたような単語がチラホラ混ざっているような……?
この女の話、本当に信じて大丈夫なのだろうか?
「光の速さで射出された『冥王』の分身。必死で追跡する私たちの軍隊を嘲笑うかのように、『一つの指輪』は自らの組成を微粒子レベルに解体すると、全銀河方位に分散、逃走。私たちの前から姿を晦ませました。それがこの宇宙で100万サイクル前の事!」
せつなの向ける疑念の視線を、を全く気にかける様子も無く、キルシエは続けた。
「そして『大戦』の後、私たち『魔王衆』と『十氏族』が組織した銀河警備機構『ギャラクシエ・クロイツ』の混沌検知システム『マギカ』が、遂に指輪の行方を探し当てたのが、今から十サイクル前の事でした。九十九万九千九百九十サイクルの間、私たちの前から姿を消していた指輪のパワーが検知された星、それが『地球』、つまりこの星だったの!!!!!」
ペシペシ!
「にゃぎゃぎゃぎゃぎゃ~!」
キルシエの膝に上から子猫の悲鳴。
ヒートアップしたキルシエが、いつのまにか座布団に正座しながら、懐から取り出した扇子で、膝の上の黒猫、焔の頭をペチペチと叩きながら声を張り上げているのだ。
「な、なんだって~」
途中から聞くのを投げていたせつなは、棒読みで驚いた。
「あのー、ゆすらちゃん……」
琉詩葉が横から、キルシエをつついた。
「盛り上がってるところ悪いんだけどさ、巻きでお願い! ほら、せっちゃん、怪我してるしさ……ほら、手心というか、あんまり引っ張っると体に障るし……」
どうやら先にキルシエの話を聞いているらしい彼女が、せつなの様子に気を使ってかキルシエにそう言った。
「そ……そうですかぁ? まーいいや、わかりました……」
自身の大口上に水を差されて、キルシエは不満そうに桃色の髪を揺らしながら話を再開した。
「ただちに、銀河警備機構『ギャラクシエ・クロイツ』に召集がかけられ、指輪の捕獲と封印が命じられました。私たち『冥府門業滅十魔王』のメンバーも、我先にと地球に向かったわ。見た目は小さな黄金の指輪とはいえ、奴は『冥王』の分身。どんな『パワー』を使って私たちに挑んでくるか見当もつかなかったから。でも……事態は私たちも予想できないような、最悪の方向に転がって行ったの……」
キルシエが悔しげに肩を震わせた。
「一番最初に『指輪』を発見し、拾い上げたのは『炎浄院エナ』……私たち『魔王衆』の一人でした」
「エナが……!?」
ようやく話に上った彼女の名前に、布団から身を乗り出すせつなに、
「ええ、元々このド田舎惑星、地球が故郷だったエナ先輩は、表向きは普通の中学生としての生活を送りながら、『ギャラクシエ・クロイツ』の要請を受けて、この地のどこかに潜伏しているはずの指輪の行方を追っていました」
ことさら『ド田舎』を強調しながらキルシエはそう答えた。
「地道な調査の末、彼女はついに指輪の居場所を発見しました。この地域で『九頭竜神社』と呼ばれている小さな聖堂。『指輪』はその場所に奉納品として姿を隠していたの!」
『九頭竜神社』、そんな所に! せつなは呆れ果てた。
よく彼がコータをはじめ、友達と夜中に境内に忍びこんでは、花火をして遊んでいた、あの場所だ。
「その事に気付いたエナ先輩は、夜中にこっそりと『九頭竜神社』の社殿に忍びこみ、首尾よく『指輪』を手中に収めました。混沌検知システム『マギカ』を介して彼女をモニタリングしていた私たち他の魔王衆も、エナ先輩の作戦遂行にホッと胸を撫でおろしたの。でも……!」
キルシエが、憤懣やるかたない様子で天井を見上げた。
「私も、他の『魔王衆』も、いえ、『ギャラクシエ・クロイツ』の誰一人として、彼女があんな事をするなんて、予想できなかった……」
「あ、『あんな事』って?」
不安に駆られてキルシエにそう聞き返すせつなに……
「エナ先輩は、その場で『指輪』を『使って』しまったの……」
天井から顔を下ろしてせつなを見返すキルシエの目は、厳しく、そして冷たかった。
「『使った』って……エナが? なんで、どうゆうことだよ?」
せつなは目をパチクリさせた。キルシエが何を言っているのか、良く分からない。
「今でも忘れられないわ。『マギカ』を介して傍受した、あの忌まわしい会話。『指輪』と先輩の『契約』を……」
キルシエの桃髪が怒りで細かく震えていた。
#
「さあエナ。私と一体となり、我が『力』を、この世に解き放て……」
狭くて暗い社殿の中で一人、ようやく『標的』を探し当てた私の頭の中に、誰かの『声』が響いてくる。
まるでハイエナの笑い声を無理矢理ヒトの言葉に纏めたような、頭蓋を掻き毟る様な落ちつかない声。
「『一体となる』? なぜ? お前は誰だ!?」
頭を押さえながら私は気付いた。私に話しかけて来たのは、『標的』だった。ようやく探し当てた、小さな、金色の『指輪』……。
指輪が私の手の中で、月明かりも届かない暗い社殿の中なのに、ボンヤリと自ら緑色の燐光を放っている。
「そうすれば、お前の願う、どんな『願い事』も叶うようにしてやろう。お前は、世界を自由に『デザイン』する万能の『力』を手に入れる……」
声の調子が一転して、まるで鈴を振る様な、澄みきった女の声に変わった。
「やめろ! お前は本来、この世に在ってはならぬモノ。ただちに『組織』に携行して永久に封印すべき『忌物』だ……!」
頭を振って指輪に抗う私に、
「それは違う、エナ。私はこの世に新たな理をもたらす、『可能性』という名の希望なのだ」
なお玲瓏と私の頭に響く声。
無視しろ。出まかせだ。甘言だ。
「この世の非情な摂理に淘汰され、滅び去った弱き者達。歪んだ秩序に抗って、魔なる者として封じられた不可触者達。私は彼らの解放者……」
無視しろ。無視しろ。
「取り戻せない過去。在り得た筈のもうひとつの未来。無念を抱えて冥府を彷徨う死者。私は彼らを導く灯。彼らを再びこの世に在らしめる、希望の光明……」
……死者?
私は思わず、手の中の『指輪』を見る。
「エナ……」
声が、優しげにもとれる調子で、私に囁いた。
「お前は耐えられるのか? もう『あいつ』のいないこの世界で、あと何年も、何十年も生きていくことに……」
うるさい。やめろ……!
「お前がどんなに強くても、人とは違う力を持っていても、過ぎた時は戻せない。死んだ人間は還ってこない。それが、この世の理だ……」
そんなこと、わかっている。
でも……。指輪を持つ手が震える。
ずっと忘れようとしていた『あいつ』の声が、笑顔が、頭をよぎる。
胸が苦しい。寂しい。つらい。
堰を切ったように目から涙が溢れ出す。
いやだ。いやだ。また『あいつ』の顔を見たい。
図書室で宿題を見せ合ったり、平山城址公園のベンチでお弁当を食べたり、一緒にラーメン屋に並んだり……ただ、それだけでいい。
もう一度また……あいつに、あいつに会いたい!
「わかるな。私になら出来る。私と『契約』を結ぶなら……」
一際力強く、それでいて優しく玲瓏と、指輪が私に語りかける。
「やめなさい、エナ!」
「やめてください、エナ先輩!」
「やめて、エナちゃん!」
「止まれ! それ以上進んではならぬ!」
『指輪』の声とは違う、幾人もの『仲間』達の声が『システム』を介して、必死で私を引き止める。
そして……
「だめだ、エナ、その『力』は、使っちゃいけないモノなんだ!」
なつかしい『あいつ』の声が、私の頭に響いてきた。
「やだよ。コータ!」
私は一人微笑んで、きっぱり『あいつ』にそう答える。
「コータ、これからは、ずっと一緒。もう、離さないよ……」
私は右手を口にやり、緑に瞬く手の中の指輪を、口に含んでゆっくりと飲み下す。
カチャリ。
やがて私の頭の中で、私の内に在る『鍵』が、何かに差し込まれて『錠前』を外す音がした。
途端、
ごおごおごお……
私の視界が炎に染め上げられていく。
手から、爪先から、ワイシャツの合間から、ゆらめく炎が噴き上がり、暗い社殿を眩く照らす。
「あああ……」
私は歓喜の涙を流す。
新たな『力』が、この世のモノならざる『理』が、私の身の内を満たしていく。
もう理由は要らない。
過ぎ去った事はない。
始まりはない。
終わりもない。
死んだ人はいない。
時が逆さに流れる。
私の心臓を、緑色の炎が燃やす。
#
「……それが、十サイクル前に起きた事。エナ先輩が犯した、許されざる大罪でした……」
これまでの大口上とは一転。キルシエが苦々しい表情で、静かにそう続けた。
「エナが……でも、なんだってそんな事を……!」
唖然としてそう訊き返すせつなに、
「せつな先輩も、覚えがあるはずです……」
キルシエが、せつなを見つめて答えた。
「コータ先輩を、十サイクル前に亡くなったエナ先輩のお友達を、生き返らせるためです……」
「コータを……!」
せつなは、息を飲んだ。
そうだ……せつなは突如、何かを思い出した。
探偵だった頃のせつなの相棒、時城コータ。
せつなの親友、時城コータ。
だが待て、あいつは、確か、十年前、殺されたんじゃ、なかったのか……!?
なのに、あの日は、朝から、元気な顔で、まるで何事もなかったかのように……
「うぐぅ!」
せつなは右手で口を押さえながら、苦悶の声を漏らした。
我知らず、目から止めどなく涙があふれた。
頭が、ガンガンする。目が回る。
記憶の糸がこんがらがって、胃がひっくり返りそうなくらい、気持ち悪い。
「せっちゃん、大丈夫? しっかりして!」
見かねた琉詩葉がせつなの側に寄って彼の背中をさすった。
「ううぁ……、すまない琉詩葉……」
せつなは頭をふりふり、琉詩葉に答える。
そうだ、「この事件」に関わってから、全てがおかしくなり始めた。
エナと出会って、母校の『学園』に無理矢理入学させられ、もういないはずのコータや、初めて出会うはずのエナや琉詩葉と、まるで何年も前から知っていたみたいに、一緒に、学園で……
「せつな先輩、やっと、思い出したみたいですね……」
せつなの様子を見て何かを察したのか、キルシエが話しだす。
「最初、せつな先輩は『探偵』でした。でも、禁断の魔導薬物の流通ルートを追ってエナ先輩と出会って、『学園』に引き寄せられて、理事長先生の介添えがあったとはいえ、今では『学園』の一員として、エナ先輩や琉詩葉先輩とも、何年も友達だったみたいにすっかり打ち解けている……」
そうだ、せつなは思い出した。
聖痕十文字学園には、つい三日前に入学したばかりなのに、気付けばもう何年もここにいて、戦い続けているような気がする。
まてよ、そもそも中学校に『何年も』いるなんて、それ自体おかしいような……
「おかしいですよね? 先輩?」
せつなの疑念を読みとったように、キルシエがそう言った。
「そうです。先輩の姿が探偵から中学生に変わったのも、その時々で記憶が移り変わっていくのも、全ては、先輩本人の『願望』や、他者が先輩に望む『関係性』によって、その都度ランダムに先輩の存在が『相転移』を果たしているからなの……!」
「相転移……」
相変わらず何だかわけのわからないキルシエの説明に愕然とするせつなに、
「そう。せつな先輩、『これ』が、エナ先輩のもたらした『世界』なのです……!」
キルシエがせつなを真っ直ぐに見据えながらそう答えた。
#
「十サイクル前のあの日、エナ先輩が望んだのは、とある悲しい事件に巻き込まれて亡くなってしまったクラスメート、コータ先輩の再生でした」
キルシエが再び話し出す。
「契約が結ばれて、エナ先輩の『内側』で先輩の持つ『キー』によって、その力を解き放たれた『一つの指輪』は、先輩の体から止めどなく噴き上がると、瞬く間に『地球』の、この星の、地表全てを覆い尽して、この世界に新たな『理』をもたらしました」
「その『理』って……!」
せつなの肩が震える。
「コータ先輩を生き返らせた代償。もたらされた新たなる摂理。それは、『因果律』の消失でした……」
厳しくこわばった、キルシエの声。
「『因果律』……」
繰り返すせつなだが、これまた意味がわからない。
「そう、もはやこの世界には、『原因』も『説明』も不要なものになってしまった。望まれれば死者は復活し、物事は最初に戻って、時は逆さに流れる。この世界は、あらゆる『原因』も『説明』もなしに、ただヒトの望んだ『結果』だけが存在する『意味なし世界』へと変貌を遂げてしまったの!!!」
キルシエの悲痛な声。
「い……『意味なし世界』……!!」
自分の住んでいたこの世界が、そんな事になっていたなんて!
せつなは、改めて開いた口がふさがらなかった。
#
「ちょっと待って、ゆすらちゃん……」
琉詩葉が、唖然とした顔で話に割って入った。
「そんな話、あたしも初めて聞いたよ! せっちゃんが三日前に入学してきたなんて! ずっと前から『せっちゃん』は『せっちゃん』じゃん! それに……」
琉詩葉も納得いかないように首を傾げる。
「『事件』が起きたのは、十サイクル(十年ってことかね?)前って言ったよね? でも、あたしの記憶ではもう何年も世界は平和でフツーなままだったし、ここ数日で急におかしな事が起き始めたのような気がするんだけど……?」
訝しげな琉詩葉に、
「そうかな? フツーだと思っているのは、琉詩葉先輩だけかもしれませんよ。先輩が蟲を自由にコントロールできたり、カブトムシに乗れたりするのも、他の世界から見たら、随分おかしなことなのかも……そう思った事、ありません?」
キルシエがクスリと笑って、そう答えた。
「うーん……そうなのかなぁ?」
まだ納得いかない感じの琉詩葉に、
「でも、たしかに先輩が不審に思うのも、もっともです。たしかに琉詩葉先輩や、せつな先輩からしたら、ここ数日で急におかしな事件が起こり始めたように感じるかもしれない……」
キルシエが、一人頷きながらそう言った。
「ここは『意味なし世界』の中だけど、『そのこと』だけには、ある『理由』があるの……」
キルシエの言葉に
「理由?」
せつなと琉詩葉は、口を揃えて、そう繰り返した。




