第34話 第五席と第九位
基礎訓練が終わったマリカが、ボクたちに合流した。
ボクは早速、出来るようになったばかりの風の魔術を見せてみる。
見せるのはもちろん、分子の衝突をコントロールした風の魔術だ。
見せてみるといっても、何もないところで魔術を使うのでゴォーという凄まじい音しかしない。
「ふぅ。もうアイリスに驚かされるのも慣れてきたと思ってたんだけど」
ボクが魔術を止めると、マリカはそう言って、唾を飲み込んだ。
「何をどうしたら少し目を離した隙にこんなことに?」
「クルストゥスさんに魔術はイメージを重ね合わせたらいいって教えて貰って。それで、ボクのイメージを重ね合わせてみたらなんか出来た」
「そういうこと言いたいんじゃなくて。――ああ、なんか真面目に考えるのがバカバカしく思えてきた」
「俺には音しか聞こえないが、マリカにはどうなってるのか見えるのか?」
ルキヴィス先生が宙を見上げる。
「見えたっていうのかな? そこにあったサンソが、一瞬でどこかに消えてる。こんなのは見たことない」
「マリカさんは、普段そのサンソをどのように見ていますか? 似ている例えがあるといいのですが」
クルストゥスさんがマリカに声を掛けた。
彼の口角が僅かに上がっている。
なんとなく分かってきたけど、これは興味津々なときの聞き方だ。
「例えですか——じゃなくて、敢えて例えるなら煙みたいな感じかな。煙みたいに上には行かないけど」
≫敬語言いそうになって照れてるのかわいい≫
≫隠してもにじみ出る育ちの良さ!≫
「なるほど。煙みたいに見えるのですか。私とは異なりますね」
マリカの言う煙のように見えるというのは分かる気もする。
ボクが普段見ているのはチカチカだけど、焦点を少しぼやけさせれば煙のように見えるかも知れない。
マリカのように酸素分子だけを見ることは出来ないけど。
「それで、ここからの魔術の練習はどうするんだ? もちろん、俺も生徒だからよろしく頼むぜ」
ルキヴィス先生が、クルストゥスさんに笑みを向けた。
「そうですね。まず、ルキヴィスさんは空気を見えるようにしていきましょう。マリカさんはサンソの濃度を減らす練習ですね。アイリスさんは素早くイメージを重ねて魔術を使う練習です」
「空気が見えるようにって今からでも可能なのか」
ルキヴィスさんが聞いた。
「水は見えるんですよね? それなら手順を踏めば見える可能性があります」
「それは楽しみだな」
「問題はマリカさんのサンソを減らす練習ですね。サンソが見えるのはマリカさんしかいません。だから自己判断しかないんですよね」
≫火とかじゃダメなのか?≫
≫ああ、ロウソクとか使えばいいのか≫
≫酸素が16.5%でロウソクは消えるらしい≫
≫普通の空気の酸素濃度って21%だっけ≫
≫6%減らしただけで消えるのか≫
コメントがありがたい。
ボクは全く覚えてなかった。
小学校で習うような内容なのに。
ボクは口を開いた。
「酸素が減ったかどうかはロウソクの火が消えるかどうかで分かります。ロウソクが燃えるのは酸素があるからなので」
「はい?」
クルストゥスさんが驚いている。
「アイリスさん。今、なんて言いましたか?」
「酸素が減ったかどうかはロウソクが消えるかどうかで分かると言いましたけど」
「そのあとです!」
「ロウソクが燃えるのは酸素があるから、ですか?」
「それです!」
≫いきなりどうした?w≫
≫クルストゥスのイメージがw≫
ボクもあまりのテンションの高さに若干引いていた。
こっちだと酸素の存在がまだ知られていないからだろうか?
「もしかして、サンソというのが火の元素なのですか?」
火の元素?
四大元素の話だろうか?
そもそもボクは火の正体についてよく知らない。
≫火はプラズマらしいぞ≫
≫酸素は化学反応に使われるだけ≫
≫火の元素ではないな≫
ボクが答えに困っていたからか、すぐにコメントが流れた。
ありがたい。
「いえ、酸素が火の元素ということではないです」
「そうなのですか?」
「話が盛り上がってるところ悪いが、練習の方が優先順位は上だからな。そういう話はアイリスが勝ってからの楽しみに取っておこうぜ」
ルキヴィス先生がニッと笑ってボクたちの間に入ってきた。
ボクも知識があまりない話をするのも焦るばかりなので、ほっとする。
この辺りのことは、その内、コメントで教えて貰えたら教わった方がいい気がした。
「すみません。あまりにも興味深いのでつい」
クルストゥスさんは自分を恥じるように頭を下げた。
「クルストゥスはその好奇心で知識を得たんだろうし、俺はそれに付け込んで教えて貰ってるんだからそんなに悲観することもない」
「そう言っていただけると助かります。では、早速、練習の準備をしましょう。マリカさんはロウソクを何本か貰ってきてください。ルキヴィスさんは容器と水をお願いします。私も準備がありますので、アイリスさんは少し待っててください」
「分かりました」
3人とも準備のために、それぞれ別の場所に向かっていった。
ボクは空を見上げてなるべく遠くの小さな範囲で分子の衝突するイメージを重ねようとしていた。
でも、遠くだと上手くイメージが重ねられなくて魔術は使えなかった。
≫何してるんだ?≫
「魔術の練習です」
やっぱり魔術はパーソナルスペースじゃないと使えないか。
それってボクの手が届く範囲くらいだろうか。
でも、マリカは養成所くらいの範囲で使えるし、どういうことなんだろう?
「よぉ」
考えに没頭していたので、誰かが近くに来ていることに気付かなかった。
声のした方向に振り向く。
「ヒューゥ」
振り向いた途端に口笛が鳴らされる。
そこには5人の男たちが居た。
少なくとも見たことのない顔だ。
真ん中の男以外からは、身体を嘗め回すような視線を感じる。
≫不快しかないな≫
≫またこういうのか≫
≫魔術で吹っ飛ばせ!≫
「あんた、アイリスでいいんだよな?」
「アイリスはボクですけど」
そう言うと、すぐに他の4人に囲まれた。
武器は持っていないみたいだ。
≫やばくないか?≫
≫逃げてー≫
「何かご用ですか?」
明らかに不穏な空気だ。
でも不思議と怖くない。
どうしてだろうと思ったけど、あの3人の巨人のプレッシャーとは比べ物にならないからだとすぐに思い当たる。
「俺ら今日ここの養成所に入ったばっかなんだよ。だからセンパイにいろいろ教えて貰おうと思ってね」
4人の囲みが小さくなる。
「ボクもまだ入ったばかりなので他の人に教えて貰ってください」
「あ、アニキ。好きにしていいんだよな?」
「馬鹿か。そんな暇ねえよ。まあいいや、実戦形式で頼むわ、セ・ン・パ・イ」
目の前の男がそう言うと、後ろの2人が動いたのが分かった。
ボクは完璧な回避を使って、その2人の攻撃を余裕を持って避ける。
2人はお互い絡まるようにして転がった。
巨人よりは攻撃までの時間が早いけど、最初から捕まえにくるのが分かってるので避けるのは容易い。
「お前ら何してる!?」
「つ、捕まえたと思ったらいなくなってて」
「チッ」
リーダー格のような男が動く。
間合いを急には詰めてこない。
「お前ら攻撃して隙を作れ」
4人が一斉に攻撃をしてくるけど、殴られても死なない攻撃なんて怖いはずもない。
剣よりも動作自体は大きい気がするし。
≫何が起きてるんだ?≫
≫紙一重で避けてるんだろ。すげえな≫
ボクは最小限の動きで全て避ける。
両腕が動かないから攻撃できないのが問題だな。
蹴りもちゃんと使うには腕が動かないと使いにくいし。
≫そういや両腕動かないんだよな?≫
≫信じられん≫
あと、魔術も集中できる余裕がない今の状況では使いにくい。
だからクルストゥスさんは、素早く魔術を使う練習をさせようとしたのかな?
もっとも、500m/sの風なんてまともに当たったらどうなるか分からないから使えないんだけど。
いつの間にかリーダー格の男も参戦して来ていた。
他の4人と比べても攻撃が少し鋭い。
スペースの関係で同時に攻撃してくるのは3人とはいえ、さすがに5人相手は大変だな。
≫もう何がなんだか≫
≫俺らは空間把握で見えないからな≫
ボクは1人の攻撃を避けて、そのまま通り抜けて離れた。
3メートルくらい離れただろうか。
両腕が動かないと走ることすら難しくなるんだよな。
そして、右肘の横辺りから目の前の地面に向けて魔術を使う。
分子の衝突をコントロールするイメージだ。
イメージを重ね合わせた瞬間に、ゴゥという音と共に土埃が舞い、5人とも吹き飛び転がった。
5mくらいは吹っ飛んだだろうか?
≫うわっw≫
≫魔術か!≫
も、もしかしてやり過ぎた?
それにしても、地面に反射させてもこれだけの威力が出るんだな。
人に直接当てるのは不味いと思った。
ボクは無事を確認するために、5人の元に向かう。
さすがに死んではいないと思うけど。
「だ、大丈夫ですか?」
≫心配なんてしなくていいのにw≫
≫この優しさは大天使の領域!≫
呻いたり、頭を押えたりしているけど、死んだり意識を失ったりしている人はいないみたいだ。
「えーと、医務室に連れて行かないと。あ、でも5人もどうやって」
「ふっふっふ。はっはっは」
ボクが慌てていると、低音だけど爽やかな笑い声が聞こえてきた。
顔を上げると、濃い目の褐色の肌を持つ男が軽く駆けてくる。
後ろに同じような肌をした背の高い1人の男を引き連れていた。
笑っている男はあご鬚を生やしていて、30歳を超えているくらいだ。
背の高い男は、端正な顔立ちでもの静かな感じだった。
歳は20代半ばくらいだろうか。
≫後ろの男はモデルっぽいな≫
≫バスケ上手そうw≫
≫何者?≫
「失礼だったかな。自分を襲った男たちを心配しながら狼狽しているのが愉快でね。悪気はない。寧ろ心地良くて笑ってしまった。どうか許してほしい」
男は頭を下げた。
「いえ、そんな」
「セルム。倒れてる者の応急処置を。それと必要なら医務室へ」
「承知いたしました」
敬語?
主従関係っぽいけど、どういう関係なんだろうか?
あと、この2人も養成所では見たことがない。
「あ、ボクも手伝います」
「アイリスさんは手伝わないでおいてあげてくれ。彼らにも面子があるだろうからね。自分たちが襲い掛かったお嬢さんに助けられるのは酷だろう」
小声で人懐っこくウインクしてくる。
≫なんだこのオッサンw≫
≫不思議と腹が立たないなw≫
「あれ? ボクの名前――?」
「おとといの闘技会を見ていたものでキミの名前を覚えてない剣闘士はいないと思うよ」
「そう、なんですか。そういえば、貴方はどなたですか」
「――シャザード様。第五席になっても知名度はまだまだのようですね」
セルムと呼ばれた背の高い男が、応急処置をしながら言った。
丁寧な言葉遣いなのに、少し笑いが含まれているのは気のせいだろうか?
≫第五席……、だと?≫
≫強そうに見えるけど強そうに思えないなw≫
≫どっちだよw≫
「次の闘技会で筆頭になれば、この可愛いお嬢さんにも覚えて貰えるだろうね」
「え? 筆頭になればって?」
「シャザード様は、4日後に筆頭『不殺』のマクシミリアスと闘技されることが決まった」
「遅くなったが、自己紹介をしよう。私は第五席『切断』のシャザード。そっちの者は9位のセルム。同じ養成所のよしみだ。これからよろしく頼むよ」
突然現れた第五席と9位にボクは言葉を失っていた。
次話は、7日(月)の午前7時頃に投稿する予定です。




