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刹那、らんだまいず!  作者: めらめら
第3章 ヨグ=ソトースの影
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拡がるカオス

「海鮮忍法、『瑠々異慧(るるいえ)』!!」

 魚面の怪忍者、陀厳状介がタニタてふおを睨んで一声。すると……


 ずにゅるるるるるるる……!


 おお見ろ。

 状介が構えた魚籠の口をいっぱいにひろげて這いだしてきたのは、木の幹ほどもある、一本の緑色の蛸足だった。

 状介が己が忍法で魚籠から開いたのは『門』だった。

 その異界の門を通じて、深海に潜む巨大な『何か』がその触手を伸ばしてきたのだ。

 ヌラヌラと粘つく蛸足が校庭を這いながら、てふおめがけて、のたくってくる。


「へっ! 今度は蛸か。こいつぁ、さばき甲斐があるぜ!」

 てふおは不敵に笑い、出刃包丁を構えた。


 ずちゃ!


 蛸足の追跡をかわしながら、出刃包丁を振り下ろすてふお。

 だが、なんたることか。


 ずるりん。


 包丁の刃は触手の粘液を滑っていき。蛸足は無傷そのものだ。

 うかつ! さっきの魚とは格が違う!

 てふおの額を冷たい汗が伝った。

 ずるん! 怯んだてふおの隙を逃さず、その体に図太い触手が巻きついた。


「しまったぁ!」

 必死の抵抗も空しく、魚籠に向かって巻き取られていくてふお。


「ぬはははは! いざ同胞の仇、このまま海に引きずり込んでくれる!」

 状介の高笑いが校庭に響く。だが、その時!


 しゅらん!


 何が起こったのだ?

 突如、図太い蛸足が空中で二つに割れた。

 触手のいましめが緩み、地面に放り出されるてふお。

 見ろ。ギラリと光る真剣を構えて、状介とてふおの間を割って立つ男が一人。

 男の放った白刃の閃きが、蛸足を一刀両断したのだ。


「何奴!」

 猛り立つ状介。


「先生!」

 校庭に転げたてふおが立ち上がって、男をそう呼んだ。

 蛸足を斬って捨て、てふおを解き放ったのは、銀色の総髪を靡かせた着流しの老人。

 その双眸に爛たる戦火を滾らせて、厳しくてふおの前に立つ。

 聖痕十文字学園の理事長にして、てふおの剣技の師。


 冥条獄閻斎その人であった。


 蓬髪の老人が無言のまま、日本刀『花殺め』の切っ先を怪忍者に向けた。

 若い頃は、『流れ星の凛ちゃん』なる勇名を天下に馳せた、凄腕の剣客でもある獄閻斎だ。

 老人が対するは、海鮮忍法の使い手、甲賀衆は陀厳状介。


「老いぼれが、お呼びでないわ!」

 状介が小脇の魚籠を再び構える。

 ずるるるる……異界に通ずる魚籠の口から、不気味な触手が這いあがる。

 だが獄閻斎は動じない。彼は己が剣を肩に担ぐと、大きく振りかぶって……


 しゅらん!


 空を切る白刃の一閃。

 だが、刀は状介に届かない。間合いが遠すぎる!


「耄碌したか! そんな剣で、この俺を……何ぃぃ!」


 ぱくん! 状介の小脇の魚籠が二つに割れて。次いで…

 ばくん! 状介の頭が、斜め一文字に二つに割れた!


「そ゛……そ゛ん゛な゛~~!」

 驚愕に魚眼を見開く陀厳状介。


 『冥条流疾風牙(はやてきば)』!


 状介の頭を割ったのは鋼ではなかった。

 獄閻斎の超高速の一閃が発生させた真空波が、目に見えぬ刃と化して魚籠と状介を同時に割いた。

 微細な気流を読む眼力と、精妙な握力の調整が成し得た、驚くべき剣客の(わざ)であった。


 惨なり。人外の秘術を極めた異能の忍者も、頭部を割られては、これ動く事能わず。

 状介は脳漿を零しながら、校庭にどうと斃れて事切れた。


「てふお……」

 獄閻斎が燃える目でてふおに振り向いた。


「ひぃぃ! 御赦しを、先生!!」

 土下座して獄閻斎に詫びるてふお。

 他流に遅れをとった内弟子に対する冥条流剣法の折檻の恐ろしさは、世に聞こえている。

 だがなぜだ? 獄閻斎は動かない。


「さがっておれ!」

 獄閻斎が『花殺め』を収めて校舎を仰ぐ。


 ピカッ!


 稲妻が校舎を照らす。屋上には人影。

 雷光を背に校舎の屋上にガッシと立つは、金色の瞳に闘志を滾らせた身の丈六尺を超える壮漢。

 甲賀衆の首領、空我弦之助(くうがげんのすけ)だった。

 戦いは終わっていなかった。


  #


 一方その頃。

 

「ふしゅしゅしゅ。逃げ場はないぞ(わっぱ)。さあ、椎茸を喰え~~!!」

 体育館裏に雨を追いつめたアミガサ粘菌斎が、嗜虐の笑みを浮かべる。

 その周囲には、無数の宇宙椎茸がネトネトとした粘液をひきながら、不気味に地をのたうっていた。


「あ、あ、あ……」

 整った顔を恐怖にひきつらせる雨。

 椎茸に臆した彼の姿は、すでに銀狼の態を解き、凄艶な少年のそれへと戻っていた。

 地面に裸身を投げ出し、泥にまみれながら震える少年。


 ぬちゃ。


 雨のしなやかな脚に、椎茸の1匹が張りついた。


「ぴきゅぴきゅぴきゅ!」

 椎茸が不気味に嗤う。


「ひぃぃぃぃぃいいい!!」

 あまりのおぞましさに声も出ぬ少年。

 魔茸が、淫靡なヒダヒダをヌラヌラとくねらせながら彼の裸体を這いあがると、その口元に我が身を押し込めてきたのだ!


「うぶぇああぁうぅぅぅぅぅ!」

 苦しげにえづきながら、椎茸を手で掴み、吐き出す雨。

 美しい顔が、涙と涎と反吐で濡れそぼっている。


 そして、地獄の釜の蓋が開いた。

 何百匹もの椎茸が一斉に雨の体にたかると、彼の口めがけて這い上がってきたのだ!


「ひ……ひ……ひやらぁぁぁぁぁぁああああ~~~~!!!」

 体育館裏に、雨の絶叫がこだました。


  #


 金色の瞳に闘志を滾らせて、空我弦之助が屋上から校庭めがけて身を投げた。


  ひゅーん。


 落下する弦之助を、獄閻斎の双眸が鋭く射抜く。


  しゅしゅ!


 獄閻斎は脇差に手を添えるなり、弦之助の軌道を見定め小刀を投げ打った。

 空中で制動の利かぬ弦之助めがけ、獄閻斎の小刀が一直線に飛んでくる!

 だがなぜだ? 獄閻斎の先制に気付くなり、弦之助の体は、慣性の法則を無視して地面めざしてびゅんと急加速。

 小刀は虚しく空を舞った。


 ばさり!


 見ろ。自衛隊の落下傘降下でも用いられる五接地回転法にて校庭に降り立った弦之助は、全くの無傷。

 彼は涼やかに、憤怒の形相の剣鬼と対峙した。


「冥条獄閻斎………武蔵の虎が、このような場所に潜みおるとは!」

 甲賀衆の若き首領は、驚愕と歓喜の境でその身を震わせた。


「お待ちを、先生! ここは、この場は、この俺が!!」

 状介に面目を潰されたタニタてふおが、必死の形相で二人の間に割って入る。


「ならぬ! 下がっておれ、てふお。お主の敵う相手ではない!」

 冥条獄閻斎が、厳しく弟子に言い放つ。

 だがてふお、師の制止を聞かず、弦之助の前に転がり出た。

 彼の人生を賭した寿司職人の矜持が揺らぎ、いまやてふおは、完全に冷静さを失っていた。


 てふおが、空我弦之助に向かって己が岡持ちを開けた。

 岡持ちから取出だして、てふおが携える寿司桶には、必勝を期した最強の寿司どもが蠢いていたのだ。


 ぴょん! ぴょん! ぴょん!


 おお見ろ。

 最後の寿司桶から飛び出してきたのは、意外にも……『玉子焼き』!

 だが玉子焼きには、その寿司屋の味の全てが集約されると言われている。

 てふおが放ったのは、正に寿司職人最後の矜持であった。


「ぴよ ぴよ ぴよ ぴよ ぴよ ぴよ ぴよ ぴよ!」

 何羽もの玉子焼きが金色の柔毛に覆われた羽をはばたかせて、てふおの周りを飛び回る。


「やれ!」

 タニタてふおが一本指にて天を指す。


  ピカッ!


 暗天を裂く稲妻が、玉子どもをピシャリと撃った。


 ばりばりばりばりばりばり!


 これはいかなることか?

 落雷を吸収した玉子焼きが金色に輝きながら膨れ上がると、みるみる、バレーボール大の球体へと変化していくのだ。


  ぼよーん ぼよーん ぼよーん……


 『球電(きゅうでん)』である。

 雷雨の際などに周辺地域で稀にみられる、空中を漂う球形の発光体。

 正体については諸説あるが、自然発生したプラズマの塊だという説が有力である。

 幾つもの『球電』に姿を変えた玉子焼きが、校庭を跳ねまわる。


「喰らえ! ライトニング・ロールドエッグ!!」

 タニタてふおが弦之助を指差して叫ぶ。


 ぼよーん ぼよーん ぼよーん……


 弦之助を取り囲んだ球電が彼の体めがけて一斉に跳び上がった。

 だが弦之助、微動だにせず。

 ぎらん! 彼の双眸が金色に輝いた。


「ぴよ?」

 玉子どもの動きが止まる。

 なんと、球電たちが弦之助の周りを離れると。逆にてふおの方に襲いかかった。


「なんだとおおおお!」

 我が子同然の玉子どもに囲まれて、吃驚仰天(びっくりぎょうてん)のてふお。


「ぴよよよよーー!」

 球電が、次々とてふおに命中する。


「ぐぎゃああああああああああああああ!」

 雷に撃たれて、みるみる黒焦げになってゆくてふおの体。

 惨なり! 異能の寿司達を自在に操る恐るべき宇宙寿司の求道者も、甲賀衆首領の不可思議な術の前に、ついに斃れて事切れた。


甲賀瞳術竹篦返こうがどうじゅつしっぺいがえし』!!

 これこそが、空我弦之助(くうがげんのすけ)を地上最強の忍者たらしめる必殺奥義であった。

 敵意殺意を持ったあらゆる技は、ひとたび彼の金色の双眸に射抜かれると、放った相手に逆にはね返っていくのだ。


「てふお……!」


 ずさり。


 冥条獄閻斎が前に出た。

 その双眸には、哀惜の涙光るも、ここはあくまで戦の場。

 獄閻斎、校庭に斃れたてふおの屍に回向なし。敗れた弟子を一顧だにせぬ剣鬼の非情。


「冥条獄閻斎……世に聞こえた冥条流の業、見せてもらおうか!」

 しゅらん。弦之助が不敵に笑うと、背中の忍刀を抜いた。


 忍者刀『蜥蜴丸(とかげまる)』を担いで、空我弦之助が冥条獄閻斎に走り寄る。

 こと剣技に関しても、甲賀の里で弦之助の右に出る者はいない。

 これは若き忍者の慢心か?

 弦之助は己の腕を、名の聞こえた剣客で試そうというのだ。

 大きく振りかぶり、獄閻斎に斬りかかる弦之助。

 だが剣客から、いや、我々から見ても彼の太刀筋は鈍重そのもの。


 方や獄閻斎。老剣士は、抜刀すらしていない。

 がき! 獄閻斎が弦之助の太刀を鞘で払う。

 弦之助、すかさず退いて二の太刀を整えんとする。だが、

 彼の握った柄はその場から微動だにしない。いや、出来なかった。

 鞘で払ったその刀身を、獄閻斎が素手でむんずと掴んでいたのだ。


 『冥条流白刃取り』!


 常軌を逸した剣客の握力で掴み取られた弦之助の太刀は、押しても引いても、これ抜く事能わず。

 だが、弦之助に狼狽の色は無し。


「くく……かかった!」

 次の瞬間、弦之助が跳んだ。

 獄閻斎に取られた太刀の柄を支柱にして、まるで平均台の演者のように宙に舞ったのだ。

 一跳びで剣客の眼前に来た弦之助。彼が左手で腰から抜き撃ったのは、もう一振りの小刀。

 先程の太刀とは、比較にならぬ剣速だ。


 『甲賀剣羽虫打(こうがけんはむしう)ち』!


 鞘の中にて蚊蜻蛉を落とす精妙の剣が、獄閻斎の顔前にきた。

 冥条獄閻斎敗れたり!

 弦之助は勝利を確信した。だが……

 ざぎい! 手応えがおかしい。まるで砂袋に斬りつけたような鈍い異音。

 おお、甲賀の首領は己が目を疑った。


 信じられない!


 弦之助の放ったその剣が、獄閻斎の口に咥え取られているのだ!


 ぎりり……ぼきっ!


 獄閻斎が凄まじい形相で刃を噛みしめ、弦之助の小刀を噛み折った!


 『白刃取り・牙殺(きばごろ)し』!


 獄閻斎はただ、驚異的な集中力と鍛え上げられた咬筋によって、忍びの剣を封じたのだ。


 ぎらり。剣鬼の眼が光る。


 ……まずい! 甲賀弦之助が初めて狼狽えた。


 殺られる!

 両剣を封じられた弦之助が必死で獄閻斎から飛び退る。

 だが獄閻斎、それを逃さず。

 剣客がはじめて、己が刀の柄に手を遣った。


「いける!」

 弦之助は、ほくそ笑んだ。彼の双眸が金色に輝く。


 『甲賀瞳術竹篦返し』!


 奥義を秘めた瞳が剣客をしかと見据える。

 獄閻斎が抜き撃った刃は、逆に自分の首を落とすはず。


 だが……


 しゅばっ!


 なぜだ? 獄閻斎の抜刀はその軌道を変えない。

 白刃は寸分狂わず吸い込まれるように、弦之助の喉元めがけて飛んできたのだ。


「なにぃいい!」

 術が効かない、驚愕する忍者。彼の脳裏を死がかすめる。だが、


  ずちゃ!


 血の泥濘に、剣客が足を取られた。

 一瞬揺らぐ太刀筋から、必死に逃れる弦之助。

 刀は彼の首の皮をかすめたのみに止まった。


  無意の剣!


 弦之助の首筋を冷たい汗が伝う。

 虎が人を喰らう時、殺意など覚えるだろうか?

 剣客はただ、己の本能のみにて弦之助に斬りかかったのだ。


「冥条獄閻斎……!」

 忍者の首領が凄絶に笑った。


「お主と剣で相対したは、この俺の不遜であった。ここからは、忍びの(わざ)にて相手をいたす!」

 言うや否や、弦之助の体から、金色の光が迸った。


「昆虫忍法、『荒苦仁弩(あらくにど)』!!」

 弦之助が自分の腰前に印を結んで叫ぶ。

 彼の丹田に姿を現した金色に輝く奇怪な石。

 彼の体が、石から吹き上がった金色の光に包まれながら、その容を変えていく。

 おお、その身の丈は五倍以上に膨れ上がり、全身を覆っているのは黒々と光る甲殻。

 その頭上に戴くのは、禍々しく鋏状にそそり立つ巨大な(アギト)

 見ろ。見ろ。変身を遂げた空我弦之助(くうがげんのすけ)の姿は、その名の通り、全長10mを超える巨大なクワガタムシ!


 ありえない! 獄閻斎は目を瞠った。

 人外の秘術を究めた忍者の不思議は十分承知のつもりだった獄閻斎だが、このような術は想定の外。

 これは、狐狸妖怪の類か?


 いや違う。空我弦之助の変身は、妖術や(まじな)いに因るものではなかった。

 彼の一族には、おそらく太古の昔、銀河の向こうからやってきた巨大昆虫軍団の血が混ざっていると思われる。

 弦之助は想像を絶する鍛錬の末、その血を自在に顕現させ、動物界の門をも超えたトランスフォームを可能にしたのである。

 昆虫忍法。空我弦之助を五人衆随一、地上最強の忍者たらしめる本当の理由。

 甲賀衆最凶最大の忍法であった。


  びゅーーーん……


 弦之助が頭部に戴く巨大な鋏の先端が、不気味に唸りだした。

 鋏の両刃の間に、青白く揺らめく光の波が収束して行く……


「ぬうううううう!!」

 何かを察した剣客が、横とびに跳んだ。


 ばしゅううううううう!


 なんたること!

 鋏の間から放たれたのは校庭を溶かしながら獄閻斎に迫る青白い光線!

 間一髪で光線から逃れる獄閻斎。


  ずずうううう!


 光線は学園の校舎の壁を穿ち、裏庭まで大穴を開けた。


「冥条獄閻斎! この俺の『マイクロ波シェル』! 斬れるものなら斬ってみい!」

 弦之助が吠えた。


「ぬぐうううう!」

 獄閻斎呻吟。


 人間ならば、相手選ばず切り伏せる獄閻斎の『花殺め』も、相手が電磁波を攻撃の武器に用いる巨大クワガタとなると、なんとも分が悪い。


 ならば……!


「琉詩葉! 準備は出来とるか!」

 獄閻斎が学園の校舎を振り向いて、そう叫んだ。


「OK! お祖父ちゃん! 出動準備完了。バッチコーイ!」

 校舎の三階の窓から、燃え立つ紅髪を揺らした少女がぴょこんと顔をのぞかせて、老人にそう応えた。


 獄閻斎の孫娘、冥条琉詩葉(めいじょうるしは)だ。


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