第86話 VSマクシミリアス[後編]
前回までのライブ配信。
セーラが猛獣刑に向かってしまいアイリスは不安が拭えない。しかし、マリカやカトーが送り込んだラデュケが話をしてくれることで気が紛れる。
その後、係の兵士に呼ばれたアイリスが控え室に向かう途中で、セーラが生き残ったことを聞かされる。闘技場に立ったアイリスは、セーラが生き残ったことや討伐軍の仲間の応援で力が漲ってくる。
試合が始まり、アイリスは剣術と魔術を駆使して筆頭マクシミリアスに立ち向かう。その過程で彼女は兜に攻撃を当て彼の顔が明らかになる。アイリスはその顔がルキヴィスと似ていることに驚くのだった。
注意深くマクシミリアスさんの顔を見る。
やっぱりルキヴィス先生と似ている。
でも、表情がない。
真剣という訳でもなく、つまらなさそうだ。
仮にマクシミリアスさんと先生が兄弟とすると、先生はどうして身体が魔術で光っていないんだろうか?
いや、こっちに来て逃げ回っていたとき、先生も左手だけが激しく光ってたな。
義手か何かだろうか?
直接本人に聞いてみればいいか。
気持ちを切り替えて、戦いに集中する。
これまでまともに当たったのは、水射の魔術と体当たりだけだ。
もう1度、その方向で攻めるか。
ボクは再びマクシミリアスさんの周りに魔術で霧を起こした。
霧の魔術とでも名付けておこう。
でも、彼は霧が出来ると同時に一歩踏み出してくる。
ボクは、霧の魔術を創水の魔術に変えた。
水が出来ると同時に彼の背後から水射の魔術を放つ。
彼はすっと頭を下げたと思うと、水は肩の上を通り抜けていく。
水射の魔術の水しぶきがボクの肌に掛かる。
どうやって避けた?
いや、避けた方法なんてどうでもいいか。
大切なのは彼が万全な状態だとボクの攻撃が通じないということだ。
崩すか硬直させないと。
ボクは、後ろに間合いを開けながら攻撃の方法を考える。
ふと、地面に放置しておいた楯が見えた。
いっそのこと宙を飛びながら水射の魔術を撃ちまくるか?
でも、その場合は特別試合でボクの実力を認めさせるという目的を果たせそうにない。
カトー議員やフィリップスさんがボクを信じてこういう場まで用意してくれたんだから、その期待に応えないと。
だからといってまともに戦うのは厳しい。
さっきは世界ゆっくりモードになれたからよかったけど、次は分からない。
間合いを保ちながら考えていると、電流を使おうとしたときマクシミリアスさんが逃げたことを思い出した。
電流か。
ボク自身や彼を濡らす必要があるな。
強力な電流を使う場合、ケライノさんのときみたいにボク自身の身体や地面も濡らして電子を集める必要がある。
乾いている地面や身体は電子が動かしにくいけど、濡らせば動かせる。
ボクは自分の頭上で創水の魔術を使った。
水が固まりながら落ちてくる。
ボンッ。
出来た水の半分に突風の魔術を当てた。
水は飛沫となり、広範囲に降り注ぐ。
冷たっ。
水が落ちてきてボクと地面を濡らす。
剣の刃に右手を添え、少しずつ電子を剣先に向けて集めていく。
それにしても電子が集まる速度が遅い。
染みが広がるくらいのジワジワした速度だ。
電子って秒速1000kmじゃなかったっけ?
一方、突風の魔術で噴射した水はマクシミリアスさんの周りの風によって阻まれていた。
あの風どうにか出来ないかな。
――出来ないか。
なら、水の勢いを強くしないと。
ボクは彼の真上に創水の魔術で水を集めた。
空気中の水蒸気が少なくなってるのか水の集まりが悪い。
それを拡声器のように円錐状にして、水射の魔術を使う。
水しぶきがシャワーのように彼に降り注いだ。
彼も避けようとしたけど間に合わずに濡れる。
ボクはすぐに突風の魔術で上昇気流を作った。
空気中の水蒸気の量の調整しないと創水の魔術が使えなくなる。
かき混ぜて水蒸気を取り入れないと。
あれ?
ふと、思いついた。
空気を薄くした状態にすれば彼の風の守りの効果を小さくできるんじゃないか?
上昇気流を作りながら、空気が彼の周りに入っていかないようにしてみる。
でも、彼の周りの空気に魔術は干渉できないことが分かった。
やりにくいな。
神に関係してるかも知れないから『神の加護』とでも名付けておこう。
――剣と電流でいくしかないか。
剣の先ではバチッ! バチッ! と耳障りな音が鳴っている。
ボクは剣を構えながらマクシミリアスさんに向かって歩み始めた。
彼は全く動かない。
相変わらずつまらなさそうだ。
ボクは間合いの内側に踏み込んでから、彼が三角に構える瞬間を狙って剣の外側に移動する。
彼の速い攻撃。
対処パターンは同じか。
ギンッ。
剣と剣がぶつかる。
身体の動きで吸収しようとしたけど、僅かに力が入ってしまう。
この速い攻撃、攻撃する前の電子が見えにくい。
正確に言うと、神経の電子が流れていない。
魔術で直接筋肉をコントロールしてるんだろうか。
攻撃の瞬間が分かりにくいこともあって、どうしても力が入ってしまう。
今の身体は筋肉なんてほとんどないのに。
男の頃の癖が残っているんだろうか。
衝撃を受け止めるために何歩か後退している間に彼は一歩踏み込んできた。
意識して力を抜くことを試みる。
今度の彼の攻撃は突きだ。
このパターンも同じだな。
同じだからといって隙がある訳じゃないけど。
剣ではなく身体を動かすことで剣を重心の前に持ってくる。
刃を少し傾けることで突きを逸らす。
ただ、大きく突いて来てる訳じゃないのでマクシミリアスさんの体勢は崩れない。
ボクの方が突きの摩擦に負けまいと力を使ってしまって僅かに固まってしまっていた。
――ダメだ。
力が抜けきらない。
今までも気付かなかっただけで、これまでずっと僅かに力を使っていたのか?
彼が一歩踏み込んでくる。
カウンターを決めようと攻撃を待つ。
来ると思ったタイミングであの速い攻撃は来ず、ワンテンポ遅れて斜め上からの斬撃の気配があった。
受けようと剣を置く。
でもそれはフェイントで、ボクが受けようと僅かに固まったところを右下から斬り上げられた。
鍛えられた筋肉に裏付けられた力強い攻撃。
まずい。
圧力。
予感する死。
首筋に鳥肌が立つ。
ボクはたまらず自身の右側に全力で突風の魔術を放った。
一瞬、感覚が喪失する。
剣は手放した。
衝撃と浮遊感の後に、身体中が地面にぶつかっていく。
土の味。
かろうじて意識はある。
目を開けると、地面と壁が見えた。
とにかく立ち上がる。
ふらつく。
あちこちが痛い。
特に右脇が痛かった。
見ると土と血で濡れている。
身体中が痛くて怪我の具合が分からなかった。
指で触れてみたけど傷は深くない。
一方、マクシミリアスさんは闘技場の中心で立っていた。
距離は10メートルくらいか。
離れているのにつまらなそうな顔をしているのが分かった。
よく見る顔なだけに違和感がある。
彼との間に剣がある。
ボクが手放した剣だ。
まだだ。
電流が通じるかどうか試せてないし。
ボクは頭の上に創水の魔術を使った。
大量の水が集まり盛大にボクを濡らす。
次に上空から真下に突風の魔術を使った。
濡れた身体の余分な水滴を飛ばす。
同時に地面から電子を集めていく。
空を見上げ息を吐いた。
≫■■■返事しろ■■■≫
≫アイリスー≫
≫見えてるかー≫
≫状況が分からん≫
――あ、コメントだ。
あれ?
頭から完全にコメントのことが消えてた。
肩の力が抜ける。
「すみません。コメント、見えてます」
≫お、よかった≫
≫キター≫
「もしかして、ずっとコメントしてくれてましたか。視野が狭くなっていたのか見えていませんでした」
≫ずっとコメントあったぞ≫
≫コメント数は多かった気がするな≫
≫動画は配信されてたぞ≫
≫コメントってどういう風に見えてるんだ?≫
コメントのある生活に慣れすぎて違和感がなくなっているのかも知れない。
≫今、どうなってる?≫
≫ああ、それそれ≫
≫一人称視点だと状況が分かりにくいからな≫
≫激しいと酔うしなw≫
「突風の魔術で自分を吹き飛ばした後ですね。マクシミリアスさんの攻撃を避けきれないと思ったので逃げるために使いました。それで10メートルくらい転がったのが現状です」
≫そういうことか≫
≫おいおい、無事なのかよ≫
「なんとか無事です。あ、1つ質問です。攻撃を受けるときに少し力んでしまってるようなんですが、なんとかする方法ってありますか?」
≫武術家だ。俺から答えてもいいか?≫
≫もちろんだ≫
≫武術家居たのかw≫
≫頼む≫
「助かります。是非お願いします」
身体に電子を集めながら応える。
≫力んでいるのは肩か?≫
「はい。たぶんそうです」
≫肩か≫
≫男だと難しいが女性だしなんとかなるだろう≫
え、男はダメで女性ならなんとかなるの?
≫どうして男だと難しいんだ?≫
ちょうど聞きたいことを質問してくれた。
≫筋肉に頼ることが癖になっているからだ≫
≫男の子とか力比べが好きだろう?≫
≫なるほど。確かに≫
やっぱり癖になってるものなのか。
男の意識だとマズいんだ。
女性と思い込めばなんとかなるのかな?
≫いいか? では簡単に肩の構造を説明する≫
武術家さんが説明するには、肩というのは関節なのに直接骨がくっついていないらしい。
膝や股関節とは構造が違うということだ。
あと、腕の認識も変える必要があるらしい。
腕は骨が肩甲骨まで繋がっている。
それが肩からいろいろな筋肉でぶら下がっているという状態みたいだった。
肩が力むというのは、このぶら下がってる筋肉を強く締めてガチガチに縛ってしまう状況らしい。
≫肩甲骨から腕と強く認識してくれ≫
≫これを肩からぶら下げる≫
≫肩の骨もペラペラのスポンジと思ってくれ≫
≫あとは腕の重さを感じろ≫
「ありがとうございます」
≫1、2回ならこのイメージで成功するはずだ≫
「はい」
ボクは創水の魔術で水を集め始めた。
場所はマクシミリアスさんとの間くらいだ。
それを拡声器のような円錐の形で放つ。
彼は盾を構えただけで避けた様子はない。
濡れたはずだ。
「行きます」
ボクは落ちている剣に向かって走っていった。
≫どうするんだ?≫
「まずは『三角』相手に頭上から攻撃してみます」
『三角』は口の感覚を広げて使う。
真上の対象には使えないんじゃないだろうか?
ボクは剣を拾って、そのまま背面跳びをする。
背面の下に突風を起こし空中を飛んだ。
そのままマクシミリアスさんには向かわない。
落ちている楯に向かう。
空中で身体を制御して、楯の近くに降り立つ。
ボクは楯を拾いながら剣の刃の部分に触れ、電子を移動していった。
剣先がバチバチ鳴り始める。
マクシミリアスさんはその場から動かず、ボクの方だけ向いている。
距離は5メートルほど。
今度は楯に乗って飛びながら、マクシミリアスさんを中心に周回するように回る。
時計回りだ。
ボクは、カーブのときの遠心力を使って楯に斜めに立ち、彼の真上から剣を振るった。
彼はボクの剣を首を捻って避けながら、大きく剣を振るう予兆が見えた。
やっぱり頭上からだと『三角』のような安定感はない。
ボクは彼の剣を避けながら剣先の電子を解放する。
バチッ!
想像より大きな音がした。
彼が片膝をつく。
ボクは突風を起こして急激に空中で止まり、楯を蹴ってジャンプした。
「ふっ!」
彼に届くギリギリのところで剣を振り下ろす。
同時に創水の魔術で彼の背後に水を生み出す。
彼がボクの剣を盾で受け止めたと同時に、背後から全力の水射の魔術を使った。
彼は見もせずに背後に剣を振るう。
水射の魔術が斬られた。
水しぶきがキラキラと虹を作る。
ボクは着地と同時に左に動く。
彼は右手で背後の水を斬ったので隙がある。
可能な限りの電子を集める。
「っ!」
ボクは鎧のなくて避けにくい腰に剣を振った。
彼はギリギリで避けるが、そこに電子を解放する。
バチッと小さな音がする。
一瞬、彼の表情が歪んだ。
それでもボクに向かって剣が振られる。
いける!
彼の放った剣は普通に筋肉を使ったものだ。
完全に読める。
読めると考えた時点で、ボクはまた創水の魔術で水を集め始めていた。
攻撃をギリギリまで待つ。
そして、当たる直前に身体を捻った。
マクシミリアスさんが硬直する。
その僅かな硬直を狙って水射の魔術を使う。
水量が少ないので狙うのは彼の後頭部だ。
彼は今、兜を着けていない。
狙うならここしかない。
彼はそれを肩を少し上げるだけで弾いた。
肩には金属の防具を着けているので、水では攻撃が通らない。
ボクは離れる。
彼が鼻で笑ったように見えた。
なんだ?
思わずその表情に気を取られる。
それでも構わず創水の魔術を発動する。
――使えなかった。
剣先に電子を集めようともするけど、これも使えない。
どうして魔術が?
考え始めたところですぐに答えは出た。
魔術無効だ。
彼の死角になるボクの背中側で突風の魔術を使ってみたけど、これも使えない。
彼がゆっくりと半身に構える。
意識が『三角』になっていることがよく分かる。
彼は自嘲気味に笑っているように見えた。
ボクは胸の重さに意識を向けた。
二の腕を見る。
細い。
胸とこの細い腕の存在を通して、自分が女だと強く意識する。
次に肩に意識を向ける。
肩はスポンジ。
スポンジの骨にぶら下がっている肩甲骨と腕のイメージ。
彼が出てきて、ボクとの間合いに入った瞬間、『三角』を作る。
ボクは少し下がりながらしゃがんだ。
剣は頭上に寝かしている。
これも『三角』の外だ。
彼の剣が振り下ろされる。
ボクは寝かせてある剣を斜めにする。
ボクは女、ボクは女、ボクは女。
筋肉はない。
腕はぶら下がってるだけ、ぶら下がってるだけ。
彼の剣を滑らせるようにして前に出た。
肩をスポンジのハンガーに見立てて、肩甲骨がぶら下がってるのを強くイメージする。
「くっ」
くっ?
声が出るということは力んでるんじゃ?
思えば腕の重さがない。
とっさに意識を変える。
男への未練は捨てる。
か弱い女の子だという確信を身体に叩き込む。
肩が落ちた。
腕の重さが伝わってくる。
すっとマクシミリアスさんの懐に近づく。
力が抜けているからかぶつからない。
いや、少しぶつかっても入っていける。
ボクは彼の腹筋に剣の柄をぶつけるために突き進んでいった。
あと少し。
攻撃を阻むものは僅かな距離だけだ。
避けられたときのために頭突きにいけるように心の準備だけしておく。
そのときだった。
右に電子の兆しがあった。
すぐに側頭部に衝撃。
痛みよりも何よりも意識が遠のく。
膝がガクンと落ち、剣が手から零れた。
視界がすっと狭くなっていく。
――ボクが。
ボクが女を受けいれてまで……。
薄れゆく意識の中で両膝と腰に電子を叩き込んだ。
虚ろな空間把握を頼りに彼の顔らしき部分に拳を伸ばす。
届け……。
顔らしき何かに手が触れる。
当たった。
瞬間、彼の首が捻られた。
ボクの拳は頬に触れただけで勢いを失った。
そのまま地面に落ちていく。
ああ、落ちてるな。
そう考えたのが最後で、ボクの僅かに残っていた意識は消えていた。




