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刹那、らんだまいず!  作者: めらめら
第3章 ヨグ=ソトースの影
13/36

異界の影

「はあはあはあ……」

 琉詩葉は肩で息をしながら、暗い道を一人トボトボと歩いていた。

 どこか山の中だろうか。周りは黒々とした木々に覆われ、どこか抹香くさい生暖かく湿った風が琉詩葉の紅髪をゆらゆらと撫でていく。

 頭上を仰げば、星も見えないトロリと漆を流したような夜空に、赤い朧月ばかりがポコリと浮かんで彼女を見下ろしている。


「喉が渇いたなぁ……」

 そう呟いてカバンの中を物色するが、いつも家から持って来ているほうじ茶の入った水筒も今は見当たらない。

 

「一体どこなのよ、ここ……」

 頭をふりふり、自問する琉詩葉。

 記憶が、はっきりしない。

 何か山の中で出会った、とても『恐ろしいもの』から必死で逃げてきた気がするのだが、一体それが何だったのか、ここが何処なのかも、琉詩葉には皆目わからないのだ。

 琉詩葉はあたりを見回す。

 小石が散らかった曲がりくねった山道で、上っているのか下っているのか、どこまで続いているのかも、まるで見当がつかない。

 そして妙なことに、道端のそこかしこから、生臭い匂いを放った赤黒い水溜りが、ボコボコといくつも沸き立っているのだ。


「ふいぃ……」

 琉詩葉は呻いた。

 全身が酷くだるくて、頭がボンヤリする。

 そのくせ、目や耳の感覚だけは異様に研ぎ澄まされている感じがして、湿った風に木の葉が揺れるカサカサ掠れた音も、暗闇の中で彼女の周囲を飛び回る小さな羽虫の姿まで、なぜだか今の琉詩葉には、はっきりとわかるのだ。


「あたし、どうしちゃったんだろ……」

 首筋がズクズクと妖しく疼いて、身体中が酷く熱るのだ。

 疼きのもとを指でなぞれば、なにか細い刃物でえぐられたような、小さな創が二つ。


 ずくん。


 突如、その創から、痛いような心地良いような、一際強烈な感覚が琉詩葉の全身を貫いた。


「ひ……ぐぅう!」

 琉詩葉は首をおさえて引き攣った喘ぎを漏らす。

 体が痺れる。足に力が入らない。彼女は耐えきれず、地面に膝をついてゼイゼイと喘いだ。

 断続的な疼きが琉詩葉を貫くたびに、どうしようもなく、喉が、渇いて行く。


「うぅあぁ! もうだめ!」

 我慢できない!

 焼け付くような喉を掻き毟って、琉詩葉は地面に目を向けた。

 伏した顔のすぐ下に、血色の水溜りが湧いていた。


「うぅぅ……なによ、これ!?」

 琉詩葉は、自身の内から湧いてくる異様な渇望に困惑した。

 眼下で湧き上がっている水の、吐き気を催すような生臭さも、血を思わせる赤錆色の泥の色も、

 今の琉詩葉には、なんだか、とても好ましい(・・・・)ものに感じられてきたのだ。


 つ……。琉詩葉の血色を失った唇から、我知らず銀色の糸が、透明な唾液が顎を伝った。


「えへへ……! う……うまそ……」

 渇きに耐えかねて、何もかもが、どうでもよくなってきた。

 琉詩葉が陶然とした表情で、血色の水溜りに赤い舌先を伸ばして、口をつけようとした、その時。


「だめよ、るっちゃん(・・・・)! その水は飲んだらダメ!」

 不意に、琉詩葉の頭上から誰かの声が聞こえた。


「なに?」

 顔を上げた琉詩葉の前には、一人の少女が立っていた。

 齢も背丈も、琉詩葉と同じくらい。

 だが、身に着けているのは矢絣の小袖に海老茶の行灯袴という、やけに時代がかった出で立ちで、なぜだかその全身は、薄紫色のボンヤリとした燐光に包まれているのだ。


「るっちゃん、我慢するの。もうひと頑張りよ!」

 琉詩葉にゆっくりと、言って聞かせるような少女の口調。


「大丈夫、ここまで一人で戻って来られたんだから、るっちゃんなら出来るわ! さあ、立って」

 少女が琉詩葉に笑いかけながら、彼女のもとに手をさしのべてくる。


「う、うう……」

 琉詩葉は、戸惑いながらも頷いて少女に引かれるままに立ち上がった。

 不思議と少女の手に触れているうちに、全身を突き上げる妖しい疼きも、異様な喉の渇きも、徐々に収まってくるのだ。


「あなたは、誰? なんでここに?」

 琉詩葉とともに、山道を小走りに駆け出した少女に、彼女が首をかしげてそう訊くと、


「あらあら、ひどいわ、わたくしの事を忘れちゃったの?」

 振り向いた少女がそう答える。途端、


 あ……! 琉詩葉は息を飲む。駆け出した少女と琉詩葉の足が、フワリと地面から浮いて、山道を離れて空に、上っていく!

 

「でもいいわ、るっちゃん(・・・・)。もうじき『向こう』でも会える。『狭間』が広がっているから。それに『あの人』だけじゃあ心許無いしね!」

 トロリとした夜空を舞いながら、少女が悪戯っぽく笑って琉詩葉にそう言った。


「さあ、見えてきたわ。出口よ……」

 少女の声とともに、空を仰ぐと、赤黒い夜が途切れて、琉詩葉の眼前に、眩しい光が広がった。


  #


「おわっ!」

 琉詩葉が目を覚ますと、そこはすっかり日が落ちた学園の裏山だった。

 どうやら気絶して、林の中に一人で転がっていたらしい。


「ぴきゅぴきゅぴきゅ……」

 耳元でか細い声が聞こえて目をやると、そこには金色のつちのこ。

 先ほど琉詩葉の尻に押しつぶされて気絶していたはずのノコタンが、琉詩葉の首を二又の舌で舐めながら、心配そうに鳴いていたのだ。


「ノコタン……さっきはごめんごめん」

 そう言って地面から半身を起して、琉詩葉は頭を振る。

 忍者との戦いで全身を打って、動けなくなったところで、何者かが、背中から忍者を刺した。

 誰かが助けてくれたのか? 琉詩葉の記憶はそこから曖昧になっていた。


「やば! 長いこと寝てたのか!? 学園に戻らないと!」

 そう言って立ち上がり、ノコタンを胸に押し込めて、琉詩葉は歩き出した。

 さっきまで酷い夢を見ていた気がするが、いまは気分も良くなって、体も軽い。


「よし! ちょっと復活! お祖父ちゃんたち、まだ戦ってるのか?」

 弦之助との戦いで被ったダメージも回復し、身体の自由を取り戻した琉詩葉は、戦いの行方を見定めるべく学園向かって駆け出した。

 だが、琉詩葉は気にも留めなかったが、彼女の首筋には、はっきりと残っているのだ。

 赤黒い、ふちを潰されたような小さな二つの創跡(きずあと)

 裂花の刻んだ刻印が。


  #


 時刻を数刻戻して。

 学園での死闘は続いていた。


「やれ! 茸の子ども!」

 体育館裏で獄閻斎と対峙した怪忍者、アミガサ粘菌斎がクヌギの苗床を掲げてそう叫ぶ。


 ぽん! ぽん! ぽん! ぽん!


 苗床は無尽蔵か?

 再びクヌギから生えてきた無数の宇宙椎茸が、宙を舞うきのこミサイルと化して獄閻斎に襲い掛かる。

 その時だ。獄閻斎がおもむろに、足元に散らばる子砂利をバッと空中に蹴り上げた。


「何を……」

 一見、何の意味も無いような老人のモーションに粘菌斎が戸惑いの声を上げる。

 だが……


「冥条流焔術、『獄炎大車輪(ごくえんだいしゃりん)』!」

 彼が日本刀『花殺め』を振ってそう叫ぶと、

 宙を舞った子砂利を打ち払った『花殺め』の刀身から、一瞬、パッと火花が散った。


 とたん、ぼおおお。

 空気が、火を噴いた。


 着流しの老人の目の前に噴き上がり、ゆらめき燃え立つ真っ赤な火炎流。


(ほむら)は城! (ほむら)は石垣!」

 獄閻斎が刀を振るって号令。

 火炎流が三つに分裂、空中で車輪上に回転する紅蓮の火車と化すと、飛びかかる宇宙椎茸を次々と焼き椎茸に変えていく!


 冥条流焔術。獄閻斎秘中の秘技。

 適当な点火装置(ファイアスターター)と燃焼に十分な空気さえあれば、いかなる場所であろうと灼熱の炎を起こし、相手を焼き尽くす火焔の技。

 まさに老人の名乗った斎号そのもの。地獄の裁きを世に在らしめる紅蓮の劫火だった。

 だが、なぜ獄閻斎は先刻、空我弦之助の変じた巨大クワガタにこの恐ろしい技を用いなかったのか。

 それはまだ、雨少年の招いた豪雨が校庭と花殺めを濡らし、火炎を起こすに至る初動、着火装置の機能が奪われていたからに他ならない。

 そして少年が逃走し雨が過ぎ去った今、獄閻斎はこの技を、襲いくる椎茸相手に容赦なく用いたのである。


「ちっ! 下がれ!」

 椎茸が老人に効かぬと瞬時で判断した粘菌斎が、きのこどもに号令。

 火炎から逃れた半数の椎茸が、軌道を反転、粘菌斎のもとに集っていく。


「どうじゃ! 万策尽きたな、きのこじじい!」

 空中に燃え立つ火車を構えた花殺めでユラユラと回しながら、獄閻斎は怪忍者にそう言い放った。


「万策尽きた、じゃと?」

 椎茸の半数を失いながらもなお、粘菌斎は頭部の菌状腫をフルフルと揺らしながら不敵に笑った。


「切り札というのはな、最後の最後までとっておくから切り札というのじゃ!」

 足元に集った椎茸たちを見回しながら、粘菌斎はそう言うと、


「きのこ殖装!」

 胸の前でガッキと印を結んで叫んだ。

 すると……!


 もにゅもにゅもにゅもにゅ……


 粘菌斎のもとに集まった宇宙椎茸の大群が、見る間に溶け合い、繋がって一つになりながら、粘菌斎の体に、合体していく!


「なんと……!」

 獄閻斎は驚愕に息を飲んだ。


 見ろ。見ろ。怪忍者の身体に集い、合体した椎茸群が変形した奇怪な姿。

 それは、獄閻斎の背丈の三倍ほどにもなる、図太い四肢を持った、身長5メートルを超える巨大なエリンギだった!


「もっふーーー!」

 エリンギが夕空に吠えた。


「ふしゅしゅ! 見たか老いぼれ! きのこ忍法『巨茸神変化マッシュルームバースト!』 このまま踏み潰してくれる!」

 エリンギの頭部から上半身を生やした粘菌斎が、足元の老人を見下ろして嗤った。


  #


 一方その頃。


 校舎昇降口付近。

 せつなはエナの手を引いて戦線から離脱し、二人を追う忍者少女、(ほむら)の姿も既にここから消えている。

 残されたのは屍が二体。甲賀衆首領に討たれた異能の寿司職人タニタてふおと、冥条獄閻斎に頭部を割られた忍者陀厳状介(だごんじょうすけ)が校庭に無残な姿を横たえているのみだった。

 

 だが……。

 生者の影が途絶えた校庭で、モゾリと、何かが動いた。


 むくむくむくむく……


 これはいかなることか?

 動いているのは、干物(・・)だった。

 陀厳状介の骸の横に転がった、二つに割られた彼の魚籠。

 魚籠からまき散らされた彼の眷属、魚人の干物たちが今、主もいないのに、勝手に水で戻されて、膨れ上がっていく。


「けろけろ、うーー」

 なんというおぞましさよ。

 校庭に蒔かれた何十体もの干物達が今、復活し、腐った魚のような悪臭を放ちながら、昇降口の周囲を埋め尽くしていくのだ。

 夕闇迫る校庭を生臭い、湿った風が渡っていく。


「狭間を泳ぐ(うお)達よ。海からの稀人(まれびと)よ。異界の主に連なる者どもよ……」

 玲瓏と、澄んだ声が校庭を渡った。

 暗い昇降口の影から、声の主が姿を現す。

 一体いつからそこにいたのか。現れたのは、灰色のローブを目深にかぶった、忍者たちの『依頼主(クライアント)』だった。

 右手に持っているのは、夕闇の中でなおキラキラと妖しく煌めいた水晶製の短刀。

 左手では、ローブの袖からのぞかせた真っ白の指先で、空中に何かの印を描きながら……


「もうじきだ。世界に穿たれた歪んだ秩序の楔が、もうじき抜き放たれる。その刻こそ私が()に謁見し、世界に影をもたらす刻!」

 『依頼主(クライアント)』は復活した魚人達に歌うように玲瓏とそう言って、昏さを深めた空を仰ぐ。


「行け! (あるじ)に連なる第一の楔。『炎浄院エナ』を捕えるのだ!」

 そう命じる灰色頭巾に、校庭から立ち上がった魚人たちが、一斉にその魚体をかしずかせた。


  #


「待てー! せつな!」

 せつなとエナの逃走は続いていた。

 校庭を跳躍しながら二人に迫ってくるのは、闇ブレザーを纏った甲賀衆の可憐な忍者少女、焔。

 

「エナ! せめてお前だけでも逃げろよ! テレポートが使えるだろ!」

 肩で息をしながらエナにそう言うせつなに、


「て……『テレポート』って、何!」

 ツインテールを揺らしながらエナは困惑気味に答える。

 

 エナも、あのときの『記憶』を失っているのか?

 途方に暮れるせつなとエナのすぐ足元で、


 ぼっ!


 突如吹き上がる真っ赤な炎。


「おわあ!」

 熱さと驚愕で二人は躓き、校庭に転がった。


「如月! 覚悟!」

 背後からは唇に二本指を当てた焔が迫る。

 焔の放った火炎の弾丸『飛焔弾(ひえんだん)』が、二人の足元を狙い撃ちにしたのだ。


「しまった!」

 咄嗟にイマジノスアームを構えるせつなだが、焔の抜き放った匕首がすでに彼の眼前。

 絶対絶命、だがその時。


 ごおおおおおお……


 突如、校庭を覆った黒い影、空中から轟音。


「なんだ、あれ!?」

「なによ、あれ!?」

「なんじゃ、あれ!?」

 思わず空を見上げた三人は、一様に驚愕で身を竦めた。


 夕闇の上空から校庭向かって突っ込んで来たのは、全長40メートルに達する白い機影。

 巨大な、『スペースシャトル』だったのだ。


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